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ある家の謎

掲載日:2006/10/25

ある家の謎


家政婦というと、大きな家にいる人だと思うんだろうが、最近はそうでもない。

ここはある、家政婦協会。ここの社員は住み込みではなく、家か会社から通うという形式をとっていた。その会社の一室で、しかも、女性は悩んでいた。

 日ごろ明るいことがとりえの彼女がため息をつくなんて、かなり深刻な悩みだった。

「はぁ。」

 その後ろ姿に、明子が声をかけた。

「どうしました?あ。」

 ため息をついた会長の幸子の手に辞表をみて、気がついたようだ。

「またやめたんですか?」

 また、というところを強調して明子は言った。

「またなのよ。田舎に帰って結婚するって。」

「前の人もそうじゃありませんでした?」

「そうなのよ。その前は、家事に専念しますって言うし、その前は腕を磨いてからにしますってやめちゃうし。どうして、あの家に人を出すとみんな長続きしないのかしら?別に、もめているわけでもないのに。それも新人じゃない人たちばかりが。ホント、魔物が住む館だわ……。」

 会長が頭を抱えた。

「料理研究家の家ですよね?料理が厳しいんでしょうか?」

 幸子は、前に一度行ったことのある、といってもここがそうなのよ、と先輩に紹介されただけだが、家を思い出しながら言った。

「そんな話聞いてないわよ。もちろん、そんなにプライベートなことは聞かないことになっているけど。それに、面倒見るのは、今年、定年退職された彼女のだんなさまのことなのよ。でも、文句が多いなんて話は聞いたことがないわ。困ったわねぇ。原因究明されないと人手不足になっちゃうわ。」

 それを聞いていた明子はある考えが頭に浮かんだようだ。

「そうだ、今ねぇ、うちの娘が職を探しているの。あの子に探らせてみましょう。」

「いいの?」

「いいの、いいの、家でのんびりしているだけなんだから。あの家は、土日と休日だけでしょう?あとで、日程の一覧表を頂戴。」

 そうして、由紀は家政婦教会から魔女の家と言われている家に行くこととなったのである。散々抗議したが、なに、ご飯を作っている母親には勝てなかった。


「こんにちはー。」

「おや、家政婦さん?今度の人は若いねぇ。」

 顔だけ見るととても怖そうだが、声が以外にも穏やかだった。笑顔も渋めだ。その家の主人はのんびりと言った。

「じゃ、始めてもらおうか。その前に、朝ご飯は?」

「はい?」

 由紀はちょっと面食らった。

「食べた?まだなら一緒に食べよう。」

 案内された台所にはほかほかのご飯があった。

「おいしいそう。」

 由紀は朝ご飯を食べないことがほとんどだったが、それを忘れるくらいにおいしそうだった。

「それはよかった、はい、ここに座って。」

「あの、奥様が作られたんですか?」

 主人はにこりと笑っただけだった。

「はい、ご飯。熱いから気をつけて食べるんだよ。」

 ほかほかのご飯を食べながら、由紀は考えていた。誰が作ったんだろう……。おいしいんだけど。食事が終わると、家の主人は説明を始めた。

「さて、君の仕事だが、今日は廊下に掃除機をかけたあと、雑巾で拭いてほしい。そのあと、リビングに掃除機。ああ、掃除機は好きなのを使っていいからね。そこのクローゼットに入ってる。」

「はい。」

 そう、返事をしたもの、由紀はどういう意味なんだろうと思っていた。好きな掃除機?

 それが、クローゼットの中に入っているのを見てやっとわかった。掃除機だけで三種類もあるのだ。

「あの。三種類もあるんですね?」

「ああ。息子が送ってきたんだ。自動的に動くやつは座敷で勝手に転がしておいてくれ。止まったら、拾って再度、動かしてくれ。僕は二階にいるからね。終わったら声をかけてくれ。」

