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第一部 4.復讐のとき−2

 数日後の夕方、ジェニーは涼やかな風の入るサロンにいた。彼女は最近になってようやく充分な睡眠がとれるようになり、体調もほぼ元通りになってきている。その日は朝から爽やかな陽気が続き、彼女は久しぶりに外気に直接触れられる機会を得ていた。

 ジェニーがぼんやりと考え事をしながら空を見上げていると、アリエルの声が彼女の思考を遮った。「ジェニー様、そろそろお部屋に戻りませんと」

 ジェニーが日光にさらされていた顔を背後に向けると、そこには、穏やかに微笑んでいるアリエルの姿がある。 

 数日前に女官長から言われた話を、ジェニーが繰り返し何度も考えているのを彼女は知っている。知ってはいるが、女官長から口出しを止められているせいもあり、彼女はジェニーに助言を与えるような行為はしない。その代わり、ジェニーがそれについて考えている時は邪魔をしないでいてくれる。ジェニーは、彼女のそのさりげない優しさが好きだ。

「間もなく夕食のお時間です。お部屋へ戻りましょう」

 ジェニーに、納得できる答えは出ない。

「ええ。そうね」

 彼女はあきらめてため息をついた。もう一度だけサロンから外を振り返り、ジェニーは傾きかけた太陽の光が降り注ぐ中庭の緑を見つめる。緑は日毎に濃くなってきていた。ジェニーは、アリエルの後について足を踏み出した。

 ちょうどその時、サロン入口に複数の人たちが来た気配があって、二人はその場に立ち止まった。彼女たちの立つ位置からは、青の近衛服を着た男たちの屈強な体半分ほどが入口に見える。

「ジェニー様!」

 アリエルが小さく叫び、彼女に先立ってサロンの中央通路の脇に避けた。こちらへ、と彼女がジェニーを呼ぶ中、その男たちの体の前を通り、颯爽と靴音を響かせてゴーティス王が歩いてくる。ジェニーに気づいた王は、唇の右端を少しあげて満足そうに笑った。

「こちらにおったか」

 ジェニーは彼に道を譲るのも忘れ、彼をぼんやりと見返した。頭の中に、女官長から言われた命令じみた言葉が甦ってくる。彼女に近づいてきた王が、彼女の前で怪訝そうに顔をしかめた。

「おまえ……何やら呆けた顔をしておるぞ?」

 彼が正面に立って初めて、ジェニーははっと我に返り、あらためて彼を見返した。彼は尚も訝しそうにジェニーを見ていたが、彼女が動揺して視線をそらすと、嘲笑にも似た笑い声をあげた。ジェニーは彼にばかにされているようで腹が立ったが、とにかく脇へ避けようと足を右へ一歩踏み出した。

「まあ、待て。逃げぬでもよい」

「逃げるんじゃないわ」

 つい反射的に言い返してしまい、ジェニーははっとして目をつぶった。その直後に二の腕を掴まれたためにジェニーはますます焦り、助けを求めてアリエルを見る。しかし、彼女は王の前で頭を下げたままでジェニーの視線には気づいていない。

「ジェニー、こちらを向け」

「痛いわ……!」

 王の手がジェニーを引き寄せ、ジェニーは彼の間近に接近することを余儀なくされた。

「こちらを向けと言うておる、ジェニー」

 王が手に力をこめ、囁くように言う。やけになったジェニーは彼に向き直り、彼の瞳を直視した。

「いきなり、何の用よ?」

「“何の用”だと? おまえ、あいもかわらず、王たる俺に何という口ぶりだ」

 そうやって文句は言いながらも、王の唇がにやりと笑った。

「ふん。だが、それだけの悪態がつけるようであれば、狩りにも行けような」

「――狩り?」

 ジェニーが問い返すと、王が瞳を愉快そうに揺らし、言った。

「話は聞いておるはずだ。おまえを狩りに同行させる。この王城の外へ、出してやる」


 数日前、ジェニーは女官長から、王が彼女を狩りの場へどうしても連れていくつもりでいる、と報告を受けた。その一報を聞き、ジェニーは耳を疑ったものだ。王はジェニーをなるべく王城内に閉じ込めておきたいのではなかったか? 

