7幕 布陣
真暦1971年6月、アイーシャの策に従い、トゥラノ州都ガズナからナサール将軍ら守備隊が撤退した。ナサールの無念と残される住民の冷たい視線を後に残して。
クルジュを司令官とする遠征軍一万人はガズナ守備隊3000人と合流し、来る決戦に備えて準備を整えていた。
放棄されたガズナへは入れ替わるようにしてゴンドファルネスら反乱軍が入城した。ガズナの陥落でそれまでバラバ王国に従属していた日和見豪族は挙って反乱軍へ加担した。
そんな事情も加わって当初は統率を保っていた反乱軍も都市の空気に触れ瞬く間に弛緩した。さらに長い戦争と反乱で豪華な富や贅沢な食事に飢えていた反乱軍兵士は中心都市ガズナの物資を奪い始めたのだった。ガズナ市民との対立も深刻なものとなるのに時間は掛からなかった。
反乱軍の首魁ゴンドファルネスは現地民の支持こそ反乱には元も重要だと理解していたため、これら兵士の暴走を押しとどめようと図った。だがその試みは難航した。
兵士たちは略奪を望み、彼らを率いるべき豪族の長たちはこれを奇貨としてゴンドファルネスから権限を奪おうと狙い敢えて放置していたのだった。
ゴンドファルネスは焦った。このままでは今までの勝利がフイになる、自分の地位が奪われる、よもすれば暗殺されかねないと。
ゴンドファルネスは取り急ぎ兵を纏め、他の豪族達を説き伏せて出陣を承諾させた。ガズナ奪還を図っているはずの討伐軍を撃退し、さらなる勝利を手にすべしと叫んだのだった。
全てアイーシャの計略通りに事が運んだ。
◇ ◇ ◇
ゴンドファルネスは集結させた反乱軍2万人を率いて州都ガズナを出立した。数は多いが地方豪族の私兵、異民族の傭兵、占拠した都市の民兵などからなる寄合軍だった。
殆どの兵は軽装で足が速く、これまでのようなゲリラ戦では無類の強さを発揮していたが正面切っての決戦ともなればどうなるかはわからなかった。
ガズナから東に数十キロ離れたキルクーク平原にクルジュら討伐軍はおり、ゴンドファルネスら反乱軍は戦いを求めて辿り着いた。キルクーク平原に討伐軍・反乱軍は布陣した。
討伐軍の先陣を務めるのはガズナ守備隊長のナサール将軍率いる3000人の兵士である。歩兵2000人・騎兵1000人の混成部隊で、ガズナ放棄の屈辱を晴らそうと意気軒昂であった。
後陣には王都から派遣された軍勢1万人が布陣した。中央は歩兵隊6000人が槍と弓を構えて方陣を組み、万が一の為の"砦"を作った。更に本陣としてクルジュ王子、アイーシャ、ダティス将軍が位置し、槍を携えた重装騎兵200騎が旗本として控えていた。右翼と左翼には残りの重装騎兵800騎、弓や投槍を持つ軽装騎兵3000騎が均等に分かれて布陣した。
一方の反乱軍は2万人の軍勢を3つに分け、前衛・中衛・後衛として配置した。
前衛は異民族兵を中心に編成された5000人、中衛は掻き集めた民兵や豪族の私兵、流れの傭兵ら1万2000人からなった。
本陣も兼ねる後衛にはゴンドファルネス直下の重装部隊など比較的練度と士気の高い兵3000人が置かれており、戦局を決める決定打と前衛部隊が逃げないようにする督戦隊としての役割が期待されていた。
◇ ◇ ◇
キルクーク平原の戦場。
幾つもの旗印が林立し、大勢の兵士が音を立てて隊列を整えている。
太陽の光を反射して鈍く輝く鎖帷子を纏った重装騎兵、興奮して嘶く馬に跨る軽装騎兵、緊張した面持ちで槍や弓を構える歩兵が大地を埋め尽くしている。
それはバラバ王国軍の側も、反乱軍の側も同様であった。
【アイーシャ】(雁首揃えていらっしゃい、てところかしら。内輪揉めした寄せ集めの軍隊を連れて来てくれるなんてゴンドファルネスに感謝ね。こうまで上手く策がハマると笑っちゃうわねえ)
【クルジュ】「大軍だなぁ……こっちの倍くらいいるんじゃあ……」
【アイーシャ】「敵の兵力は多いですが、それだけです。殆どが流れの傭兵や徴集兵、異民族の同盟者で、まともな兵士など殆どおりません。報奨金や戦利品目当てに寄ってきたクズか戦意のない臆病者ばかり、寄せ集めですよ」
【クルジュ】「確かに……うん、そうだよね!」
【ダティス】「だが油断は出来ませんぞ、殿下。ゴンドファルネスの護衛部隊は我が方の重装騎兵に決して劣りません。他の奴らも辺境部族の私兵と言えど数々の戦乱を潜り抜けた連中です。寄せ集めと侮るには危険です」
【アイーシャ】「だが連中は支配権益を巡って争っている。その挙句に出陣したんだからな。統一された行動を取れない奴らなど恐れるに足らない。だからこそ寄せ集めだと言っているのだ」
【アイーシャ】(当たり前でしょ? あたしがそういう風に誘導したんだから。大体あんた、前に反乱軍なんて恐れるに足らないって偉そうに言ってたじゃないの。もう忘れたの? ボケてんじゃないわよ!?)
