第一部 1.遭遇−5
何杯目かの杯が満たされると、ゴーティス王はそれをジェニーの顔の前へとぬっと突き出した。
「飲め。これはおまえの分だ」
彼女は青ざめて唇をかみ、あわてて首を左右に振った。
「私は、お酒を飲まないわ」
「俺の勧めを断れると? 飲み干せ」
彼はさらに杯をジェニーの体に押しつけた。彼女は拒否しようとしたが、背後のサンジェルマンの重圧に押され、仕方なくその杯を口につける。
甘く、濃い酒の味。
その発酵臭とどろっとした濃厚な液体をほんの一口含んだだけで、ジェニーは胃の奥深くからむかむかとしてきて、思わず口と胸を押さえた。とても、杯を全部飲み干せるとは思えない。
彼女が体を震わせて咳き込むと、王は彼女の近くに行き、その体を引き寄せた。そして、その温かい手で彼女の頬に触れる。
「そうか、おまえは病み上がりであったな」
「……えっ?」
「気分がよくなるまで、静かにしておるがいい」
彼の胸に抱き寄せられたジェニーは生きた心地がしなかった。彼女のまつ毛の上に、ゴーティスの湿った、酒の匂いの混じった息がかかった。彼の指の腹がジェニーの頭皮にあたり、視線のすぐ上には濡れた朱色の彼の唇がある。
恐怖で彼女が体を震わせると、彼は心配そうな表情を作って彼女の顔を覗き込んだ。
「寒いのか?」
「いいえ!」
彼の腕の中でジェニーが小さなくしゃみをした。熱がまだ残っているせいか、頬から顎、首にかけてまでが熱く、うっすらと赤く染まっている。
ジェニーの額にゴーティスの唇が押しつけられて思わず彼女が恐怖でのけぞった時、誰かが彼女の後ろに来た気はいがあった。
「御前に」
声だけで、それが腹心サンジェルマンだと彼女にはすぐにわかった。彼女はその出現に警戒して体を緊張させたが、彼は主人の命令だけを待っているらしい。王が落ち着いた声で言った。
「ジェニーは疲れたらしい。部屋へ案内してやれ」
ジェニーは、サンジェルマンが自分の背中を見ているのを感じた。
「仰せのとおりに」
その後、すぐにゴーティス王の体が自分から離れたので、彼女はやっとこの場と彼から解放されると思ってほっとした。あまりにあっけなく、彼は自分を送り出そうとしているのが不思議ではあったが。
立ち上がったジェニーは思いのほか立ちくらみがして、仕方なく王の犬サンジェルマンに手をとらせることにした。温和そうだがどこか掴みきれない男で、彼の差し出した腕を親切からだととれるほども、彼女は信用していない。それに彼も、どうやら彼女に良い印象を持ってはいないようだった。
ひそかにゴーティス王を振り返ると、彼はもう彼女などに関心を払っていないかのように二人に背を向け、うまそうに酒杯に口をつけていた。彼女と入れ替わりに、どこからか給仕女が彼の世話のためにつめ寄ってきている。その女は顔を上気させ、彼の近くにいけることに喜びを感じているように見えた。
こういった環境にいるから、あんな自己中心的な男が出来上がるのよ。ジェニーは怒りも新たに、そう思った。
彼女たちが壁づたいにひっそりと退室する姿は、宴席の出席者の誰もが関心を持って、しかし、見て見ぬ振りをされながら全てを観察されていた。彼女の噂はこれから秘めやかに出席者の口にのぼるはずだ。そして、王の今宵の相手が退室したとなれば、王が宴から抜ける時も近い。その後は、自分たちも続いて存分にはめをはずせる時間帯がやってくる。
正面入口に真近い末席で、周囲におとらず、今宵の進展をかけた男女が駆け引きを行っていた。茶色の巻き毛が印象的な三十代半ばの男は黒と赤の軍服を身に着け、ふくよかな体の線が目立つ若い金髪の女を口説きつつも決定的な成功までには至っていなかった。女は、彼の誘惑に悪い気は持っていないながらも何かに遠慮した仕草を見せ、手を握ってくる男の手を何度もやんわりと押し返していた。
