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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
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二つの弔事

 一方、村の東の山を越えた橘家では、如水が臨終のときを迎えていた。ツクツクボウシの鳴き声が遠くで聞こえる中、如水の寝室は障子が開け放たれ、鴨居かもいから御簾みすが下がっており、大きな蚊帳かやの内側で、現橘家当主で長女の風香と、婿養子の良助りょうすけ、その娘菜摘、妹の早紀さきが看取ろうとしていた。

 蚊帳の外では、手を尽くしても延命が不可能であった、村院の主治医が沈痛な面持ちでその様子を見ていた。

「お父様…」「おじいさま…」家族は揃って意識のない如水に声を掛け、神様に延命を祈っていた。とくに末孫の早紀は、おじいちゃん子で、如水が本郷家の当主となった後でも神宮によく遊びに訪れ、遊んでもらった記憶が新しい。

 家族のすすり泣く声の中、無常にも如水は息絶えた。

 主治医が、蚊帳の中に入って如水の脈を採り、瞼を開いて瞳孔を確認した。

「残念です。十四時十分、ご臨終です」

 その言葉を聞いた風香らは、いっそう泣き崩れ、畳に直に敷かれた布団に覆いかぶさるように突っ伏した。

「風香。大丈夫か?」

 婿養子の良助が、風香の肩を優しく抱き、妻の哀しみをおもんばかって心配した。

「お義父さんは、この家の当主であり、一流の宮大工、そして本郷家の当主を立派にまっとうなさった。そして俺たち家族に看取られて、その六十五歳の生涯を終えることができた。きっと幸せだったと思うよ」

「風香、元気を出しておくれ。俺はこれから、自衛隊の任務でまた行かなくてはならない。側にいなくちゃいけないのは分かっているけど、当主のお前がしっかりして、お葬式の喪主を務めてくれ」

「ううう…。わ、分かったわ。でもこんなときくらい、お仕事お休みできないの?」

「中部地区で起こった地震の被害は、お前も知っているだろう?救助活動は難攻している。今は猫の手も借りたいくらいの状況なんだ。分かってくれ」

「そ、そうね。生きている人を助けるのはあなたのお仕事ですものね。でも出来るだけ早く帰ってきて」

「分かったよ。菜摘、早紀、お母さんを助けてやってくれ」

「はい、行ってらっしゃい」

 如水の臨終は、すぐに本郷家に知らされ、神主が応対した。その旨は法司、水観孫一、藍咲家にも連絡されることとなった。


 旅館で、神主から橘如水臨終の訃報を聞いた法司は、「そうか」とだけ言って電話を切った。

 如水は本郷家の当主となったが、法司を養子と承認するも、自分の子供のようには接しなかったため、法司が東京の学校に行ってからは、疎遠感が強くなって、戸籍上は親子でも近親者としての情は薄かった。

 ただ、神主に如水がよく話していた。法司は竜神の化身ではないか。あの子の舞う舞の技量は人間のそれではない。人がもの事を修めるとき、必ずどこかに限界を生じる。しかしあの身体と脚の運び、腕の流れ、指先に至るまで、細部までの微妙な表現は進化し続け、本家の舞を凌駕している。しかもそれは少年であって、まさに神童と言うしかないと。

 神主は、それゆえ如水は、自分の舞と比較されることを恐れ、法司を遠ざけたのではないか。いや、恐れたのは、法司のこの世のものとは思えない絶世の美しさかもしれないと語った。

「柊。済まない。私はこれから藍咲家、橘家の通夜に出席する準備のため、やしろに戻る。駐在にはその旨伝えておくから、矢一さんの捜査の件をよろしく頼む」

「分かった。わたしは部外者だし、喪服を持ってきてないから、この旅館で動きます。お互い何か分かったら連絡しましょう」

「では」法司は旅館を後にして、紫水神宮へ向かった。

美由紀は、法司を見送ったあと、部屋に戻って頭の中を整理した。

 矢一氏が死んで、利益を得るのは、まず次期当主の探題氏。しかし藍咲家は跡継ぎ争いが無いので、待っていれば自動的に探題氏が当主となるから、動機としては弱い。そもそも矢一氏の彫る作品は、探題氏にとって金の生る商品であって、殺してしまっては逆に不利益になる。

 孫の航太郎は、矢一の弟子として作風上の確執があったが、夕べにおいては、衝動的な殺人に及ぶような口論は無かったから、これも動機としては弱い。

 あとは美弥と和貴子、それに美紀だが、そもそも、矢一氏の殺され方が、頚骨を捻って折られていることから、女性による犯行は無理だろう。

 使用人二人は、村の村民で身元もはっきりしている。夕べはそれぞれの自宅へ帰って、アリバイが証明されている。

 だとすると、主人の死について何も語ろうとしない、美弥が誰かと共謀して行なった犯行か。

 はたして美弥に共謀する理由があるか。いや、現時点では考えにくい。

 残るは、自殺説、外部犯行説だが、自分の首を捻って自殺した話など聞いたことも無い。

 そうすると、外部の者で矢一氏が死んで得をするのは…。橘家の者?跡目争いを主張しているのは探題夫婦がメインであって、殺されるとしたら探題氏や候補者となっている航太郎である方が、効果的で理に適っている。