【ダティス】「決起したハリード陛下と戦った敵手は、弱兵の反乱者だ、と侮って敗れていった。今度は我らがその番ではないとは決して言い切れない」
【クルジュ】「……」
【アイーシャ】「油断も侮りもしていない。弱兵は弱兵、雑魚は雑魚、勝てるものは勝てる。正確に評価しているだけよ」
【アイーシャ】(ったく、面倒くさいわね。一々口挟んでくんじゃないわよ、爺さん。クルジュさまに余計な不安を抱かせないでよね!)
【アイーシャ】「何れにせよ、戦いはもう始まる。この期に及んで戦に恐れを為すことなどあるまいな、ダティス将軍?」
【ダティス】「何を……」
アイーシャの嫌味な言い方にダティス将軍は不快感を示した。
この行為に大きな意味は無い。ただ苛ついたからやり返そうとしただけだが、こういう所がその美貌と才知に合わぬほどにアイーシャが嫌われる所以なのだ。
【クルジュ】「正直言って僕は怖いよ、アイーシャ……」
【アイーシャ】「ク、クルジュさま。け、決して貴方さまに含むところがあったわけではございません! 初陣が恐ろしいのは誰も同じですから!」
【ダティス】「殿下! ハリード陛下の御子息が其のような弱気ではいけません!」
アイーシャとダティスが同時に言った。クルジュはうっ、とつまっている。アイーシャがダティスに殺意を抱きながらフォローしようとした時、ナサールがクルジュ達に近づいてきた。彼は先陣の指揮を任されているが、戦いが始まる前に何か言いに来たらしい。
【ナサール】「殿下!」
【クルジュ】「ナサール将軍」
【ナサール】「殿下、私は貴方に感謝しております。ガズナの件は兎も角としても、こうまで反乱軍の連中をのさばらせてしまったのは私の責任です。先陣という栄光在る立ち位置を与えてくださったこと、名誉挽回の機会を与えてくださったこと、生涯忘れませぬ」
【クルジュ】「うん。信じてるよ。頑張って!」
【ダティス】「クルジュ殿下、そのような軽々しい言い方は……いや、ナサール。殿下のご期待、決して裏切るでないぞ」
【ナサール】「ハッ! 我が武の誉をとくとご覧あれ!」
意気高く武器を掲げたナサールの目が黙ってみていたアイーシャに向いた時、瞳は憎しみの色を持った。
【アイーシャ】「クルジュ殿下の勝利の為、精々砕身して戦うのだな」
【アイーシャ】(クルジュさまもこんな役立たずに御慈悲をかけるなんて。本当にお優しいわ)
【ナサール】「貴方に言われるまでもない。私と我が兵の武勇、そこで見ていろ」
【アイーシャ】「そうさせてもらおうか」
【アイーシャ】(こいつ、ムカつくわねぇ~。討ち死に見せかけて殺したいわあ~)
そう言ってナサールは前線へ向かった。ナサールの訪問でクルジュは寧ろ戦いへの意思を強めたようだ。
【クルジュ】「皆、頑張っている……ようし、僕も負けないぞ!」
【アイーシャ】「クルジュさま……」
【アイーシャ】(絶対何があっても、クルジュさま、貴方のことは傷つけさせません。貴方に刃を向けるものがいれば、私が必ず殺します。だから安心して初陣に挑んでくださいましね♪)