「はい。」

 そういって、由紀は掃除機を手にとった。自動的にごろごろ動かす掃除機は先に動かすことにした。

 全部が終わって。

「だんなさまー。」

 主人は二階から降りてきた。

「ハイハイ、終わった?」

「はい。」

「じゃあ、明日は晴れるそうだから、玄関から見える窓を拭いてくれ。」

「はい。」

 由紀は窓掃除を始めた。

 しばらくして。五時になった。

「やぁ、終わった?」

「はい、あとここだけです。」

「じゃあ、それで終わりだね。」

「はい。」

 由紀は窓を拭き終えて帰った。帰るなり母親は聞いた。

「どうだった?」

「別に。掃除機をかけてー……。」

 由紀は今日あったことを説明した。しかし、なぜかご飯を食べたことだけは黙っていた。

「へんねぇ。おかしなところがないのに、なんで、みんながやめていくのかしらねぇ。明日も行ってね。」

「うん、いいけど。」


 翌日。

「こんにちはー。」

「あら、家政婦さん?若いのねぇ。」

 由紀はびっくりした。テレビや本で見かける料理研究家の顔がそこにあったのだ。本の表紙と同じだ。テレビに出ているせいか、美人だ。

「こんにちは。」

 慌てて由紀は頭を下げた。

「あ、あたし、もういかなきゃ。じゃ、あとはよろしく。」

「はい、いってらっしゃいませ。」

 由紀は見送った。しばらく、見とれていたからだろうか、主人が出てきていることに気がつかなかった。

「やぁ。妻は行ったかい?」

「はい。」

「じゃ、今日は庭の草むしり頼んでいいかい?蚊がいるといけないから、これ、つけてね。」

 渡されたのは、服につけるタイプの蚊取り線香だった。

「ああ、その前に、朝ご飯食べたかい?まだだったら、一緒に食べよう。今日はおいしい漬物があるんだよ。」

 断るつもりが、いつのまにか由紀は椅子に座っていた。美味しいのだ。

「あの、奥様って忙しいんですか?」

「そうだねぇ。家に帰ってくるのは、夜だし。朝も午前中にはいなくなってしまうし。海外に行くときは僕も付いていくんだけどね。」

「そんななかで、こんなにお料理、作るの、大変ですね。」

 またまた、主人はにっこりと笑うだけだった。草むしりだけで、一日が過ぎた。

 そして、そのまま休みの日だけ、一ヶ月通いつづけて過ぎた頃。母親は聞いた。

「やっぱり、おかしなところはない?」

 雑誌を読んでいた由紀は顔をあげて、話し出した。

「うん。ただ……。」

「ただ?」

「掃除していると、全然ご主人を見かけないの。二階にこもっていてねぇ。二階は掃除しなくていいって言われているの。」

「二階ねぇ。」

「あとね、昼ご飯が毎回出るの。」

 朝ご飯のことは黙っていた。母親が作ったものさえ食べていない、後ろめたさがあったからかもしれない。まさか、毎回、主人と向かい合って朝ごはんを食べているとは言えない。

「ああ、それはほかの家政婦さんからも聞いたことがある。いいじゃない。」

「だけど、誰が作っているんだろうと思って。」

 由紀は話に集中するために雑誌を横に置いた。

「え、奥さんじゃないの?」

「最初はそう思ったんだけど、あんなに忙しそうな人が、毎回、あれだけ手の込んだものを作れるのかなぁ。料理しているのなんて、一回も見たことないよ。」

「なにがでるの?」

「ご飯、漬物、焼き魚や、お肉、豆類、サラダに、スープ系、デザート付き。今日なんか、チーズケーキが出たよ。」

「買っているんじゃない?」

「でも、誰もこないのよ?来ても、食材もってくるだけなの。冷凍食品かとおもって、こっそり冷蔵庫の中も見たんだけど、インゲンとかだった。家の隣に車の倉庫もあるんだけど、泥のついた野菜ばっかり。」

