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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
9/10

勝負!試練の舞

「もしもし、あなた?風香です」

「どうしたんだ」

 電話の相手は、婿養子の良助だ。陸上自衛隊員の彼は、現在特別災害地区の救助隊として現地に出張中だった。

 風香と良助の出会いは、見合いではなく、意外にも恋愛だった。

 二十年前、御供処村が大きな台風に遭ったとき、救助活動に来ていた二十五歳の良助は、風香に一目惚れし、猛アタックの末、婿養子の形で結婚した。現在風香は四十歳、良助は四十五歳になる。

「明日は、試練の舞が行なわれる日よ」

「試練の舞?探題さんが結局承知したのか」

「それが、なんだか妙な流れになっちゃって」

「そうか…」

「それであなた、いつ帰って来れるの?明日の試練の舞には出席できなくとも、八月八日の紫水祭には、継承の儀式が…」

「婿養子の俺でも、しきたりは知っているよ。三家の者が例外なく出席しなければ、儀式は行なえないんだろう」

「ええ。で、どうなの」

「心配するな、遅くとも前の夜までには、そっちに帰る」

「分かったわ」

「でも、今回の任務で、顔に少し怪我をしてね。見苦しい格好になるかも知れない」

「え!怪我したの」

「いや、大したことじゃない。すぐに治る怪我だ」

「そう。とにかく無理だけはしないで」

「分かっているよ」

 風香は、早紀の発作のことや、菜摘の航太郎とのことを話したかったが、遠くの地で、激しい任務に着く良助に、いらぬ心配を掛けたくなかったため、これ以上は言わず電話を切った。

 とりわけ、如水の臨終や、良助の出張のタイミングによって、菜摘と航太郎が交際していることを良助はまだ知らない。



 翌日八月六日、夜明け前、紫水神宮には全国の神宮などから、試練の舞の見極めのため、六名の神主がやってきていた。

 現在日本には、神宮を始め、大社や神社、宮など様々な社方しゃかたの称号が存在するが、江戸時代まで神宮と称するのは、伊勢、鹿島、香取の三宮で、日本書紀にまで遡れば、伊勢神宮と石上神宮の二宮であったという。紫水神宮の歴史は、文献を見ても定かではないが、伊勢、鹿島、香取と並んで、四つ目の神宮であったと目されている。

 紫水神宮建立のいわれは、伝承では、一軍の将が武運長久を祈るため、つつみみそぎをしていると、俄かの落雷によって、堤の水が紫色に変化し、その中から龍が現れ勝利を授けたと伝えられていた。

 そもそも、戦闘の必勝を祈願する性質上、平和の世の裏に追いやられ、隠れ神宮となったとしても何ら不思議ではないが、祈願と併せて神託を賜るため、名のある時の政治家や経済界の大物が、事あるごとに紫水神宮を訪れた。

「おはようございます」

「おはようございます。本日は紫水竜神舞師たる者を決める一大事に、見極め人としてお招きいただき恐縮です」

 招かれた見極め人の一人である神主が、紫水の神主に挨拶した。

「遠いところ、ようこそお出でくださいました」

 見極め人となる神主は、紫水の神主と合わせて計七名。

 見極めは、多数決制で、過半数以上で勝者となる。つまり七名中四名の見極め人の評価が得られれば、航太郎は本郷家当主となり、法司は代行舞師となるのだった。

 くだんの堤は、神宮のすぐ側にあって、ほとりからは木製の道が築かれ、堤の中心まで伸びている。伸びた先、堤の中心には円状の舞台があった。白木の舞台である。

 直径十メートルの円状の舞台は、ドームコンサートの特設ステージを連想させた。

 朝もやが立ち込めるその舞台に、行司のいでたちで人影が現れた。水観孫一である。左手には軍配ではなく、太刀が握られていた。因みにこれは三宝の一つ、神託の太刀ではなく、業物わざもの備前長船びぜんおさふねの一振りであった。無論真剣だ。

