第三話 「傷だらけの騎士」
――そうだ。僕は学校帰りに……。
ようやく今の状況を整理することが出来た。
しかし、だとしてもこの状況に繋がらない。
これは夢なのだろうか。
夢だとして、一体どこからが夢だったのだろう。
夢にしてはやけに現実的だった。
荷物を確認する。
持っていたはずの学生鞄は見当たらない。
ポケットに入っていた携帯を取り出すと、画面は真っ暗で電源も入らなかった。
これが夢だとするなら、黙っていれば終わる筈だ。
夢じゃなければ……どうなる。
なんとなく、ここにいてはいけないような気がする。
まだ整理出来ていないが、進むしかない、と思う。
僕は立ち上がり、改めて周囲を見渡した。
森だ。
とても深そうだ。
空は木々の葉で隠され、太陽のある方角さえ分からない。
遠くに山でもあれば、その反対を目指したりも出来ただろうが、それも見当たらない。
ただ、木々は比較的等間隔に生えているように感じる。
そしてその間を背の低い雑草や名前の分からない花が咲いている。
道など当然ない。
進むとして、一体どの方向に進めばいい。
闇雲に動いても疲れるだけだ。
――森の中を歩く時はな、適当な長さの木の枝を使って服が引っかからないように草とかをこう、ぐって押さえて潰しながら進むといいぜ。アラタ、服汚したら怒られるだろ――
トウヤのそんな言葉を思い出した。
それが本当に正しいのかはわからないが、冒険だ探険だとひとりでも色々な所に行っていたトウヤは運動音痴な僕でも出来る色々な技を教えてくれた。
まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけど。
「よっ……と……もうちょい」
手を伸ばして届きそうな木の枝を、背伸びをして掴む。
声が口から出てしまっていたが、誰が聞いてるわけでもないので気にしない。
掴んだ枝を、力一杯曲げる。
ミシミシと音を上げながら、枝はしなった。
更に力を加えていく。
パキパキ……バキ。
枝は裂けるようにして折れた。
もう一度周囲を見渡す。
今自分がいる位置から、丁度正面の茂みが背も低く草木が薄くなっているように見える。
「あそこなら……」
一人また呟いて、そちらに歩き出す。
さっき折った枝を使って絡み合って茂みになっている草木を掻き分ける。
トウヤがやっていたようには上手く出来ず、枝の先端が折れてしまった。
……まぁ、最初の状態よりは大分草木を掻き分けられたし、無理やり進めば通れそうだ。
靴で踏み潰して、足に引っかかった枝をそのまま無理やり押し込んで……通り抜けられた。
「よ、よし……」
時間は掛かるが、こうすれば先に進んでいけそうだ。
僕は道なき道を、目的も無しに進んだ。
しばらく進んだが、いつまで経っても似たような景色のままだった。
もしかするとここは、ファンタジーによく出てくる「迷いの森」なのではないか。
だとすると僕みたいな人間は飢え死にするか、熊のような野生動物に殺されてしまうのではないか。
そう考えると、これが夢だろうとなんだろうと怖くなってきた。
――ギィェー……。
タイミングよく、怪鳥の鳴き声が森に響き渡る。
すると、ガサガサ、と直ぐ傍の茂みが音を上げた。
肩が跳ね上がる。
もう……もう、無理だ。
これ以上、僕は動けない。
動きたくない。
あ、足に、足に力が、入らないんだ。
僕には、もう、ここで震えていることしか出来ない。
あぁ、頼むから、お願いだから、夢なら早く覚めてほしい。
その場にしゃがみこみ、これでもかと強く目を閉じる。
すると、風の音、葉が擦れる音。
鳥の鳴き声、虫の飛び立つ音、羽音。
色んな音がより鮮明に聞こえてきた。
それらは僕の中の恐怖心を更に助長する。
今度は耳に手を当てて、少しでも周囲の音が聞こえないようにする。
頼む。
お願いだから。
夢なら早く、早く……覚めて……。
死んだ瞬間の夢なんて……見たくない……。
――ガサッ。
ガサガサガサ。
どれくらいそうしていただろうか。
今までで一番大きい音がすぐ近くで聞こえた。
ガサガサと乱暴に草木を掻き分ける音だ。
耳に手を当てたまま目を開く。
遠くの茂みが、大きな音を上げて揺れていた。
……まだ死にたくない……!
いつの間にか動くようになっていた足は、僕の意志よりも早く、直ぐに駆け出した。
そのまま、直ぐ傍の木の陰に身を隠す。
ほんの少し走っただけなのに、呼吸が大きく乱れているのがわかる。
バキバキッ!
身を隠した後直ぐに、茂みから大きな影が現れた。
顔全体を覆う銀色の兜に、胸当てや腕当て、そして右手には両刃の剣……。
西洋の騎士のような格好をした「人間」だ。
人間がそこにいる。
よかった、あの人に助けて貰おう。
踏み出そうとしたところで思い止まる。
いや、待て。
よく考えなくても、あの人が確実に僕を助けてくれる保証なんかないじゃないか。
それに、あんなものを着てこんなところを歩いているなんて、一体どういう状況なんだろう……。
明らかに怪しい。
もう少し様子を伺おうと木から身を乗り出すと、足下にあった枝を踏んでしまった。
「誰だ!」
「おわっ……!?」
騎士にまでその音が聞こえたらしく、騎士は僕に向かって叫び、剣を構えた。
僕はというと、その大きな声に驚き、踏んでいた枝で足を滑らせ転んでしまう。
そしてそのまま、騎士の目の前に姿を見せてしまった。
「いたた……」
「少年……? なんでこんなところに……」
「ち、違うんですわざとじゃなくて……! か、隠れていたのは怖かっただけで……」
騎士は僕の姿を見ると、剣の構えを緩める。僕はその切っ先が自分に向いているのを見て、よくわからない言い訳をはじめた。
「キミ、もうわかったから……ぐっ」
言いかけて、突然騎士は膝をついた。
大丈夫ですかと近寄ると、わき腹が真っ赤に染まっていることに気付く。
「た、大変だ……!」
「わ、私は大丈夫……それよりも、はやく、ここを……」
騎士は前のめりに倒れてしまった。
慌てて駆け寄り、呼びかけても返答はない。
ただ乱れた息が、兜の隙間から漏れ聞これる。
そうだ、鎧を外して止血しないと……! 思い立ち外そうとするが、どう外せばいいかわからない。
兜を引っ張っても……外れない。
鎧を強引に引っ張ると、騎士が呻いた。
ダメだ、下手に触ると余計に痛めてしまう。
これ以上触ることは出来ない。
どうしよう、どうしよう……。
――アラタ――。
その時、どこかから声が聞こえた……気がする。
――アラタ。
まただ。
誰の声かは分からない。
ただ、確かにその声は自分の名前を呼んでいた。
それはつまり、自分のことを知っている誰かということだ。
もしかすると、協力してくれるかもしれないし、この夢のような場所から出るきっかけになるかもしれない。
――こっちだよ、アラタ――。
声のする方に歩き出そうとして、ふと思い出す。
自分の名を呼ぶ知り合いに、自分の身を案じるような人間はいない。
一度、騎士の方に向き直る。
倒れている騎士の傍に、剣が落ちている。
僕はそれをそっと手に取った。
ずっしりとした重さが両手に伝わる。
持てないほどじゃない。
木の枝なんかより、ずっといいだろう。
僕は声のする方へ、ゆっくりと歩き出した。
※2018/06/02改稿