「おまえのように美しい女はいない。なあ、どうだ、俺はおまえを落胆させやしないぞ?」
「でも、メゾネ隊長」彼女は自慢の長い金髪をしならせ、彼を思わせぶりに見つめた。そのことで彼はますます興奮し、さらに彼女に詰め寄ってくる。
「メゾネ様、私も気持ちは同じでございますわ。でも、でも――私はオルガン様に連れてこられた身。私の一存ではとても……」
「なに、オルガン?」
男は彼女の肩ごしに見えるオルガンの姿を目で探している。二人からそう遠く離れていない席に別の女たちと座っていたオルガンではあったが、明らかに怒った形相でこちらを睨みつけており、二人の様子に相当口惜しい思いをしているのがはっきり見てとれた。だが、メゾネが彼に視線を合わせたことで、彼はあわてて気まずそうに視線をさっとはずした。
「あんな男!」
男は見せつけるように彼女の肩を抱くと、その耳に低い声で囁いた。
「俺はあの男より位の高い七隊だ。おまえなどあの男にふさわしいものか! 何も心配するな、おまえの身は今宵より俺が引き受けてやる!」
「ああ、本当に? 嬉しいわ、メゾネ様!」
女はとろけそうな甘い声を出し、自分の前にいる男に腕を伸ばした。男が自分の手に入れた勝利品を逃さぬようにと女を抱きすくめると、彼女は弱々しい力で男を抱き返した。けれど、その態度とは裏腹に、彼女の顔には勝ち誇ったような笑顔が浮かんでいる。オルガンらしき憎悪の視線を後方から感じたけれども、今となっては彼女には痛くも痒くもない。
オルガンの方が器量良しではあるけれど、身分の高さが重要。今までのように、田舎でくすぶった暮らしなど、私はもうたくさん!
「後悔はさせないぞ、ファビエンヌ!」
男の肩を抱きながら、彼女は、王の腹心に連れられて後方入口から宴席を抜けようとしている若い娘の姿を遠目にぼんやりと見た。自分たちの場所からは女の顔がはっきりとは見えなかったのだが、華奢な少女のようないでたちだった。上座にいる麗しい青年王は口についた肉汁を指で拭いながら、その少女らの姿に何度か視線を送っている。
直接近くで見たことはないが、ゴーティス王は相当の美貌の持ち主だと聞く。あのゴーティス王に召抱えられたらどんなにいいか! 最高の身分であり、強く、賢く、美しく、そして誰よりも恐ろしい。
「ねえ、メゾネ様? あの方は王の側妾ですの?」
彼女が目で指し示す方向を見やったメゾネは、そこにいる娘を見て、すぐに首を振った。
「いや、違うだろう。王は側妾を宴にははべらせない。その辺でひろった女だろう。だが、何でそんな事――」
彼女は腑に落ちない顔をした。
「・・・なんだか知り合いに似ているような気がして……」
メゾネは彼女のつぶやきを笑いとばした。だが、皮肉なことに、ファビエンヌのその言葉は、当たっていたのである。
夜中まで延びそうな喧騒の場を後にしたジェニーとサンジェルマンは、広い通路を延々と歩いていった。細長い、似たような形の窓が壁にはまっている。同じ服装の衛兵と何人もすれ違い、何度か角を曲がったのだが、それが行きに通った道なのかどうか、ジェニーには判断できない。それに、彼女の頭は熱のせいか、朦朧としてきていた。
そのうちにやっと、サンジェルマンがどっしりとした両開きの扉の前に立ち止まった。扉の両側には体格のがっちりとした衛兵たちが構えており、サンジェルマンよりももっと高い位置から彼に向かって鋭い動きで敬礼をした。扉の向かいに燃え盛る松明の炎に照らされた男たちの形相はあくまで険しく、どんな状況にも動じそうに見えなかった。
「こちらへ」
サンジェルマンが押し開いた扉に彼女は招き入れられる。そこは彼女が数日間を寝込んでいた部屋とは別の場所だったが、もともと、彼女自身の部屋など城内に存在しない。なにより、彼女は疲労した体をどこかに横たえたいと思っていた。
