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第一部 3.もつれる感情−9

 囚人たちを収監する牢が並ぶ一角、サンジェルマンはある小部屋の扉の前に立ち止まり、いやでも高まってくる心臓の高鳴りを何とか整えようとしていた。扉の前には見張りの衛兵が無表情で立っていて、サンジェルマンが入室の指示を出す“時”を待っている。彼が対決しようとする人物の頭が、扉についた覗き窓から見え隠れする。

 彼が瞬きをした瞬間、地面に倒されたジェニーが陵辱される寸前だった光景が目に浮かんだ。それだけでも十分に衝撃的な出来事だったのに、それが安全であるべき王城の敷地内で起きたことで、彼は二重の衝撃を受けている。

「開けよ」

 腰の左側についた剣の鞘に手を当て、彼は小部屋の入口をくぐった。

 彼がその狭い部屋に入ると、室内に監禁されていた女があきらかに不満そうな顔を彼に向け、苛立った声をあげた。

「まあ、これはサンジェルマン様? やっと、来てくださいましたわね! 私をいきなり連行されたと思ったら、こんなむさ苦しい所に押し込んだりなさって。一体、どういうおつもりですの?」

 サンジェルマンは硬い表情をくずさず、あくまで事務的に彼女に接する。

「ここは牢の中で最も良い部屋。あなたにはそれなりの敬意を払い、この特別室に収容したのだが」

「敬意ですって? 私をまるで犯罪者扱いの、そのどこに敬意がおありなの? 私が王付きの特別侍女とよくご存知のはずのあなたに、まさか――このような不当な扱いを受けようとは! 私、夢にも思いませんでしたわよ?」

 サンジェルマンの前で、女は、嘲笑するような高らかな声をあげた。それを見ていると、ジェニーがぼろぼろと涙をこぼし、恐怖で震えていた姿が彼の脳裏に思い出されて、無性に腹立たしく思えてくる。それでも、感情的になることを恐れた彼は、その怒りを理性で何とか押しとどめた。

「――ニーナ嬢。なぜ、ジェニー嬢を襲撃しようなどと?」

「……嫌ですわ、まだ疑っていらっしゃるの?」

 ニーナが流し目のような艶やかな視線をサンジェルマンに送ってくる。

 彼は、色仕掛けをしようとする、この手の女が嫌いだ。彼女のなまめかしい視線をあっさりと受け流すと、彼は彼女に返答を迫った。

「……本当に困ったお方ですこと。サンジェルマン様こそ、なぜ私を疑うのです? あれは楽団にまぎれていた傭兵が勝手にやったことですわ、私だとて被害者ですのに……」

「あなたがそのうちの一人の男と話していた内容を、私はこの耳で聞いたのだが? ジェニーを早く処分しないとここから出られない、と、あなたは確かに言っていた。だからこそ、楽団の男とともに庭園の入口で、“その時”を待っておられたのだろう」

「まあ、そんな……空耳にございましょう。私がなぜ彼女を亡き者にしようと考えるのです? なぜ、そんな陰謀めいたことを? サンジェルマン様、そんな考えが頭に浮かぶなんて、日頃の激務のせいで本当にお疲れですのね」

 ニーナが同情のこもった瞳を彼に向けたが、彼はそんな挑発になど乗りはしない。

「私をたばかるおつもりか、ニーナ嬢? ならば、あの男たちが傭兵だとなぜ知っておられた? あの楽団が“死に神の楽団”と知っていながら呼んだのには、それ相当の理由があるはず。拘束された男たちの証言は全て一致している。彼らはあなたから“仕事”の前金を受領したと認め、望みの女を処分したあかつきには莫大な報酬をもらう約束だったとも話している。あなたは何故そこまでして彼女を――ジェニー嬢を、消そうとされた?」

 彼女はしらを切り通すつもりだったらしいが、彼の最後の問いを聞くと優雅な笑みを引っ込め、急に黙り込んで俯いた。サンジェルマンはその反応に警戒し、剣に触る手に力を込めて、彼女の動きの逐一を見逃すまいとする。

 数秒後、顔をあげた彼女には、燃えるような憎悪が顔面いっぱいに広がっていた。

「……あの小娘なんかのどこがいいのよ、ただの子供じゃないの。なぜ――どうして、ジェニーなの? 世に名高いヴィレール国王たるお方が、あんな年端もいかぬ小娘を気にされるなんて! あなたもよ、女と浮名を流さない堅物と有名なあなた様でさえ、心を奪われておいでとは、なんという笑止! 皆、どうかしているわ、あんな幼稚な女に振り回されて――王も、あなたもよ、皆! 狂っているわよ!」

