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第一部 7.眼下に望む街−5

 ゴーティス王はジェニーが掛布の中から這い出すのを興味深そうに見ていたが、何かをしゃべるわけでも、また、体勢を変えるでもなかった。いつかの夜の出来事を、頭の中で封じ込めようとすればするほど、あのときの記憶と感触がジェニーにあざやかによみがえる。ジェニーが動揺する必要もないのだが、体が言うことを聞かない。頬が熱くなるのを止められない。しかも、あのときのように、ジェニーのお腹は体温よりも熱を持っていて温かだ。

「あなたは今日も、大会を観戦するんだと思ってた」

 動揺と自分への苛立ちを紛らそうとしてジェニーが王に言うと、彼はジェニーの顔をしげしげと見つめた後、大きくかぶりを振った。

「観戦するのは初日の冒頭試合と最終日だけだ。他人の交剣を見たところで、俺はそれほど楽しくはない」

 そして彼はまた、ジェニーを観察するように見る。ジェニーがその視線で居心地が悪くなっていると、王が寝台から腰を浮かしながら、ジェニーに振り返って言った。

「それより、すぐに着替えろ。屋上へ行く」

「屋上へ?」

 何のことかわからずにジェニーが問い返すと、王が面倒そうに頷いた。

「おまえは具合が悪いのではなかろう? 早く着替えてこい」

 唐突な誘いだ。ジェニーがなおも黙っていると、王が少しだけ苛ついた様子で続けた。

「屋上からは大会の会場が見える。試合の様子まではさすがに見えぬが、サロンとは違って、屋上からはシエヌ河もヴィスコンデールの街も見渡せる。それゆえ――」

 ジェニーを見た王が、焦ったように視線をすぐに外す。

「早く支度をしろ。俺は、待たされるのは好かぬ」

 そう言うなり、王は手の甲で唇をこすり、ジェニーに背を向けた。そして、いつものように大股で扉まで歩き、ジェニーの寝室を立ち去って行く。

 王が去って間もなく、今度はアリエルが入れ代わりに寝室に入ってきた。扉が開いた一瞬、隣の部屋でせわしなく動きまわる召使の足音がジェニーにも聞こえる。

「ジェニー様!」

 ジェニーが寝台から降りるより前にアリエルが走り寄ってきて、嬉しそうな笑顔をひときわ輝かせてジェニーを見つめる。

「アリエル?」

「ああ、王の今のお顔をジェニー様にも見せて差しあげたかったですわ! ジェニー様、王に反抗的な態度をおとりにならなかったのでしょう? あんなに嬉しそうで――可愛らしいとさえ思わせる王の表情は、私も初めて拝見しましたわ!」

「……あの人が?」

「はい!」

 アリエルのいつにない興奮ぶりには戸惑ったが、ジェニーは王の提案に驚かされながらも喜んだことで、反発しなかった自分の言動を振り返った。

 彼は、自分には嬉しそうな素振りをまったく見せなかったのに。

 王は隣の部屋で退屈そうにジェニーを待っているという。着替えを手にジェニーたちに合流した召使がアリエルと協力し、ジェニーをあっという間に外出できる格好へと変えた。

 

 ジェニーは後宮から東館へ抜ける通路を経由し、王の居住空間だという東館に初めて足を踏み入れた。後宮のように行き交う使用人たちの姿が少ないせいで、館内は閑散としている。直線的な造作が多いが細部には凝っていて、廊下や扉の幅はゆったりとしており、全体的に整然とした印象だ。寒々とした景観になりがちな壁面は、色鮮やかな風景画や肖像画で飾り立てられている。ジェニーの目には後宮もかなり豪華な造りだったが、東館には後宮とはまた違った豪華さがあった。

 屋上へ続くという階段に差し掛かると、正面の壁に、ゴーティス王と同じ髪と瞳の色をもった、彼よりはもっと年上の男性の肖像画が掛けられていた。顔立ちは王に似ていなくもないが、漂う雰囲気が決定的に違う。その優しそうで穏やかな笑みは、ジェニーの心の中に染み入ってくるようだ。

