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第二部 1.出口のない森−6

 男たちの足音が突如、ぱったりと止んだ。

『や、これは、王城近衛隊の皆様でしたか……! ご無礼をお許しください、てっきり、ここの森番がいるものと思い――』

『いやいや、かまわん。私たちも負傷者を抱え、仕方なく、留守宅に勝手に入ったのだ。今ちょうど、この者の手当てをしていたところでな』

『それは災難でございました。怪我の具合はいかほどです? 本城にまで行けば、良い医師がいるのですが』

『おお、それは何よりだ。応急処置が済んだらこの者を連れ帰るゆえ、その際、その医師の助けをお借りしたい』

『ははっ!』

 王はジェニーの存在を男たちに表明しなかった。

 会話の成り行きから、王と男たちが無関係らしいと感じ、ジェニーはうっすらと目を開いた。王の顎が間近にあり、すべすべとした肌がジェニーの目に入ってくる。彼は微動だにせずに扉の方向に顔を向け、隣室の様子をうかがっていた。彼の保つ緊張が、きつく結ばれた唇から伝わってくる。

 その唇に手を触れたら、彼はどうするだろう?

 恐怖が弱まった分、彼の身近さを意識して、ジェニーの胸が熱く高鳴る。

『ところで、そちらは人捜しとか?』

 ジェニーの動揺を読んだように、王が彼女を一瞥した。醒めた目だ。彼の視線が、ジェニーの心に冷たく染み入り、突き刺さる。

 彼はジェニーの目に恐怖を見ただろうに、何の反応も見せなかった。彼は、隣室での展開を注意深く聞き入るつもりのようだった。彼の無関心に面し、ジェニーは傷ついた。

『女を捜していると言ったが、尋常ではなかったぞ。どのような女を捜しているのだ?』

『は……。そのような……』

 近衛兵の問いに、ジェニーを追ってきた者の気後れしたような対応が続く。言葉尻が小さく消え入り、最後の方はよく聞こえなかった。

 男たちは何を答えているのだろう?

 ジェニーが不安になってつい王を見上げると、彼も顔を動かし、彼の手の下で息をひそめるジェニーを見た。ジェニーははっとして息を止め、彼を見返した。気のせいかもしれないが、彼の瞳に熱が戻っているように見える。

 彼に見つめられたのは、どれぐらいぶりだろう? いつもこんな目をしていただろうか?

 ジェニーの鼓動が早まる。

 それから、ジェニーの瞳に見入るようにして、王の顔がゆっくりと降りてきた。間近で緑色の煌きがまたたくと、彼の指に触れたジェニーの唇に熱が集まり始める。彼の指なのか、ジェニーの唇なのか、彼の手と触れた唇の面で鼓動が熱く波打っている。

 王はまだ何も言おうとしない。

 彼はなおもジェニーを見つめ続けている。心なしか、視線がやわらかく変化したようだ。彼の瞳が放つ光の中で、気が遠のきそうだ。彼がまつげを閉じて瞬きすると、ジェニーもそのたびに目を閉じ、彼の唇が降りてくるのを待ちたくなる。これで、もし彼がはにかむように笑ってくれたら、ジェニーは、嬉しくて泣いてしまうかもしれない。

 ジェニーの耳は隣室に張り付いていたが、瞳は正面にいる王から離れられなかった。

『おお、心配されるな、我らが秘密を漏らすようなことはないぞ。所属は違うが、同じ王家の近衛同士ではないか。近衛隊がそこまで血相を変えて捜すぐらいだ、その女は何か重大な問題を引き起こしたのだろう?』

『は。まあ……その、我々の捜している女は、性悪な娼婦でございます。名はマリーと申しまして』

 王の顔がジェニーからふいと離れ、その目が疑いを帯びて、ジェニーに注がれた。

 ――人違いか、勘違いか、何かの間違いだ!

