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生の始めを

作者: Caoru



11月の中旬、私は何処ともなくふらりと散歩に出掛けた。

この日は秋雨が降りしきっていて、少し寒い。

車の通りに比べて歩道には人影が少なかった。



こうして一人きりでゆっくり歩くのは久し振りだったが、雨の中を呼吸するのは心地好いものだ。

視界は妙に陰鬱で、だのに明るくて、街全体が何か訴えたい事をぐっと呑み込んでいる様だった。







途中すれ違う人と会釈を交わしながら、足先は自然と街外れに向かっていった。

此処は愛宕山の麓で、四辻の交差点になっている。

右手の橋を渡ればすぐ街の中心部に辿り着く。

私は橋の手前で曲がり、愛宕神社へ登っていった。



山と言っても少し坂を上るだけである。


鳥居を潜ると、両脇に日本最大の鴉天狗、大天狗の像が控えている。

私はこれがあまり好きではない。何だか造りが雑に見えるからだ。


この愛宕神社の主祀は軻遇土神(かぐつちのかみ)で、火を司る。

今日の雨は何ぞや?



奥には稲荷も祀られている。

白狐の置物が所狭しと並んでいた。


私は少し歩き疲れて東屋に腰掛けた。散歩に出るのが遅かったせいもあって、もう4時を回っている。

東屋は切り立った崖の縁に造られ、下を望むとこの雨で少し水量の増えた広瀬川が流れているのが見えた。

次は彼処に行こう。





再び鳥居を潜る前に、ふと道の端に草葉に隠れて小さな石がある事に気が付いた。

少々掠れて読みづらかったが、石には詩が彫られている。









「光の澱む切り通しのなかに

童子が化石を捜してゐた


黄赭の地層のあちらこちらに

白いうづくまる貝を掘り

遠い古世代の景色を夢み

母の母なる匂いを嗅いでゐた



……もう日は翳るよ

空に鴉は散らばるよ


だのになほも探してゐる

探してゐる

外界(さきのよ)のこころを

生の始めを


母を母を」




石川善助













──────────────────













途中、傘が邪魔になった。

そっと瞳と傘を閉じてから空を見上げてみると、顔にポツポツと雨水が当たる。



ああ、、とても良い気持ちだ。



傘は空と私を遮断する。

私から空と風を奪ってしまう。

傘を差していない人がいたらきっと呉れてやろう。

小振りでグリーンのチェック柄だから、女性でも大喜びだ。









──────────────────









結局誰とも出逢わずに、私は広瀬川の岸辺に立っていた。



愛宕神社から川へは直接下れない。

私はもう一つ上流の橋を渡り、旅館おたまやを通ってぐるりと一周して川岸へ向かったのだった。

当たり前だが、既に全身はずぶ濡れだった。

自動販売機で缶コーヒーを買って、木々の茂る川岸への歩道を歩いていると、初めて雨に射たれた紅葉の落ち葉が敷き詰まっている事に気付いた。

ああ、私は今屍の上を歩いているんだな─そんな錯覚が胸に広がった。



川岸は砂地だったが、程好く固くなっている。

雨降って地固まると言うが、すると私の中には未だ嘗て雨が降った形跡は無い。





広瀬川は静かだった。

天気の良い日は憩いの散歩道なのだろうが、流石にこんな雨の日には誰も居ない。

この時期だから産卵を終えた鮭達の残骸が散らばっているとも思ったが、ここまでは上って来ないらしい。



川の流れはこの上無く清廉で、雨すらも呑み込んで岸際に波を送っていた。

日は暮れ掛けて辺りは薄青く、僅かな残光が川筋を照らしている。





向こう岸は絶壁で、幾代も重なった縞模様の断層が見えている。

─あの中にどの位の生物だったものの名残が残っているのだろう?



遠い記憶、私も確かに何処かの河原で夢中になって化石を探していた事があったっけ。





私はシガレットケースを取り出し、煙草に火を付けた。

始めて使ってみたが、全身びしょ濡れでも中の煙草は無事だった。なかなか優秀だ。

絶え間無く動き続ける目の前の光景をじっと眺めながら、私は煙草を蒸かしていた。



飲み終えた缶の中に吸殻を落とすと、あらためて寒さが感じられた。

血管が収縮しているのだろう。



その後も暫く其処に佇んで、五感で感じる全てを眺めていたが、何故だか私は急に川へ入りたくなった。



あの流れを感じたい。悠久に流れ続けてきた、あの流れの感覚を─









──────────────────









そして私はザブザブと着衣のままで川へ入っていった。

水は冷たかった。雨で冷えた身体から更に熱を搾り取られる様だ。





流れはそれでも穏やかで、優しく私の体を抱いた。

きっと、このまま流れに任せて漂っていけば「死」は安らかなものになるだろう。





そう、もう誰も居ない。

私は自由だ。









私は自由だ─













──────────────────













帰り道、日はとうに暮れていたが、雨空に鴉の黒が映えていた。

そういえば、今日の私のファッションも黒だ。

端から見たらさぞ絵になる人物だったろう。





橋の上を戻っていると、散歩に出て初めて仲間に出逢った。

傘を差さない女性が犬の散歩をしていたのだ。

物好きもいるものだな、と思ったが私の言えた義理ではない。


私は軽く会釈をし、傘を差し出した。





「宜しければ。」



「いえ、大丈夫です。私、雨が好きなものですから。」



「そうですか。私と同じですね。ではワンちゃん共々お風邪を引かないよう、お気を付けて…」



「ええ、ありがとう。貴方も…」





にこりと微笑んだ彼女の顔はオレンジの街灯に映されてほんのり美しかった。





私の恋人は今、仕事の都合で東京に出掛けている。

LINEには東京の電車の中で、小説のような素敵な出会いがあったと書いてあった。

─それは素敵だね。実は私も先刻、ちょっとした出会いがあってね─

少しはにかみながら私はそう返信した。





恐らく、何時か彼女とも何らかの形で別れが来るのだろう。

それは恋人としてでは無く、生きる一人の人間として。

今まで出会ってきた人達の様に。

きっと悲しい事だけど、私はその時、感謝をして優しい顔をしていたい。





それまでは、だから愛そう。

精一杯、心を込めて。



そして生きよう。

優しく、力強く。









そう、雨に願った。









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