第2話 君と別れた後
いつものように俺は六時半に起床した。カーテンを開けると、太陽の光が少しずつ入ってくる。俺はあくびを一つして、大きく伸びた。それから、朝の身支度を始める。箪笥からアイロンをかけたワイシャツとズボンを取り出し、着替える。いつもと同じ朝。パンをトースターで焼いて、バターを塗ってかじりながら新聞を広げる。
高校を卒業してから五年、すっかり社会人の一員になった俺。高校のこと、澪と過ごした日々は、思い出に替わっていた。俺は一人でこのアパートに暮らしている。いつもと変わらぬ朝・・・。俺は新聞をたたんで、ネクタイを締めた。カバンを持ち、アパートを出た。
「いってらっしゃい。」
大家さんに言われ、俺は笑顔で頭を下げ、会社に向かった。駅まで歩いて十分。俺は足早に歩いた。澪と過ごしたあの道を俺は一人で歩いている。まだ着慣れないスーツを着て・・・。
会社に着くと、まっすぐ自分の机に向かった。
「おはようございます。」
隣の席の水田さんが言った。
「あ、おはよう・・・」
水田さんも今年入社したばかりの新人で、少し地味目の女の人だ。仕事を覚えるのがとても早くて、俺はかなり焦ってしまう。俺はPCを起こすと、仕事を始めた。隣では水田さんがすばやく手を動かしているのがわかる。俺も焦りながら手を動かす。すると、同じく新入社員の夢岡さんがお茶を持ってきてくれた。
「どうぞ。」
「あ・・・どーも。」
夢岡さんはおしゃれでキレイな人だ。同じ大学だった人で、仕事は出来ないが、その容姿で部長のお気に入りだ。でも、俺のタイプの人ではなかった。俺は手を動かした。夢岡さんが
「ね、月波君、今日暇?」
と聞いてきた。俺は無言で首を振った。すると近くにいた先輩が
「俺、暇だよー。」
と、鼻の下を伸ばして言った。夢岡さんは愛想笑いしながら
「そうですか・・・。あ、ごめんなさい私、用あったので・・・すいませーん。」
と言った。俺は思わずククッと笑ってしまった。夢岡さんは俺を見てからニコッと笑ってから自分の席に戻っていった。ふとお茶を見ると、紙が置いてあった。
〔今日、駅の近くの喫茶店“ローズ”で待っています。〕
だから俺は行く気ないって・・・。俺はその紙を丸めてゴミ箱に投げた。そしてまたPCの画面に目を向けた。毎日毎日同じ画面を見ながらの作業ってかなり疲れる。俺がいすの上で伸びていると
「あの、そこ間違っていますよ。」
水田さんが言った。俺が画面を覗くと、
「ほら、ここ。」
「あ・・・本当だ。ありがと。」
「いえ・・・。」
俺はまたPCに向かった。
会社の帰り。辺りはもうすっかり夕暮れ色に染まっている。そろそろやめるか・・・。俺がPCを閉じようとしたとき、
「月波君、忘れないで下さいね!」
と、夢岡さんが言った。あっ・・しょうがない暇だし行くか・・・。
俺はPCを閉じた。荷物をまとめていると水田さんが、
「お先に・・・。」
と言った。俺は頭を下げた。そして荷物もって会社を出た。エレベーターの前で水田さんと会った。しばらく二人で並んだ。
「あの・・・夢岡さんと会うんですよね。」
水田さんが言った。俺は少し袴田さんを見下ろしてから
「そうだけど・・・。」
と言った。水田さんの顔が赤くなり始めた。
「夢岡さんのこと・・・どう思っているのですか?」
水田さんが言った。いきなり何を言うんだこの人は。俺はもう一度袴田さんを見た。顔が真っ赤だった。
「別に・・・なんとも思ってない」
水田さんは少し安心した様子だった・・・。水田さん・・・もしかして俺に惚れてる?俺顔が赤くた。
しばらく嫌な沈黙が続く・・・。するとエレベーターが来た。中に入ろうとすると、夢岡さんが乗っていた。
「あ、月波君偶然。私も今仕事片付いたの、一緒に行きましょう!」
と言った。俺は小さく頷いた。夢岡さんは俺にいろいろ話しかけてきたけれど、俺はどうしても水田さんが気になってずっと彼女を見ていた。水田さんはすっと下を向いていた。地味で平凡な女の人・・・。すっと見ていると、雰囲気が澪に何処と無く似ている・・・。あ、俺何考えているんだろう・・・。
