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黄金の舞人  作者: 菅 承太郎
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紫水神宮 お家騒動

 平成二十七年七月二十四日、ホテル岩島のバーでカシスソーダを飲んでいた柊美由紀ひいらぎみゆきは、ジャズの名曲LeftAloneが最後のフレーズを奏でたとき、スマホに着信を受けた。

「はい。柊です」

「久しぶり、本郷だ」

 電話の相手は、約八カ月ぶりの本郷法司ほんごうほうじだ。去年のクリスマスイブに決着した行政事件訴訟の一件以来だった。

「元気?法司の方から連絡が来るなんて初めてね。あ、もしかして伊達君の居所でも探してる?だったら残念。私にも連絡ないから」

「それは残念。いや、今日はそれ以外にも話がある」

「何かしら」美由紀は、柊塾で一緒に学んだが、本郷法司だけはどこか浮世離れした存在に感じられ、取っつき難いと思っていた。例えば二人きりでは、会話がないこと間違いない。

「実は、柊に頼みたいことがある」

「ますます珍しい。何だか怖いわね」

「電話では話し難いが」

「分かった。今、例のホテル岩島のバーに居るから来れば?」

「もう来ている」

 エントランスに立つ美貌の男性は、黒瞳を称えて美由紀を確認していた。

「…。最初からあたりをつけてたのね」

「いきなり声を掛けるのは私の性に合わない。座っても?」

「どーぞ」

「いらっしゃいませ」バーテンダーがコースターで出迎えた。

カウンターに並んで座った二つの影。常連として来店する、究極の女性の美しさを持つ裁判官。かたや究極の人間の美しさ、いや人間とは思えない美貌の男性が同時に目の前に出現した。バーテンダーはもちろん、店中のイケメンスタッフ連中があんぐりと口を開け、立ち尽くした。

「ウーロン茶を」

「か、か、かしこまりました…」

「法司。あんた、いつもサングラスを掛けてなさい」

「夜に?柊、酔ってるのか」

 皮肉のつもりで言ったが、本郷は理解していない。

「で?」

「済まない。この話、実はすげに持っていたが、他の依頼があって忙しいようで引受けてはくれなかった」

「で?なんで私なの」

「菅のアドバイスだ。柊に頼んでみてはと。その理由は解らない」

 柊と本郷は柊塾の出である。

 柊塾とは、柊美由紀の叔父、柊幸介ひいらぎこうすけが裁判官を退官後、個人で興した法曹の徒を育成する私的な塾で、一期生として、姪の美由紀、伊達真二だてしんじ、本郷法司、菅正太郎すげしょうたろうの四人が卒業した。それぞれ裁判官、警察官、弁護士となっておのおのの道を進んで行ったのだった。

