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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
6/10

二人目の犠牲者

 その夜、御供処村の外れの公園で、抱き合う二つの影があった。航太郎と菜摘だった。

 二人は禁じられた逢瀬の流れに逆行するように、何度も口づけを交わし、菜摘は航太郎の胸に顔を埋めた。

「お互いのおじいちゃんが亡くなったって言うのに、こんなこといいのかな」

「いいさ、死んだ理由はどうあれ、二人とも大往生の歳だったじゃないか。そうは思わない?」

「不謹慎だよね…。でも逢いたかった」

「僕もだよ。菜摘」

 航太郎は、菜摘を精一杯抱きしめた。

「僕は、この村を出たい。そして自分の可能性を確かめたい。菜摘はついてきてくれるかな?」

「……。連れて行って、ううん、きっとついて行く」

「ロミオとジュリエットにはならないよね」

「なるものか。きっと上手く行く」

二人の思いは、ジェットコースターのように急激に速度を上げていった。



 翌日、県警から応援が到着した駐在所では、捜査本部が設置され、慌ただしい様子を見せた。ただし、村全体はそんなことより、藍咲家と橘家、両家への葬儀に出席するための準備に追われていた。この村の村民は神事に纏わる冠婚葬祭とあれば、参加しない者はいないほどの信仰ぶりだ。

 村中が喪服姿一色となった様子を、県警の捜査員も仰天の体で眺めていた。

 美由紀は、法司と再び合流し、旅館の部屋にいた。

「法司。私は今から、橘家の葬儀に行ってくる」

「何か気になることがあるのか」

「ええ、ちょっと。大したことじゃない」

「分かった。パトカーに乗せてもらえるよう手配しよう」

「助かる。喪服は村の貸衣装で借りたから」

「じゃあ」

 パトカーに乗って、橘家に到着した美由紀は、葬儀に参列し、お棺のお見送りまで終わると、菜摘を捕まえた。

「菜摘さん」

「あ、確か裁判官の…」

「どうも、柊です。ちょっといいかな」

「はい。何でしょう」

「大変なときにごめんなさい。あなたのお母さんの風香さんは、本郷法司を次期当主にと思っていますが、その後あなたを本郷家に嫁がせると思っているようです。でもあなたには航太郎さんとのことがある。そうですね?」

「…。はい」

「失礼な質問で申し訳ないついでなんだけど、あなたの意思を確認したくって」

「私の意思ですか…。母にはやっぱりまだ反対されたままですけど、私は航太郎さんについて行きたいんです」菜摘は切ないほどの瞳で、美由紀に訴えた。

「よく分かりました。ただし菜摘さん。一つ大きな障害があることを胸に留めておかなければ、悲しい結果になりかねません」

「何ですか」菜摘の顔に不安が浮かんだ。

「藍咲矢一さんが亡くなったことの影響です。藍咲家は矢一さんの彫刻が、国内外の評価を受けていたことで、家の収入源となっていました。矢一さん亡き後、航太郎さんが跡を継いで彫刻家になるか、本郷家の当主となって、三宝の財宝を使って支援をするか、でないと、藍咲家は路頭に迷うことになります。私が調べたところ、航太郎さんの作品は、一定の評価は受けていますが、金銭的価値として矢一さんの作品には遠く及びません。しかし航太郎さんは、自分の作風を曲げてまで、矢一さんの作風を踏襲することは、プライドが許さないでしょう」

「!」

 菜摘は、もっともな事を美由紀に指摘され、しばらく考えたが、答えは見つからなかった。

「航太郎君は、この村を出たいといっていますが、他に何かあなたに言っていますか?」

「おじいさんが亡くなったから、もう喧嘩しなくても、自分の作品を作れるんじゃないって訊いたら、あの家にいる限り、商売の道具にされるから結局同じだって。お父さんの探題さんに、売れる作品を作れって要求されるに決まっている、そうするとおじいちゃんの作風を継がなければいけない、だからおじいちゃんの名声の届かない世界に出て勝負したいって言ってました」

「当然、航太郎君は本郷家の当主になるつもりは無いってことね」

「はい」

 美由紀は、二人のけなげな恋に同情するも、刑事、民事の裁判や調停を通じて、人のごうさががどんなものかを知った上では、ひとの行く末は、必ずしも思い通りの結末とならないことのほうが多いとも思った。

「ありがとう」美由紀は菜摘に礼を言った。

「あの…。」

「何?」

「本郷の家って、どうなっちゃうんですか」

「さあねー。なるようにしかならないから」

「みんなが幸せになる方法って無いんでしょうか」菜摘が熱い思いを、美由紀にぶつけてきた。どうやら良い娘のようだ。人柄が窺い知れる。

 美由紀は、十九歳の身空の少女以上、大人未満の女性に告げるのも酷と躊躇ためらったが、真摯な問いかけには応えなくてはならない義務も感じ、少し間を空けて伝えた。

「菜摘さん。裁判官はね。いろいろな意見の争いや、避けては通れない、やんごとなき理由で、仕方なく裁判を起こす人に対して、善悪を判断するの。結論から言えば、全員が幸せになる方法はこの世には無い」

