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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
3/10

藍咲直弥 帰る

 美由紀は、藍咲家と橘家との話し合いの後、目的の一つでもあった温泉に行くため、法司に道案内を受けていた。

ろくの村から山に入り、法司の駆るフェラーリで紫水神宮に来たが、神宮を更に越えると、麓の村とは反対側のふもとに人口千二百人ほどの村があるという。村の名を御供処ごくしょ村といい、村民は古くから紫水神宮を崇めており、何かにつけて神事などの雑事を手伝うなど世話をした。また、神宮をないがしろにすればたたりがあると思っている者もいるらしい。

基本的に自給自足の生活で、経済は専ら村の中の範囲で活動しており、外との交流を実質的に断っている状態と聞いた。

 法司は、古い地図を広げて美由紀に説明し、御供処村への道を教えた。

「あら?この村の両端にあるしるしは何?」

 村を示す図の両端に二つの三角マークが記してあった。

「この東にあるのが、橘の所有地で、もう一つ西にあるのが藍咲の所有地だ。ただし両家とも行くには、村からしか行けず、途中山を一つ越えなければならない」

「こんなところに住んでるの?不便すぎる…。まさか温泉もどっちかの所有地にあるなんて言わないでよね」

「いや、温泉は村にあって、心配ない」

「よかった、じゃあ行ってくる」

美由紀は、着替えの入ったボストンバッグだけ持つと、神宮を出た。夏の陽射しが容赦なく照りつけ、もってきた麦わら帽子が役に立った。村までは山道を下りで2キロメートル程だという。歩くのは億劫とも思ったが、法司のフェラーリで送ってもらうより歩きを選んだ。

 五百メートル歩いたところで、後ろから車のクラクションが鳴った。

「柊さん。送りましょう」声を掛けてきたのは孫一だった。助手席には孫次郎も乗っている。

「いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えます」

 美由紀は、後部座席に乗って「ふう」と一息つき、麦わら帽子を取った。

「助かりました」

「いえいえ。いいんですよ、温泉に行くとか。あそこの村の温泉は良い。腰痛や肩こりに効いて、肌にも良いと言われてます」

「へえ。楽しみです」

美由紀は、車窓から一面に広がる深い緑のパノラマに目を奪われていたが、不意に助手席の老人に話しかけた。

「どうも、柊です。孫次郎さんとおっしゃいましたね。ご親戚でしたね。ところで朝の話し合いのとき、お見事なお手並みでした。もしや名の有る弁護士さんとかですか?」

「いえいえー、とんでもない」

「……」

 美由紀は、相手からのリアクションが無かったため、人付き合いが苦手な人かと思って、それ以上は話しかけなかった。

 美由紀と孫一は、柊幸介の思い出を暫く語り合っていたが、さすがに車で走ると、ものの三十分で村に到着した。

 わらぶき屋根の集落のようなイメージを持っていたが、道路が整備されていることや、コンクリートの建物、商店街もあり、村というよりちょっとした町のような印象だ。

「柊さん、着きましたよ。この旅館は天然の露天風呂があって、泊りじゃなくても湯に浸かれます」

 旅館の名前は『はたご』と言った。美由紀は「まんまだね」と思ったが、その佇まいは一目で気に入った。

「ありがとうございました」

美由紀は、孫一に礼を言うと、車両を見送り宿の暖簾をくぐった。

仲居が案内し、露天風呂に誘導される間に「ご旅行ですか」と聞かれ「やっぱり、狭い村では外からの人はすぐに分かるのね」と感心して、自然石で造られた温泉を見て感激した。

湯に浸かると、疲れがじわーっと取れていくようで癒された。美由紀以外に入浴する者はなく、貸しきり状態だ。

「いっそ、一泊するかな」

 美由紀は、あまりの湯の良さに、宿泊名簿に名前を記入することにした。法司には連絡してその旨を知らせた。

 村の様子をひとしきり散策した後、旅館に戻った美由紀の部屋に料理が運ばれ、ふんだんな山の幸が舌を楽しませてくれた。さすがに旅館のアルコールのメニューにカシスソーダは無い。代わりにビールを頼んで一人乾杯した。

「落ち着くわー」基本、一人が好きな美由紀は、もう一度湯に浸かって、至福のときを過ごし、その日は就寝した。



 美由紀が、村へ出発したと同じ頃、藍咲夫婦は屋敷に帰宅した。山を一つ越えるといっても、舗装はしていないが、何とか車が通行できる程度の道は切り開かれていた。ゆえに一時間ほどで着くことが出来る。