「あなたも弁護士でしょう。一人じゃ厳しい案件とか?」

「いや、そうじゃない。私が当事者の案件だ」

「事件?」

「私が神官の家計ということは以前言ったと思うが、本郷家の跡継ぎを決める件で、問題が起きる可能性がある」

 本郷の実家は、福博県福水町の山奥にある紫水しすい神宮といい、戦いの神を祀り長久の歴史を持つ。

「可能性って、つまりあなたのところでお家騒動でも起きるって言うの?」

「その通り」

「例えば具体的にどんなこと?」美由紀は掘り下げた。

「大分込み入っている。出来れば現地に行って自分の目で見て判断して欲しい」

「まあ、今抱えている裁判は無いから休暇願いを出せばいいとして、何か私においしいことがあるのかな?」

「強いて言えば、温泉だ」

「温泉かー。なかなかいいわね。乗った!」

「では、旅の支度が整ったら連絡して欲しい」

「了解」

 本郷は席を立ち、エントランスへ向かおうとしたとき、胸元からサングラスを取り出して掛けた。

「帰り道も目立たないようにしなくては」

「あんたね…」美由紀はすかさず突っ込んだ。

 その二日後、本郷は美由紀から連絡を受け、旅支度の美由紀を、地方裁判所の前にフェラーリで乗り付けて拾った。

 法定速度もお構い無しに山道をぶっ飛ばして、紫水神宮に到着したが、助手席から車を降りた美由紀は、千鳥足で草むらへ行き嘔吐した。

 出すものを全て出し、ようやく落ち着いた美由紀は、見事なはりの門をくぐると、玉砂利を踏みしめる音が鳴り、正月の初詣を連想させた。

 客間へ案内され、座布団に座ると夏の風がふわりと入ってきて、その風を受けて風鈴が鳴る。

 巫女が湯飲みに入った冷たい麦茶を運んできて、黒壇のテーブルにおいて「どうぞ」と言った。

「ありがとう」美由紀は麦茶を一口飲み、ほっと一息ついた。

「おまたせした」スーツから着物に着替えた本郷が入ってきた。

 初老の男性を一人伴っていた。

「水観さん、紹介します。今回の件のため私が呼んだ、柊美由紀です」

「初めまして。水観孫一みずみまごいちと申します。弁護士をしております」

「どうも、初めまして。柊美由紀です」

「水観さん。柊は裁判官ですが私の友人です。力になってくれるでしょう」

「裁判官ですか。こうやって日常の中で裁判官の方にお会いするのも稀です。そういえば昔私が弁護した裁判のとき、裁判長として担当なさったのは柊幸介という裁判官でしたが、もしや」

「はい。柊幸介は叔父です」

「そうでしたか。あの裁判の判決は見事な裁きでしたから、鮮明に記憶に残っております」

「柊。それでは当社やしろのことについて、まず説明しよう」

 美由紀は頷いた。

「この社は、神主とは別に、代々当主を据えるしきたりになっている。これを本郷家と言う。更にこの当主筋に当る家が二つあって、一つが藍咲あいさき家、もう一つがたちばな家だ。本郷家当主は、紫水神宮の神事で奉納する舞を全て一人で舞う。舞を許されるのは男子のみで、年齢制限は無く、後は舞の資質がいかに優れているかで当主の継承者が決められる。当主継承の折り、二人以上の継承者候補がいる場合は、試練の舞と言われる擬舞ぎぶを舞ってその技量によって選ばれる。当主は本郷家の男子から選ばれるのが原則だが、本郷家に男子なければ、これを藍咲家または橘家からこれを出す、というしきたりがある。今、現本郷家当主は橘如水たちばなじょすいといって、前回継承の際、本郷家に男子がいなかったため、橘家と藍咲家の両家から一人ずつの男子を出し、試練の舞によって、橘家の如水が選ばれた」

 本郷はここまで説明すると、麦茶を一口含んで続けた。

「これら三家の、継承にまつわるしきたりなどを代々管理し、後見人となっているのが水観家、つまりこちらの水観孫一さんの家だ」

 美由紀は「なるほど」と納得した。

「今回の当主継承の理由は、現当主の如水さんが癌に掛かり、もう余命いくばくも無い容態となったためと聞いている。今は寝たきりで、意識もはっきりすることが少ないらしい」

 美由紀は再び頷いた。

「今、本郷家の男子は私だけで、順当に行けば次の当主は私ということになるのだが、ある理由によって藍咲家から物言いがあって、こじれそうだ」

「法司君、そこから先は私から説明しましょう」水観孫一は、額の汗をハンカチで拭いて話を受け継いだ。

「柊さん。実はこの本郷法司君は養子です。訳があって、赤ん坊であった法司君を、神主が如水さんの承諾を得て、本郷家の養子としました。橘家から本郷家へ当主となるために如水さん自身も養子となりましたので、抵抗はなかったんだと思います」

「そうだったんですか」

 美由紀は本郷をちらりと見た。本郷の身の上の一端を知ったことで、浮世離れした彼の雰囲気の原点を知ったような気がした。

「戸籍上は養子縁組が成った時点で、継承権が生じますが、本郷家当主の座は固有の立場ですから、藍咲家の次期当主である藍咲探題あいさきたんだいがこれを認めず、自分の嫡男である藍咲航太郎あいさきこうたろう君を当主候補に強く推薦してきました」

「うーん。民法上、いわゆる家族法の相続問題というより、宗教上の観点からの法律解釈の問題のようですね」

「その通りです。そもそも、この当主継承のためという養子縁組の理由が、現代の民法に照らして馴染まないものでして、本来なら認められるかどうかも怪しい。柊さんが言った通り、宗教上の解釈で妥当と認められる内容です」

「もしこの継承の妥当性を裁判で審理したとしたら、脈々と受け継がれた歴史を持つ宗教の慣例を、慣習法とみなして、例外的に養子縁組が妥当と認められる可能性が高いという印象があります」