 彼に、自分が娼婦だと誤解されたくない。娼婦と誤解されるような行動さえ、ジェニーはとったことがない。

 ジェニーは衝撃を受け、必死に首を振って彼に否定した。だが結局、彼が次に視線をそらすまで、その瞳から疑惑は消えなかった。 

『なに、娼婦? 娼婦ごときを貴殿たちが追うなど、その女はよほどの悪事を働いたのであろうな』

『え、ええ。いや……その、こちらにいないのなら、よいのです。私たちは先を急ぎますので――』

 男たちが去ろうとしている。

 ジェニーは少しだけほっとし、堪えていた息を吐いた。

(早く、早くどこかに行って……!)

 祈るような気持ちで、ジェニーは王の体越しに隣室に続く扉をのぞいた。


 ――ガラン!

 いきなり、固い物が落下したような衝撃音がジェニーの耳元で鋭く響いた。王もジェニーもはっとして、おそらくは隣室の者たちも、音のした方向に注意を引きつけられた。

 沈黙を守るべき状況下では、主張しすぎる音量だ。ジェニーはその瞬間、何が起こったのか、すぐにはよくわからなかった。ジェニーが唖然として王を仰ぎ見ると、彼は下方を見ていた顔を上げ、呆れたような眼差しをジェニーに返した。ジェニー、と彼の唇が恨めしそうに動いたが、声はない。

 力の抜けた王の手の下で、ジェニーは顔を右に傾け、おそるおそる寝台脇の床を見下ろした。水の入った容器が転がり落ち、床と王の膝を濡らしている。ジェニーが王を再び見上げると、彼は、苛立った面持ちで、ジェニーの口を手のひらでしっかりと押さえた。ジェニーは、自分のひじが、寝台脇の台にあった容器を押し出してしまったのだと、そのときになってようやく知った。

 耐え難い沈黙の後、隣室で人が動く気配があった。

『他にも、どなたかいらっしゃるので?』

『いや、あちらには……』

『まさか、とは存じますが、どなたかを匿っておられませんでしょうな? いくら王の近衛だとて、我々の追う女を、そちらの都合で勝手に匿うことは許されませんぞ?』

『何だと? 王城近衛兵の我らを疑う気か?』

 性急な靴音がジェニーたちのいる寝室に向かってくる。

 ああ、万事休す――。

 すると突然、ジェニーの口から王の手がするりと消えた。王の背中が扉に向かっていくのを目にし、ジェニーはさらに驚いた。


『ラニス公の使者ども。おまえたちの要望どおり、出てきてやったぞ。そやつが匿っていたのは、この俺だ』

『王!』

 ジェニーは我に帰り、王の背中が消えた扉の前に素早く駆け寄った。隣室の会話はつつぬけだったが、ともかく、耳を扉に押し当てた。

『こっ、こっ、これは、ご無礼を! 王がおられるなぞ露知らず……! どうか、どうかお許しを!』

『お、お許し下さいませっ!』

『おまえたちの話は聞いた。娼婦を捜しておるとか?』

『は、ははっ!』

『娼婦となれば、当然に女の手管を使い、悪事を働いたのであろうな。その女は何をした?』

『ははっ。しかし、なにぶん、娼婦のした事ですゆえ、詳細については大変申し上げにくく……』

『そうであろうな。だが、言うてもらおう。俺の安全が脅かされた上に、近衛隊を動かしてまで捜索せねばならぬ状況とあれば、それ相当な悪事が行われたに他ならぬ。王族の安全を危ぶめたのなら、俺だとて把握しておく必要がある。そうは思わぬか、ラニス公の使者殿?』

 その返答が、ジェニーが追われた理由だ。

 不気味な沈黙があとに続き、ジェニーは息を殺して耳をすました。

『おまえたち、王に返答いたせ!』

 王の近衛兵が怒鳴ったが、相手は無言だった。冷えた素足が床の上で震え、ジェニーはすとんと床に膝をつく。ジェニーは耳を扉に密着させるように、ぴったりと押し付けた。扉一枚を隔てた向こう側で、誰かが床をきしませて歩いている。

