第四話 「名を忘れられた遺跡」
――はやく、こっちだよ――
声はまだ僕を呼び続けている。
高く、透明感のある声だ。
そのせいか無機質にも聞こえてくる。
僕は緊張で動かない足をゆっくりゆっくり引き摺るようにして、声のする方へと向かう。
怖いけど、そうも言っていられない。
さっきの騎士を助ける為に、協力してもらわないと。
木の枝と違い、剣を使えば草木を取り除くのは簡単だった……のだけれど、この剣、かなり重い。
僕の息はいつの間にかかなり乱れていた。
――アラタ――
それでもなんとか声のする方へ歩いていくと、拓けた場所に出る。
ようやく空を見ることが出来た。
青い空、白い雲。
鬱蒼と生い茂っていた木々はなく、変わりにその場所の中央には、石造りの遺跡があった。
石組みの間から苔が縫うようにしてその遺跡全体を覆っている。
壁面はところどころひび割れており、かなり古い建物だというのがすぐにわかった。
「こ、ここ……? ここに君はいるの……?」
――待ってるよ、アラタ――
声は僕の呟きに答えるように、また僕を呼んだ。
遺跡の正面に立つ。
ボロボロの階段から遺跡内部へ続く通路が見えるが、奥は暗くてどうなっているかわからなかった。
内部から吹いてくる風で身体が震える。
まるで心霊スポットに一人で向かっているような気分だ。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
どうして僕がこんな目に遭わなければいけないんだろう。
そうだ、さっきの騎士になんとか人がいる場所を聞こう。
そっちの方が絶対安全に助けを呼べる筈だ。
そもそも頭に響く声とか、怖すぎる。
ほら、心霊体験をした人も、よく言っているじゃないか、呼ばれた気がしたって。
だからこれはきっと、イタズラ好きの幽霊が僕に悪さをしようとして――。
――アラタ、早く――
声がまた聞こえる。
逃げる為の言い訳ばかりが何度も頭を過ぎる。
……トウヤなら、どうするだろう。
トウヤならきっと、何の躊躇いもなく遺跡に入って、声の人物と合流して、騎士を助けに行ってるんだろうな、もう。
……行かないと。
ギシギシと軋む足に力を入れて、階段を一歩、一歩と降っていく。
僕は入り口の、暗闇の中に少しずつ身を沈めた。
入口こそ暗かったが、階段を降りた後、遺跡内部には等間隔に燭台が立てられており、足元が見える程度に灯りがある。
それでも、先がどうなっているのかまでは見えなかった。
長い通路をまっすぐ進んでいく。
暗闇に吸い込まれているみたいだ。
どうしても腰が引けてしまう。
カツン、カツンと自分の足音が反響する。
誰かが後ろから、僕の後ろをついてきているような、そんな錯覚を覚える。
……本当に、錯覚だろうか。
生唾を飲む。
体が震えているのを感じながらも、足は止めず前へ先へ。
ここまで来てしまったら、戻るのにもそれなりに勇気がいる。
前も後ろも、数メートル先は暗闇しかないだからだ。
通路の終わりには更に階下へ続く階段があり、そこを下ると、かなり広い空間に出た。
左右と正面に一つずつ扉がある。
外から見た印象よりも、大分大きな建物のようだ。
もしかすると、遺跡内部は地下に広がっているのかもしれない。
僕は左側の扉へと向かう。
大きな扉だった。
扉は鋼鉄で出来ていて、遺跡の見た目同様かなり古いものらしく、ボロボロだった。
取手を引いてもびくともしない。
僕は剣を置き、両手で取手を掴んだ。
そして、全体重をかけて扉を引く。
「くっ……このっ……!」
ギギギィ……と金属特有の甲高い音が鳴る。
なんとか自分が通れるくらいまで引き、扉の向こう側へ進む。
扉の奥は、燭台の数が減っており、通路の奥がどうなっているのかわからなかった。
……いや、通路ではなく小部屋になっているのだろうか。
先ほどの通路と比べると、少し幅が広すぎるように感じる。
ふいに、その部屋の中央で何かが赤く光った。
なんだろう。
怖かったが、そこから動かないわけにもいかない。
恐る恐る、光った辺りに近付いていく。
「ひっ……!?」
暗闇の中で、影が蠢いているのがわかった。
思わず小さな悲鳴をあげて後ずさる。
すると、蠢いている影がサッカーボール程度の球になり、その中央が二点、赤く光った。
目だ。一体なんだ、この生き物は。
一つ、二つ……三つ。
三体もいる。
それら全てが僕を見据え、僕に近付いてきた。
それらが動くと、ツー、という高い音が聞こえてくる。
超音波のような、凄く耳障りな音だ。
「こ、来ないで……!」
呼び掛けには応えない。
僕は耐えきれず背を向けて部屋を出ようと扉に駆け寄った。
あとちょっと、というところで背後が赤く光り、部屋全体を照らしたかと思うと、扉が音をあげ閉まってしまう。
扉を押しても開く様子はない。
「そんな……」
まさか、彼らが操作したのだろうか。
それとも何か仕掛けが作動したのだろうか。
何れにしろ、出られなくなってしまった。
振り返ると、彼らが更に僕との距離を詰めてくる。
あぁ、彼らは僕をどうするつもりなのだろう。
宇宙人のように見えるから、僕を何処かへ連れ去って解剖でもするのだろうか。
それとも、あの赤い目から熱光線を出して僕をドロドロに溶かしてしまうのだろうか。
――ラタ――アラタ――!
