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第一部 4.復讐のとき−1

 サンジェルマンが事件の真相について報告をした時、女官長はあまりの衝撃で言葉を一瞬失った。彼がニーナと対面した直後のことだ。

 女たちの大小様々な醜聞は昔から耳に入ってきたものだが、暗殺者たちを自ら王城内に引き入れて事に及ぶという大胆な手口に、女官長は、ニーナへの怒りを通り越して恐怖さえ感じる、と口にした。女官長の判断に基づき、ニーナが事件の首謀者だという事実は一部の者を除いて伏せられ、彼女は襲撃の中で命を落としたとされた。


 ニーナとブランを含む複数の犠牲者を出したテュデル宮庭園での襲撃事件が明るみに出ると、後宮のみならず王城は事件に対する衝撃で大きく揺れた。安全粋とされる王城の敷地内、すぐ身近に起きた戦慄の事件は、城に所属する人々を恐怖と混乱に陥れたのだ。王城の警備にあたる衛兵隊への非難が続出し、突然で非業の死を遂げたニーナに同情的な声が寄せられ、真の被害者ではあるが襲撃を生き延びたジェニーの存在が注目を浴びるようになった。 

 時を同じくして、王の分家で激化した跡目争いの中で関係者二人が重傷を負う事件が勃発し、ゴーティス王や側近たちの注目はむしろ、思わぬ余波を被る可能性に警戒して、その動向に向けられていた。そのせいかどうか、王はニーナによるジェニー暗殺未遂事件を衛兵隊長から報告されて把握していたはずだが、ショックを受けて体調を崩しているジェニーを心配している素振りはまったく見せなかった。襲撃事件の詳細についても、真相を最もよく知るサンジェルマンに尋ねることは、一度もなかった。


 女官長に加え、後宮内で襲撃事件の真相を把握している者の一人には、アニーが後宮仕えを放免され、その後任としてやって来たアリエルという女がいた。女官長とは遠縁にあたる、第二階級の貴族出身で二十代前半の女だ。他の侍女たちがそうであるように、彼女もまた、地味な外見と前に出すぎない態度を持ち合わせていた。

 彼女が後宮勤めを始める日の前日、女官長の部屋に呼ばれた彼女とサンジェルマンは偶然に行き合わせた。彼女が何者かを知る前だ。ほんの数分彼女と会話を交わしただけで、サンジェルマンは彼女が若いわりにはとても寛容な人物と判った。

 事件のせいで特に不安がっているジェニーの良い支えになるだろう。

 そう思うと、彼は心底ほっとした。


 襲撃事件以降のジェニーは不眠が続いて、体調が思わしくなかった。そんな中、アリエルが、主人ジェニーの事で気に掛かる点がある、と女官長に報告したのは、事件から二週間を過ぎた頃だ。その日の午前中には、ゴーティス王が事件以降初めて、突然に現れ、短い訪問を果たしていた。

「気になるというのはどんな事なの?」

 ジェニーに関する事となると多少うんざりして、女官長がアリエルに訊き返した。

「おまえにも話したと思うけど、あの方は少し変わったところがあるのよ。元々が庶民の出だから理解し難い部分も多いはずよ、前任者たちは苦労していたわ。だから、最初はおまえも気苦労が絶えないだろうけれどね――」

「いえ、ジェニー様は私にとてもよくしてくださいます。私がご報告したいのはそういった類ではなく――あの……まだ、確かとは言えないのですが、女官長様のお耳には入れておくべきかと――」

 アリエルを後宮にあげるように女官長に薦めた人物から、彼女が物事に動じない度量を兼ね備えていると女官長は聞いていた。そして、彼女と接する日々を追うごとに、女官長もその言葉が嘘ではなかったと信じはじめている。女官長は、言葉を迷いながら話をするアリエルを見つめた。

「わかったわ。では、とにかく、聞きましょう」

「はい、女官長様」

 女官長は室内にいた小間使いの娘を念のために退室させた。彼女が部屋を去ると、女官長はアリエルを机の前の椅子に座らせる。

「さ、話してちょうだい」

「はい。女官長様、今朝のことですが、ジェニー様が再び体調を崩されたので侍医に診ていただきまして――」

「おや、そうなの? かわいそうに……あの恐ろしい事件が尾を引いているのね。けれど、今朝は、王がお訪ねになったのではなかった?」

「はい。王は侍医が帰った後、ジェニー様が眠っていらした時においでになりました。王はジェニー様のお姿をご覧になっただけで、すぐに帰られましたけれど」

「そう。――王も彼女を心配されておいでのようね」

「私もそのようにお見受けしました」

 王の最近の姿しか知らないアリエルとは違い、女官長はしみじみと自分の放った言葉の意味を噛み締める。

「女官長様。実は、勝手ながら、ジェニー様を診ていただいた際、侍医に尋ねたのです。ジェニー様の体調がすぐれないのは襲撃を受けた心労からくる不眠のせいではなく、他に理由があるのではないかと」