自分の背で扉を支えて彼女を迎え入れたサンジェルマンは、彼女が部屋に入ると素早く周囲に視線を走らせ、後ろ手にしっかりと重い扉を閉めた。扉の内側にある小さな部屋には、昔ながらの波型寝椅子が二つ、細長い栗の木製の台や小ぶりな飾り棚が置かれ、台の上には白っぽい寝間着が置かれている。
彼はジェニーの先に立って歩き、あらかじめその小部屋で待機させていた女二人に合図を送った。彼女らは足音もたてずに静かにジェニーの近くに寄ると、サンジェルマンから彼女の身を譲り受ける。
「この者たちが着替えを手伝います」
ジェニーは、サンジェルマンの穏やかな笑顔ともの静かな口調になんだか拍子抜けした。
「ええ」
「私はこれにて失礼しますゆえ、ごゆっくりお休みください」
ジェニーが不審に思って彼を見つめても、彼の表情に変化は見られなかった。
彼が丁寧に夜の挨拶を述べて退室すると同時に、女たちはジェニーのドレスを脱がせにかかった。人に着替えさせてもらう経験など大人になってからはほとんどない彼女ではあったが、今の体調では逆に有難くも思える。
彼女らは手慣れた動きで、簡素だが上品で清潔なベージュの寝間着を彼女にまとわせていく。その服は軽いだけでなくふんわりと暖かで、ジェニーの肌に優しくまとわりついた。それから女たちは結い上げてあったジェニーの髪をほどき、入念に櫛を通して髪のくせを伸ばし、それが終わると、彼女の手足の指先を隅々まで観察した。寝間着がきちんと着用できているかも、何度も確認した。その頃までにはジェニーの瞼はいつのまにか何度も上下し、すぐにでも眠りに落ちることができる状態に陥っていた。
無口な女たち二人に手を引かれ、ジェニーは次の間へと移動した。扉一枚を通り抜けると、そこは、二箇所の角に据えられたトーチのやわらかな灯りで心地よく照らされた寝室となっていた。壁に据付けられた広い天蓋付き寝台には厚い緋色のカーテンと薄い金色のシルクカーテンが引かれている。右脇にある丸いテーブルには豪華な刺繍が入ったクロスが敷かれ、白い陶器の水差し、水用の杯、南国産らしき果物の数々が乗った木皿がある。カーテンを引いた寝台にはベージュ色のシーツの上に緋色の毛布が重ねられ、ジェニーを穏やかで暖かな世界へ誘っていた。
「どうぞ、お楽になさっていてくださいませ」
女の一人が手際よく柔らかそうな枕の形を整え、毛布をめくって、ジェニーを見た。女はまったくの無表情だったが、毛布の皺がジェニーに笑いかけている。足が自然に寝台へと近づいていった。
女たちが隣の部屋へと抜けていき、彼女たちが扉を閉める音でさえもジェニーはほぼ夢の中で聞いていた。彼女はあっという間に心地よい眠りに落ちていった。
しばらくたった後、廊下の奥から一人の男が衛兵二人と共に姿を現し、サンジェルマンたちの立つ扉の方へと向かってきた。ゴーティス王だ。扉を守る屈強な衛兵たちが緊張で身をこわばらせ、その緊迫感はサンジェルマンにもしっかりと伝わってくる。
自室の前で待機している腹心の姿を目にすると、彼は無言で異状がないかを彼に問う目つきをした。サンジェルマンは姿勢と表情を正し、主人に向かって首を縦に振った。
部屋の前に着いた彼はサンジェルマンにちらりと視線を走らせたが、口をきこうとはしない。衛兵たちが、王の到着に合わせて重厚な扉をゆっくりと開ける。
開かれた扉の内側に、そこで待機していた女たちが王にうやうやしく頭を下げている光景が見えた。サンジェルマンが素早く控えの部屋を見渡すと、ジェニーが宴席で身に付けていた黄緑色のドレスが洋服かけに掛かっており、台の上にはトーチがほの明るい光を放って弱々しく燃えているのも見えた。
女たちがゴーティスの着替えを素早く済ませている間に、ジェニーのドレスを見つけた彼はそれをしばし見上げていた。ジェニーの強気な物言いを思い浮かべ、今からの壮絶な展開を想像して、笑みが浮かびあがってくる。
