梁の金龍
翌日、約束の時間に黒塗りの車両が二台、紫水神宮を訪れ、両家から各二人ずつの人物を乗せてきた。藍咲家からは次期当主の探題とその妻和貴子、橘家からは如水の娘、風香とその娘の菜摘である。
四人は、神宮の門の手前で遭遇して、でっぷりと肥えた探題と風香がまず火花を散らした。
「やあ、暫くですな。如水さんのお加減はあまりよろしくないと聞いておるが、どんなもんかね」
「それはどうも。でもどうかご心配なさらずに。今本郷家には息子の法司さんが帰ってきているじゃありませんか。いつ何があっても継承者のことは問題なくってよ」
二人が社交辞令にたっぷりと皮肉を込めてやりあっているところに、水観孫一が同じ初老の男性を伴って、四人を出迎えた。
「ようこそ来てくださった。さ、法司君もすでに用意して待っています」
「あら、孫一さん、そちらの方は?」風香が聞いた。
「この者は、私の親戚でして、孫次郎と言います。この度の継承問題は私一人では荷が重いと思いましたので、助手として呼び寄せました。あと、法司君の方でも同じようにお一人連れていらっしゃいました」
孫次郎と紹介された男性は、白髪が目に掛かってその目は隠れていて、腰が曲がり、姿勢の良い孫一よりも随分老け込んでいた。
「水観孫太郎ですぅ。どうかよろすく」
「また随分と部外者が多いですな。これは言わば身内の問題。まったくおせっかいな」
探題は憮然となって突き出た腹を揺らしながら、神宮の門をくぐった。残りの三人も後に続いて社へ入る。
客間に着いたときは、すでに法司、美由紀が着席していて、後から参上した六人を足して八人となった。探題の妻和貴子が、扇子をぱたぱたと扇いで「暑いわね、クーラーは?」と不満を言ったが、山側から吹く心地よい風が、皆を落ち着かせたころ、やってきた四人とは初対面となる美由紀が挨拶した。
「初めまして、本郷法司の友人で、柊美由紀と言います。職業は裁判官をやっています。どうぞよろしく」
「おお。何と美しい人だ。しかも裁判官とは。こちらこそよろしく」
探題は女好きのようで、美由紀を見たとたん鼻の下を伸ばしてにやにやした。握手と称して延ばした手を、和貴子がぱちんと扇子で叩き「あなた!何鼻の下伸ばしてんの、まじめにやりなさい」と一喝した。どうやらこの夫婦の力関係は、妻のほうに軍配が上がるらしい。
しおらしくなった探題を横目に、孫一は咳払いをして話を始めた。
「では、早速、如水さんの跡を継いで、本郷家の当主となるのは誰が良いかという事について、両家の意見を、改めて伺いたいと思います。まずは藍咲さん」
「孫一さん。こっちの言い分は変わらんよ。次期当主はうちの航太郎しかおらん。法司君は養子で、三家のいずれの家系とは無縁で、本郷家当主になる資格が無い」
「そうですよ。いくら舞の技術が優れていても、他に舞わせたら上手な人はいくらでもいるかもしれない。だったら血筋なんてはじめから意味の無いものになるから、ここはやっぱり三家の血筋で縁のある者にしなくっちゃ」和貴子も援護する。
夫婦揃って、法司を排斥するつもりの答弁だ。
「何を言うのです。法司さんは、法律上は間違いなく本郷家の一人息子です。財産だけでなくその身分も相続する筈です。そうですよね、孫一さん?」橘風香が反論に出た。
「一般的にはその通りです」
「だったら、何も問題ないじゃないですか。法司さん、胸を張って跡をお継ぎなさいよ」
「……」法司は無言だ。
「孫一さん、如水さんは遺言で、この点書いてないのかね」
探題は、突然如水の遺言書について聞いた。
「守秘義務がありますから、遺言の中身はお話しする訳にはいきません。ただ、例の暗証番号は書いてあると思います」
「そうかね。まあ、もし法司君を跡取りにするよう書いてあったとしても、一般の身分とは違うから無効だと思うがね」
探題は、予め釘を刺すように言った。
「ふん。探題さんは、三宝の財宝が欲しいだけでしょう?聞いてますよ。株で失敗して多額の借金があるって。そんなもののために、本郷家当主の継承にけちをつけるなんて、どういう了見かしら」風香が負けじと言い放つ。
「な、何だと!どこからそんな出鱈目な噂が」
探題は否定したが、実家の藍咲家の財産を元手として、株を運用していた。ところが銘柄の株価が暴落し、膨れ上がった借金は一億円に達していた。
「そうですよ。いい加減なこと言わないで頂戴な。風香さんこそ、法司さんを当主に推して、娘の菜摘さんを、法司さんに嫁がせるつもりなんじゃないの?」
風香の横に控えている橘菜摘は、自分に話が振られてきて、「私はそんなつもりは…」と否定した。だが、母の風香は図星だったことにやや狼狽し、菜摘を黙らせ孫一に向かって聞いた。
「孫一さん、弁護士としての立場から、どう思います?」
「うーむ。お互いの意見が平行線で、このままでは裁判による決着をするようになってしまいます。ここは穏便に妥協案を探して欲しいと思っています」
「裁判ですって?継承の日はもうすぐですよ。裁判なんてやってる暇ないでしょう」
和貴子があきれるように言った。継承の日すなわち八月八日まではあと十日程しかない。
