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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
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黄金の舞人

 八月八日、紫水神宮では、年に一度の紫水祭を迎えた。例年ならば観光客でも賑わうところだが、今年は本郷家当主の逝去と、舞師代行の授与の儀が執り行われるため、一定の時間、観光客の出入りを制限して社の中までは入れないようになっている。

 法司は、この日特別に矢場に設けられた授与の間を、無表情で眺めていた。

「法司君、間もなく儀式が始まる。そろそろ準備を」孫一が呼びに来た。

「分かりました」

「しかし、柊さんのご提案には驚きました。儀式の後のこと、段取りは全て整っています」

「感謝します。では」法司は、それだけ言うと控えの間へ消えていった。

 舞師代行の授与の儀は、厳かに行なわれ、神主が法司に向かって、榊の枝を払って祝詞のりとをあげ、およそ一時間を要した。最後に法司が正式な奉納舞を舞って、儀式は全て滞りなく終了した。そこには本郷家、藍咲家、橘家の縁の者がそれぞれ全て出席し、雅やかな儀式と法司の舞を黙って見つめていた。

「それではこれにて、舞師代行の授与の儀を終えます」孫一が宣言した。

「実は皆様にお知らせがございます。このあと、三家が一同に会しましたことを祝って、三宝の扉の前に設置いたしました宴席にて、一献差し上げたく存じます。どうかこちらへいらしてください」

 孫一に案内され、一堂が暫く歩くと、林を抜けたところに切り立った岩肌が見え、広場に宴席が設けられているのが見えた。本来は水観家が扉の監視をするため、常駐する詰め所があるのだが、この日に限っては戦の陣営のように幕が張られ、詰め所や三宝の扉は見えなくなっていた。

 三家が順番に入れられ、右の列に藍咲家、左の列に橘家、そのほかは遠方からの来賓が席についた。膳が据えられており、巫女によって酒が運ばれてそれぞれの杯を満たした。ただ、正面のひと席だけは、いまだ誰も座っていない。

「孫一さん、あの席は?」探題が訊いた。

「もう、間もなくいらっしゃいます」

 幕の袖から現れたのは、黒いスーツ姿の柊美由紀だった。スーツの襟には八咫やたの鏡にさばきの文字、裁判官の徽章をつけている。

 美由紀は席に着くと、両手を膝に置いて、深々と頭を下げた。

「皆さん、私は柊美由紀と申します。突然申し訳ありませんが、この席をお借りしまして、この、本郷家当主の承継問題に決着をつけるべく、最終審理を行ないたいと思います」

「どういうこと?だって、法司さんに決まったじゃない」和貴子が言った。

「はい。実はこの問題の裏には、先代の承継争いに纏わる因縁があるのです。それが藍咲家の連続殺人を引き起こしました」

「何ですって!因縁ですって?」風香が驚いた。

 美由紀は頷いてゆっくりと話し出した。

「まず前回の継承者争いについてお話を整理します。今から三十年前、本郷家には嫡男がおらず、しきたりに則って藍咲家、橘家の両家から男子を一人ずつ出し、試練の舞にてこれを決しました。そのときの二人が橘如水さん、藍咲探題さんです」

「当事の前評判では、舞の技術は探題さんの方が優れていると予想されていましたが、試練の舞の年には、探題さんは今の体型であり、結局本郷家当主は如水さんに決まりました」

 探題が、ばつが悪そうに「へへへ」となった。

「ところで、話は更に六年前に遡りますが、探題さんには当事九歳になる弟さんがいました。名前を藍咲直弥さんと言います。直弥さんは、兄弟で遊んでいたとき誤って家の裏の谷から転落し、そのまま行方不明となっていました」

「探題さん。もう時効です。本当の事を話してください」

「ほ、本当のこと?」探題は挙動不審になった。

「はい。私に話してくれたあのことです」

 探題は躊躇したが、長い間心に仕舞っておいた罪への意識から、この際思い切って打ち明けようと思った。

「本当は、わ、わしがわざと突き落とした」

 ざわざわ 一同は驚いた。

「突き落とした理由を教えてください」

「…。わしらは本郷家の跡取になる可能性を考え、幼いときから舞いの修練をする。あるとき二人で稽古をしていたときのことだ。わしは当事九歳の直弥の舞う舞を見て、その才能に度肝を抜かれた。これはどう逆立ちしても勝てん、わしは直弥の才能に嫉妬し、このままではわしは候補者争いにも残れんと思った。親父もそのことには気づいたらしく、直弥を試練の舞に送り出そうとしておった」