「……そんな小娘に振り回されているのはあなたではないのか、ニーナ嬢」

「何ですって!?」

 サンジェルマンは腹の底からわきあがってくる怒りを噛み潰した。

「私のことはいい、だが、あなたの今の言葉は王への侮辱にあたる。あなたが引き起こした一連の事件も――自己都合で危険因子を入城させ、衛兵二人を含む使用人たちを殺傷し、ジェニー嬢を襲撃して恐怖に陥れたこと全てが、無論、王への冒涜に値しよう。それ故、慣例にのっとって、私はあなたを断罪せねばなるまい」

「ばかばかしい! “死に神の楽団”を見破れず、やすやすと王城に入れたのは門番たちの怠慢と過失だわ。それに、衛兵は自分たちの任務を果たした結果、死んだだけ! ブランやアニーだって、結局は死んではいないのよ? ジェニーだって――なんて運のいい小娘だこと、何のケガもない! 私は誰も殺してはいないのよ? 私を、何をもって、どう断罪できるとおっしゃるの?」

 ……なんて自己中心的な女だろう!

 彼は普段、激しい怒りを感じることはあまりないが、彼女のふてぶてしさを目前にし、頭が真っ白になるような怒りに体を支配された。そして、それが表面上に出たのだろう、うすら笑いを浮かべて彼を見つめていたニーナの顔が、急にひきつった。

「――囚人“ニーナ”。慣例に則り、おまえを他の仲間たちと共に処刑することとする」

「な、何よ、そんなこと……できるわけがないじゃないの! 私は王の直属よ、王の許可がなければ……そうよ、そんな勝手な判断は下せないのよ!」

「必要ない。王を侮辱し、王城に住む我々に多大な危険をもたらした罪は、死罪をもって償ってもらう以外ない」

「そんな勝手なことはさせないわ! 王が私を死なせるものですか! 私を王に面会させるのよ!」

「無駄だ、おまえはここで明日の朝を迎えるしかない! ――本来であれば、王に対する無礼があった時点でおまえは即刻死刑の身。だが、そうしないのは、おまえに時間を与え、自分の犯した数々の罪を悔いてもらいたいからだ。全てを反省し、おまえの襲撃によって被害を被った人々に謝罪し、その後に来世へと行かれるように――それが、おまえに対する、せめてもの私の情けだ」

 サンジェルマンがそう告げると、ニーナが甲高い声で笑った。

「まあ、なんとお優しい心遣い、私はあなたに感謝せねばなりませんわ! でも、サンジェルマン様――あなたは、肝心なところで詰めが甘くていらっしゃるわよ! 明朝まで待てば、ブランから事情を聞いた王が私を解放してくださるに違いないの。そうなれば、危機的状況に陥るのは私ではなく、あなたの方なのよ……!」

 彼は腰に手をのばして剣を抜きたくなる衝動をぐっと抑えた。彼が口をつぐんだ事により、彼女が勝ち誇った笑みを浮かべる。

「ほほほ、サンジェルマン様、お気が変わりまして?」

 彼は気を落ち着かせるためにゆっくりと瞬きをした。

「おまえは何か――とてつもなく大きな勘違いをしている。王は色情が関わる事件を非常に嫌悪しておられ、当事者が誰だとて容赦などされない。数ヶ月前にも、王は同じ理由で騒ぎを起こした後宮の女を、人知れず処分された。――女が突然に失踪したと噂が立ったことがあるだろう? その女だ」

 ニーナの目が驚きで見開かれ、その後、動揺したように視線が動きだす。

「それに、ブラン? おまえの侍女のことだろうが、今回の事件の関係者とされ、男たちと同じ牢に拘束されている。おまえと同じく、明朝の処刑を待つ身だ。つまり、それ故、王がおまえの処遇を知るのは、明日の刑執行後になるだろう」