『なるほど、答えられぬか』

 足音が止まった。

『ふん……。まあ、残念だが、それも仕方あるまい』

『王? されど、この者たちは無礼極まりない――』

『構わぬ。この者たちには、主人の命を明かせぬ、正当な理由と真っ当な忠誠心があるのであろう』

『おお、王! なんという慈悲深きお言葉! 恐れ入ります、ありがたきことにございます!』

『王、しかし、それでは……』

 困惑が男の声ににじみ出ている。ジェニーは、王が彼らを許そうとしていることが、何となく腑に落ちなかった。

『行け。おまえたちの忠誠心に免じて、この場は許してやる。……どうせ今宵はフィリップに会うのだ、その席で、我が従兄弟殿にこの件を直に尋ねる』

『お、王……!』

『おまえたちにはもう去れと言うたであろう? 去るがよい!』

 鋭い怒鳴り声の振動が隣室の扉にまで届き、ジェニーは反射的に耳を扉から離した。

 その後、ジェニーは、素直に退散していく使者たちの重い足取りを聞いた。ジェニーが急いで窓に移動してみると、森でジェニーを追い回していた男たちが、小屋の方を振り返りつつ、馬にまたがろうとしていた。


 王がいれば、彼らは戻ってはこられない。

 心ならずも王に助けられる形となったが、とりあえずは一難去ったことで、ジェニーは深い安堵の息をつく。これで、あの男たちからは完全に逃げおおせたと言っていいだろう。

(よかった。本当によかった……)

 ジェニーはもう一度、大きなため息をついた。

 それからジェニーが、静寂を取り戻した隣室の方に向くと、彼女の胸が勝手にざわめいた。

(でも、こんなところで、まさか……まさか、王と出会うなんて)

 恐ろしいのに、胸が高鳴る。顔を会わすのが怖いのに、顔を見たいのだ。以前はあんなに嫌っていたのに、いつのまにか変わってしまった自分の心を、ジェニーは自分でもてあましてしまう。

(王は、私をどうするんだろう?)

 王とジェニーが別れたとき、彼はジェニーを殺そうとしていた。ジェニーの恐怖の瞬間にこそ彼は手を伸ばしたけれども、その直前まで、殺すつもりでいたのは確かだ。

 王に殺されてしまうかもしれない――。

 ジェニーは、王城を逃げた時点で、彼に斬られることを受け入れていた。逃げることは王への裏切りだ。今考えてみれば、ジェニーはあのときに本当に逃げたかったのかどうか、よくわからない。

 でも、彼に殺されても仕方がないとどこかであきらめる一方で、彼の顔を見て生きていたいとジェニーは望む。さっきのように、彼と見つめあうときがまたあってほしい、とジェニーは願う。

 すごく勝手なのかもしれない。けれども、二つの気持ちがジェニーの心の中でしのぎ合い、彼の顔をこの目で見てしまってからは、相反する思いがいっそう強まっている。

 しばらくの間、王は部屋に戻ってこなかった。隣室では、男たちが話す低い小声が続いていた。


 ゴーティスが隣室に戻ったとき、ジェニーは木の窓枠に手をかけ、それを外そうとしている最中だった。また、逃げようとしていたようだ。ゴーティスが感心するほど、彼女は諦めることを知らない。

「ジェニー」ゴーティスが約二年ぶりに彼女に呼びかけると、彼女は大げさすぎるぐらいに驚いて、彼を見た。

「おまえは娼婦なのか、ジェニー?」

「私が? そんなはず、ないじゃない!」

 久々に経験した反発に、ゴーティスは懐かしい手ごたえを感じて安堵した。彼女の反抗的な口調や強気な眼差しは、昔と同じだ。何も変わらない。二年の月日など、一切、存在していないかのように。

 彼女の答えなど、訊く前から分かっていた。

「であろうな。問うてみただけだ」

 ゴーティスが納得して頷くと、ジェニーに張り詰めていた緊張感がうすれ、かすかな戸惑いが現れた。ゴーティスがジェニーを静かに見つめると、心なしか、彼女の反発心も次第に失われていくようだ。彼女は黙ってゴーティスを見返している。

