第一部 1.遭遇−2
中央の街は見るも無残な姿をさらしていた。とある門らしき前にばら撒かれたように残っていた野菜が、軍の急襲を物語っている。
ヴィレール軍兵士の姿はどこにも見えなかったが、ジェニーの目にするもの全てが炎に侵食されてしまった後だった。勢いよく立ちのぼる炎もあれば、焼き尽くす物を失ってくすぶっているだけの灰煙もある。彼女の行く手を、黒こげとなった、生物か建造物かもわからない物体が邪魔をする。焼けつくされて炭化した家々は、もはや誰の所有物だったかもわかりえない。
ジェニーは物陰から物陰へと身を移し、煙を吸い込まないように服で鼻と口をおおって、家族たちが訪問していたはずのモンタン家の方向へ向かって、ただ走った。だが、それが本当に正しい方向へ向かっているのか、目印がなくなってしまった今は、定かではない。
さらに街の中心部に近づくにつれ、彼女の肌に触れる外気は、顔が焼けるのではないかと思えるほどの熱気となってきた。動物はおろか、生きて動いている人間には、敵・味方ともに出くわさない。
その中で、ララの家がまだ燃えずに原型をとどめているのを発見して狂喜し、ジェニーは急いでそこへ近づいた。が、家の前まで来た彼女は思わず目をぎゅっと固く閉じた。
「ひっ……!」
心臓がわしづかみにされ、息が止まりそうな気がした。
ララの家の戸口には、首のない死体が、恐らく、それによって殺されたのであろう剣によって突き立てられていた。その鈍い銀色の剣からは、まだ赤黒い血がしたたり落ちている。
「なんて酷い……!」
血がまだ乾いていないのは、その人間を殺した相手が近くにうろついているということだ。
ジェニーは急に自分の身の危険を顧みて、あたりをさっと見回した。それから、息を殺し、庭の木の茂みに身を隠す。
首のない死体は、幸か不幸か、彼女の見知った服を着てはいなかった。だが、それを見たジェニーはますます、家族を見つけ出さねば、と強く感じる。その思いだけが彼女をつきあげ、煙の中へとまた舞い戻す。
軍の所有らしき矢が家の屋根や扉に点々と突き刺さっており、いくつもの馬蹄や轍の跡が道に交差していた。瓦礫となった家の周りに何体の死体が転がっていたことかわからない。こみ上げてくる涙を拭いながら、ジェニーはただただ、目的地へと突き進んだ。
ジェニーは家が燃える音に混じって人々の泣き叫ぶ声を聞いた。
まだ生きている人たちがいる! きっと、ママもパパもローリーも皆、生きている!
女たちの声も混じっていたので、家族の生存に希望を持ち、モンタン家をめがけて炎の中を駆け抜けた。そして、ようやく炎をまぬがれているモンタン家を目にした時、ジェニーは大声で天に感謝した。
ジェニーが泣きながら戸口に駆け寄ろうとすると、その戸口から二人の若い男が絡みあうようにして、剣をかち合わせて飛び出してきた。そのうちの一人は兄ローリーだ。もう一人は、その武装からしてヴィレール軍の一人らしかったが、彼女が今までに見たこともないような白く輝く髪がとても印象的な、兄と同年代の若い男だった。彼らは一歩も譲らず、冷たい金属音をひびかせてモンタン家の戸口前で競い合っている。
「へぇ、女じゃないか」
そのとき、彼女の背後から低い男の声が聞こえた。はっとして振り返ると、ローリーと交剣している男と同じ武装をした、むくつけき男が二人、ジェニーを見下ろしていた。
にやついた男のうち一人が、ジェニーを上から下まで眺めまわした。とっさに後ずさって逃げようとしたジェニーは、しかし、二人に挟みうちにされて、あっけなく捕まってしまう。
「……放してよ!」
「まだ若いじゃないか、ええ?」
兵に顎をつかまれ、それを逃れようと顔をそむけたジェニーは、その先でローリーの右肩に、白い髪の男の剣が振りおろされる瞬間を目撃してしまった。
「ローリー!」
ローリーの体からは吹き上げるように血が飛び、彼は一気にバランスをくずして尻餅をついた。そして、右肩を地面につけるように彼は後ろ向きに倒れると、自分の聞き覚えのある声を探して顔も後ろへ倒した。ローリーはジェニーの顔を判別し、唇を震わせて妹に何かを伝えようとしているようだった。
「嫌よ、ローリー!!」
ジェニーは泣き叫んだ。悲鳴をあげ、彼女を捕らえて引きずっていこうとする兵士二人に必死で抵抗した。彼らから逃れようと体をねじって暴れたが、男二人の手には何の痛手も与えていないように思えた。
「ローリー!」
ローリーを……ローリーを助け出さなければ……!
