客間の審理
藍咲美紀の死因は、細いワイヤーなどで頸部を圧迫したことによる窒息死、つまりは首を絞められて殺害されたと推察された。
藍咲家では矢一の葬儀の夜、同時に美紀の通夜がしめやかに行なわれ、その場には、知らせを受けて駆けつけた、美由紀、法司、水観孫一もいた。
「とんでもないことになりました。一体誰がこんな事を…」孫一は言った。
「今警察が、手がかりがないか、あたりを捜索中らしいですが」と美由紀が返事をする。
「これは本当に、何かの祟りじゃないでしょうか」
「矢一さんは頚骨を折られ、美紀さんは絞殺です。明らかに人為的殺人です。祟りじゃないことだけは確かです」
「二人を殺したのは、同一人物でしょうか」
「判りません。でも狂人でもない限り、犯行には必ず動機があります。その動機こそが犯人にたどり着く手がかりになると思います」
美由紀は、今回の二つの殺人が、本郷家当主の継承問題とは、直接関係の無い人間が殺害されたことで、全く別の理由が隠されていると考えていた。
通夜が終わっても、警察は帰る気配を見せていない。連続殺人事件となったからには、藍咲家を警備することにしたのである。交代で二十四時間、十五名の警官を配置し、建物に十名、見回りに五名を振り分けた。
美由紀たち三人は、いったん村の旅館に戻って、今後について話し合っていた。
「法司君、殺人事件があったとはいえ、承継問題の渦中の人は健在だ。今のところ殺人事件の影響は無いと考えていいでしょうか」
「孫一さん。これで殺人が終わりなら、そう思います」
「犯人は逮捕されていませんし、動機が不明です。動機次第ではまた誰か殺害されるかも知れません」
「ところで、先日の本郷家当主に継承者に例外があるかどうかの件、調査はどうなってますか」
孫一は、最初の話し合いの際、本郷家の長い歴史の中で、三家以外の者が当主になった者がいなかったかを調べることで、承継問題を進展させるつもりだった。
これには法司が答える。
「今、紫水神宮の神主が、古い系図から、文献までを紐解いて調査中です。数日中には終わるとのことです」
「そうですか。では今日は七月二十九日ですから、三日後の八月一日に、再び本郷家に集まって、三家で会合するというのはいかがでしょう」
「異存ありません」法司が応えた。
「うん。柊さん、とにかくあと十日で紫水祭となり、継承の儀式を行なうこととなります。あなたの裁量に期待いたしますぞ」
孫一は、美由紀に承継問題を決着させるよう一縷望んだ。
その二日後の夜、藍咲家に異変が起きた。警備に着いていた警官が、全てその場に昏倒したのだった。あたりには催眠ガスが充満して、見回り役の警察官は、当身を受けて気を失っていた。
家の玄関から堂々と入る人影が一つ。影はそのまま躊躇無く、航太郎の部屋に入ると、ベッドで眠る航太郎に向かって近づいて行き、肉厚で刃渡り三十センチはあるナイフを抜いた。
布団をゆっくりと剥がし、航太郎の口を手袋をした手で、ぱしっと押さえてナイフを振り上げた。狙いは心臓だ。
と、次の瞬間。
「誰だ!」
部屋の入り口に探題が立っていた。トイレに行こうとして目を覚まし、部屋の前を通りかかったのだった。
振り向いた賊は、目出し帽の穴から探題を見て、一瞬躊躇したが、ナイフを再び航太郎に突き立てようとした。
「止めんか!」探題は勇敢にも賊に飛び掛り、ナイフを持つ腕を掴んで揉み合った。
航太郎も賊の足を掴んで応戦する。
激しく動き回った拍子に、ナイフは探題の腕を切りつけ、航太郎は顔を蹴飛ばされて賊は自由になった。その瞬間、賊は窓を体当たりで破って逃走したのだった。
「け、けい、警察は何をしてるんだ」探題は息も切れ切れで声を振り絞った。
「父さん!大丈夫か」
航太郎が、探題に駆け寄って、腕の傷を心配した。
「大丈夫だ。それよりお前のほうは」
「口の中を少し切ったけど、大したこと無い」
「すぐに駐在に電話だ」
「分かった」
一時間後、藍咲家には、またしても警官が押し寄せ、事情聴取となった。
「探題さん、賊は催眠ガスを使って警官を眠らせ、見回りのものは当身を受けていました。これはプロの犯行です」
「プロだと?殺し屋ってことか」