「そのことは私も聞いています」

「だから、わしは直弥を…」

「探題さん、よく話してくれました。ありがとうございます」

 美由紀は、探題の苦しみを思って礼を言った。

「話は変わりますが、ここに一枚の古い写真があります」

 美由紀はそういうと、ポケットから取り出し、一同に見せた。

「この少年が探題さん、そして横に写っているのが…直弥さんです」

「ほう…。なかなかきれいな顔をした子供だ」孫一が言った。

「風香さん」美由紀は敢えて写真を橘風香に手渡した。

「どうして私に……」

 風香は、訝しげに写真を暫く見ていたが、次の瞬間目を丸くした。

「こ、これは!」風香が驚きの声を上げた。

「え!」菜摘も同時に声を上げた。

「早紀?」

「そうです。菜摘さんにはその面影はあまりありませんが、早紀さんに酷似しています」

「え!あたし?」早紀は自分の頬を両手で押さえた。

 更に美由紀は続けた。

「これに気がついたとき、謎が解けました。もういいでしょう。良助さん」

 美由紀は、風香の横に座る良助に向けて言い放った。良助は無言だ。

「あなたは、橘良助さんであり、同時に藍咲直弥さんですね」

 良助は、顔の包帯をゆっくりと取り、その素顔を晒した。どこにも怪我はしていない。

「直弥…」探題は良助と呼ばれる男の顔を見て、確かに直弥であることを確認した。

「話してくれますね」美由紀が良助に促した。

「あなたは裁判官ですか。どうやら刑事の方が向いているように思うよ」良助は美由紀に所感を述べた。

 良助は、ふうと一息ついて、杯の酒をゆっくりと時間をかけて飲み干した。

「三十六年前、探題兄さんが言ったように、俺たちは日々舞の稽古をし、その才能を磨いていった。そしてそうこうするうちに、兄さんはどうしても本郷家の当主になりたいと言い出した。そしてその夢は俺の夢ともなり、二人は幼いながらも野望に燃えていた。ところがある日、母さんから探題兄さんに道を譲れと言われたとき、俺は絶望した。舞の才能は俺のほうが優れているのに何故だと」

「そんなとき、兄さんが裏の花園に遊びに行こうと言い出した。そして兄さんは俺をがけから突き落とした。文字通り奈落に突き落とされたんだ」

「それ以来あなたは記憶を無くし、別の人生を歩んだのですね」

「そうだ。俺は孤児となり、施設に入れられ大人になるまで十年間たった一人で生きてきた。そして自衛官となり、この御供処村が台風の被害にあった際、俺は風香と出会ったんだ。皮肉だろ?本来は藍咲家の人間が、橘家の人間を…。そして二十年後、出張先の任務で頭に衝撃を受けたとき、記憶が戻りだした。二ヶ月掛かったがようやく全部思い出したよ」

「殺人に及んだのは復讐ですか」

「そうだ。俺が記憶を取り戻して、如水の義父に話を聞いたとき、試練の舞の当事、兄さんはすでに太ってやがって勝負以前の問題だったと分かった。あれだけ兄弟で野望に燃えていた本郷家当主の座を…。何故だ!俺を突き落とすくらいなら、せめて兄さんが今の本郷家の当主であって欲しかった…。しかし当主になったのは如水の方だ。それならば、こんな傍家など要らん。俺が根絶してやると思ったのさ」

「良助さん。ここにいる来賓の人たちは実は警官です。逃げることは出来ません」法司が良助に言った。

「…逃げはしない」

「理由はもう一つありますね」美由紀が更に訊く。

「身勝手だが…金が必要だった。早紀の手術費用だ。そのためには菜摘が当主となった法司君に嫁ぐしかないと思った。菜摘は早紀の病気のことは知らなかったが、話せば分かってくれると思ったんだ。そしてそうするには、藍咲の候補者を消すしかなかった」

「良助さん。殺人は許されませんが、復讐は動機として同情の余地があります、でも自分の家族の命と、他の人の命を天秤にかけたあなたに同情の余地はありません。しかし…」

 美由紀は、菜摘のほうへ視線を移した。

「お父さん…うそ…」菜摘は自分の恋人を殺したのが、父だと知って狼狽した。

「あなた…。航太郎さんは…、菜摘の恋人だったのよ」風香が良助に告げた。

「な、なに!馬鹿な!」良助は、菜摘を見た。

「お父さん…。航太郎を…航太郎を返して」

「菜摘。お、俺は…」

 良助は、菜摘に掛ける言葉も見つからず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

「直弥や…」そう呼んだのは、涙を流す藍咲美弥であった。

「直弥、ごめんなさい。全部私が悪いの…。実はあなたは藍咲家の、藍咲矢一の子供じゃないの。四十五年前、如水さんと私は過ちを犯し、そのときできた子供があなたなのよ。本当にごめんなさい」