 山から吹く風が、美由紀の髪をふわりと撫でた。

「法廷では、訴える方にも、訴えられる方にも、さまざまな法律やルールが渦を巻いて襲い掛かるわ」

 髪を軽く手で押さえ、美由紀は続けた。

「そのとき、最も重要になるのが、人の心なの。意見を主張する人が、自分の利益を優先させず、周りと協調することを考えたとき、争いは無くなる。裁判はね、最終的には相手の事を大事に考えられるように、導くだけ。判決はその向こう側にあると信じています。全員が幸せになることは出来なくても、全員が不幸にならない道はきっとあるでしょう。『法律は道徳の上に成り立つものなり』 私の亡くなった叔父が言った言葉です」

 菜摘は、目の前の女性が醸し出す美しさの中に、究極の正義の光が見えたような気がして、とめどなく涙が溢れた。

「おねえちゃん」

 菜摘を現世うつしよに連れ戻したのは、妹早紀の呼ぶ声だった。

「どうしたの?お母さんが呼んでるよ」

「分かった。柊さん、どうもありがとう」涙をぐいっと袖で拭った菜摘は、屋敷の方に駆け出していった。

「何かあったんですか?」早紀は、美由紀と菜摘のやり取りを知る由も無く、初対面の美由紀をいぶかしげに見た。

「突然ごめんね。私、柊美由紀です。裁判官をやってます」

「ええ!裁判官ですかー。かっこいい」

「橘早紀、十六歳です。高校生やってます。夏休み帰省中です」夏服のセーラーで挨拶した。 

 早紀にとって、初めて遭う裁判官、しかも絶世の美貌の持ち主ときたら、テンションがあがらない訳がない。

「あのー、あれでしょう『判決を言い渡す』ってやつ」

「ふふふ。まあ。そうねー」美由紀は、無垢な少女の反応を見て、ほっこりした。

「私もなってみないな…、裁判官。あ、でも公務員かあ。お父さんが公務員にはなるなよって言ってたな」

「お父さんも法律関係のお仕事?」

「違います。自衛隊です!いっつも家にいないけどね。きょうもお葬式なのに、任務でいない。お母さんかわいそう」

「そう、早く帰ってくるといいわね」

「はい!」

 美由紀は、明るく元気な性格に触れ、少し気分が晴れた。

 空を見上げたら、青がどこまでも広がり、入道雲が白く映えている。今日も真夏日で暑くなることを太陽が告げていた。



 藍咲家の葬儀は、滞りなく進み、訪れる村人もまばらになっていた。

 航太郎は、矢一との共同作業場に立って、矢一の最後の作品である、大鷲を見つめた。大鷲は木工製で、大きさは翼を広げた端から端で五メートルもある大作だ。まだ世間には未発表で、買い手は付いていない。ただ過去の傾向から金銭的価値は、三千万円になると思われた。

 航太郎は、大鷲に更に近づいた。その右手には斧が握られていた。

台座に駆け上がり、大鷲の首に渾身の一撃が振り下ろされようとしたとき。

「航太郎!何をやっている」探題が叫んだ。

「と、父さん」

「航太郎、お前今この作品を壊そうとしたのか。なぜそんな馬鹿な事をする」

「おじいちゃんは死んだんだ。だったらこの作品も世に出すべきじゃない」

「何わけの分からんことを。遺作だから高値で売れるんだ。本来数千万のところ一億にも二億にもなるかも知れんものを、お前は…」

 探題は、航太郎に走りよって、斧を奪い取った。

「いいか。二度とこの作業場には入るな!金にならん彫刻は彫ってもしようがない。お前は本郷家の当主になることだけを考えていればいいんだ」

 うな垂れたように、作業場を出て行く航太郎と入れ替わりに、和貴子が入ってきた。

「あなた。航太郎と何かありましたの?」

「何でも無い」

「そう、ところで美紀を見ませんでした?」

「知らん。どっかそのあたりにいるだろう」

「いないのよ、変ね。朝はいたのに」

 そのとき、使用人芝田の声が作業場に響いた。

「探題様あ、奥様あ。大変です。美紀様が!美紀お嬢様がー」

 家中の者が全て駆け出し、美紀の部屋に到着すると、芝田が恐る恐る開けた押入れの中から、首を何かで絞められて死んでいる美紀の死体が発見された。

「美紀!美紀!」探題が抱き起こして呼びかけたが、すでに遺体は冷たくなっており、死亡は明らかだった。

 和貴子はその場に卒倒し、航太郎は呆然としていた。

「ま、松崎さん、警察を!」芝田が辛うじて声に出した。

「わ、わ、分かりました」

 藍咲家は、来ていた村人も含めて騒然となり、事態が警察待ちになっても帰宅せず、葬式そっちのけで大広間に集まって、今回の事を話していた。やっていることは単なる野次馬に過ぎないが、何といってもここは藍咲家である。心配する声も聞かれたが、中には「本郷家の跡目争いにケチをつけたため祟られたんじゃないか」などと言って煽るものもいた。

 それから暫くして、警察がどおと押し寄せてきた。県警の応援で捜査本部が立ち、昨日の今日でまた殺人事件があったのだから、この反応は仕方が無い。捜査員は、駐在の巡査、鑑識を含め五十名となり、いかに広い屋敷と言えど、一気に手狭になった。

「まずは今いる村の人たちの身元を聞いて、帰宅させろ、あとはいい」

 陣頭指揮を執っている警部が、きびきびと指示を出し、速やかに手狭さを解消した。

 鑑識は部屋の細部に亘って、指紋などを採取し持ち帰った。遺体は検死解剖に回される。

「一日で、一人ずつか…。あと三日で何人死ぬ」

 警部は、横にいる白髪の老人、水観孫次郎に向かって呟き、タバコの煙を一気に吐き出した。

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