「うん。さすが裁判官、合理的な考えです」

 水観は微笑み、感心しながら麦茶をすすった。

「しかし、法司の養子縁組と、当主継承の目的の養子縁組は、性質の異なるものですから、区別して考えるというのは、その藍咲探題氏の主張に沿ったものと言えますね」

「そうなんです。簡単に言えば、本郷家の単なる養子として認めても、当主としては認めないということです」

「絵に描いたようなお家騒動ねー」

 美由紀は、庭先の庭石の見事さに一瞬目を奪われたが、すぐに戻って続けた。

「それで、法司の意見は?」

「私は、当主の座などに興味は無い」

「ええ?じゃあ何が問題なの?」

「柊さん、藍咲家と橘家の間には非常に深い確執がありまして、橘家長女の橘風香たちばなふうかさんが、またこれも強く反発してましてな。藍咲家の者が当主になると都合が悪いと言って、法司君を当主にと推しております」

「じゃあ、その何?試練の舞とかで決めればいいんじゃないの?」美由紀は本郷に向かって提案した。

「柊さん。舞の技術に関しては、舞の技術云々(うんぬん)に不案内の者が見ても、法司君の方が遥かに勝っておって、航太郎君と雲泥の差です。父探題もそこは百も承知で、負けると分かっている勝負はしない構えです。探題氏はあくまで、法司君を当主候補の部外者として主張しています」

「なるほどね。でも橘風香さんの言う、都合の悪いことって何ですか」

「はい。実はこの三家の間には、本郷家当主の継承の他に、もう一つそれぞれの家の役目があるのです。それは代々受け継がれている『三宝』の管理です」

「三宝の管理?」

「三宝は、ある場所に封印され、その入り口の鍵は、三家に分配されてそれぞれ管理されています。三宝とは、龍の宝玉、神託の太刀、あと一つは莫大な金塊とも、財宝とも言われておりますが、長い間扉が開かれたことは無いらしく、その詳細は分かりません」

「だが、龍の宝玉と、神託の太刀は、すでに開封されている。それらは現在の奉納舞で使われていて、私も如水さんの代行で奉納を舞ったとき実際に使ったことがある。舞の手順の伝承では、宝玉と太刀を用いると指示されている」

 菅正太郎が去年の夏、ここを訪れたとき、本郷が舞う奉納舞で見た太刀が、まさにそれだった。

「そうすると、後はその金銀財宝ね。長久の時を眠り続けるお宝かー。でも現代の工具を使えばそんな扉の鍵なんて、一撃とはいかないまでも、なんとかなるんじゃないの」

 美由紀は、グラインダーやガスバーナー、あとバズーカ砲で鍵を壊す自分の姿を想像した。

「そこで、そのような暴挙に出るものが居ないかを監視するのが、当家水観家です。実際、扉の素材は鉄製ですが、そこには特殊な錠前が掛かっています。おそらく三百年以上前に拵えられた代物と推察します」

「錠前は、一本の特殊な鍵を差し込む仕組みになっていて、その鍵は同じものが二本ある。うち一本は橘家が管理し、もう一本は藍咲家が管理している。因みに鍵は複製のできない複雑なものだ」本郷が言った。

「じゃあ、本郷家は何を管理しているの?」

「暗証番号だ」

「あ、暗証番号?三百年前の鍵で?もしかしてかついでる?」

「柊さん、無理も無い。でも本当です。錠前には本体にダイヤルが着いています。金庫によくある右に何回、左に何回というヤツです」

「ああ、そういうこと。ずいぶんと技術が進んでたのね」

「超一流の職人が拵えたものということだけは確かだ」

「扉は、本郷家の当主が、必要と認める理由があるときのみ開かれるしきたりですが、今までその理由が生じたことは無いのです」

「継承の行なわれる日は、いつですか」

「次の八月八日です」水観が手帳を見ながら言った。

「ではそれまでに、継承者問題を解決する必要がありますね。両家との話し合いはどんな段取りになっていますか?」

「明日、朝十時に両家の代表が、ここにやってきて会合する手筈だ」

「分かった。面倒なことになりそうね。とにかく相手の出方を見て考えましょう」

 美由紀は、想像していたよりも面倒なことに巻き込まれた予感がしていた。遠くで聞こえる蝉時雨が夏の深まりを感じさせた。

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