だが、着替えが終わるやいなや、彼は何事もなかったかのように次の部屋へと抜ける扉へ向かった。
あとは、王の呼び出しがあったときに駆けつければよいだけの話だ。
サンジェルマンは息をついて、閉ざされた扉を見た。
いかに反抗的なあの娘も、たとえ武装していたとしても、今度ばかりはあの王に屈するしか道はあるまい。
――願わくば、娘が王を必要以上に激昂させず、彼女自身の身だけでなく、周囲の人々の身をも危険にさらすまねをしないでもらえれば。
サンジェルマンは王の部屋を守る男たち二人を振り返った。彼も信頼を置いている、城内でも指折りの口の堅さと強硬な体を兼ね備えた衛兵たち。
「おまえたち」
サンジェルマンがその穏やかな表情の中に厳しさを込めて彼らを見ると、衛兵たちは彼に向き直り、あらためて敬礼をした。
「はい」
「言うまでもないが、中の女が何を言おうと決して外へ出すな。いいな?」
「ははっ!」
サンジェルマンがそう再確認するように二人を見つめると、彼らは忠誠の表れを示すように胸に右手を置いて、彼に再度敬礼をした。
自分の寝室へと続く扉を開けたゴーティスは、その空間に、女からの違う匂いが入り混じっていることに気づいて満足げに笑みを浮かべた。部屋は心地よい温度にまで温められており、さわやかな香も焚いてある。壁にある明かりはそれぞれに火の勢いを弱めて部屋を薄暗くしつつあり、あと数時間もしないうちに部屋を暗闇にしてしまうはずだ。
部屋の正面にある寝台は、内幕の薄いカーテンが半分だけ引かれていた。足先にあたる側の毛布はゆるやかに盛り上がっていて、そこには人が存在することを物語っている。彼の素足が床に敷かれた絨毯をふみしめ、その寝台に近づいていく。宴でのんだ酒は、すでに彼の体から蒸発しつつあった。そこへ近づきながら、彼は自分の体を包む白い寝服の前をゆるめた。
薄手の金色のカーテンを押し上げた彼は、目の前に目的の娘が幸せそうに眠っているのを見つけ、ひとり満足した。彼に対して強情な態度しか見せなかった彼女が、無防備で、安らかな笑顔を浮かべて眠っている。城へ連行するまでの幌内では少しも感じなかった清純さと愛らしさだ。
それを自らの手で壊すことを想像した彼は、込み上げる興奮で下半身が熱くなり、背筋がぞくぞくとした。
不意に体が左へと傾く感覚と、ひんやりとした冷気が頬に触れたことで、ジェニーは心地よい眠りから目を覚ました。目の前は薄暗い闇で、自分自身がどこにいるのか、何をしているのか、彼女はすぐには判断できなかった。
次第に目が暗闇に慣れ、そこに人の腕らしき物体をみとめ、そしてそれを上にたどった先に彼女が見たものが人間とわかったとき、彼女は息をのんだ。彼女に背を向けてはいたが、自分の横たえた体の前に腰を降ろしていた人物は男で、輝かんばかりの明るい髪を持っていた。
「誰……?」
かすれた彼女の声に気づいたのか、彼女が体を動かしたときの振動に気づいたのか、男が顔を上げてゆっくりと後ろを振り返った。
えっ・・・・・!?
「お目覚めか、お姫さま」
薄暗さの中でも光る、あのまばゆいゴーティス王の瞳。
二つの目がにやりと笑ったと同時に、ジェニーの体は瞬時に震え、体中から一瞬にして血の気が引いた。
「なぜ! どうして!?」
彼女が目を見開き、逃げようと何度も腕を立てようとして失敗すると、彼は地の底からひびくような低い声で笑った。
その瞬間に、彼女は、あまりにあっさりと宴から出られたこと、サンジェルマンがあまりにも穏やかだったことなど、全部の事情をのみこんだ。
「なんて……なんて卑劣な人!」
彼女が声を振り絞って言うと、彼は片方の眉を不機嫌そうに上げた。
逃げなければ!
ジェニーは自分の背後をうかがいながら、この男からどう逃げようかと必死で考えた。周囲を見渡し、何か打開策となりえるものを、彼女は焦りまくって探した。
武器は、どこ?
