恐怖刑
垂直にそそり立つ30メートルの鉄骨。その先端に取り付けられた小さな足場の上にオレは立たされていた。カゴも手すりもない、吹きさらしの状態。もちろん命綱もない。
どうしてこんなことになったのかというと、それには理由がある。
この国ではしばらく前に死刑が廃止になった。「そんな残酷なこと、許されるわけがない」からだそうだ。そりゃそうだろう。「残酷じゃない死刑」があるなら教えてほしい。
で、代わりに導入されたのが恐怖刑だ。「被害者と同じ恐怖を味わわせるべし」「死刑に比べればはるかに人道的」ということで世論が盛り上がり、恐怖刑はすぐに承認された。
ただ、実際にどんな刑が行われているかは明らかにされていない。政府は「受刑者に直接怪我をさせるような行為は一切行われておりません」と説明している。「よくわからないけど、肝試しみたいな刑?」というのが一般人の解釈だ。
一方オレはというと……幼女を何体かバラしたという、ただそれだけの理由で「恐怖刑、1年」の判決を受けた。以前なら死刑確実だったはずだから、これは幸運というべきだろう。
恐怖刑とやらがどんなものかは知らないが、電気椅子や絞首刑に比べたらどうということはない。しかも、たった1年の服役ときた。「無罪みたいなもんじゃないか。死刑反対の連中サマサマだな」と、判決の直後はほくそ笑んだものだ。
が、その考えは甘かった。恐怖刑はオレの想像を超えていた。
クレーンのようなものに乗せられて高さ30メートルの鉄骨の頂上に置き去りにされたとき、あまりの恐怖に凍りついた。「たかが30メートル」と思うだろうが、とんでもない。周囲に何もないというのは、これほどまでに恐ろしいものなのか? 小さな足場は両足を揃えて立つのが精いっぱいで、身動きひとつできない。
しかも真下はコンクリート。ベチャリと潰れた自分の体を想像してオレは立ったまま吐いた。
ガクガクと震える膝。突然ぐらりと傾く地平線。足元を見ると、そのまま地面に吸い込まれそうになる。
風が吹くたびに、ぐぉんぐぉんと響く耳鳴り。心臓がドクドクと暴れ、アドレナリンが全身を駆け巡る。
頭が痛い。視界が回る。ぐるぐる回る。恐怖による吐き気。涙と冷や汗が止まらない。
無限とも思える1時間が過ぎてオレは地上に降ろされた。しかし、それでも震えは止まらない。全身の痙攣は明け方まで続いた。
2日目。今日は雨だ。風も強く、窓がガタガタと音を立てている。あの場所に……あの鉄骨の先端に、1時間も立っていられるわけがない。今度は確実に落ちる。落ちて潰れる。ぺちゃんこになって死ぬ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。絶対に嫌だ!
あまりの恐怖に泣いて許しを願ったが、刑吏はオレを押さえつけ、無表情のまま鉄骨の頂上に置き去りにした。
オレはもう、考えることを止めた。
視界が歪む。キーンという高い音が頭の中で鳴り響く。
なぜオレはこんなところに? わからない。
オレはなにをしたんだっけ? わからない。
もう、どうでもいい。なるように、なれ。
そして何度目かの突風に煽られたとき、ふっと意識が途切れて足元の感覚が無くなった。
気がつくと、オレは柔らかいものの上に倒れていた。
死んだのか? ……いや、違う。生きている。
ならば、いったいなにが起きた?
ハハ、そうか……。鉄骨の根元にエアバッグが仕込まれていたのか。
ちくしょう、驚かせやがって!
どうしてこんなことを? オレを助けるつもりだったのか?
そうか。そうだよ! 死刑は廃止されたんだ。
やつらはオレを殺すことはできない。死刑にはできないんだ。
死刑廃止バンザイ! 死なない。オレは死なないぞ! ハハハ!
だったら怖くない。恐れることなんて、なにもない。
安全が保証されているんだからバンジージャンプみたいなもんだ。
いや、むしろ楽しいんじゃないか、これは? ハハハ!!
「高所刑完了」
「高所刑完了、確認」
「こいつ、小便漏らしながら笑ってやがる」
「人だと思うな。ほうっておけ」
「次は蛇刑か?」
「確認する。いや、次は蟲刑だな」
「となると、蜘蛛かゴキブリか……」
「こいつはゴキブリが先らしい」
「了解。ゴキブリ部屋を準備する」
「明日はあの中に放り込まれるのか」
「しかも、裸でな」
「考えただけでぞっとするよ」
「ああ。でもまあ、死ぬわけじゃない」
「そうとも。死刑じゃない」
ハハ。ハハハ……。オレに課せられた刑は、まだ始まったばかりってことか。
次はゴキブリだらけの部屋だと? 全身を這い回るゴキブリの群れ。やめてくれ! そんなところに閉じ込められて、オレはいつまで「人間」でいられるだろう?
無理だ。5分だってもちそうもない。
ゴキブリの次は蜘蛛? 蛇? その後は何が待っている? こんな刑があと1年も続くのか? ふざけるな。いっそ死んだほうがマシだ。
「頼む。死刑にしてくれ……」
オレは呻きながら懇願したが、刑吏は無表情のまま言った。
「死刑? そんな残酷なこと、許されるわけがないじゃないか」