血にまみれた剣を手にした白い髪の男が、最後の一撃を倒れた男ローリーに向けて振り上げたそのとき、どこからかひっ迫した男の声が飛び、彼はその場からばっと飛びのいた。
その直後、黒焦げとなった家屋の一部がローリーの上に大きな音をたてて落下し、土埃と地響きをたてて彼の体をあっという間に埋め尽くした。ジェニーは、喉の奥から声を振り絞るようにして絶叫した。
そのときになって初めてジェニーの存在に気づき、ゴーティスは彼女を見た。ゴーティスの注意に気づき、彼女が憎悪を込めた瞳で彼を見返したが、彼はあっさりと無視した。いくつもの戦場をくぐり抜けてきた彼には、憎しみの目を向けられるなど、ごく見慣れた光景だ。
血を少しでも落とそうと剣を地面に向けて振り、ゴーティスはローリーの埋まる瓦礫の山を見た。
どこかで見たような顔だが思い出せない。こんな片田舎にいるにしては驚くほどの、自分と互角に戦えるだけの剣の腕だった。殺さねばならなかったのが、非常に惜しい男だった。
そのゴーティスを瓦礫となった落下物から救った声の主が、煙の中から姿を現した。その男はいつでもどこでも、主人であるゴーティスを常に見ている、彼の腹心だ。
兵士二人は、腕に捕らえている女にどうやらてこずっているようだった。
煙と土埃で汚れた、まだ少女のようにも見える、哀れな娘。
「放して! あの人を……あの人を、殺してやる!!」
その言葉も、今までの戦場で何度も聞いて、聞き飽きた台詞だ。負けさった者たちの持つ憎悪や悲しみなど、同感できない。
ゴーティスは、近づいてくる自分の部下の姿に目をやっていた。
「やめて、放してったら! 絶対に許さない! ローリーをよくも……!」
彼女のうらみがましい言葉を聞き、ゴーティスはつい、くすくすと笑い出してしまった。
この娘を捕らえる兵士たちの忍耐は無いに等しい、彼女の命も短かかろうに。
一方、ゴーティスのせせら笑いを聞いて、彼女はますます怒り狂ったようだった。体中で彼への怒りを示し、彼女は男たちの中で暴れ、もがいていた。
それは、ほんの一瞬のすきをついての出来事だった。
ジェニーは自分の左隣にいた男の腰から剣を引き抜き、あざやかに男の腕に下から上へと振り抜いて細長い傷をつけた。そして、その彼がケガでひるんだ合間に、反対側の男の手の甲に剣を突き立ててやった。
「あうっ!?」
兵士たちの呻き声に、ローリーを負傷させた男が振り向いた。彼は驚いたように目を見開き、そして、視線を彼女の上で止めた。彼の危険を察したらしい別の男が、急いで走り寄ってくる。
負傷した兵士たちが彼女を睨みつけ、ふらふらと立ち上がろうとする。片方の兵の腕からは血が筋をなして流れ落ち始めていた。
「お、おのれ、この娘……!」
「近づかないで! もう一度切られたいの!?」
「なにを言うか、この女!」
兵士たち二人が地面から飛びかかる態勢でいたが、そこへ、兵士に向かってあらぬ方向から声が飛んだ。
「待て! 手を出すな!」
ジェニーでさえ、一瞬、兄の仇が発したその言葉に注意を向けた。
「されど、王!」
……“王”?