そのとき、孫一の後ろに控えていた、孫次郎が口を開いた。
「あのう。今の話を聞いてますとぉ、双方お金目当ての一面もあるように思いますがぁ…、本来の目的は本郷家の、つまりは紫水神宮の奉納舞を正しく継承することにあるということではないですかねぇ」
「もちろんそうだとも。だから何だ」探題は、孫次郎の分かりきったことを改めた発言にイライラした。
「ところでぇ、そもそもぉ、三宝の財産なるものがぁ、有るかどうかも分からない状況でここまで話がこじれるなんてぇ、一体両家の方々はぁ、どうやって財宝が本当にあるなんて確かめたんですかねぇ」
「確かにその通りだな…。いかがです、探題さん、風香さん」
「わしは…その、人伝にだな」
「私は…。お金になんて興味ありません。ただそちらが借金苦を盾に、承継の事にけちをつけてきたから…」
孫一の質問に歯切れの悪い返事をした、探題と風香はその後を口ごもった。
「さっきからぁ、お二方は奉納舞のしきたりだとかぁ、格調だとかという観点からぁ、今回の当主候補者が適合するかどうかのぉ、意見交換はまったくされませんのでぇ、気になっとったんですぅ」
「ひとつ、よろしいですか」孫次郎の鋭い指摘に、欲の皮の張った双家の連中が無口になった中、法司が口を挟んだ。
「この紫水神宮の正面入り口には、梁をあしらった門があります。ご覧になった筈です。あの梁は、実は如水さんが拵えたもので、奉納の際には両家ともこちらにいらしていたと聞いています。如水さんは当主となる前は、腕の良い宮大工で、確かにあの梁を見ると、その卓越した技術がふんだんに盛り込まれています。そしてその梁の拵えの中に描かれている龍の彫り物は金細工です。宮事録によると、あの金細工はメッキではなく、本物の金で造られていて、あの龍だけでも金額に換算すると二億円程になります。当事如水さんは、あの梁を奉納するための仕事料は受け取ったものの、梁の材料費は如水さんの自腹だったとの噂がありました。だとすると如水さんは、あの金の龍はどこから持ってきたのか…」
「ちっ」
探題が舌打ちをして、和貴子と風香がそっぽを向いた。
「ちょっと待って下さい、法司君。それじゃあ、如水さんが三宝の扉を開いて、中の財宝を使用して梁の龍を造ったと言うのですか」
孫一は梁の龍は金メッキだと思っていたため、寝耳に水の話に驚いた。
「解りません。金の出所は如水さんが知っていることだけは確かです」
「なんと…。あの扉を開けるには水観家の承認と、鍵が要るというのに。しかし如水さんは当事、本郷家に養子に来たばかりで、それ以前に、橘家が管理している鍵を持ち出せる立場にもあったのかも知れない」
「水観さん。現在、三宝の扉の警備はどうなっていますか?」美由紀が聞いた。
「はい。私の代になってから、村の人たちに協力を願って、二十四時間、交代で歩哨に立っています。ただ、先代の時代はどうだったかは判りません。見廻り程度はやっていたように記憶していますが」
「そうですか。では当事は、隙を見て扉を開けるチャンスはあったのかも知れませんね」
「まだ扉を開けたかどうかは定かではありませんが。柊さん、話は戻って、今までの両家の言い分を聞いて、裁判をしないとしたら、何か良い案がありますか?」孫一は美由紀に訊いた。
「そうですね…。ではまず」と言い掛けたところで、孫次郎が先に言った。
「ではまずぅ、この神宮の代々の当主の中でぇ、三家以外から当主になったという、例外が無かったかを調べる必要がありますぅ。神宮の当主の地位が、どの程度門外不出の敷居が高いかを知ればぁ、今回の事を判断する基準になるかも知れません」
美由紀は、孫次郎を見て、「ほう」と思った。自分が提案しようとした事と同じであったからだ。
「なるほど。判例を探すようなものだ。よし、両家ともいったんこの調査を待って、また考えるということでよろしいですかな」孫一はまとめた。
「今日のところはこれで失礼しようじゃないか。帰るぞ、和貴子」
「あの…。」と藍咲夫婦を、橘菜摘が引き止めた。
「何かしら」と和貴子。
「今日は、航太郎さんは来てませんか」
「来るわけないでしょ。あなたたちの交際なんて認めないって前にも言ったじゃないの」
「でも」
「菜摘、藍咲家の人となんて母さんも反対ってあれほど言ったじゃない。所詮は叶わない恋なの!帰りますよ」風香も娘を嗜めた。
「まあ、言うに事欠いて…。失礼ね、フン!」
「私たちは好きあって…」菜摘が抗議しても、取り付く島も無く後部座席に押し込まれた。
橘家の車が出て行くのを、面白くもなさそうに見ていた探題は、改めて門の梁を見て「二億円」と呟いた。和貴子も金の龍を見て、いかにも悪い事を考えていそうな顔になり、夫婦揃って欲丸出しになったとき、探題の携帯に着信があった。相手は家の使用人の女、松崎からだった。
「探題様、今お家に、な、直弥さんが帰ってきました」
「なんだって!直弥だと」
探題は血相を抱え、車両に乗り込み、運転手に何やら怒鳴り散らして、走り去って行った。
法司と美由紀が表に出ると、土埃はあれども、もう両家の車はどこにも見えなかった。