「無駄だ、ジェニー。ここには武器などない」
彼女の思いを読んだかのように、ゴーティス王が低い声で言った。彼女は歯をくいしばって、彼をきっと見返す。
彼女が再び背後に視線を走らせると、彼はさっと態勢をかえ、彼女に体の正面を向けて寝台に片方のひざを乗せた。驚いた彼女が動くより先に、彼は毛布ごと彼女の上に押し乗る。大きくはだけた寝服の先は、彼はもう何も身につけていなかった。
「嫌っ!!」
足をばたつかせ、彼のかける体重から脱出しようとする彼女の上で、ゴーティス王が醜く笑った。
「やめて! 一国の王がこんな卑怯なマネをするなんて!」
「卑怯? それがなんだ」
「放してよ!」
自分のあごをつかむ彼の手を離させようと、彼女は顔を激しく左右に振った。が、あまり効果はない。彼の左手がジェニーの左耳から頭をすっと撫で、彼女はぞっとして青ざめた。
「このゴーティス王を己の居城で三日も待たせたおまえを、どうしてくれようか……」
彼の顔が近づき、自分の首元へと唇がつけられたとき、彼女はあらんばかりの大音量で悲鳴をあげてやった。
「この小娘!!」
ジェニーは毛布の中を転がり、彼の体の下から這い出ることについに成功した。つんざくような声に耳をやられたゴーティスは、思いがけずに自分から逃れ出た彼女をいまいましそうに睨んだ。
彼女が急いで寝台の上に立つと、半裸状態の彼も、耳を押さえながら素早く寝台の上に立ち上がった。息を切らした彼女は強気な眼差しで彼を憎らしそうに見返し、まだあきらめずに逃れる道を探している。彼の体には暗い怒りが急速に沸いてきた。
「こちらへ来い、ジェニー!」
彼は手招きをして彼女を呼んだが、当然、彼女がそれに従うわけはない。頭にきた彼は、自分の上半身にまとわりつく寝間着をはねのけて床に投げ捨てた。彼は身軽な全裸状態となって、彼女に容赦しない姿勢を見せる。
「今ならまだ手荒にはせぬ。来い、ジェニー!」
「嫌よ!」
じりじりと間合いをとって近づく彼を全く信用せず、彼女は叫び返した。
「俺の言うことがきけぬのか!」
「来ないで!」
「こちらへ来い!」
「嫌よ! それ以上近づいたら、許さないわ!」
“許さない”だと? この――俺に?
自分の目が本気で獲物を執拗にねらう猛獣と化すのをゴーティスは自覚した。
それに気づいたらしいジェニーが、恐怖で膝を震わせる。が、それを敵に見破られるわけにはいかないと思ったのか、ゆっくりと呼吸し始めるが、かえって緊張が顔の表情に出るばかりだ。
「……その言葉、必ずや後悔させてやろうぞ、ジェニー」
ゴーティスは、ついにジェニーにとびかかった。ジェニーは悲鳴をあげながらも寝台の上で身をひるがえし、すんでのところで彼の腕から逃れる。
「こやつ! 俺から逃れられると思うのか!」
「来ないで、向こうへ行って!」
「来い!」
「いやよ!」
足元にあった枕をいくつか彼に投げつけ、数歩走って、ジェニーが足側に引かれているカーテンをつかんだ。枕をよけたゴーティスがその彼女の寝服の裾を足で踏んづける。
「きゃーっ……!?」
ジェニーは平衡感覚を失って、彼の足元に後ろ向きに倒れた。そのはずみで、彼女が掴んでいた薄いカーテンが大きな音をたてて斜めに裂け、ちぎれた布が彼女の体の上にはらはらと舞い落ちる。あわてて彼女が起き上がろうとするのを、ゴーティスの大きな片手がむんずと掴んで止めた。彼女が両手両足をつかって暴れたせいで彼は足を蹴られたのだが、それをものともせず、彼は片手で彼女の首を押さえつけるようにして寝台の上に押さえつけた。
「は……なして!」
「はん! 手間をかけさせおって!」
息ができないのにゴーティスをなおも睨み返す彼女には感服すらしたが、彼はさらにその腕に力を込めて彼女を見下ろした。彼女の腰をとめていた紐がほどけかかり、はだけた襟から大きく見えている鎖骨が次第に赤く変わっていく。彼は、情事のときとは違った興奮を感じ、戦のときと同様の高揚を感じ始めていた。
「いい様だ、ジェニー。俺に抗うおまえが悪い」
「う……!」
悲愴な表情ながらも自分に屈せず、にらみ続けている姿のなんと勇ましいことか。彼は敵のあっぱれぶりに笑い声さえあげた。
「苦しいか? お望みなら、このまま、おまえの兄が待つ場所へいかせてやろうぞ?」