 ジェニーがつい立ち止まってその絵を見上げると、先に歩いていた王が戻ってきて、ジェニーの腕をぐいと引っぱった。

「行くぞ」

 王はジェニーと目を合わそうとしなかった。ジェニーは彼の腕に連れていかれながらも、気になったことをそのまま口にする。

「あの人は、あなたの――」

「先王だ」ジェニーに言い終わらせる前に王が口をはさむ。「俺の、亡くなった父親だ」

 若い彼が王位についている現実から、彼の父親がこの世にいないだろうことはジェニーにも簡単に想像できた。ジェニーは先を急ぐ王の背中を見て、今のジェニーと同じ年頃だった彼がある日を境にそれまでの少年の世界と決別し、一国の主として歩み出すにはどれほどの犠牲を伴ったのだろう、とぼんやりと考える。

 不意に王が立ち止まり、それまでつかんでいたジェニーの腕を放すと、今度はジェニーの手を握って彼の方へと引いた。

「先王は毒殺された」

「……えっ?」

 ジェニーが驚いたのを冷ややかに見つめ、王はまた歩き出す。

「どこの王も暗殺の危険とは常に隣り合わせだ。同情はいらぬ」

 それはまた、自分の置かれた立場も同じと言っているようなもの。

 ジェニーは、今の今まで振りほどこうとしていた王の手を見つめた。彼の手を通じ、先王である父の死を悼み悲しむ想いなのか、父親と同じく暗殺が日常的に起こりえる環境下に孤高で居続けなければならない彼の悲哀なのか、熱くも悲しい感情がジェニーにとめどなく流れ込んでくる。

 ジェニーは、忌み嫌ってきた彼にも、当然ながら、自分と同じように何かを悲しむ感情があることに気づかされた。同情ともつかない痛みが、彼の顔にジェニーの視線を戻させる。だが、ジェニーの前を行く彼の顔には、何の感情も浮かんではいない。

 二人の先導をしていた衛兵が階段の突き当たりにあった扉を開け、ジェニーの方にも明るい光が降り注いだ。王がジェニーに振り返り、扉に向かって顎をしゃくって言う。

「屋上だ」

 彼の顔を見た瞬間に、ジェニーは、“王は繊細だ”と言ったアリエルの言葉を直感で信じた。


 王の後に続いて出入口から屋上に顔を出すと、ジェニーはそこを吹き抜ける風をまともに顔で受けてしまい、両目を閉じて顔をそむけた。誰かがジェニーの手をつかんで――感触でそれは王だとわかったが、その手がジェニーを先へと誘導した。目を閉じていても太陽の明るさが感じられ、草の匂いを含んだ風がジェニーの両頬をなでていく。ジェニーは、ここ何ヶ月も肌で感じたことのなかった本物の外気に体全体を包まれ、思わず身震いした。

「目を開けろ、ジェニー」

 いつのまにか強風が止み、ジェニーは王の言うままに目を開けた。ジェニーの胸の高さほどある城壁の向こうに、左右に広がる黄緑色の丘陵地帯、その合間に模様のように点在する濃緑の森や林がある。城から丘を抜ける白い道のずっと先には、塔らしき背の高い建物をぐるりと囲むように様々な建物が立ち並ぶ、大きな街が光って見えた。

「ああ……!」

 ジェニーは目の前の城壁に両腕を掛け、少しでもその景色が近く感じられるように目を凝らした。正面に望む道の左手にある林の奥が光を反射していることから、そこに川があるだろうことがわかる。丘陵地帯の一部には茶色の点がいくつか見え、それが干草の山だと確認できると、人々の生活感を身近に感じてジェニーはなんだか嬉しくなった。

「剣技大会の会場は向こうだ」

 王に声を掛けられるまで彼が隣にいたことも忘れていたが、ジェニーは素直に彼の指差す方向に目をやった。

「どこ?」

「あそこに森が見えよう? その先に白く光って見える建物だ」

 ジェニーはつま先立ちになり、王の示す森の先にたたずむ、二つの四角から成る建物らしき物を見た。親指の爪ほどの大きさだ。ジェニーはこれまでに闘技場と称される建造物を身近で見た経験がないので、それがどんな姿をしているのか知らない。