 藍咲探題は、ばたばたと車を降りて、屋敷に入った。

「帰ったぞ、直弥が帰ったというのは本当か!」

 使用人松崎という中年の女と、同じく初老の男の使用人芝田が現れ、探題を出迎えた。

「探題様、確かに直弥さんと名乗っておいでで、お連れにお医者様が一緒です。今応接間にお通ししています」

 応接室のドアを開け、探題は椅子にかけた二人の男を見た。

「な、直弥…、か」

 白髪頭に眼鏡をかけている男が横に座っていたが、こっちが同伴した医者だろうと推察できた。

「三十六年ぶりだ。探題兄さん」

がっしりとした体格で、身長も百八十センチはあろうか、逞しく日焼けしたその男は、椅子からすらりと立ち上がり、探題を向いて無表情で挨拶した。

「確かに…。確かに面影がある。直弥…」

 探題は、直弥に近寄って、その頬に右手をそっと当て、わなわなと振るわせた。

「生きていたのか」

「ああ。やっと戻った」

「今まで、一体どこに」

「あれ以来記憶を無くしていたんだ。他の土地で長い間暮らし、最近になってやっと記憶が戻って、ここに帰ってきた」

「初めまして、直弥さんの主治医をしております。三枝さえぐさです。精神科医です」

 三枝と名乗った精神科医は、探題に挨拶して、直弥の様子を心配そうに窺っている。

「記憶を無くしたことと関係ありますか?」探題はいぶかしげに三枝に訊いた。

「はい。直弥さんが記憶を取り戻したのはほんの二ヶ月前です。記憶喪失の患者は、記憶が戻るときには、人によって激しい頭痛を伴ったり、眩暈を起こしたりします。直弥さんは激しい頭痛を伴い徐々に記憶を取り戻していったようで、その間私が彼の事を診ていたのです。今回はご実家に帰るということで、念のため私が付き添いました」

「そうでしたか。いや、ありがとうございます」探題は態度をすぐさま反転させ、三枝に感謝の握手を求めた。

「直弥さん。頭痛はありませんか」

「はい。先生」

「良かった。積もる話もあるだろうから、私は別室で控えているよ。具合が悪くなったらすぐに呼んで下さい」

「分かりました」直弥がそういうと、三枝は使用人に連れられて部屋を出て、別室へ消えた。

「直弥。こんなに逞しくなって…」

「探題兄さんは随分太ったな」

「え。えへへへ。ま、歳も歳だからな。ところで今までどこに居たんだ?」

「他県だよ。子供の頃は児童施設にいてね、施設の後は高校を出て就職した。公務員をやっていてね。ここに帰ってくるまで三十六年も掛かってしまったよ」

「そうか。苦労したんだな。でも良かった。本当に良かった」

「……」直弥は瞳をいっそう暗くして、探題の耳元で囁いた。

「探題兄さん。俺はあの時のことは、恨んじゃいない」

 ギクリとなった探題は、身を硬直させその言葉を聴いた。

「すまん!本当に済まん」

 探題は、ゆっくりと崩れ落ち、土下座するように号泣して詫びた。

「恨んじゃいないって言ったろう。もういいよ」

「直弥よー」

 その場面を、和貴子と、長女の美紀みきがドアから覗いていた。

「あなた。その人が子供の頃生き別れた、弟の直弥さん?」

「そうだ」

「えー。美紀ねー、叔父さんがいるなんて初耳なんだけどー」

「美紀。本当なんだよ。お前の叔父さんだ。家族なんだよ」

「うーん。分かったー」

 今年二十一歳になる長女の美紀は、あっけらかんと受け入れた様子だ。

「あの娘は兄さんの子か」直弥が訊いた。

「ああ、そうだ。あと一人、二十二歳になる長男の航太郎がいる。まだ帰ってないが、会ったら顔を見せてやってくれ」

「いや、済まないが、これから予定があってね。今日はこのまま戻るが、また日を改めて来るよ」

「そ、そうか。分かった。じゃあ携帯の番号を教えてくれ」

「済まない。携帯は持ってないんだ」

「いまどき珍しいな。いや分かった。じゃあこっちから連絡を取るにはどうすれば…」

「三枝先生の診療医院に連絡をくれたらいい。番号はこれだ」

 三枝の名刺を取り出し、探題に渡した。

「分かった」

「じゃあ」直弥が応接室を後にしようとすると、「親父と母さんには?」と探題が訊いた。

「ああ。さっき会ってきたよ。四十年近く経っても、相変わらず彫刻一筋、変わってないな。母さんは泣いてくれたよ」

「そうか。じゃあまたな」

「そうだ。探題兄さん」直弥が部屋を出て行きざま、不意に訊いた。

「何だ?」

「如水さん、危ないんだってな。ところで兄さんは、奉納の舞は今でも舞えるか?」

「い、いや。もう無理だ。この体型だしな」

「いつから太った?」

「さ、さあ?」

「……」

直弥は自分の兄を、豚殺場の豚を見るような目で一瞥し、踵を返して藍咲家を後にした。

 その翌日、いっこうに起床してこない、藍咲家当主、藍咲矢一あいさきやいちと妻の美弥みやに声を掛けに行った使用人芝田が、寝室で矢一の遺体と、傍らで泣き崩れる美弥を発見した。

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