「少なくとも、訓練を受けたものの仕業でしょう。手口が鮮やか過ぎます」
捜査本部の警部が、探題に説明した。
「探題さん、今回は航太郎さんが狙われました。どうです。ここは村の捜査本部に、ご家族全員いらしていただき、警備させていただくわけにはいきませんか」
「そうしたいのはやまやまだが、八月八日までは、航太郎が舞いの稽古をせねばならん。それに明日は大事な用があるんだわ。今はここを動くわけにはいかん」
「仕方ありませんね。では今晩は警備を強化しますので、お休みください」
「恩に着る」
こうして、その夜は藍咲家の警備はいっそう物々しくなり、夜が更けていった。
翌八月一日、予定通り紫水神宮には、再び三家の代表が集い、承継問題について会合が行なわれた。
参加者は、本郷家、本郷法司、友人柊美由紀。藍咲家、藍咲探題、妻和貴子。橘家、橘風香、長女菜摘。水観家、水観孫一、親戚水観孫次郎の八名。
「では、まず法司君。調査の結果から教えてください」孫一が促した。
「はい。結論か言うと、千年遡って系図と文献を調べましたが、代々の本郷家当主は三家以外の者がその座に着いたことはありませんでした。当主捻出のため養子縁組をしたという記録もありません」
「ほーらな。これで決まりだな」探題が勝ち誇る。
「まま、探題さん。まだ気が早い」と孫一。
「ただし…」
法司がその後に付け加えた。
「三百年ほど前、本郷家、藍咲家、橘家のいずれにも男子がいなかったことがありました。そして、紫水神宮規律法典の中に、そのときに立習された一項がありました。『三家のいずれにも後継者無くば、これが出現するまで、舞師代行の儀をもって継承すること』つまり、三家以外には、当主ではありませんが、代行と称する舞師がいたことになります」
「ほう。そんな事が」孫一が感心した。
「しかし、今は藍咲には航太郎がおる。代行なんて今は無縁だろうが」
探題が食って掛かった。
「代行なんかより、明確な藍咲の嫡男がいる限り、時期本郷家当主はうちの航太郎でき・ま・り」
橘家の旗色は悪かった。風香は歯軋りをして、押し黙っている。
しばらく、八人全員が黙考している中、橘菜摘が口を開いた。
「柊さん、柊さんはどうお考えでしょうか」
菜摘は、美由紀が自分に言った、『全員が不幸にならない道』を示してくれることに望みを託し、勇気を持って発言したのだった。
「柊さん。どうぞこちらへ…」
孫一は、自分の座を空け、美由紀に譲った。
美由紀から向かって右側に橘家、左側に藍咲家、正面に法司が座り、まさに法廷と同じ構図になった。
「法司。事前に確認したいことがあります」
「なんだろうか」
「先ほどの舞師代行の件、立習された一項には、但し書きがあるのではないですか」
「ご慧眼」
「…、もったいぶらずに!」美由紀はあきれた。
「けだし、三家の嫡男あるときも、舞の技能著しく差異があれば、代行となる者と併せて試技にてこれを決す、代行となるものは、紫水神宮の有籍者とする、とある」
「なんだって?」探題が歯軋りした。
「どういうことなの、あなた!」和貴子も驚く。
「つまり、藍咲家に航太郎さんがいても、舞の技術において、紫水神宮に籍を置く者に、航太郎さんを上回る舞師がいた場合、すぐには航太郎さんを当主とはせず、試練の舞にて当主または、舞師代行を決めるということです」
「そんな、ばかな…」藍咲夫婦は落胆した。
「柊さん、どうしてこの一項に但し書きがあることが…」孫一が感心の念を込めて訊いた。
「私はこれでも、現役の裁判官です。他に理由が?」
美由紀は、えっへんといって、改めて皆を向き直った。
「私は、皆さんの意見を、最大限尊重しなくてはと考えています」
美由紀が静かに言うと、一同がゆっくりと頷いた。
「皆さんの思惑は良く分かりました。ですが、この場にいるべき人がいないまま、結論を出しても、いずれどこかに歪みが生じます」
「それは誰です」孫一が訊いた。
「今日、私がお願いして、来て頂いています。航太郎さん」
客間の襖がすーと開き、藍咲航太郎が、正座したまま頭を下げ、無言で挨拶した。
「航太郎…」和貴子が無意識に名前を呼んだ。
「これで全員が揃いました。それでは職務ではありませんが、私の経験上の判例を踏まえ、この場での審理を開始します」