その時、またあの声が聞こえた。
一体誰なんだよ。
声だけじゃなくて、なんとかしてくれよ。
助けてくれよ。
なんで僕だけがこんな目に遭わなければいけないんだ。
一体僕が何をしたって言うんだ。
恐怖がだんだん怒りに変わってくる。
いつだってそうだ、勝手に色んなことが変わって、勝手に誰かが決めてしまって。
そんなもの、望んでいなかった。
ただ普通でいたいだけだったのに。
――アラタ――剣を使って――
剣……?
僕は自分の左手を見た。
カシャン、と金属音がする。
剣先と、通路の石畳が擦れた音だ。
これを使って、倒せと、言っているのだろうか。
戦えと。
そう言うのか。
無理だ。
僕には。
持ち上げるだけで精一杯だというのに。
それなのに。
僕に。
でも。
僕が、僕しか、僕自身を、守れないのだとしたら。
「……こ、このぉっ……!」
目の前まで詰め寄ってきていた黒い球に、向かって、両手で思い切り剣を振り上げる。
「てやぁ!」
剣の重さを使って、勢いよく降り下ろす。
剣先が黒い球に触れると、剣が強く光った。
眩しさで思わず目を閉じる。
何がどうなってしまったのだろう。
わからない。
ゆっくり目を開けると、既に眩しさはなく、そして黒い球が一つ消えていた。
残りの二つも、左右に吹き飛んでいる。
これを、僕がやったのか……?
――攻撃してくるよ、アラタ――!
「え……?」
まとまらない思考で頭がぼーっとする。
視点を少し動かすと、右側にいた球が立ち直り、僕に向かって突進してくるのが見えた。
そうか。
戦うってことは、攻撃だってされるよな。
……無理だ、避けられない。
そう思った時には、右手に持っていた剣が、僕の意志に関係なく輝きはじめた。
すると黒い球体は何かに弾かれるようにして吹き飛び、存在が淡くなり、消えていく。
今度は何だ、どういうことだ。
なんだかもうよく、わからない。
頭が回らなかった。
一体何がどうなれば、こんな不思議な体験が出来るのだろう。これが夢じゃないとしたら、一体何なんだろう。
最後。
まだ一体いる。
僕は振り返り、もう一体を探す。
最後の黒い球体は、僕に迫ってくることも、逃げることもなくそこに留まっていた。
一歩、僕が前に踏み出す。
球体は動かない。
ただ、赤い目を輝かせて、僕を見ていた。
剣を持つ手にもう一度力を込める。
「てりゃあっ!」
全身を使って、水平に薙いだ。
この方が楽に剣を振るえると思ったからだ。
黒い球体に触れる直前、また剣が光輝く。
黒い球体は最後、一際高い音を出して、暗闇の中に消えていった。
「はぁ……はぁ……」
息が荒れていた。
怖かった。
でも、なんとか出来た。
もう、嫌だけど。
僕は、ちょっとした達成感を感じていた。
――ドサッ。カラン。
「…………あれ?」
突然、体に力が入らなくなる。
僕は尻餅をついてその場に倒れ込んだ。
剣も落としてしまう。
そんな、折角、倒せたのに……。
意識が薄れていく。
僕はその場に仰向けになっていた。
もしもこれが夢なら、もうここで覚めてしまってくれ。
そんなことを思った。
※2018年6月2日 改稿