「見えるけど、建物なのか何なのか、よくわからないわ」

 ジェニーが振り返ると、王は無理やりに作ったような真面目な顔で頷いた。

「それは残念だ。では、反対側へ行くぞ。向こうにはシエヌ河が見える」

 踵を返した王に引き続いてジェニーが振り返ると、屋上入口付近で待機していたアリエルがジェニーに微笑みかけた。いつもよりずっと嬉しそうな笑顔だ。彼女の左側には衛兵が陣取って周囲に目を光らせていたが、その男の隣には、いつのまにかやって来ていたサンジェルマンが立っている。彼の視線は王を追っていたが、ジェニーの視線に気づいて目礼し、アリエルと同種の笑みをジェニーに向けた。


 反対側の城壁から望める景色は少し違っていた。民家といえるような建物がいくつかは発見できたが、集落は見えない。また、黄緑色の丘はどこまでも広がってはいたが、青い空を反映したゆるやかな川の流れが林の木々の切れ目に姿を現し、左斜めの方向に続いていた。人工的なものが少ない、自然の風景だ。

「あれがシエヌ河だ。城の水はあそこから供給される」

 それを聞いて、ジェニーは息をついた。今夜の脱出でジェニーがケインと共にたどるのは、シエヌ河より城内に水を引き入れるために建造された水路だ。ジェニーの視界に見えるその川が、二人の救い手だ。

 今の太陽の高さから逆算すれば、二人の逃亡まで、もう半日にも満たない。緊張が――体に走る。

「……こちらの景観は興味がないと見える」

「――えっ?」

 ジェニーは我に返り、声のした方に振り返った。ジェニーの隣で、ゴーティス王が首を傾げて、ジェニーを覗き込んでいる。

「おまえは実にわかりやすい。こちらの景色には興味を持てぬのだろう?」

「え? ええ、だって、こういった風景はたくさん見てきてるから――」

 ジェニーの返答に満足したのかどうか、王はジェニーから反対側の城壁の方に目を向けた。

 王に疑念を生じさせずに済んだことにとりあえず安堵し、ジェニーは近くにいる衛兵を何気なく見た。その衛兵は城壁に背を向けていたが、その先には城壁に沿って等間隔で衛兵が配備され、全員が外側に注意を向けていた。

 城の全ての警備状況がそこから見えたのではないが、ジェニーは急に不安になる。夜の闇にまぎれて脱出するとはいえ、この警備をかいくぐるのは本当に可能なのだろうか?

 不意に耳についた、空が割れるような群衆の声にジェニーの思いは中断する。ジェニーが闘技場のある方角を眺めると、王がジェニーを手招きした。「来い、ジェニー」


 ジェニーが王の隣に行って闘技場のある方向を再び眺めると、歓声がいっそう高まったような気がした。

「すごい歓声」

 ジェニーが思わずつぶやくと、王がそれに反応して言った。

「今大会から庶民も観戦できるようにしたら、観客が大幅に増えた。そのせいで、ここまで歓声が届くのであろう。おまえは実物を見ておらぬから想像できぬだろうが、膨大な数の観客があの会場を埋め尽くす図は壮観だ」

 そう説明しながら、王は城壁に背を向けて空を仰ぎ見る。

「前は、貴族だけのものだったのね」

 ジェニーが言うと、王は嘲りに似た笑みを唇の端に浮かべた。

「貴族の暇つぶしの一つだ。いつから貴族限定にされたかは知らぬが、観覧席は半分以上が空席だった。その余った席をパン一つ相当の料金で庶民に娯楽として提供して、誰が困ろうものか。変更に不満を示しておった者どもも、昨日と今日の動員数を見て考えをあらためよう。これが財政にもどう影響するか――」