「他の理由、ですって? ジェニー様は健康そうに見えるけれど?」

 女官長が驚いて聞き返すと、アリエルの表情が意外そうな驚きに変わった。

「どうしたの? 何か――まさか、重い病にでもかかって?」

「いいえ、めっそうもない! 女官長様、ジェニー様は健康な若い娘にございます、それゆえ……。あの、女官長様は、ジェニー様の月の障りが約三週間遅れていることをご存知かと思いましたが……?」

 今度は女官長が驚愕の表情を作る番だった。

「――まさか! まさか、あの娘が……王の!?」

「あ、あの? 女官長様、その、いたって自然な流れかと存じますが――女官長様にそうも驚かれると、私も困惑いたします」

「おお、おまえは知らないのよ! 王の――王の御子をもうけた女は今までに一人もいないのよ、ただの一人も! 王にはそういった能力が……! いえ、アリエル、ジェニー様は心身の疲労で月の障りが遅れているわけではないの? その話は本当なの?」

 アリエルが女官長の気迫にびっくりしながらも、首を縦に振る。

「はい。侍医の話では、ジェニー様には妊娠初期に似た症状がみられるそうにございます。ただ、事件のせいで精神的に不安定なこともあって、判断しかねる部分があるとかで……。あと一、二月待てば、確かなことが言えるとおっしゃっておりました」

「おお! では、では――本当なのね!」

 にわかには信じられなかった。ゴーティス王の歴代の女たちに、子供を産んだ者はおろか、妊娠した者はいない。だからこそ、王には生殖能力がない、と人々は密かに囁いているのだから。

 事の重大さを考えると全てが確実となってからでなければ、公表はおろか、王自身に告げることもできない。晴天の霹靂ともいえるアリエルからの報告で、女官長の体は興奮と動揺とでみるみるうちに熱く火照っていった。

 女官長は、ジェニー本人を含め誰にもそれを言わないようにとアリエルに固く口止めをし、ジェニーの体に細心の注意を払うようにと言い含め、彼女をさがらせた。


 短い春の終わり頃になって、ゴーティス王が“王の森”へ狩猟に出かけることが決まった。王城とそう離れていないその森は決して広くはないが、限られた者たち以外は足を踏み込めないために、鹿や兎などの野生動物が数多く生息している。去年までの数年間、その季節のゴーティス王は戦――いわば、“人間の狩猟”――に明け暮れて忙しく、動物の狩猟など見向きもしなかったのだが、今年は側近たちの提案を受け入れることにしたようだ。

 狩猟の日程を王に告げた後、侍従長が少しだけ声をうわずらせて言った。

「フィリップ様もご参加いただく予定にございます」

「フィリップ? どこのフィリップだ?」

「王の従兄弟にあたられる、ラニス公のご子息フィリップ様です」

 納得したように、王が顎をかすかに上下に振った。

「おお、あの男か。剣の扱いは子供より劣るというが、弓の名手と聞いた。気弱な我が従兄弟どのは動物相手には強いとみえる。おお、そういえば、あの男には弟もおるのではなかったか? 名は何だったか、常に怯えた顔をした――そやつも来るのか?」

「いいえ、ジェラール様は体調が優れず、今回はお越しになれません。フィリップ様のみが参加されるそうにございます」

「ほう? これまた臆病な従兄弟殿らしい、俺が余程恐ろしくて顔を会わせたくないとみえる。しかし、なるほど、フィリップが来る――これはまた、随分と久方ぶりな再会になろう」

「はい、おそらくは四年ぶりかと」

 王が驚いたように眉をあげ、息をついた。

「他にも誰か来るのか?」

「いいえ、ただ今申しあげた四名が全てでございます。ですが、王がお連れになりたい方がおりましたら参加させますが……いかがいたしましょう?」

「そうよな――」

 王が宙を見て、口をつぐんだ。候補者を考えているらしかった。その場に同席していたサンジェルマンだけでなく、彼の隣にいる女官長も、彼を注意深く観察する。侍従長が嬉しそうな笑みを浮かべて王の返答を待っていると、王が彼に視線を戻し、にこりともせずに言った。

「――では、一行の中にジェニーを入れろ」

「ジェニー様を?」

「そうだ。狩りの場へ連れていく」

 一瞬の沈黙の後、サンジェルマンはあわてて彼を制止しようとした。

「お待ちを!」

 すると、同時に女官長も同じ言葉を放ち、彼は驚いて女官長を見た。彼女も驚いた表情で彼を見返す。彼と目が合うと、彼女は硬い表情を崩さぬまま、黙って彼に頷いた。

「お待ちください、王」

 サンジェルマンは、順番を彼に譲ってくれた女官長に微笑みながら、そう繰返した。王が疑わしそうに眉をひそめ、冷たい目をサンジェルマンに向ける。

「またか、おまえは。何が、そう不満だ?」

「そうではなく、私はただ案じているだけです、王。狩りの場は王城の外。彼女を連れて行くのは、私は、様々な点において危険なのではないかと」

 王がせせら笑うように鼻息を鳴らした。

「危険というならば俺の身とて同じこと。おまえ、俺よりもあの娘を案ずるのか?」

「いいえ、私は王の身辺を案じているのです。娘連れでは一行の進行に妨げが出ることもありましょう」

「ふん、それも微々たるもの。あの森は王家の管理下で警備は普段から厳重だ、近衛隊もおる。おまえも同行するのであろう? ならば、おまえが娘を専任で守り、歩みに遅れが出ぬようにでも注意するか? それほど――」