「孫一さん、気合入ってるな。儀式用の太刀じゃなく、家宝を持ち出したか」

「当主と代行、その座を賭けた異例の勝負だ。気合も入ろうて」

 見極め人が、口々に言うとおり、孫一だけでなく全体の雰囲気が殺気のようなものを帯びていた。

 東の空がゆっくりと明るさを増し、じきに朝陽が射した。

「刻限です」孫一が宣言した。

「これより、本郷家、五十七代目当主、継承者の是非を問う試技の舞を執り行う。まずは先番、本郷法司殿出でませい!」

 孫一がするすると下がると、入れ替わりに、烏帽子を被った白装束の法司が舞台に現れた。平安の絵巻物からそのまま飛び出したような人影は、雰囲気だけでその場の者を魅了した。そしてこの世のものとは思えない美しさ、あれは本当に人だろうか。

 ぽん 鼓が鳴った。

 ぽん もう一度鳴った。打つ間隔は次第に短くなり、打ち終わると、堤の水に余韻が消えた。

 そして笛の音が旋律を奏でる。

 続いて笙の音が合奏する。

 法司の右手がすいっと空を切り、左脚を前に出す。法司の試練の舞が始まった。

 彼の表現する動きの一つ一つが、観るもの全てを魅了し、試しの題材であってもその意味を明確に理解できるほど明瞭で、目と心で感じることの出来る舞であった。

 そして、法司の動きが鋭さを増し、表現が頂点に差し掛かったとき、観たものの心臓は鼓動を早め、緊張の頂点に誘われた。

 がたり

 見極め人が一人、また一人と腰掛から思わず立ち上がり、すいと半歩前に出た。

 やがて法司の姿は、朝陽がもやに乱反射する中に溶け込み、代わりにその中から飛び出してきたのは、大白鷺に姿を変えたもう一人の法司であった。

 試練の舞の内容は、実は男女の悲恋の物語である。最後は物語の女が、白鷺に姿を変えて天に昇ってゆく様を現していた。

 最後のくだりが静かに終わり、法司の舞は終わりを告げた。

「み、見事だ」

「これは…」

「何ということだ…」

「きゃー、かっこいい」←?

 見極め人全員が、法司の舞の余韻に包まれ、異世界から戻れぬ様子に孫一が、

「後番、藍咲航太郎殿、出でませい!」と言い放ち、一同は『はっ』と我に帰った。

 舞台に立った航太郎の姿は、法司の白い装束とは打って変わり、藍咲家を象徴する深い藍色の装束だった。同じように烏帽子を被り、静かに目を閉じている。

 その頬はややこけている。この数日の鬼気迫る稽古のあとか。ただし、法司の神懸り的な舞を目の当たりにしても、その表情には迷いや憂い、気負いは無かった。

 堤の畔には、心配そうに見守る母和貴子と橘菜摘、厳しい目の探題、目を閉じて両手を合わせ祈り続ける祖母美弥がいた。

 ぽん と鼓が鳴った。

 もう一度鳴る。

 航太郎は静かに目を開け、試練の舞を舞い始めた。

 法司のそれと比べると、やや動きが緩慢か。ただどこか人間臭く、業の深さによる男女の恋の悲しみが強烈に感じられる舞であった。

 航太郎の舞に、見極め人らは、時には涙を流し、また微笑ましい眼差しとなった。

 航太郎が、白鷺に姿を変えたとき、朝陽は完全に昇りきり、藍の装束に映える白い翼を一際輝かせていた。

 航太郎の試練の舞は終わった。その顔には悔など微塵も感じられず、堂々と舞台を去ろうとしたとそのとき。

 ずどーん! 