「うーん。航太郎と菜摘の交際の件も、動機としては結びつかないしなー」

 美由紀は、最後に行方不明だった直弥のことを考えた。突如として現れた人物こそ怪しい。直接話を聞いてみるかと思い立ち、村の駐在所に行ってみることにした。

 藍咲家の現場でも顔見知りになった、駐在主任に声を掛け、直弥の主治医である三枝精神科医の連絡先を聞いて、電話をかけた。

「はい。○○病院です」

「あの、精神科の三枝先生をお願いしたいのですが」

「さえぐさ、でございますか?失礼ですが、そのような精神科の医師は当院には居りませんが…」受付に出た女性はそう答えた。

「え?でもここに、そちらの病院と三枝先生の名前が書いてある、名刺があるのですが」

「そうおっしゃられても、本当に居ないのです。どこかお間違えではないですか」

「……。そうですか、分かりました。失礼します」

 電話を切った美由紀は、次の瞬間、正義を司る女神テミスが憑依したように、裁判官、いや、司法を執行する者の顔になった。

「藍咲直弥…。何者だ」



 美由紀は、パトカーに乗せてもらい、藍咲家を再び訪れていた。

 葬儀屋が呼ばれ、通夜の準備が進められていたが、橘家でも通夜があるとのことで、村では複数かつ、大掛かりの葬儀の準備は異例のことだった。

 ゆえに葬儀屋だけでは手が足りず、村人が手伝いとしてやってきていた。

「まったく、なんて日だ!」

「店長、何をぼやいてるんですかい?」

「橘さんとこで如水さんが亡くなって、あっちもこっちも大忙しなんだが、実は如水さんの通夜は本郷家でやる話もあってな。現当主だったから、当たり前といえば当たり前なんだが、橘家の当主風香さんが、どうしても自分のところでやるって押し切ったもんだから、こっちは本郷家の通夜の準備をしてたもんを、ぜーんぶキャンセルされたのよ」

「へえ、でも葬式の勘定は合ってるじゃないか」

「バカ言え。本郷家と橘家じゃ葬式の規模が違うんだ。利益率がな。大損だ」

 葬儀屋と村民のそんな会話を聞きながら、美由紀は家に入って、使用人の芝田を捕まえた。

「これは、昼間の…」

「お忙しいとこ済みません。柊です」

「どうも。して、ご用件は…」

「はい。つかぬ事をお尋ねします。芝田さんは、ここにお勤めされて長いのでしょうか」

「ええ、そうですね。父の代からですから、都合五十年ほどになります」

「そんなに…。芝田さんご本人はどのくらいでしょうか」

「二十年になります」

「そうですか。ところで探題さんの弟さんの直弥さんですが、行方不明になったときの状況をご存知でしょうか」

「私がここに来たときには、すでに失踪されてから時間が経っておりました。しかし私の父がその頃の事をよく覚えておりました。なにせ探題様と直弥さんが子供の頃、お目付け役としての仕事をやっていたのが父でございました」

「なるほど、それで?」

「直弥さんたちが、この家の裏手にある花園に遊びに行ったとき、父も一緒について行ったらしいのですが、父が少し目を離した隙に、直弥さんはいなくなっていました」

「捜索は当然行なわれてたのでしょう?」

「ええ。実は花園の向こうは深い崖となっておりまして、普段は簡素ですが転落防止のロープが張ってあります。遊びに夢中になるあまり、どうやらそこから誤って崖下に落ちたのではないかと思われました。村人や駐在の巡査などが総動員で、崖下まで降りて捜索しましたが、崖の下には急流の川がありますから、運よく助かっていたとしても、川に流されたとしたら、当時の捜索力では探すのは難しかったんだと思います。何とか船を出して探したそうですが見つからず、結局捜索は一週間ほどで打ち切られたそうです」

「そうでしたか。直弥さんはどんな子供だったか聞いていますか?」

「そうですね。詳しくは知りませんが、舞の才能に優れていたと聞いています」

「舞って、もしかして、あの本郷家の?」

「左様でございます。ご存知かと思いますが、本郷家に跡取の男子無ければ、藍咲家または橘家からこれを出すしきたりがございまして、それゆえ、藍咲家と橘家に生まれた男子は、万が一の本郷家の跡取になる可能性を考慮し、幼いときから試練の舞の修練に入るのです」

「試練の舞のことは聞いています」

「はい。探題様も直弥さんも、他聞に漏れず、矢一様より試練の舞の手ほどきを受けておったそうです。私の父が言うには、直弥さんの舞を見た、そのときの矢一様の様子は、嫉妬とも、野望とも言える視線を直弥さんに向けていたように感じられたとのことです。おそらく矢一様は、直弥さんこそを、本郷家の次の当主に据えたかったんだと思います。その当事本郷家には嫡男がいませんでしたから」

「そのときの対抗馬が、橘如水さんですね」

「ええ」

「最後にもう一つ。直弥さんの子供のころの写真がありますか?」

「確か…。古いアルバムの中に数枚あったと思います。お待ちください」

 程無くして、アルバムを手に芝田が戻ってきた。

「探題様が、捜査のためなら持っていけと仰せになりました。直弥さんの写真はこちらです」

 芝田はアルバムを開いて、美由紀に見せた。そこには探題ともう一人、この屋敷の庭で撮ったであろう写真があった。顔立ちの整った子供が直弥らしい。

「剥がして裏を見ると、日付が書いてございます」

 美由紀は、写真の裏を見て、「当事彼は九歳か」と呟いた。

「一枚お借りします」

「どうぞ」

「あら?ここの空白の部分の写真がありませんね」

 美由紀はアルバムの隣のページにある隙間を見て訊いた。

「ああ、実はさっき水観さんのところのご親戚の方がいらして、同じように借りて行かれたそうですよ」

「孫次郎さんが?」

「ええ。でもその方を応対したのは、もう一人の使用人の松崎でしたが」

「…。ありがとうございます」

 美由紀は写真を内ポケットに仕舞って、駐在に声を掛け、再びパトカーに乗って村へ戻った。

 後部座席で、美由紀はもう一度写真を見返し独り言を言った。

「水観家の動きも気になるけど…。でもそれ以上に何か悪い予感がする…。急がなければ」

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