ジェニーは唇を噛み締め、瞳を王と呼ばれた男へ向けた。彼女の視線を受けると、彼が満足そうにほくそ笑む。
「娘には手を出すな。俺の命令だ」
彼はぞっとするほどの冷笑を見せ、兵士たちを視線で黙らせた。その隣には王の直属の部下と思われる男がやって来ており、ジェニーにいつでも飛びかかれるよう、剣を手に、主人を傍から擁護する態度を見せていた。
だが彼は、その男でさえも引き下がらせ、ジェニーに視線を返した。そして、唇の右端をかすかに上げて笑った。
「そやつに切りつけるとは、大したものだな」
ゴーティスはジェニーに近づいていった。ジェニーは兵士たちにも注意を向けつつ、彼の接近に備えてか、剣の柄をしっかりと握り直している。
「……あなただったら、斬り殺してやったものを」
「ほう?」
ジェニーの答えを聞いた彼は、舌なめずりをして彼女を見た。顔は埃などで汚れているが、大きな明るい茶色の瞳からは強い精気が放たれている。彼女は、ゴーティスから少しも視線をそらそうとはしなかった。それも、彼の、気に入った。
彼女を押さえ込もうかとゴーティスと彼女を見比べていた兵士たちが、彼の制止命令にも関わらず、彼女の下の方でもぞもぞと動き出している。ゴーティスは苛立ち、後ろで待機している部下を呼びつけて言った。
「こやつらを連れていけ、サンジェルマン! さっさと隊へ戻せ!」
彼の部下は一瞬だけ迷う表情を見せたものの、ちらっと兵士二名に目をやり、王の命令を遂行するために近づいてくる。ところが、それに焦った彼らのうち一人が、地面に腰を落とした状態のまま、見苦しくも彼に反論を試みた。
「おお、お待ちください、王! 王をここにお一人で残せますまい! どうか、私にこの娘の始末を! 先刻は小娘だと思ってつい油断いたしましたが、私がきっちりとこの娘を処分いたしますゆえ……!」
男は苦々しげにジェニーを振り返って、ゴーティスに訴え出た。ジェニーが歯を食いしばって兵士と彼の出方に視線を走らせ、緊張感を全身に漂わせている。その兵士の言葉で、ゴーティスの頭が、一気に冷めていく。
「“油断”だと? 小娘に傷を負わされるほどの、油断?」
ゴーティスの顎が小さく痙攣した。彼のあげた皮肉な笑みがいやみな乾いた声へと変化していく。
額をおさえていた王が、数秒の沈黙の後、その兵士に視線を移した。だが、その目はまるで、兵士を突き通して別の何かを見つめているかのような、遠い目。
少しして王が顔をあげ、その兵士を見た。
「おまえはどこの隊の所属だ? 名は何だ?」
その彼の一声で兵士たちの顔が引きつって呆然となる。ジェニーは彼らのその反応にあやしんで、彼の冷たく光る目を見た。
「王、あの……」
「名を言え」
有無をいわさぬ彼の口調に兵士二人ともが口をつぐんだ。王と呼ばれる男に、彼らは相当な恐怖を抱いているようだった。
「十六隊、レフィリオルです」
観念したように、兵士がつぶやく。王はにこりともせずに言った。
「レフィリオル。ようわかった。覚えておこうぞ」
王の部下がジェニーたちに近づいてきた。ジェニーは最大限の警戒心をもってその男の動向を注視していたが、彼は彼女の剣の存在など目に入らないかのように、彼女の視線を無視していた。かといって、攻撃をやすやすと受けるほどの隙は決して見せていない。ジェニーは下手に動けない。
彼は、ジェニーの脇で力なく地面に腰を落としている男たちに手を貸して起こした。同情するほどに彼らは意気消沈しており、男が二人の体を抱えるようにして、彼女の前から去って行く。ジェニーの数歩前にいる王も、それをずっと見つめていた。
――ゴーティス王が初めて背を向けた絶好の機会を、ジェニーはみすみす逃しはしなかった。彼女はずっと隙をねらい、この時を待っていたのだ。
ジェニーは手にした剣を握り直して息を止め、憎き敵の後頭部をめがけて鋭い剣先を振った。
やった、と思わせる手ごたえを感じる瞬間はなく、ジェニーの剣は大きくかぶりを振った。そして、肘までしびれさせる、金属の手ごたえ。
何と、王はジェニーに背を向けた状態で自分の体を沈めて剣をよけたかと思うと、後ろを振り向くこともなく、後ろ手に、自分の頭ごしに彼女の剣を受けていた。
金属音に注意をひかれて振り返った彼の部下や兵士たちが、急展開に息をのんだだろうその瞬間、王は、受けたジェニーの剣を彼女がこめる力を利用してはねのけた。本当にあっという間に、ジェニーの鼻先には彼の剣のきっ先が突きつけられていた。ジェニーが兵士から奪った剣は、彼の背後にすっ飛んでしまっていた。