 堤に轟音が響き渡り、次の瞬間、航太郎が身体を半回転させて堤に落ちた。

「航太郎!」菜摘が叫んだ。三家の全員が舞台に走り寄り、堤に落ちた航太郎を探した。

 法司が、堤に飛び込み航太郎の身体を抱き支える。

「航太郎君、大丈夫か!」返事は無い。

 法司が、航太郎の胸から流れる血を手で押さえた。

「救急車を!」

「もう呼んでる」美由紀は法司に伝え、法司に手を貸して、航太郎の身体を舞台に引き上げた。

「航太郎!航太郎!」

 菜摘や、和貴子、探題は何度も名前を呼び、意識が戻る事を願ったが、銃弾は心臓を貫いており、二度と返事をすることは無かった。

 ただ一人、祖母の美弥だけが、両手を合わせ、涙を流して祈り続けていた。

 


 厳戒態勢とまでは行かなくとも、藍咲家の者を警備するため、試練の舞のときも警官が配備されていた。銃声が聞こえたとき、真っ先に狙撃ポイントと思われる場所へ駆けつけたが、犯人はすでに逃走した後だった。現在相当の捜査員を動員して山狩りを行なっている。

 村の病院の待合室で、航太郎の正式な死の知らせを受けた探題たちは、その場に崩れ落ち、菜摘は半狂乱になった。医師が精神安定剤を射って今は病院のベッドで眠っている。

「一体、誰が何の目的で航太郎を…」探題が力なく呟いた。

「あなた、これはきっと藍咲家に恨みを持つ人間の仕業に違いないわ」和貴子が言うと、

「恨み?」探題は、恨みと聞いて最近帰って来た直弥の顔が脳裏に浮かんだ。

「まさか、わしへの復讐なのか」

 そのとき、探題の携帯が鳴った。非通知だ。

「も、もしもし」

「やあ、探題兄さん」

「直弥か」探題が慌てて聞き返す。

「親父も、美紀も、航太郎も、お前がやったのか」

「これで俺の復讐は半分終わった。あとの半分はもう一人で終わりだ」

「どういうことだ。三十六年前のことか!だったらわし一人殺せばいいだろう。何で航太郎たちまで…」

「じきに藍咲家は滅びる。覚悟しておけ」

 そう言うと電話は切れた。



 八月七日、橘良助は、救助隊の任務から帰宅し風香に出迎えられた。怪我をしたという顔には包帯が巻かれていた。

「想像以上に酷いわね」

「なに、大げさなだけさ、それより早紀の様子はどうだ」

「一度発作を起こしたわ。早く手術をしないと…」

「そうか、心配するな。手術の費用は俺が必ず何とかする」

 そう言って、良助は風香を抱きしめた。

「試練の舞はどうなった」

「それが、大変なことが起きたわ。藍咲の航太郎さんが、銃で撃たれて亡くなったのよ」

「え!航太郎君が?矢一さんに続いて?」

「あなたは出張だったから…。実は美紀さんも殺されたのよ。今警察が必死になって連続殺人犯を捜しているんですって」

「そうだったのか。一体何故藍咲家が…。とにかくこの家にも何かあるかもしれん。用心しよう」

 風香と良助は、藍咲家の事を心配するも、橘家の行き先により大きな不安を抱いていた。そして良助は、まだ菜摘の事を知らないでいた。



 一方、紫水神宮では見極め人七名と孫一による、会合が行なわれていた。

 試練の舞を行なったとはいえ、当主候補の藍咲航太郎が死亡したのでは、必然的に法司が舞師代行となる。そのことを承認するため連判の署名が必要であった。

「では、これにて署名は完了しました。本郷家次期当主は不在、紫水神宮規律法典に則り本郷法司を舞師代行と決します」

 孫一の宣言の後、法司が呼ばれた。

「本郷法司君」

 障子が開けられ、法司が白装束で現れた。

「本郷家舞師代行、引き受けていただけますか」

「謹んでお受けいたします」

「うん。それではこれにて解散します。明日八月八日は紫水祭、舞師代行の授与の儀がありますので、よろしくお願いいたします」

「かしこまりました」

 法司は手を突いて頭を下げると、その場から退場した。



 美由紀は、旅館『はたご』で、近くの酒屋で買ってきた缶入りのカシスソーダを飲んでいた。特に何をしているわけでもない。

 ただ、その瞳は哀しかった。なぜ人の命が奪われなければならないのか、人間には利権を欲する業がある。ねたみやそねみの負の感情がある。しかし殺人だけはいけない。美由紀はそう思いながら空を見つめている。

「全ては明日、結審する」

 美由紀は二杯目のカシスソーダを開けた。


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