 けれども、王城の外に出られると聞き、それが王同行のものだとしても、ジェニーが浮き足だったのは確かだ。

 ところが、女官長は急に深刻そうな表情になって、ジェニーの不安定な体調を非常に気にしているにも関わらず、王が聞く耳を持たない、と彼女に嘆いてみせたのだ。そして、ジェニーを同行することで護衛と召使を何人も増やさなければならない手間があり、一行の歩みの遅れにも繋がる、という苦労も併せて口にした。その上で女官長は、ジェニーの口から王に狩りへの同行を辞退するようにと、ジェニーに迫った。同席していたアリエルをジェニーが見ると、彼女からは、主人の体調がとても心配で今は外出を控えてもらいたい、と心配そうな顔で告げられた。

「……浮かぬ顔だな。あれほど王城の外に出たがっておったというのに」

「ええ、出たいわ。……出たいわよ」

「そうは見えぬ」

 王が疑わしい目をして、ジェニーの目をのぞきこんだ。勘のよい彼に心の内を見透かされそうで、ジェニーはその目から逃れようとさっと視線を外す。すると、彼はジェニーの顎を掴んで自分の方へと無理に引き寄せた。

「言え。何を隠しておる?」

 ジェニーは外に出たかった。女官長の命令めいた言葉を思い出しつつ、外出に心を動かされる自分とで葛藤し続けている。

「何もないわ。私はただ……あなたがなぜ私を外へ出そうと思ったのか、それが不思議なだけ」

 ジェニーがそう答えても、王はじろじろと彼女の顔を見続けたままだった。

「私が、皆の隙をついて逃げ出すとは思わないの?」

 ジェニーは、自分が外出先で逃亡できるとは考えてもいなかった。

「思うが、それは不可能だ。その心配はしておらぬ」

 ジェニーは言葉を継ごうとし、思いなおして別のことを言った。

「本当に、私を外出させる気?」

 ジェニーが尋ねると、王は不審そうに眉をしかめる。

「私はここのところあまり体調がよくないの。すぐに……疲れてしまうから」

 彼女の言葉を聞き、王が不愉快そうに唇をゆがめた。

「おまえ――つまり、狩りの場には行かぬと言いたいのか?」

 ジェニーは即答ができなかった。女官長が悲痛な口調で彼女なりの気苦労と手間をジェニーに伝えなかったら、ジェニーは外出に躊躇などしなかったはずだ。それに、女官長はともかく、アリエルがジェニーの体を心配していることは本当だ。つい、アリエルのいる方に視線を移したが、そうだといって、彼女が助け舟を出してくれるわけもない。

「――なるほど。そういうことか」

 王のかすれ声がした。ジェニーが王を見上げると、彼がちょうど皮肉そうな笑みを浮かべるところだった。

「姑息なことを」

 王の視線がジェニーに戻った。ジェニーの顔に王の顔が近づいてくる。ジェニーは咄嗟に顔を彼からそむけたが、予想に反し、彼は何もしない。ジェニーが不審に思って視線を返すと、目が合った王が自嘲気味に微笑んだ。

「おまえは……正直な女だ。繕う、ということを知らぬようだな」

 何のことか意味がわからずにジェニーが困惑して王を見つめると、彼は掴んでいた彼女の腕を離し、彼女の瞳をまっすぐに見て言った。

「狩りについて来い。よいな? その日まで、せいぜい養生するがよい」


 数年前まで恒例だった晩春の狩猟が復活したその日、空は彼らを祝福するかのようにすっきりと晴れ渡り、青い色がどこまでも広がっていた。総勢四十名余りの一行は王城の西側にある道を抜け、新緑の眩しい小さな森へ向かって進んでいる。森は街と反対方向にあたり、行く手に人の姿は皆無だ。

 一行の半数以上は近衛兵など護衛の男たちだ。女たちを乗せた馬車が一行の真ん中におり、その前をゴーティス王が馬で闊歩する。その左隣には彼の叔父にあたるリヨン公、右斜め後ろにはサンジェルマンが周囲を警戒しながら馬を進めている。

 午前中の日差しは、それほど肌にきつくはない。馬車に屋根はなく、そこに席を取る女たちの目には丘陵地帯の鮮やかな黄緑色が直接入ってきた。ジェニーにとって、数ヶ月ぶりの外の世界だ。風には籾と草の匂いが混じり、なつかしい思いが込み上げてくる。