彼女は信じられないといった表情で、剣の持ち手であるゴーティスを見つめ返していた。
「俺に剣を向けるとは!」
彼女の手首はまだしびれているようで、手は剣の柄を握ったままの形をしていた。
「おまえごときが俺に勝てるわけがなかろう!!」
ゴーティスが悠然と彼女を見返すと、彼女は静かな怒りを込めて彼の目をまっすぐ見返した。まるで、剣先など目に入っていないかのようだ。その彼女の反応に気をよくしたゴーティスは、また、笑みが口に浮かんでくるのを感じた。
自分と剣を交わしたあの青年と同じ髪の色、よく似た顔立ち。くもりのない、純粋な目。剣技にたけたあの男の妹だとしたら、彼女が剣を使うことにもある程度の説明がつく。顔立ちは、悪くはない。
しげしげと彼女の顔を眺めたゴーティスは、剣先を彼女の顔の前から降ろした。
「娘、名は何という?」
警戒した彼女は口を結び、彼に口をきくのを拒んでいるかのようだった。
灰で汚れた彼女の顔を拭おうとしたゴーティスの手は、彼女の手によって、無造作に払いのけられた。拒まれたその手を見つめ、ゴーティスは久しぶりに無礼な対応をされたことに、何となく可笑しくなる。
「おまえを取って食う気はない。名を教えよ、娘」
「あなたに名を教えるくらいなら、死んだ方がましだわ」
彼女はひるむ様子を見せない。命乞いをする敵方の人々と比べると、ずいぶんと肝の据わった少女だ。
ゴーティスは剣を振り上げもしなければ、娘を殴ろうとも思わなかった。いつもだったらそうしていただろうが、暴力が彼女に効果的に働くとは思えなかった。そのかわり、ゴーティスは含み笑いをし、彼女にゆっくりと告げた。
「……そうか、ようわかった。おまえには俺のもとで生きる機会を与えようと思うていたのだが……それが叶わず、残念だ。では、おまえには望みどおりに死を与えてやろう」
彼女が恐怖を見せることは、まったくなかった。それも、ゴーティスの予想範囲内のこと。
「ただし、その前に、おまえの兄の首がなくなるのをとくと見ておくがよいぞ?」
「なん……ですって?」
ゴーティスは、それまで勢いづいていた彼女の顔から一斉に血が引くのを見て、にやっと笑った。
首がない遺体は天上にも地獄にも行けず、死んだ後もずっとあてもなく地上を彷徨う、と、どこの土地の人々にも昔から信じられている。だからこそ、死んだ後もなお永遠の苦しみを味わってもらうために、戦では、憎い敵の首をとる習慣がある。
ゴーティスがローリーの埋もれた瓦礫に視線をちらりと走らせると、彼女が口惜しさに唇を震わせた。彼女には、ゴーティスが、そんな卑劣なマネを簡単にやってのける種類の人間だとわかっているのだろう。
そんな彼女の様子をつぶさに見ていたゴーティスは、声を低くして、もう一度彼女に質問した。
「名を言うか、娘?」
手で彼女の顎をつかみ、ゴーティスは無理やりに自分の方へと顔を向けさせた。彼女は怒りと口惜しさのあまり、ゴーティスを激しく見つめるその目の端に、涙を溜めている。
「おまえの名は?」
「……ジェニー」
瞬きした彼女の瞳から涙がこぼれ、その消え入るような声に彼は満悦した。
「それでよい、ジェニー」
涙を流しながらも、彼女の視線はゴーティスからそれなかった。どこまでも、気の強い娘だった。
連行しようとしていた兵士たちを途中に残し、王の部下サンジェルマンは、主人のそばに近づいてきた。彼は主人の意図をはかりかねてジェニーを見、そして、涼やかな声で言った。
「王、ここは危のうございます。早く退散いたしましょう」
「わかっておる」
そして、王はジェニーの腕を引っ張って彼の方へと引き寄せた。
「この娘を城へ連れ行くぞ、サンジェルマン」
サンジェルマンは彼女に警戒心を持った。無言で涙を流している彼女は心身ともにぐったりしているように見えたが、剣の使い手ともなれば、主人の身が心配だ。サンジェルマンは瞬時に対応策を考え、腰にかけてあった鞭に手を伸ばした。
「それは構いませんが……」
歯切れの悪い彼の口調にゴーティス王が眉をひそめたが、次に彼が鞭を取り出した時に全てを理解したらしく、唇の端を微かに上げてみせた。
「念のために娘の両手を結わえます。いつ、剣を手にする機会を得るかもしれません」