 矢一を殺した直弥について何も語らなかった理由がここにあった。

「な、何ということだ……」孫一も思わず立ち尽くした。

「そうだったのか…俺は最初から厄介者だったんだな」

 良助は暗く淋しい目をして、空を仰ぎ見た。

「良助さん、あなたにはもう大事な家族が、風香さんたちがいるじゃないですか」美由紀が言った。

「でも、それでも俺は死ななくてはならない。ガフッ」

良助は口から血を吐いた。

「良助さん!」「お父さん!」「あなた!」

「いかん、どうやら毒を飲んだな」

 法司が駆け寄ろうとするも、良助は法司を制止した。

「風香…。俺には生命保険が掛けてある。その金で早紀の手術を…。頼む」

「早紀…。手術が成功したらいいなあ。そしたら好きなことたくさんするんだぞ」

「い、いや」早紀が良助にすがって泣いた。

「死なないで!お父さん」菜摘が叫んだ。

「菜摘…。俺はお前の恋人を殺してしまった。本当に済まない。許してくれ…。知らなかったんだ。本当に済まん」

 そう言った良助に、美由紀が驚くべき事実を告げた。

「航太郎さんは生きています」

 その声を合図に幕の袖から、航太郎が現れ、菜摘に駆け寄った。

「菜摘!」

「航太郎!」

 試練の舞の日、警戒されている中で、航太郎を狙うには狙撃しかないと踏んだ美由紀は、航太郎に防弾チョッキを着せ、リアリティを出すため血糊を仕込み、烏帽子に鉢金を仕込んだのだった。相手が自衛官と分かってからは対策は比較的容易だった。

「よかった…。ありがとう柊さん。見事な審理でした。これで俺は少し救われた」

 そのとき美由紀の横に、法司が並んで立った。

「柊さん、法司君…。なんて美しい人たちだろう…。法司君、君の試練の舞、見ほれたよ。本当に美しかった。もし道を外れていなかったら、俺もあんなふうに舞えただろうか…」

 吐血はますます多くなり、良助の命もこれまでとなった。

 法司は、自らの懐剣を抜き、後ろの幕を切って落とした。

 そこに現れたのは、三宝の扉であった。扉は錠前の封印が解かれ、左右に大きく開かれていた。

 美由紀が法司と孫一、風香に頼み、その存在を確認するために開け放ったものだ。

 法司が肩をかし、扉の中へ入って行った。

 程無く行くと、そこには膨大な量の眩いばかりの金塊があった。全てインゴットで、きれいに積み上げられた高さは五メートルにもなろうか。それが部屋の奥まで続いていて、目を凝らしても果ては見えなかった。部屋中が黄金に輝き、目を開けているのもやっとの状況だった。

「こ、これは…」

「三宝の財宝です。私も始めて見ました」法司が良助に言った。

 黄金の部屋の中央に大きく陣取られた畳の空間があり、どうやらここで宴席などを催すように作られている。

「良助さん、この黄金の間で、どうかひと差し」

 法司は、榊の枝を良助に渡し、受け取った良助は静かに前へ出て、黄金の間でゆっくりと舞い始めた。

 何度も何度も、自分の動きを確認するように。相手に魅せるように。

 黄金こがね色の輝きは、良助の舞を一層引き立て、いつの間にか金の屏風びょうぶえがかれた絵巻物のように感じられたのだった。

 最後のひと差しが、最高の舞台であった良助のその目からは、とめどなく涙が流れ、今までの後悔を洗い流した。



 美由紀は、全てが決着したため、裁判所に戻っていた。

 本郷家の舞師代行には法司が就いた。

 如水の遺言によって、相続については法司に相続権が生じた。法司は門の梁にある金の龍を売却し、それによって、探題の負債を肩代わりした。

 藍咲航太郎は藍咲家へ残り、矢一の作風を踏襲しながらも自分の個性を創り上げることにして、彫刻家を続けるという。橘菜摘とはその後結ばれるだろう。

 探題は、その後心を入れ替え、田畑を耕して暮らした。いったん出て行った妻の和貴子もすぐに戻ってきて、暮らしているという。

 橘早紀は、父の生命保険によって、無事手術が受けられるそうだ。今頃ドイツに向かう飛行機の中だろう。

 美由紀は、スマホを取り出して、なじみの番号にかけた。

「もしもし。菅です」

「もしもしじゃないわよ。孫次郎さん」

「ありゃ。ばれてたか」

「当たり前でしょう。あーんな年寄りいるわけないでしょうが」

「機敏に動きすぎたかな」

「法司の心変わりもあんたの仕業?」

「あー、あれは、伊達に協力してもらった。うまい具合に航太郎を挑発できただろ?」

「反発の心理と言うわけね。正太郎もギャンブラーね。やられたわ」

「それに伊達君は法司に何て言って?」

「企業秘密…」

「それは伊達君の専売特許でしょ」

 こうして、紫水神宮のお家騒動は解決した。

 美由紀の心には、少し乾いた、それでも爽やかな風が吹き、今年の夏も終わりに近づいていった。

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