「じゃ、だんなさんが料理を作っているんじゃ……。」

「でも、何回目かに奥さんにあった時に言っていたよ。「なんにもできない人だけど、よろしく」って。」

「奥さん気がついてないんじゃない?」

「新婚じゃないんだよ?もうすぐ、三十すぎになる息子さんもいるんだって。もう一人、娘さんがいるらしいけど、私が行く前に家を出て、私が帰ってから帰宅するみたい。」

「じゃ、普通ならわかるわよねぇ。」

「それにね、奥さんと料理が違うの。」

「違う?」

 由紀は今まで見ていた雑誌をパラパラとめくって見せた。そこには、料理研究家のマキが微笑んでいる。

「奥さんの本をよく見るんだけど、このレシピとおりに作るのよ。でも、奥さんの方の料理はおいしいんだけど、なんていうのかなぁ。勢いがある感じがするんだけど、昼ご飯は丁寧に作ってある感じなの。」

「不思議ねぇ。」

「あとねぇ。」

「まだあるの?」

 母親はちょっとびっくりしたように言った。

「家がきれいなの。」

「当たり前でしょ?あんたがいっているんだから。」

 母親はなんだそんなことかとでも言いたげに、あきれたように言った。

「そうじゃなくて、床の間に飾ってあるガラスが今日、汚れていて、明日磨こうと思ったら、明日行くともうきれいになっているの。」

「……。」

「気のせいじゃないよ?今日なんか、神棚の埃、なくなっていたもん。」

「へんねぇ。じゃあさぁ……。」

 母親は何か思いついたようだ。

「えー。」

「やってみなさい。それでわかる。」

 母親は満足げな顔で頷いた。


 翌日。

「やぁ。ご飯、あるよ。」

 今日も由紀は食卓にいた。

「あ、あの、これ、おいしいんですけど、どうやって作るんですか?」

 由紀はチキンの煮物を差して言った。

「ん?ああ、じゃ、あとでレピシをあげるよ。帰るときでいいかい?」

「はい……。」

 どうやら、母親の作戦は失敗したようだ。

 食べ終わると主人は言った。

「じゃあ、今日の仕事だけどね……。」

 家に帰ってからすぐに、由紀は文句を言った。

「ダメじゃん!教えてくれるんじゃなくて、レシピくれたよ。」

 由紀はその紙を差し出した。

「どれ?あら、チキンの煮物なんておいしそうねぇ。・・・・・・でも、手書きね。」

「うん。本からの印刷とかじゃなかったね。」

「そうねぇ。じゃ、こういうのは?」

「えー、またやるのー?」

 由紀の声に反して、母親の声はなんだか愉しげだった。

「そうよ!あのねぇ……。」


 翌日。

 由紀はいつものように食卓にいた。食事を食べに来ているのか、掃除をしにきているのか、よくわからなくなってきている。一回目に言われたことを、やり終えた由紀はそっと小声で呼んでみた。