 ニーナが奇声をあげ、サンジェルマンに掴みかかろうとした。しかし、彼がそれを簡単によけたので、彼女はバランスを崩して床に転倒する。

 彼が部屋を出ると、彼女が内側から扉に体当たりをし、訳のわからない事をわめいた。覗き窓から見える彼女は髪を振り乱し、顔を醜く歪めて歯を剥いている。扉の外で見張りを担当する衛兵は彼女の変わり身の激しさに衝撃を受けたようだが、その醜態こそ、彼女の本来の姿なのだろう。サンジェルマンは、そんな彼女に同情すら感じなかった。


  ◇  ◇


 夜中にうなされる度に、ジェニーは寝台の上で飛び起きた。目の前に広がる黒い闇が、服で顔面が覆われたせいではなく、照明の落ちた夜中の室内だと分かるまで、ジェニーは何度も何度も激しい動悸を経験した。薔薇の香りが何度も鼻をかすめた。

 あんなに耐え難い精神的苦痛を与える行為を、単なる生理的欲求のはけ口として見知らぬ他人に強制することが、ジェニーには信じられない。足首に触れる男の手の感触がしっかりと残っており、胃の底からの吐き気を覚え、口の中にまで胃液が込み上げてくる。恐怖というよりは嫌悪からだ。ここまでの強烈な嫌悪感は、しばらくぶりだ。 

 後宮住まいが長くなり、ゴーティス王がいる環境や、窮屈ながらも物質的には恵まれた生活に不本意ながらも慣れ、馴染もうとまでしていたことは否定できない。今回の事件でそれを思い知らされ、ジェニーは自分自身に落胆し、同時に、王に対する嫌悪もあらためてぶり返してきている。

 夕方から夜にかけての短い時間には弱い雨が降っていたが、今、窓の隙間からは月光の弱い光が差し込んできている。おそらく、既に日付が変わっている時刻だろう。

 寝床の中で動悸が治まるのを待ち、ジェニーはおもむろに寝台から降り立った。室内の空気はひんやりとしていたが、石の床に裸足で降りても、冬の時期のような冷たさはもう感じられない。足が、ひとりでに地下への扉に向かっていく。

 今夜こそ、ケインに再会できそうな予感がした。理由はわからないが、ケインに会えば全てがうまく変わっていくように思えたのだ。ジェニーは、この場から、何もかもから、早く逃げ出したかった。

 扉を引き上げると、地下からの生温かい風が部屋に一気に流れて出てきた。しばし目を閉じ、空気の流れがおとなしくなるのを待って、ジェニーは地下階段を灯りで照らす。光の中に、床から五段ほど下の踏み面に置かれた細長い板と拳大の石が浮かび上がり、ジェニーは息を飲んだ。灯りをそれらに近づけてみると、照らし出された板には模様のような何かが描かれている。

「――“来るな”?」

 古ぼけた板の表面の、何かで削り取って書かれた文字はそう読めた。その隣に置かれた石には、ジェニーは見覚えがある――秘密の通路の行き止まりからケインのいる地下牢に抜ける出入口に積まれた石段の一部。

 つまり、ケインはここまでやって来ていたのだ。

 その事実を知ってジェニーは嬉しかったが、彼からの伝言には一抹の不安を覚えた。

 彼女が板を拾い上げて調べてみると、裏面に、殴り書きのような白っぽい文字が記されている。ジェニーは声に出して、“夜中に見回りがくる。不定期”と、読んだ。

 だから、彼は階上に出てこられなかったのだ、と納得する一方、彼がここに来た時に自分が不在だったことがとても悔やまれた。ジェニーと出会った頃のケインは、夜中は自由に動き回れる環境下にいたはずだ。だが、夜間に監視されて牢から出られなくなってしまっては、この次、二人がいつ再会できるか、わからないではないか。

 彼女が前回この扉を開いて以降、夜中に部屋を留守にしたのは、テュデル宮に泊まった一夜だけだ。だが、彼女の意思でそうしたのではない。その時は、上機嫌なゴーティス王が一緒だった。


 口の中に生温かい血の味が広がり、それから必死で逃れようと必死で手を伸ばした先に冷たく固い物体が触れて、ケインははっとして指を止まらせた。不意に我に返ると、ケインは暗がりの石床の上に横たわっており、体全体にびっしょりと汗をかいていた。彼の左手の先には、彼が城内を探索した際に見つけて拝借してきた、短剣が落ちている。

「よかった、夢か……」

 彼は顔を両手で拭い、いつのまにか床に転がり出ていた短剣を元の隠し場所、床石を一つはがし、その下へと押し込める。

 夢の中で味わった血とその液体の感触が、口の中にまだ残っている。手で口を拭い取ろうと試みるが、生々しい感触はそう簡単には消えてくれない。しばらく、彼は床の上に足を投げ出した体勢のまま、茫然としていた。