 アリエルとジェニーが周囲の景色を見ていると、二人の視界を遮るようにして、一人の男が脇に馬をつけた。ゴーティス王のように白く柔らかそうな髪を持っている。他の近衛兵たちと同様に青い制服をその細身の体につけてはいるが、剣の鞘の意匠が彼らの持ち物よりもずっと立派だ。ジェニーが男を見上げると、彼は彼女の視線に気づいたらしく、馬上からおざなりに黙礼した。ジェニーが微笑み返すと、彼は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに前方へと向き直った。

 一行の目指す“王の森”がなだらかな丘の先に見えてきた。すると、それまでジェニーの横に並んでいた男が馬の歩みを速め、ゴーティス王の隣に追いついて並ぶ。

「あの人は誰?」

 男からアリエルにジェニーが視線を移すと、彼女が一瞬だけ言葉をつまらせ、視線を泳がせた。

「位の高い人のようだけど。知らない?」

 なぜか、アリエルが何かをためらうように言いよどむ。

「あ……ええ、存知あげております。あの方は、近衛隊副隊長のライアン様です」

 ジェニーがもう一度彼を見ると、王を挟んで彼の反対側にいたサンジェルマンが後ろを振り返った。周囲に目を光らせていたのだろうが、ちょうどジェニーが前に視線を向けたので注意をひきつけられたらしく、彼と彼女の視線がぶつかる。彼が、緊張感を保ったまま、微笑もうとして途中で止めたような表情で彼女に目礼した。


 ジェニーたちの到着先は森の入口付近に建つ小さな館だ。小さいと言っても、一通りの設備が整った厨房・晩餐室・大広間・サロン・遊戯室に加え、寝室は六部屋ある。召使用の部屋も当然備わっている。この館は王が狩猟をする時だけ使用する場所だ。馬車から降りるなり、アリエルが心配そうにジェニーに尋ねた。

「お加減はいかがです、ジェニー様? どこか具合が悪いところはございませんか?」

 王城からの道中に何度も受けた質問だ。彼女の気遣いを有り難く思っているとはいえ、ジェニーはさすがに少しだけ呆れ、アリエルを見返した。

「大丈夫よ。そんなに心配しなくても、私はもうすっかり元気なの、アリエル」

「本当でございますか? 移動でお疲れになったのでは?」

「そんなに遠い距離じゃなかったじゃない。心配性ね。私は本当に大丈夫」

 ジェニーが元気に笑ってみせるとアリエルは安心したような笑みを見せたが、完全に納得した様子ではない。

「女官長様もたいそう心配されておいででした。ジェニー様、気分が優れなくなったら、すぐにおっしゃってくださいね」

「ええ」

 ジェニーは、女官長、と聞くと、ため息をつきたくなる。ジェニーが狩猟への同行を王に断れなかったと彼女に話す前に、彼女はジェニーに脅迫まがいの発言をしたことを侘び、数日前とは逆に、王に同行するようにジェニーに勧めた。そしてさらに、彼女はしつこいほどにジェニーに体を気遣うようにと言い続け、ジェニーを困惑させた。女官長自身も同行を願い出たが叶わなかった、とは、アリエルから後になって聞いたことだ。ジェニーを送り出した時の彼女の恨めしそうな顔が、ジェニーには今も鮮明に思いだせる。

 ゴーティス王たちが狩猟にいそしむ間、ジェニーは館の敷地内で彼らの帰りを待つことになる。館に残される者は、ジェニーとアリエル以外に、料理番とその手伝い、侍医、召使女が四人、護衛が四人。一行の三分の二が王と共に出払ってしまう。館の維持管理人や庭師、下男がいるものの、王城と比べると何と警備の手が薄いことか! 

 狩りに出発するばかりとなったゴーティス王がジェニーに左頬をつきだした。意図がわからずに彼を見上げると、彼は冷めた目で彼女を見つめる。

「キスを、ジェニー」

「……なぜ?」

 彼女が不審に思って問うと、王が目を輝かせ、にやりと笑った。

「俺の無事を願って送り出すためだ。おまえは、おまえ自らの手でこの俺を倒したいのではなかったか? 俺が狩りの最中にうっかり死んでしまったら、おまえもさぞ無念であろう」

 ジェニーとゴーティス王の背後にはリヨン公やフィリップ、多数の近衛兵がいる。二人のにらみ合いは、ジェニーが負けるしかなかった。

 傍目から見たら恋人同士にでも見えるだろう、ジェニーが彼の頬に唇を押し付けると、彼は彼女の後頭部に手を当ててそれを受ける。

「敷地内は自由にまわってよいが、つまらぬ気を起こすでないぞ、ジェニー。森の境界線には、大勢の衛兵が待機しておる」

 ジェニーが唇を離す前に王が耳元でそう囁いた。逃げるな、と釘を刺したつもりだろう。ジェニーが彼を見ると、彼は勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。