「だんなさま……。」

 大抵の人は聞こえないだろう。階段を登ろうと、足をかけたところで、ちょっと音がした。ぎしっ。すぐに階段の上から声がした。

「できたかい?」

「は、はい!」

「いま、行くよ。」

 主人はのんびりと降りてきた。

「あ、あの、お呼びしたんですけど、聞こえなかったようだったので。」

 我ながら苦しいいいわけだと思ったが、主人は気にしていないようだった。

「そうか。あとねぇ、縁側だけ水拭きしてくれる?」

「はい。」

 慌てて、由紀は水を汲みに行った。

 帰宅後、母親はがっかりしたような声で言った。

「ダメかぁ。」

 由紀は風呂から上がったばかりなのか、髪を拭きながら言った。

「一足だよ?階段に一足かけただけで気がついたの。カメラでもあるのかなぁ。」

「自分の家にそんなものがあってどうするのよ。」

「そうだよねぇ。」

 そこに電話が鳴った。

「はい、あら、会長。ええ?はい、はい。ええ。本人に伝えます。それじゃあ。」

「会長さん?なんだって?」

「あんたのお給料が上がるって。」

 由紀は目を丸くした。

「ええ?なんで?」

「知らないわよ。さっきあの家の奥さんから電話があったんだって。なにかやったの?」

「なんにも。ただ普通に仕事していただけだよ。」

 母親は、またなにか思いついたようだ。

「じゃあ、次回はねぇ……。」

「えー、またぁ?」

「それがあんたの使命なの!」

 そう明子は言い切った。


 土曜日。ソファの上に荷物を置いた。そして、また一日は食事から始まった。

「あ、あの。お給料が上がったそうなんですけど。」

「ああ、妻がそうしたんだ。」

「あの、なんででしょう?いえ、なにか特別なことは何もしていないのに。」

「僕は基本的に、妻がすることには反対はめったにしないんだよ。」

 主人はにっこりと笑った。由紀には、どういう意味なのかよくわからなかった。今日も仕事が終わって由紀は帰ろうとした。

「それじゃ、今日はこれで。」

「ああ。ん?待って?なにか足りないな。」

「え?」

「ちょっと待って。」

 主人はリビングに消えると、ソファの上にあった荷物を持って戻ってきた。

「忘れ物だよ。」

「ああ、すいません。そ、それじゃあ。」

 ペコンと頭を下げて、由紀は急いで帰った。

 夕食には、さっそくレシピの通りに母親が作った煮物を由紀は食べていた。

「忘れ物作戦も失敗かぁ……。急に戻って様子を見るっていうのも、いい作戦だと思ったんだけどねぇ。普通、そんなのことに気がつくのかねぇ。」

「まぁ、パパは気がつかないだろうね。」

「あーパパは、私が髪を切ろうとしているその前日に「髪形変えたか?」って言ったからねぇ。」

「もう作戦は尽きた?」

「尽きたわ。」

「へんねぇ。どうして、やめていくのかしらねぇ。二階に行けないだけでしょ?だから、なにって感じよねぇ。」

「そうよ。あれだけで、このお給料でやめるなんて変だよ。」

 由紀も言った。

「死体でもあるとか?」

「まさか。」


 そして、そのまま、三ヶ月が過ぎたある日。珍しいことが起こった。

「こんにちはー。」

「あら、いらっしゃい。」

 そこには料理研究家がいたのだ。ソファでにこやかに微笑んでいる。

「あ、あの、今日、お仕事は?」

「急に休みになったの。今日は、どこを掃除するの?」

「え。」

 そんなことをいわれても、由紀が自分で決めたことはない。しかし、由紀はあることを思い出した。台所の床に砂糖をこぼしたと、主人が言っていたのだ。

「あ、今日は、リビングの掃除機をかけて、そのあと、台所の床を磨きたいと思います。」

「あら、そう?じゃ、主人をどかすわ。」

「あ、はい。」

「あなた、由紀さんがリビング掃除機をかけるそうだから、座敷に移って。」

「いや、僕はあいつのところへ行ってくる。渡したい本もあるしな。」

「あら、そう?あ、じゃあねぇ、ついでに倉庫にある、たまねぎ、渡してやって。気をつけてね。」

「わかった。それじゃ。」

 主人がいなくなってから聞いた。

「あの、あいつって?」

「ああ、息子のところよ。作家をしているのよ。売れてないけど。」