 そのうち、食事を持ってくる衛兵が階段を下ってきた。ケインが“口笛吹き”と呼ぶ男だ。

 地下の空間には“口笛吹き”の鳴らす口笛が響き渡り、ケインは通路の扉の方に視線を移す。つい最近まで看守を務める衛兵はその彼一人だけだったのだが、なぜか夜中にも監視の目が入るようになり、ケインは、斜視で無口な衛兵と顔を会わせるようになった。ケインはその衛兵を“梟の男”と名づけている。

「お待ちかねのメシを持ってきたぞ! 元気か、五十二号!」

 衛兵が食事の盆を豪快に牢内に滑り込ませ、その勢いで水が杯からこぼれそうになるのを、ケインはやっとのことで食いとどめた。

「ははは、元気そうじゃないか! ま、俺がここの担当でいる間はくたばらないでくれよ、俺は死体の処理なんかしたくないからな!」

 ケインがむっとして衛兵を見ると、彼はしゃべりすぎたと思ったのか、あわてて口をつぐんだ。

「じゃあな、五十二号。せいぜい安生しろよ!」

 ケインが眺めている中、衛兵は来た時と同じように口笛を吹きながら、地上へ続く扉の奥に消えていく。口笛は空間全体に反響し、しばらくの間、ケインの耳に聞こえていた。

 口笛が聞こえなくなると、ケインは食事の盆に視線を落とした。空腹にもかかわらず食物を口に運びたくない。口全体に錆びた鉄のような味が広がったままだ。ケインは、自分をここへ追いやった者の顔を思い浮かべ、深いため息をついた。

 ――私があなたに何をしたのだ? 私自身、あなたに直接何かをしたことは、一度だってないじゃないか。

 彼は緑色の目を細め、自分が突然に身を拘束された日を思い出した。まるで昨日のことのように、彼は鮮明に覚えている。血生臭い思い出だ。

 それを思い出すときはいつでも、彼の口の中に気味の悪い血の味があふれ出す。自分の血では、ない。身を挺してケインを庇い、彼を殺そうとした者の剣がその身を貫いているのに、その男をそれ以上近くに進ませようとしなかった、彼の家来の高潔なる血だ。

 しかし、結局、ケインを殺したがった者は彼の命を取りはしなかった。ケインは生きたまま拘束された。そして、それ以降、ケインは五十二という囚人番号をつけられ、城内の地下牢で今まで二年間に渡る日々をひっそりと送ってきている。

 当初、ケインは幽閉された自分の境遇に衝撃を受け、不安と恐怖で眠れぬ日々を送り、何かを考えるような余裕はなかった。それまでの生活が一変し、地の底に落ちたような、以前とはあまりにもかけ離れた生活。ケインをおとしめ、彼を劣悪な環境下に置き、誰にも知られないままに惨めな死を迎えさせることが、彼を拘束した男の望みだった。

「だが、私はまだ生きている」

 ケインは水を口に含み、血の味がしないことを確かめてから、それを喉に流し込んだ。口や喉が冷え、血の味や感触が急速に消え去っていく。

 ケインは、五十二という囚人番号を単なる連番だと長いこと思っていた。拘束されるまでの人生で実際の囚人を目にしたことは一度もなかったが、彼らが囚人番号で認識されることは知っていた。彼らは全ての場合において名を呼ばれることはなく、通常の人間扱いはされずに番号で片付けられる。

 ところが、監禁されてから数ヶ月たったある日、ケインは突然にはたと気づいた。彼を五十二号と呼ぶのには、そう呼ばせるだけの相手の意図があるのだ。彼の囚人番号の数字に、特別な意味があるのだ、と。

 そう気づいた彼は、自分に対する相手の憎悪の大きさに、あらためて愕然となった。

 五十二という数字は、彼の、“彼らの”母親が亡くなった当時の年齢だ。母親が、己の罪をつぐなうために断罪されたときの年齢。その数字を、母親の裏切りがまるでケインのせいなのだと言わんばかりに、彼の認識番号としたのだ。 

 彼はもう一度、深いため息をついた。

 されど――私があなたに何をした? 私があなたに何かをしたことは、ただの一度もないのに。

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