 王一行を送り出すと、料理番たちが、帰宅した一行を迎え入れるための軽食の準備を始めた。釜に火が入り、厨房はあっという間に熱気に包まれる。召使たちが忙しそうに館内を動き回り、大広間を整え始めていく。護衛として追従してきた近衛兵たちには、一気に気の弛みが見えた。王の前では笑みさえも漏らさなかった彼らが、庭の木陰にいたジェニーの背後を通りすぎる時には楽しそうに談笑している。

 館の維持管理人が下男を連れ、ジェニーとアリエルの近くを歩いていた。男はジェニーと目が合い、慇懃な態度で深くお辞儀をする。最初の挨拶の時と同様、敬意を払っている態度ではない。しかし、それは彼女を護衛する立場である近衛兵たちにも共通している。アリエルが、王が不在となってからの彼らの態度の変わりように憤慨していた。

 男二人の姿が小さくなるのを見送りながら、ジェニーはかすかに喉の渇きを感じていた。心なしか、お腹も少し空いてきている。

「アリエル、水を飲みたいわ。中に戻りましょう」

 ジェニーとアリエルが庭から館に移動していくと、玄関前にいた近衛兵たちの視線もそれと共に動いた。二人が玄関に近づくにつれ、彼らは数歩だけ退き、二人のために道をあける。彼らの立場上、ジェニーを正視するような振る舞いは許されていないが、ジェニーが彼らの間を通り抜ける間中、二人の男の視線は痛いほどに彼女に突き刺さる。決して、好意的な視線ではない。そんな扱いに甘んじなければならない境遇を思うと、ジェニーはやりきれない思いでいっぱいになる。

 館内の廊下に面する扉は全て開け放たれていた。召使たちが各部屋に通風させるためにそうしたのだろう。ジェニーは解放された各扉から室内を何気なく見ていて、廊下の左側にあったある部屋の前で足を止めた。

「ジェニー様、どうかなされて――?」

 室内に吸い込まれるようにして、ジェニーは部屋に入った。扉の対面に小さな窓が二つあり、その両方が全開となっている。濃茶色の長椅子と一人掛けの大きな椅子が二脚、中央の重厚なテープルを囲む形で置かれていた。ジェニーは壁面を見回し――息をするのも忘れ、左手の壁面を見た。

「ジェニー様、急にどうなされたのです?」

 アリエルが追いつき、ジェニーの横に立った。

「……まあ、これは」

 アリエルが息をのむのに気づき、ジェニーは彼女に振り返った。彼女が、困惑したようにジェニーを見つめ返す。

「見て。どれも、とても立派な剣よ」

 二人の見つめる壁の一面、右から左まで、剣がずらりと立てて飾られていた。その数は十五以上あるだろう。様々に見事な意匠が彫られた剣の鞘は近くで見れば見るほどに立派で、荘厳で、まるで誰かに使われるのを心待ちにしているようにも見える。

「ジェニー様? まあ、お止めください!」

 ジェニーが壁面に近づいて剣の一つに手を伸ばすと、アリエルが叫んだ。けれど、ジェニーはそれに手を伸ばし、黒に近い灰色の柄をそっと掴む。久々に触れる剣の柄は冷たく、しかし、彼女の手の下で妙に馴染む。

 ――私がここで剣に出会ったことには、何か、特別な意味があるのかもしれない。

 ジェニーはゴーティス王の顔を思い浮かべ、思い切って鞘を壁から降ろした。思った以上にずしりと重い。

「ジェニー様!」

 ジェニーが剣を引き抜くと、真新しい刃を持った剣がそこに現れた。鞘を脱ぎ去った剣は半分以下の重量に感じられる。窓から差し込む光を受けて、銀色に刃がきらめいた。

「どうか、ジェニー様、そんな物騒なものを持つなど、お止めくださいませ!」

 アリエルが悲しそうな表情をしたが、ジェニーは聞き入れなかった。

「大丈夫よ。私は昔から、これには慣れ親しんでいるの」

「ですが、ジェニー様……」

 ジェニーはアリエルと距離を置き、その剣を一振りしてみる。久しぶりに本物の剣を扱ったせいか、その重量感はジェニーの二の腕に直にひびいた。

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