「まず、藍咲航太郎さんにお聞きします。あなたは現在彫刻師として、藍咲家を出て、自分の可能性を試してみたいと望んでいますね」
「…。はい」
「藍咲探題さん、あなたはご自身で多額の負債を抱えています。返済する手段に困って、そのため、航太郎君を本郷家当主にすることは、考えとしては合理的です」
「ど、どうも」
「橘風香さん、あなたは先代、橘如水さんの頃より生じた藍咲家との確執から、今回の航太郎さんの本郷家当主襲名に執拗に反対されていますが、本郷法司が当主となったあと、菜摘さんを嫁がせることを考えておられます。もしかしてその目的となる、金銭的な不都合を何か抱えているのではありませんか?」
「……」
橘風香は、美由紀の厳かな雰囲気に誘われ、全てを話してしまいそうになったが、ぐっと唇を噛締め堪えた。
しかし、その目には涙が光り「今は…。申し上げられません」と告げた。
「分かりました。…菜摘さん」
「は、はい」
「あなたは、航太郎さんとお付き合いされ、彼の夢を支えるため、航太郎さんが藍咲の家を出た後、彼について行くと、心に決めていますね?」
「はい」菜摘は、これまででもっとも意思表示の強い返事をした。
「それは、航太郎さんと婚姻する覚悟と言い換えてもいいでしょうか」
「はい」
「航太郎さんはどうでしょう」
「僕も、そのつもりです」
「本郷法司、あなたは当主の座には興味がないと言っていましたが」
「いや、当主になろうと思っている。でなければ代行でも構わない」
「ええ?ここに来て心変わりって、どういうこと?」
「…まあ、いいでしょう。分かりました…」美由紀は、そっと目を一度伏せ、次に全員を見て毅然と言い放った。
「それでは、提案です。航太郎さん、あなたは本郷家の当主の座を賭け、本郷法司と雌雄を決するべく、試練の舞に挑みます!」
「え!何ですって?」航太郎があまりのことに驚いた。
「そして風香さん、探題さん、あなたがたは、これまでの両家の確執を水に流し、二人の仲を認めるのです」
「そ、それは!」
「航太郎さん、見事試練の舞にて本郷法司に打ち勝ち、本郷家の当主となったときは、菜摘さんを妻として迎えてあげてください」
「しかし、それでは!」
「解っています。航太郎さん、あなたに苦しい選択を迫ります。今、彫刻家の夢と橘菜摘さん、どちらを選びますか」
「……」航太郎は逡巡した。
「あなたがこのまま身勝手に家を出れば、ご家族が路頭に迷ってしまいます。しかし、あなたが本郷家当主となることが出来れば、夢をあきらめても、みんなの祝福を受けて菜摘さんと一緒になることができます。さあ!」
航太郎は、暫く考えを巡らした。
菜摘が航太郎を祈るような眼差しで見ている。
金にだらしないが、大事に育ててくれた父と母、父は賊に襲われたとき、自分の危険も省みず助けてくれた。祖父と妹が何者かに殺害され、このままでは、いずれ家族は離散してしまう。
……祖父の最後の作品が頭をよぎった。
「航太郎君。私は君の舞など、敵だとは思っていない。負けるのが怖いなら、この場で辞退したまえ」
迷える若者に対し、非情な一言を発したのは、本郷法司であった。
そのとき、かっ!と目を開いた航太郎の顔から幼さが消え、一人前の男の貌になった。
「試練の舞に、挑みます。見事、法司さんに勝って当主となり、菜摘を迎えます」
航太郎の決心の言葉だった。自分の夢を捨て、愛を取ったのか、航太郎よ。
水観孫一は、三家の後見として、姿勢を正し、高らかに宣言した。
「では、古式に則り、試練の舞を執り行う。期日は八月六日、日の出とする」
客間を去り際、航太郎は、法司に向かって言った。
「法司さん、僕は別にあなたに挑発されたから、勝負をするんじゃありません。祖父が最後に彫った大鷲は、実は僕に向けての免罪符だったからです。祖父は僕に家を離れて、広い世界に羽ばたいて行けと告げていました。昨日、大鷲の羽の裏に祖父が彫った文字を見つけて知ったんです」
「であれば、余計に何故」
「大鷲は空を自由に飛びます。自分の夢に拘るのも自由なら、誰かのために人生を賭けるのも自由。僕はそう思いました」
「……手強いな。手加減はしなくて済みそうだ」