 王はそこまでしゃべり、はたと気がついたようにサンジェルマンを見た。そして、愉快そうに口角を上げる。

「サンジェルマン、あの襲撃事件以来、幸か不幸か、被害者であるあの娘は人々の注目を引いておる。あの娘が何処におろうと、それが例え王城の外であろうと、その行動は常に監視されておるのと等しい。それ故――おまえが案ずる必要はあるまい? 娘に少しでも疑わしい行動があればすぐに人目に触れ、あやつはどこにも行けぬはずだ」

 王はそう言って、サンジェルマンを見つめて不敵に笑った。

「俺がその点を考慮しておらぬと思うたか? 俺が、あの娘を手の内からやすやすと逃がす機会を与えるとでも? サンジェルマン、俺はそこまで間抜けではない」

 サンジェルマンが納得して黙ると、今度は女官長が、遠慮がちながらも断固とした口調でジェニーの同行に異議を唱えた。王はいかにも嫌そうな顔をし、女官長に体を向ける。

「何だ、おまえもか?」

「はい、王。おそれながら申し上げます。最近、ジェニー様は体調が優れないことが多く、体が弱っておいでです。外出されること自体に反対はいたしませんが、ジェニー様の体調が安定するまでの間、王にはいま少し時期をお待ちいただくよう、お願いしたいのです」

「あやつの体調不良は俺も知っておる。されど、おまえの言葉を聞く気はない。あの娘の場合は――外へ出られれば回復しよう。どちらにせよ、侍医が同行するのだ、案ずるには及ばぬ」

「けれども、王城とは違って環境も整っておりません。体力のない今、ジェニー様のお体に障るのではないかと私は心配でございます」

「あの娘はそれほど弱くはない。何しろ、おまえたちと違って庶民の出だ」

「ですが、王。彼女にとっては移動だけでも負担になりましょう。それ故、もう少しだけでも――」

「くどいぞ、女官長」

 女官長の言葉が終わるまで待たず、王が苛ついたように言い放った。

「ならば、他の女を連れていけばよいか? おまえたちは、ジェニーと比べて身支度や準備に数倍も手のかかる女を連れていきたいのか? それとも、この狩り自体をあの娘の体調に合わせ、延期させるか?」

 王が椅子からさっと立ち上がり、女官長と侍従長に鋭い視線を向けると、侍従長があわてて首を横に振った。

「王、女官長は決してそのような意味では――」

「ならば、聞け! この件で、おまえたちがとやかく口を出すことは一切許さぬ! ともかく、あの娘を一行に加えればよい! 当日にあの娘の姿が見えない時は――体調が悪いなどと言い訳をつけて城へ残しでもしたら、その時は、おまえの身がどうなるか――ようわかっておろうな?」

 王に睨みつけられた女官長が返答する迄に一瞬の間があった。王の顔色が変り、それを見ていたサンジェルマンは肝を冷やす。しかし結局、彼女は渋々だっただろうが頭を下げ、王に従う意思を示した。


 “王の森”での狩りはそれから約二週間後に設定されていた。王家に何らかの繋がりを持つ参加者たちは、狩りが王の正式な承認を受けたと知り、その日を迎えるための心構えと狩猟用具の準備に余念がない。それが何であれ、王に同行することは最高の名誉ではあるが、同時に、王との同席は命を落とす危険性と隣り合わせていることも意味する。主人のその緊張感は、各家から同行する彼らの護衛たちにも飛び火していた。

 参加者の一人である、ゴーティス王より十歳年上の従兄弟フィリップは、ゴーティス王がまだ王子だった頃までしか彼の姿を知らない。彼らが最後に会ったのは、王子だったゴーティス王がヴィレールの王として正式に即位した式典の時だ。四年前になる。その後ほどなく、王が各地に容赦ない侵略を始めてその残虐性で名を広めるようになり、フィリップ一家と王の間は断絶した。いやむしろ、フィリップ一家が王を恐れ、ひっそりと目立たない暮らしに逃げた、と言った方が正しいかもしれない。

 そういった経緯もあり、フィリップには、従兄弟に久しぶりに会える楽しみよりも、並々ならぬ恐怖と緊張が勝っていた。本当は彼の弟も狩りに招待されたのだが、彼よりもさらに気弱な弟はその招待を即座に断っている。彼もそうしようと思えばできたはずだ。

 しかし、彼がそうしなかった理由は、即位した当時のゴーティス王の、期待に満ち溢れた晴れやかな表情を覚えていたからに他ならない。

 彼は、再開された定例行事の狩りに、漠然とした王家の変化を敏感に感じ取っていた。

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