「そうなんですか。」

「じゃ、私は座敷にいるからいつもの通りに掃除してくれる?」

「はい。」

 由紀はそう返事をして、台所に行ってみた。もう、ある程度きれいになっている。由紀は、水拭きを始めた。朝ご飯が出なかったのは、初めてだった。


 昼。

「あなた昼ご飯はどうする?」

「はい?」

「いつもは外で食べるの?弁当を持ってきているの?」

「え、えっと。」

 もごもごしている間に、マキは続けていった。

「今日は、昼にお寿司を取るけど、それでいいかしら?」

「あ、はい。」

 そうして、マキはさっさと行ってしまった。

「どうなってるんだろう……。」

 昼はマキと一緒に食べた。

「普段から忙しいもんで、食事もあんまり作ってあげられないけど、あなたの夕食は上手ねぇ。」

「は、はぁ。」

「今日は早めにあがっていいわ。私、作るし。」

「はい。」

 由紀はいつもよりも早い時間に帰宅した。

 いつもは、娘のほうが遅く帰宅するのに、今日は家にいた。明子は目を丸くして聞いた。

「どうしたの?クビにでもなった?」

「ちがうよ。奥さんが今日は仕事が急になくって、早く帰っていいって言うから。」

「ああ、そう。で、なんでそんなにふくれた顔をしているのよ?」

「だって、いつもと違ったの。昼ご飯は出前になるし、いままで指示をもらっていた掃除は勝手にやっていいって言うし、作ってもいない夕食が上手ねって誉められた。」

「なにそれ?」

「よくわかんない。明日は祝日だから、明日行って聞いてみる。」

「そうね、それがいいわね。」

 明子も頷いた。


 翌日。

「こんにちはー。」

「やぁ。」

「今日、奥様は?」

「仕事だよ。昨日はすまなかったね、急に帰宅したものだから。」

「はぁ。」

「食事をしながら話そう。」

 やっぱり、そこにはおいしそうな食事が並んでいた。

「昨日、ここの床を拭いたんだって?」

「はい。もうきれいでしたけど。」

「うん、それなんだけど……。」

「だんなさまが拭いたんですか?」

「そう。」

「この料理も作られていますね。」

「そう。」

「神棚の埃を拭いたり、テレビの裏側がきれいになっていたり、取り込んだ洗濯物がきれいにたたんであったのも、ですか?」

「そう。よく気がついたね。」

「奥様は?」

「いまのところ、知らないみたいだね。そのうち、言わなきゃいけないと思っているんだけど、機会がなくてねぇ。ばれて怒って離婚でもされたら立ち直れなくなる。」

 主人はため息をついた。由紀はなにか思いついたようだ。

「もしかして、夕食もご自分で作って、それ、私が作ったことになっていませんか?」

「あ、うん。なっている。」

「だから、なにも特別なこともしていないのに、お給料が上がったんですね?」

「そう。」

「他の人たちもそうだったんですか?」

「前の家政婦さんたち?そう。いままで、わざわざ料理の味まで変えて作ってきたんだ。あれは、これの口止め料なんだ。だけど、なぜか、みんなやめていっちゃうんだよねぇ。」

「そりゃ、そうですよ。やっていない家事のお給料ももらえるなんて。」

「いい作戦だと思ったんだけど、みなさん、プロ意識が高いみたいでね。なかには、せめて料理くらいは作るって言ってくれた人もいたんだけど、教えてみたら、ダメでねぇ。あまりにがっかりしたのか、腕磨きますって、やめてしまったよ。」

「だから、この家の家政婦は長続きしないんですね?」

「そう。これがばれると、みんな、やめていくんだ。大抵の場合は、妻の仕事がキャンセルになったら、その日はこなくていいって事にするんだけど、あの日はホントに急でねぇ。連絡できなかったんだ。これで、二回目かな?まぁ、さすがに、急に僕がやっていたってことがばれるもんだから、奥さんに言いつけるって所までは至らないうちに、前の人もやめちゃったけどねぇ。」

 主人はため息をついた。

「なんで奥さんに黙っているんですか?」

「妻はねぇ、なぁーんにもできない僕を愛してくれているんだ。僕の一目ぼれでもあったんだ。で、なんにもできないふりをする生活が始まった。妻は忙しくて、今でもそれは秘密のままだ。」