 ジェニーを見て、急に王が話を止めた。そして、気まずそうに顔をしかめ、ジェニーにくるりと背を向ける。ジェニーは新鮮な驚きとともに、彼の背を見つめた。

「――信じられないけど……国のためにその変更をしたのね」

「“信じられない”は余分だ!」

 王が憤慨した様子でジェニーに振り返った。

「そう言われても、普段の言動からはとても信じられないわ」

「おまえ――」王が声を大きくし、衛兵たちの注意を引く。ジェニーは彼にとっての失言をしてしまったのだと気づき、次に彼が怒鳴るのだと予想して身構えた。案の定、

「おまえ、俺はこの国の王ぞ! 王たる者が王として為すべき事を為さずして――」

 ところが、彼はジェニーにそう言っている途中で大声で笑い始めてしまい、後が続かない。高らかな王の笑い声に遠くの衛兵までもが振り返って見るぐらいだ。

 何がそんなにおかしいのだろう? 

 ジェニーは彼の笑う理由が理解できず、唖然として、彼が膝に手をついて肩をゆすって笑い続ける様を見つめた。


 少しして、笑いの治まったらしい王が顔を上げた。それでもまだ笑いの名残が王の表情に居座り、通常の迫力ある彼よりずいぶんと幼く見える。

 ジェニーと目が合うと、王は膝から手を離し、風にそよいでいたジェニーの髪の束をつかまえた。彼はその手に力を入れてはいなかったが、それに引き寄せられるようにしてジェニーは城壁に歩み寄り、城壁に両腕を預ける。

 王が曲げていた体を伸ばし、ジェニーの隣に立った。ジェニーが王を見上げると、彼は手に持っていたジェニーの髪を空中にふわりと飛ばす。その髪が風にのって流れる様子を見つめながら、ジェニーは、頭の中に沸いた質問を自然に口にしていた。

「同盟は、国のためを思って結ぶんでしょう?」

「……一般的にはそうであろう」

 王は、突然のジェニーの質問に腑に落ちない様子ながらも返答した。

「どこかの国と――同盟を結ぶと聞いたわ。その証にあなたは相手国の王女と結婚して、後宮は妃に明け渡されるから皆は追放されるって、後宮では大騒ぎ。私は、あなたと同盟という平和的な行為がどうしても結びつかなくて――」

 王の“平和的な”笑みが苦笑に変わり、ジェニーはつい口をつぐんだ。

「やはり、違ったのね」

「違うには違うが、俺が大臣の勧めに気まぐれで乗って、同盟を模索したのは事実だ。その条件として結婚があったこともまた事実。俺がもし妃を迎えれば、そのときまでに後宮を空にするだろうこともはずれてはおらぬ。だがそれも、同盟が締結されれば、の仮定の話だ。実際には、ヴィレールはどことも同盟を結んではおらぬ」

 この王に平和的共存を求める考えはやはりないのだ、とジェニーは思い、顔を覗きこんできた彼をむっとして見返した。すると王はめずらしく、困惑した表情を見せる。

「じゃあ、いずれまた……戦を始めるのね」

「戦を――仕掛けられたのでなければ、こちらより始めはせぬ」

「えっ?」

「戦が続くと国力が弱まる。兵力も、土地も、経済も打撃を受ける」

 王はジェニーをちらりと見た後、眼下に見えるヴィスコンデールの街を指差して言った。

「見ろ、あれがヴィレールの首都だ。それほど大きくはないが活気のある街だ。幾多の戦を抜けて、今はまだ活力を保っておるが、今後もし戦が起きれば――他の地方都市と変わらぬ規模にまで衰退してしまうだろう。それは――王である俺が、それを阻止せねばなるまい」

 彼が宙で力強く拳を握っている。その横顔は清々しく、決意に満ちていた。

 この男は……誰だろう? 

