5幕 辺境への道
真暦1971年6月、王都アジナバールを発ったクルジュ率いるバラバ軍は南東へ向けて流れる 河沿いに南下を続けた。道中はアイーシャが既に万全の準備を整えてあり、進軍は全くと言っていいほど順調だった。
河の水運を利用できたことも大きく、ベビュラ・マガンディノ両州を労せず通過していった。
クルジュの軍勢は騎兵4000騎と歩兵6000人から成り、半数はアイーシャのイサウロ家が集めた兵である。王家と同数の兵を繰り出すというイサウロ家の威勢の強さが伺える。
先頭を行く旗には"火を噴く鋼の筒"の意匠が織り込まれている。王家の主神である炎と鉄の神"ジェタ"の象徴であり、同時にバラバ家の意匠にも取り入れられているのだ。
【クルジュ】「……」
【アイーシャ】「どうなされました、クルジュ殿下?」
【クルジュ】「いや……やっぱり初陣だしさ。ほら……」
【アイーシャ】「ああ、成る程。ですが、クルジュ殿下なら立派に役目を果たせます。私もお助けいたします」
【アイーシャ】(ドキドキしてるクルジュさまを見ると、わたしもドキドキしちゃう!)
【クルジュ】「ありがとう。でも緊張するなあ……ここはまだ敵地じゃないから大丈夫だけど、もうすぐ戦地だもんなあ」
【アイーシャ】「戦闘なんて、そう大したものではありませんよ」
【クルジュ】「え?」
【アイーシャ】「兵が動き、武具か打ち合わされ、多少血が流れるだけです。それ以上ではありませんから」
【アイーシャ】(クズと雑魚が大勢集まるだけだもんねぇ。戦争なんて別に面白くも何ともないですよ?)
【クルジュ】「そ、そうかなぁ……」
【アイーシャ】「そうですとも」
【アイーシャ】(やぁーん! 不安で緊張してるクルジュさまもいいわぁ~!)
これを利用してクルジュに近付こうとするアイーシャ。彼女も年頃の乙女、いじらしい所もあるのだった。そして死も血も、他者のものである限り、アイーシャの心に響くことはないのだ。
軍馬に揺られながら何ともガチガチな表情のクルジュ。そんなクルジュに一人初老の男が近づいて行き声を掛けた。
【ダティス】「ご心配召されるな殿下」
この初老の男はダティス将軍。ハリードの旧友であり決起時から従う宿将で文武両道の名将である。彼もまたアイーシャのことは嫌いだったが、剛気な武人らしく、その有り余る才覚は認めていた。
【アイーシャ】(ッチ! 良いところだったのに、わたしとクルジュさまの間に入ってくんじゃねえわよ! 糞爺!)
アイーシャの方もまた、他の連中に対すると同様に、ダティスには何の好意も抱いていなかった。
【ダティス】「父王君は殿下の遠征に強力な兵を付けて下さいました。これだけの数の装甲騎兵や騎兵がいれば辺境の反乱軍など恐れるに足りません。騎兵達を支える歩兵も十分な数がおります」
騎兵は鱗鎧に身を固めた装甲騎兵1000騎、弓や投槍で戦う軽装騎兵3000騎から構成されている。
騎兵はバラバ軍の主力であり、特に装甲騎兵は膨大な維持費が掛かる反面、戦場においては凄まじい威力を発揮する。
歩兵は様々な地域から集められた槍兵3000、弓兵3000から編成された。
複合弓を装備する弓兵は相応に強力だが、槍兵は弱体で盾の壁で非常時の逃げ込み先を作る程度の役割しか期待されてはいない。
【クルジュ】「う、うん、そうだよね。これだけの兵力があるんだから大丈夫だよね」
【ダティス】「そうですとも。"我らの"兵の力は確かです」
【アイーシャ】「……そうね、確かに"私達の"兵は強い」
【アイーシャ】(兵の半分を出してるのはわたしのイサウロ家でしょうが。クルジュさまの出征なんだから出して当たり前だけど、勝手に持ち主を騙られるのは実に気に入らないわ)
【ダティス】「む……」
【クルジュ】「そうだね! "僕達の"戦士なら大丈夫だよね!」
【ダティス】「……そ、その通りです、殿下」
【クルジュ】「?」
不安の和らいだクルジュは屈託のない、純朴な笑顔を見せた。彼はアイーシャとダティスの今のやり合いに、引いては王家と大貴族イサウロ家の抱える関係の歪みに何も気付いていない。
【アイーシャ】「うふふっ……その通りですわね、"貴方の"軍です」
【アイーシャ】(こういう純なところも魅力よね。可愛いところばっかりだわ!)
【クルジュ】「それと、向こうへ着いたら直ぐに戦いになるのかな。反乱軍は相当な戦力を集めているんでしょう?」
【ダティス】「はい、殿下。以前叩きのめしたのですが、どうやら足りなかったようです。連中の首魁ゴンドファルネスの元に数千の兵が集まっております」
【クルジュ】「数千……」
【ダティス】「トゥラノ州の都ガズナが危機にあります。彼の地はトゥラノの中心にして拠点。落とす訳には参りません」
【アイーシャ】「いいえ、ガズナなど取るに足りません。敵が獲るというのならばそれでいいのです」
【クルジュ】「え?」
【ダティス】「え?」
突然のアイーシャの言葉にはクルジュだけでなくダティスも驚いた。
【ダティス】「アイーシャ殿は何を仰られるのか。ガズナを確保せずなんとするのか。トゥラノ州の中心都市であるぞ」
【アイーシャ】「それは分かっている。だがそんな事はこの戦いに於いては末節に過ぎないのです、ダティス将軍」
【ダティス】「しかし、戦略的には……」
【アイーシャ】「なればこそです。戦略的にはガズナの確保に拘ってはいけないのです。それに最終的にはクルジュ殿下が策を採択なさいます。私の策に不備があれば、クルジュ殿下が受け入れることは無いでしょう」
【ダティス】「……」
ダティスは不満気な顔だった。アイーシャがクルジュの権威を利用した様な物言いをしたのが気に入らないのだった。アイーシャ自身は本心で言っただけだとしても。
【クルジュ】「まあ、アイーシャの言うことなら、大丈夫だよ! アイーシャが間違ってたことなんて、僕は知らないな」
【ダティス】「……殿下の御命令に従います」
【アイーシャ】「殿下……」
【アイーシャ】(あ゛あ^゛あ゛ぁぁ~~……クルジュさまの信頼で溶けるぅぅ、身も心も溶けちゃうぅぅ~)
有形無形の軋轢を抱きながらクルジュら反乱討伐軍は一路トゥラノ州へ向けて進軍を続けていた。