 なおもゴーティスが見つめ続けると、ジェニーの瞳が不安定に揺らいだ。王城の屋上で彼女が最後に見せた眼差しに似ていて、ゴーティスの胸が愛しさに苦しめられる。そして、時間が遡っていくように、穏やかな静寂が二人を包んでいく。

 ゴーティスはジェニーに数歩近づいた。

「おまえはなぜフィリップに追われておる? 何をやりおった?」

 彼女が素直に返答した。「私は何もしてないわ。……それに、あの人たちは、偽の使者だと聞かされたわ」

「偽の? あやつらは、正真正銘、フィリップの近衛だぞ。誰がそのようなことを?」

 疑念が、ゴーティスの頭の中を急旋回し始める。彼女は心もとなさそうに、唇を指で触った。

「でも、そう言われたわ。私もそう思う。でなければ、あんな――」

 何か不快なことを思い出したのか、ジェニーが顔をしかめて俯く。

 ジェニーの表情の移り変わりを見ていると、ゴーティスは、この“娼婦捜索”がますますうさんくさいものに思えてきた。

 フィリップの使者たちの捜すマリーは、間違いなく、このジェニーだ。ゴーティスが追い払った男たちには、捜索とは言いながら、彼女を抹殺する意志がありありと出ていた。フィリップは血なまぐさい事柄を非常に嫌うというのに、この捜索には、彼の嫌悪する血の匂いがぷんぷんする。裏に、何者かの並々ならぬ敵意が感じられる。何か陰謀めいたものが、確実に絡んでいる。つまり――黒幕はフィリップではない。

 ゴーティスが寝台を回ってジェニーに近づこうとすると、彼女は部屋の奥に後退した。

「ジェニー」

 ジェニーが彼を見返した。ゴーティスにゆっくりと追い詰められていくのに、彼女はゴーティスを見上げるだけだ。ゴーティスに、怒りや憎しみといった、負の感情は少しも湧き上がってこなかった。甘い気持ちだけが呼び覚まされた。

“おまえが目の前に現れるのを、ずっと待っておった”

 口にできない思いを心の底で反芻しながら、ゴーティスは壁際に追い詰められたジェニーを見た。彼女に実際に触れられる瞬間に刻一刻と近づいている、その嬉しさに、顔がほころんだ。

「今までどこにおった? どこで暮らしておったのだ?」

「山中よ」

「この公地内にある、どこかの屋敷か」彼女の返答を信じず、ゴーティスは笑う。「フィリップはおまえの存在を知っておるのか?」

 ジェニーは何も返さなかった。だが、それこそが彼女の返事だ。

「あいもかわらず、強情な女だ。あの者どもと同じで、おまえにも返答する気がないとみえる」

 ゴーティスがにやりと笑うと、ジェニーが、怒ったように顔を赤面させた。

「これは……フィリップに詳しく事情を訊かねばならぬようだな」 


 ゴーティスがようやく部屋の隅に着くと、ジェニーが静かな怒りをたたえ、彼を見上げた。彼女の頭の位置は以前と変わりない。そう分かると、ゴーティスの胸が二年ぶりに安堵し、ひっそりとため息をもらす。

 彼女が自分を見上げる、瞳の角度さえも愛しい。しっとりと濡れた髪に覆われて、ジェニーの顔が頼りなさそうに見えた。彼女の目も鼻も口も、耳も全て、自分の手が覚えていたままかどうか、自分の同じ手と指でたどって確かめたかった。今すぐにでも抱きすくめ、その体温を腕に感じたい。二年の空白を埋め、これからの時間を、実在する彼女の記憶で埋められるように。