ゴーティスは冷笑してジェニーを見下ろす。彼女の苦しむ様子を楽しむ気だった。
「どうだ?」
「その方が……何倍もましだわ……!」
その返答が気に入らなかったゴーティスは、ついに彼女の首にまわす手に力を込めた。
「ああ……!」
彼女は身もだえ、涙を目じりにあふれさせた。
しかし、その直後、ジェニーは苦しみからいきなり解放された。
「あ……私……?」
不可解ながらも生きる自由を手に入れた彼女は、痛む首を手でさすりながら大きく息をした。頭が重くて痛い。体も重く、熱くなってきている。急に空気を吸い込んだことで、彼女はひどく咳き込んだ。
咳が少し治まると、口を押さえる自分の腕が柔らかくつかまれ、彼女ははっとした。目の前のゴーティス王が彼女の手首をつかみ、精気のあふれる目で彼女をじっと見返している。
「え……?」
「殺すのは後の楽しみに残そう」
「や……めて? 何する――」
ジェニーの両手を頭の上でねじりあげ、その上半身をそのまま壁に押しつけた王が彼女の伸ばされた両足の上に馬乗りとなった。そして左手だけで彼女の両手を壁に押さえつけ、残った右手で彼女のはだけた寝服の胸元を荒っぽく引きちぎった。
「やめて!」
「静かにせい、悪いようにはせぬ」
そのとき、彼女の体がらくになった―――と思うと、彼女の全身を覆っていた薄い布は見事に全てはがされていた。そして、彼女の肩に温かい人の手が触れたかと思うと、全身が壁からするりと滑るように寝台の上へと倒され、その直後に、彼女の視界は白い柔らかな長い髪で埋め尽くされた。
「いやよ……!」
彼女の腕は彼の体をどけようとむなしい努力を続けていたが、彼の腕はそれさえも愛撫と受け止めるかのように滑らかに彼女の体の上を動いていく。ニールにさえ触れさせなかった肌を、いとも簡単に。
ジェニーの胸や腹に密着するゴーティスのかたく重い体は日に焼け、全てに無駄のない筋肉がついていた。酒の匂いが混じる体臭は大人の男のもので、彼女の顔をつかむ指からさえも強烈な色香を放っていた。ジェニーの周りには兄をはじめ多くの同年代の男がいたが、この彼のように“男”を強く感じさせる男はいなかった。それに、自分に対してはっきりと男を示された経験など、彼女には今までに一度もなかった。
彼女は屈辱を感じる前に、恐ろしいほどの恐怖を感じていた。あまりの恐怖からか悲鳴が出ず、叫び声は消えてうめき声しか漏れない。
彼女が体を震わせている一方、ゴーティスは彼女の肢体から香る好みの匂いや吸い付くような肌の質感を思いがけずに発見して、予想外の満足感を得ていた。体はまだまだ子どものそれだったが、早く彼女を征服したい気持ちが徐々にわきあがってくる。
ふと彼女と視線が合った彼は、彼女が屈辱と恐怖から顔をそむけたことで意地悪い気持ちを起こした。
「俺を見ろ、ジェニー」
彼女が顔を激しく振り、瞳から口惜しさと怒りで涙が流れ落ちた。
ゴーティスはジェニーの耳元で名を囁やき、彼の手が彼女の太腿の内側にゆっくりと円を描きながら上になぞり、動いていく。それに反応した彼女が、大きく首を左右に振って、抵抗の意を示した。
「ジェニー」
何度目かに名を呼んだとき、ゴーティスは彼女の口を唇によってふさいだ。すぐに彼女の口内に進入した彼の舌は、逃げ惑う彼女の舌に執拗にからみつき、彼女の大混乱を誘発する。その隙をねらって、彼は彼女の右太腿を大きく押し開かせるのに成功した。彼女が、息をのんだ。
「うっ……」
彼の唇から逃れた彼女が、憎悪にみちあふれた目でゴーティス王を見上げた。
「あなたに……あなたになど……!」
だが彼は、彼女と唇が触れ合うほどの距離で彼女に不敵に笑うと、その目を直視して言った。
「死んだ方がまだよい、か?」
ジェニーが口惜しさや怒り、憎しみに口をつぐんで顔をしかめた瞬間、ゴーティスは右手で彼女の右足を強く外側に押した。彼女はそれから逃れようと体をよじったのだが、彼の腕によってすぐに引き戻される。ジェニーが恐怖におののき、彼の顔を見上げて凝視する。
「大丈夫だ、おそれるな」
「ゴーティス王――」
体をのけぞらせる彼女を押さえつけ、彼は彼女の耳たぶを甘噛みした。
「――この俺が初めての男となるのを、ジェニー、おまえはこの上なく幸運に思え」
彼女の中心部を、ゴーティスは笑いながら一気に貫いた。
大きな、悲痛な叫び声。