ゴーティス王は、彼に快くそれを許可した。
二人の前にまわったサンジェルマンは、ジェニーの両手を王から譲り受けた。その場で細い鞭を宙でしならせて鳴らし、嫌がる彼女の両手首にぐるぐると巻きつける。彼女は右へ左へと暴れたが、ゴーティス王は、サンジェルマンが何とか彼女に対応するその様子を興味深そうに見ている。
「動けば動くほど手首に食い込むぞ。無駄な抵抗はしないことだ」
娘は無言ながら、サンジェルマンに向けた瞳には精一杯の反発心が含まれていた。
「俺だとてそのような乱暴な事はしたくないが、おまえは手くせが悪いゆえ、仕方ないのだ、ジェニー」
ジェニーを引きずるように王の前へ差し出すと、王が不敵な笑みを彼女に投げかけた。彼女は興奮しており、縛られた両手をはずそうともがいていている。
「おとなしくしておれ」
「いっそ、殺してよ……!」
「ふん、ほざくがいい。おまえは俺の捕虜だ、俺の好きなようにする」
「そんなことはさせないわ! あなたの自由になんか! あなたの意のままになんか、ならない……!」
突然、ゴーティス王の左手がジェニーの首にのびて、それをつかんだ。サンジェルマンは、度重なる彼女の無礼な行動がついに王の逆鱗に触れたと思い、彼女の死を予感して誰もが一瞬、目をそらした。が、それは、いきなりあげられたゴーティス王の高らかな笑い声によって中断された。
「おお、よう言うた! それでこそ俺の捕虜だ、ますます気に入った!」
皆の予想に反し、王は上機嫌で顔を輝かせていた。向かいの彼女は、ゴーティス王に首をしめられて窒息しそうになりながらも、一秒たりとも彼から目をそらさずに睨み続けている。
彼女が苦痛にさらに顔をゆがめた時、彼はやっと気が済んだというように、彼女の首から手を離した。彼女は空気を求めて思い切り大きく息を吸い込み、同時に煙や灰を吸い込んで、激しくむせた。
「こやつを俺の幌の中へ放り込んでおけ。道中の良い退屈しのぎとなりそうだ」
「いや、よ……私どこにも……」
だが、王はただ笑い、彼女をサンジェルマンの手に委ねるとさっさと背を向けてしまった。
彼女は全身全霊でサンジェルマンに抵抗していた。両手の自由を奪われてもなお体全体で暴れて彼らに従おうとしない彼女に手を焼き、サンジェルマンは前方を歩く主人を呼び止めた。
「王、少し手荒にしても構いませんか?」
主人の男はその問いに振り向き、彼女に手こずる彼を面白そうに眺め、言った。
「好きにしろ」
ゴーティス王がまた前に振り向いた時、サンジェルマンは娘のみぞおちを拳で殴った。唸るような小さな声がくぐもって聞こえ、彼女は彼の腕に力なく落ちる。それから次に王がサンジェルマンに振り返った時には、サンジェルマンは彼女を抱き上げようとしている最中だった。
「俺が行くまで幌に閉じ込めておけ」
「御意」
ジェニーを腕に抱いたサンジェルマンは、今後の彼女の身にふりかかる悲運を思って、気の毒にも感じた。多分、まだ十代半ばの少女だろう。
そのあどけない、幼さの残る彼女の顔をまじまじと見つめると、戦乱の世に生まれたこと自体が不運にも感じられる。とはいえ、女でなくとも、不平等で理不尽な出来事は山ほどある。戦での被害者は常に、力のない弱者と決まっている。
「サンジェルマン、娘が気づく前に、隠し持っている短剣を取り上げておけ。左のわき腹あたりにある」
「……はっ?」
一見しただけでは短剣の存在など全くわからない。
彼女を一度地面に降ろし、服の上から手探りで短剣の位置を確かめたサンジェルマンは、主人の指摘どおりに脇腹の下あたりに、何か、固い感触を見つけた。サンジェルマンは王の観察眼にあらためて感銘を受け、彼女の体を素早く探る。
彼女の服の下から出てきたのは、紋章入りの、身分不相応なほどに立派な鞘に入った、よく手入れされた古い短剣だった。それを違和感とともに見つめ、自分の腰にそれをしまいこむ。後に一度その出所を探ってみようと思いながら。
負傷した兵士たちはお互いの肩を支えあいながら、仲間の待つ場所へと歩いていっている。ゴーティス王は顎をあげ、たちあがる煙をものともせず、その前を進んでいく。
王が今までの戦場で見つけてきた豊満な美女とは正反対の娘を城へあげることで、どういった予期せぬ状況が起こるのだろう。
サンジェルマンは、これから何か一波乱起きそうな、妙な胸騒ぎがしていた。