 ジェニーは、それがゴーティス王だとはどうしても信じられなかった。

「何だ?」

 突然に振り向かれ、ジェニーの心臓が大きく鳴る。

「あ、ええと……今日はなぜ、そんなに私にいろいろ話すのかと不思議で」

 ジェニーが答えると、王は目を細めて肩で息をつき、ジェニーを見据えて言った。

「そっくり同じことをおまえに言うてやろう。おまえがこうも俺と話すのは、これが初めてではないか?」

 ジェニーは王を見つめた。城壁越しに吹き上がってくる風で、王の髪がゆらゆらと揺れている。ジェニーの髪も風に吹かれて顔にまとわりつく。

 ジェニーがそれを指で払いのけてから王に視線を戻すと、それまでジェニーを見返していた王が、ジェニーの頭越しに遠くを見つめていた。 


 眩しそうに空を仰いだ後、王が口を開いた。

「俺はもとより――互いをよく知らぬ国同士の同盟など興味はなかった。お互いの国土に勝手に足を踏み入れぬためだけの約束など、俺にとって意味はない。俺は常日頃よりそう考えておった」

 突然に話し始めた王の口調に躊躇いが混じっていて、ジェニーは怪訝に思う。

「それは……本来の目的ではないと思うわ」

「国政を知らぬおまえの方が、物事の道理をわきまえておる」王がジェニーを見てにやりと笑う。

「されど、俺はここ最近のおまえとの接触の中で、停戦をして、共に協力関係を模索するのも悪くないと思うようになった」

「どういうこと?」

 ジェニーが問うと、王は一度何かを言いよどみ、首を小さく振って言葉を続けた。

「俺はおまえとおると、常に戦をしておる気分だった。それは、非常に面白い反面、俺の気力や体力を相当に奪う。だが、最近になって、おまえの態度が微かにだが軟化し、特に今日は――おまえと接する俺の心は安らかだ。今日のおまえも、心穏やかであるように思う。もしも、お互いの心の平安を図るために同盟が手段となるのなら――それは国も人も同じ――それもまた、悪くない選択ではないか」

 王が動き、ジェニーを肩越しに抱きしめた。衛兵が多数いる場所で王に露骨に反抗はできない。ジェニーは両手をぐっと握り、肩を張って反抗心を示す。

「俺は……おまえとなら同盟を結ぼう」

 ジェニーの心臓が激しく鳴った。

 王のもう片方の腕がジェニーの肩にまわされ、その指先に火傷の痕を見つけると、ジェニーの体から力が萎える。ジェニーの故郷からの郷土菓子を、地元のやり方に沿って食べようとした証。彼女の心に近づこうとした証だ。

「俺を愛せ、ジェニー」

 ジェニーは体を震わせ、自分の顔に押し付けられた王の横顔をうかがい見ようとした。視界の端で、彼の閉ざされたまつ毛が小さく震えている。彼の意外な心細さを見つけたようで、ジェニーの胸が大きく震える。

「俺のそばに……ここに、おれ」

 彼に、今夜の逃亡を引き止められているような気がした。

 開かれた彼の瞳と出会い、ジェニーはあえいで、遠くに光るヴィスコンデールの街を見る。ケインと城から脱出したら、真っ先に向かおうとしていた場所。

 彼の腕が再び動き、壊れやすいものを扱うように、ジェニーの肩をやわらかく包む。側頭部につけられた王の頭が下に動き、彼の頬が髪を通してジェニーの頬にあたった。

「おまえの家族の行方なら、手を尽くして捜してやる」

 ジェニーは王の約束など信用するつもりはなかった。なのに、心は彼の言葉を信じて、涙が沸きあがってくるのはどうしてだろう?

 王の頬がジェニーから離れ、こめかみに王の唇が押し付けられた。ジェニーは歯をくいしばって、涙でにじんだ瞳で王を横目に見る。 

 王がほんの少しの戸惑いを見せた後、火傷のある方の手でジェニーの顎をそっと撫でた。そして、顔を寄せた王がジェニーの鼻先ではにかむような笑みを見せると、ジェニーは口から力が抜けて、小さくあえいだ。彼の笑みがまっすぐに胸に入ってきて、胸がきしむ。

 いつものように、もっと乱暴に接してくれればいくらでも反発できるのに、彼のひとつひとつの動きが、あまりに繊細だ。ジェニーの胸は切なく縮むばかりで、彼の体を払いのけられない。

 ジェニーは、王を見返した。

 王は、ジェニーの唇に視線を注いでいた。ジェニーはその視線から離れられなかった。王はそれから――そこに彼の乾いた唇を、春の風のようにそっとのせた。

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