 主人はため息をついた。

「最近、少しづつ、できるようになったところを表しているんだけど、全部一気にはいかなくてね。家事全般や裁縫は僕の、結婚前からの趣味でね。こっそりやっていたんだ。」

「二階に行けないのはなにか?」

「ああ、こっそり、編物をしているんだ。」

「あ、編物……。」

「裁縫もできるんだよ。」

「裁縫……。」

「ところで、君はそれをさぐりに来たの?」

「え、えっと……。」

「いや、最初からずいぶん若いなぁと思ってなんだけど、そうでしょ。」

 由紀は正直に話すことにした。

「はい。母が家政婦教会に勤めているんですけど、この家の家政婦に来る人たちは全員、やめていくので、どうしてだろうと気にしていたみたいです。」

「だろうねぇ。他のところでもそんなことがあったもんな。実は、君のお母さんが勤めている家政婦教会は三箇所めなんだ。」

「三箇所……。」

「そう。」

 主人は味噌汁をずずっと、すすった。

「最初の家政婦協会はつぶれた。次のはあまりに人がやめていくんでもう出せませんって断られた。で、今のところになっているんだ。」

「そ、そんなことになっていたんですか……。」

「どうして、みんな、やめるのかなぁ。給料、いいと思うんだけどなぁ……。」

「それはそうですけど、やっぱり気が引けるんじゃないですか?」

「君のやめる?」

「えーっと……。」

 由紀は何にも考えていなかった。

「そこでだ、僕は考えた。いや、正確には息子が考えたんだけど。こういうのはどうだろう。いいかい、君はこのまま家政婦をする。給料も変わらない。だけど、気が引ける。」

「はい。」

「と、いうことは気が引けないようにすればいいってことだよね?」

「まぁ、そうですけど、お料理なんてできません。ほかに、これといって上手にできるようなこともないんですけど。」

「料理はいいんだ。僕がやる。君には、バザーに出て欲しい。あと、ネットで仕事をして欲しい。」

 由紀は目を丸くした。

「バザー?ネット?」

「そう。パソコンは出来るだろう?」

「ええ、まぁ、少しは。」

「それでいいよ。僕は名前を変えて、ネットでアクセサリーの販売をしているんだけど、これが結構大変なんだ。いままで、ずっと息子に手伝わせているんだけど、最近、ちょっと売れてきたもんだから、忙しいらしくてね。」

「作家さんだそうですね。息子さんは知っているんですか?」

「ああ、妻に聞いたのか。そう。娘は知らないんだけど、息子は知っているんだ。だから内緒で手伝わせていたんだけど。」

 主人は漬物を取った。きゅうりの音がぱりぱり良く響く。

「執筆に忙しいらしくてね。いままでは僕の変わりにバザーに出てくれていたんだけど、今年は難しいようなんだ。君、代わりに出てくれない?ほら、知り合いにでもばれて、そこから妻の耳にでも入ったら、と思うと怖くてね。」

「なにを出すんですか?」

「んー。レース編みとか、セーターとか、ベストとか。ぬいぐるみもあるし、服もある。ここにあるわけじゃないけどね。まぁ、何か聞かれても、知り合いの手作りですって言っておけば、平気だし。僕の手作りだから嘘じゃないだろう。」

「……ちょっと考えさせてください。」

「うん。それはいいけど、お母さんには黙っていてね。君がやめなければ家政婦教会も安泰だし、僕ももう雇わなくていいだろう?」

「それは……そうですけど。」

「次週までに決めてきてくれ。さて、食べ終わったかい?」

「はい。」

「じゃ、僕は新しくレース編みをするから、食器の洗い物、頼んだよ。」

「はい。」

 主人は全部話してすっきりしたのか、軽やかな足取りで二階へ上っていった。


 そして。

 家政婦協会は本当の理由を知らないまま、安心した。これで、人は減らなくなった。

「なんで今までの人は辞めたのかしら?」

「さぁ?」

 由紀は、本当のことは話さずに、いいお給料と仕事を手に入れた。

 主人は、自分の趣味を手伝ってくれる仲間を手に入れて、妻と幸せに暮らしている。


 ある日。台所に主人と由紀はいた。

「奥さんが帰ってきたら、そのエプロン姿でばれませんか?」

「だから、同じ恰好をして君がそこにいるんだ。」

 由紀が怪訝な顔をすると、主人は笑って言った。

「君に教わっていたと、言い訳が出来る。もし、味が違っても、僕が手伝ったからだといえばいいんだ。」

「嘘に、慣れていますね。」

「妻を失わないためなら、嘘の百でも千でも。」

 主人はにこやかに微笑んだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 文章は未熟だと思うが、ストーリーが面白かった。 登場人物(特に、由紀と主人)の容姿、会話時の表情の 描写等を表現したら読む側の想像性の高まると思う。 他著「春男の頭の中」シリーズも平凡だが…
2007/11/24 12:25 みーちゃん
[一言] 初めまして。とても謎めいた設定が興味深かったです。家政婦としての視点、何気ない日常がここまで気になるのは面白いですね。  旦那さんの、全ては愛妻のためという理由が一番素敵でした。由紀さんと…
[一言] とっても面白かったです
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