 だが、ゴーティスの視線は、無意識に彼女の腹へさっと移動した。それに続き、ジェニーの手が彼女自身のお腹を守るように覆う。

 当然だが、彼女のお腹はふくらんでいない。あのときの転落で、子どもを失ったか、産んだのか――。

 強張った胸の内を囲いながら、ゴーティスはジェニーの瞳をもう一度見た。彼を見返す彼女の目に、反抗的な光が戻っている。

 ゴーティスがジェニーの鼻先に顔を近づけても、彼女は視線をそらしはしなかった。しばし消えていた、不愉快な、ありとあらゆる思いが沸々とゴーティスにのしかかる。

「子はどうした? あの川で、ケインとともに死んだか?」

「死んでなどいないわ! ……ケインだって、きっと……!」

 ゴーティスは高らかに笑い声をあげた。

 ゴーティスが彼女の身を心配し、嘆く必要などなかったのだ。彼女は天を味方につけている。彼女が簡単に死ぬことはないのだ。彼女は川に転落して命を落とさなかっただけでなく、そのとき腹にいた子どもまで無事に産みおとしたのだ。

 また、ジェニーが言いよどんだことで、ゴーティスはケインと彼女が生き別れたことを知った。なんて残酷で喜ばしい事実だろう! ケインと彼女が幸せに並んでいる光景など、ゴーティスは想像すらしたくなかった。ケインは彼女ほどの強運の持ち主ではないから、もしかしたら既にこの世にはいないかもしれない。だが、彼の生死自体は、そんなに重要なことではない。二人が一緒でなければよいのだ。

「おまえという女は、どこまで悪運が強いのか……」

 ゴーティスはジェニーの顎に手を伸ばした。手に、彼女の肌の柔らかさが馴染む。その肌を知る男が他にもいたと思うと、ゴーティスの指が震え、彼女の顎にくいこんだ。

「身重の体でありながらあの濁流を生き延び、子さえ失わなかったとは……。子の父親が命を投げうって、おまえを救った甲斐があるというものだ」

 ゴーティスが瞳を覗き込むと、彼女は衝撃を受けたように両目を広く見開いた後、叫び返した。

「彼は死んでないわ!」

「では、どこにおる! おまえは、一度でもその姿を目にしたのか!」

 ジェニーの絶句がゴーティスへの答えだ。ゴーティスは嘲笑した。

 彼女が傷ついた表情を見せ、そのことに胸が痛まないはずはない。だが、ゴーティスは、ケインがその死によって彼女を手放さなければならなかったことを、心の底から喜んだ。あの日以降に何百回と味わった、ゴーティスの苦痛と後悔を、ケインが体験することはないだろう。彼はいつでも簡単に欲しいものを手に入れる。だからこそ、ケインにその機会が訪れないのなら、いっそ、この世から消え失せてほしい。

 ケインと――ケインの血を受け継いだ者も。

「ケインの子はどこだ」

 ゴーティスが問うと、彼女の顔がゴーティスを凝視し、信じられないものを見たときのように驚愕した。

「あの子は……彼の子じゃない!」

「おお、そうだ、そうであった、おまえの子だったな。そのおまえの子はどこにおる?」

 ジェニーが茫然としたようにゴーティスを見つめ、顔を小さく左右に振った。

「違う……違うのよ……」

「ジェニー、おまえの子はどこだ?」

 ゴーティスがもう一度ジェニーの顎を引き寄せると、彼女が眉をひそめ、呟いた。

「それを知ってどうするの……?」

 だが、ゴーティスが答える前に、ジェニーがさっと顔を強張らせ、叫んだ。

「そんな! あなたって人は……!」

 ジェニーはまっすぐにゴーティスを見返す。カサンドラが目を伏せるのとは、まるっきり反対だ。

 精気のあふれる目だった。ゴーティスの求め続けた、彼女の瞳だ。その反抗的な瞳を見つめ続ければ、いつか、自分の視線と溶け合うときが来るのだろうか?

 ゴーティスはジェニーに囁いた。「俺が――どんな人間だと?」


 窓から差し込む光が、さっきより眩しくなっていた。空にかかっていた雲が消え去り、森全体を明るく照らそうとしている。この短い春が過ぎれば、あっという間にヴィレールにも夏がやってくる。湖は本来の水色を取り戻し、美しい光がそこかしこに反射する。

 果てしない青空が広がる夏が、またやって来るのだ。


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