モノローグ
殺人は息をするのと同じことだった
〜ヘンリー・リー・ルーカス〜
そこは、もう誰にも使われていない洋館の一室・書斎。
使われなくなってから既に長い年月が経過しているのか置いてある書物の殆どに埃が被さっている。
また、辺りには蜘蛛の巣が張り巡らされており掃除などされているわけがないのが嫌でもわかる。
屋根裏には鼠がいるのかカサカサとなにかが這いずり回る音も聞こえてきている。
この音があの黒い虫かもしれないということは考えないでおこう。
しかし、そんな誰もが足を踏み入れたくなくなりそうな部屋の中央に彼女はいた。
特徴的な長く黒い艶やかな髪とそれに相対するかのような透けるような肌。
まるで人々を魅了する小悪魔のような整った顔立ち。
現在満十六とは到底思えない小柄すぎる矮躯。
少女、篠宮雪は書斎の書物を適当に取り出し静読に勤しんでいた。
時々、少し難しい顔をしながら本を読んでいく彼女は年相応の少女の様な顔をしている。
普段の彼女からは考えられない光景だ。
珍しい。
そんなボクの考えを知ってか知らずか少女はしばらく書物を眺めた後、意地の悪い笑みを浮かべながらこう言った。
『聖徳太子と言う人物は考えようによってはとても面白い人物だと思わないかい?だって彼は、歴史の中で一番の大嘘つきなんだよ?』
そう言って自身の長い黒髪を自らの小さい矮躯に絡ませながらそっと書物を撫でる。
彼女の口振りからすると読んでいたのは歴史関係だったらしい。
彼女は埃の積もった書物を愛しそうに抱き締めながら更に続けた。
正直抱く意味がわからない。
『彼は陏、つまり今の中国に遣いを送りこう言わせた。“日出づる処の天使、書を日没する処の天使にいたす。つつがなきや…”とね。では、東雲君。聖徳太子の嘘とはなんだと思う?』
『…日本は戦争敗退後にアメリカのおかげで一時的に経済大国になったものの全体的に今では下落を始めている。しかし、逆に中国は戦勝国として名を馳せ轟かせた。今でも様々な面で問題はあるものの全体的に言えば上がり続けています。このことから考えて、日本よりも中国の方が上である。と言うことですか?』
若干長文になってしまったが雪さんは楽しそうに聞いている。
そして、ボクが話し終わると雪さんは笑いながら答えた。
『その通り。よく出来ました。君の言った通り今の日本は戦争に敗退し国連には加盟しているものの地位なんてたかが知れている。それに比べて中国は今や常任理事国と言う立派な大国だ。これじゃまるで聖徳太子の言ったことと真逆だね。“日没する処の天使より、書を日出づる処の天使にいたす”ってね。』
そう言いながら雪さんは僕の膝に跨がり密着してきた。
彼女の暖かさを感じる。
これは人としての暖かさなのだろうか。
『退いてください』
『ふふ…嫌だよ』
まるで抱きつくかのように背中にその小さな腕を回し耳元で呟く。
彼女の吐息が当たる。
この吐息は本当に人の物なのだろうか。
『どうして聖徳太子はこんな嘘を吐いたんだろうね?』
彼女の重みを感じる。
彼女の香りを感じる。
だが、これは人の物なのだろうか。
『嘘って…聖徳太子は過去の偉人ですよ?本当に実在したかもわかりません。適当にボク達の祖先がでっちあげただけの空想上の人物なだけなのかもしれません。それに、彼に未来を透視する能力があったとも思えません。そんな彼の未来の我々への期待を嘘と見做すのはどうなんでしょうか』
『確かに君の言う通りあの言葉は彼の未来への期待だったのかもしれない。でも、それは聖徳太子が…』
彼女の声が聞こえる。
彼女の顔が見える。
だが、これは本当に人か。
ボク、東雲凜は彼女篠宮雪に…
『人間だったらの話だろう?』
とても恐怖している。