バケモノラチカイゾウ
バケモノになるためにはまず前提に人間を辞退せねばならない。
ちなみに彼、永下久上は、人間である。しかし、人間であるがゆえにバケモノ以外の物質になる恐れがあった。
それは即ち、ケダモノである。
ただ、勘違いしてほしくないのは、バケモノはカイゾウが必要で、ケダモノはカイゾウが必要無いという事である。
残念な事に、彼は人間の下位に位置する者であり、決して人格者などではない。むしろその反対である。
犯罪こそ起こしていないが、しかし、それ以上でそれ以下の行動をとっていた事に変わりはなく、事実である。
だからこそ、彼は気が付くと、ケダモノとなった。
そんな彼はある日、バケモノの少女に出会う。
そして、彼は通常ではあり得ない事態が発生する。それは戦いであったり、冒険であったり様々だ。
だが、一つとして変わらなかった事は、非人格者を辞めなかった事である。
そんな彼が、本当に似合った生物は、ケダモノなんかじゃなく、単なる悪役だった。
さて、ここで思い出してほしい。
バケモノになるためにはカイゾウが必須である。
根本をめちゃくちゃにする必要がある。
そして、もう一つ、勘違いしてほしくない事がある。
それは、バケモノは全て、苦痛の代償として変貌しているという事。
彼はある戦いで、バケモノの少女を殺す。
その理由を問われれば、「自分は死にたくないから」と答弁しただろう。
そしてあわよくば彼はバケモノになろうとした。
では、ここで遅いながらも、ケダモノになるための条件を説明しよう。
一、ケダモノとは、同類者を殺す。
二、ケダモノとは、別類者を殺す。
三、ケダモノとは、仁義が存在しない。
そして、
四、ケダモノとは、バケモノを殺す脅威である。
脅威と記述されてあるのは、別にバケモノ視点で記載されているからではない。
単にバケモノは正義の見方なのである。
関係は、バケモノは善、ケダモノは悪という。別にバケモノが悪という概念は無い。
と、いう事になると、永下久上という男は、正義の見方になろうとしたのである。
当然、非人格者にそのような事はできるはずがない。
だから彼は今は亡き少女の遺体を拉致して、その身体を研究した。
いや、研究はできなかった。
何故なら彼女は生きていて、存命していたからだ。
バケモノとは、殺されただけでは死なない。だからこそバケモノなのだ。
それはケダモノも同様で、彼は殺されないはずだった。
はずだった。
しかし彼の人生はここで終止符を打つ。
理由は言うまでもない、当然少女に、バケモノに、正義の見方に殺されたのである。
実は彼はバケモノの条件を一つだけ、確立していなかった。
それは、一、同類者を殺す。というものだ。
つまり彼は本当のケダモノにはなっていないのである。
即ち自称。
オチはこんな残念なものだ。
ちなみに、この文書はあらすじなどではない。
このように、非人格者の人生は、あっさり、『短編』に終わる。