エレベーターが到着した。三人で降りて会社の外へ向かう。夢岡さんは常に俺の隣を突きまとう。水田さんは足早に行ってしまう。俺はそれに付いていった。会社を出たところで、水田さんは俺たちと逆の方へ向かった。俺は足が勝手に動き、口が勝手に言った。
「水田さん。また、明日。」
水田さんは俺の方を向き、二コリと笑って頭をペコッと下げた。その笑顔には澪と同じ笑窪が合った。平凡に見えていた水田さんが急にかわいく見えた。俺がしばらく水田さんの後ろ姿を見ていると
「何やっているの?行こうよ。」
と、夢岡さんが言った。俺は頷いて歩き始めた。
しばらく歩くと喫茶店に着いた。二人ではいり、店のカウンターに座った。
「コーヒーでいいよね。」
「あ・・・俺アイスティーがいい。」
「あっそ・・・マスター、コーヒーブラック一つとアイスティー頂戴。」
夢岡さんが言った。
俺はあいにくコーヒーが飲めない。澪と付き合っていたときも、普通にコーヒーを飲む澪にアイスティーを飲む俺・・・。澪があまりにも美味しそうに飲むから、俺も一度だけもらったことがあった。だが、あまりの苦さに、俺はそのままトイレに駆け込んだ。その時、澪は笑いながら言った
『大人になればこの美味しさがわかるって』
と・・・。もう23になっても、この美味しさが分からない俺って・・・・。
「あの、いいですか?」
夢岡さんが言った。俺はふと我に返った。
「あ、ごめん・・・。いいよ。」
俺はカウンターを見た。俺の前にはコーヒーが置いてあった。いつもそうだ。澪と一緒のときも、俺にコーヒー、澪にアイスティーが置かれて、二人で笑いあった。
「あ、頼んだの違うね。」
そう言って、夢岡さんはコーヒーとアイスティーを置き換えた。
「それで、ちょっと相談したいことがあるんだけど・・・。」
夢岡さんが言った。
「何?」
「えっとね・・・。月波君って翼って知ってるよね?」
「え?あう・・うん」
翼とは大学時代の友達。バスケやっていて(かなり上手くて)めちゃくちゃモテていた。なのに、気取っていなくて親しみやすく、いい奴だった。夢岡さんとは付き合っていたという噂も聞いたことがある。まぁ俺はそのころ、まだ澪のことが忘れられずにいたのだけれど・・・。
「それで・・・翼が今度LAに行くらしいのね。」
「え?本当?何で?」
俺は身を乗り出して聞いた。
「バスケ・・・やりたいんだって。」
「バスケ?ああ・・・」
「翼、LAで自分の実力確かめたいんだって。それで、送別会やろうと思うんだけどね・・・どうしたらいいと思う?」
夢岡さんが聞いてた。そっか・・・バスケか。夢、叶えろよ翼!送別会ね・・・翼とは大学のときしか知らないし、すごく仲良かったけど(俺もバスケやってたし、同じ学科とっていたから)大学を卒業してから全然連絡を取ってもいなし・・・。俺はそんなことを考えていた。
「ね、聞いてるの?」
夢岡さんの声で我に返った。
「あ・・・ごめん」
「やっぱり、大学の仲間だけでいいよね。」
「う・・・うん。」
俺のあいまいな返事の後、気まずい沈黙が続いた。俺はたまらずアイスティーをすすった。夢岡さんもコーヒーに手をつけた。その時、喫茶店の扉が開いた。俺は一瞬、目を疑った・・・。
―入ってきたのは、澪だった・・・―
さらに澪の隣には、水田さんがいた。二人で笑いながらしゃべっている。懐かしい澪の笑顔・・・。茶色の髪の毛はすごくのびていて、やっぱり小柄で頬には笑窪があって・・・俺は自然と澪の姿を目で追っていた。水田さんと澪は店の奥にあるテーブルについた。
その時、夢岡さんが
「じゃ、私このあと用事あるから・・・。また今度話しましょう。」
「あ・・・うん。」
夢岡さんはコートを着た。俺もあわてて帰るしたくを始める。
「あ、今日は俺が出すよ。」
バッグから財布を取り出した夢岡さんに俺は言った。
「それじゃ、お願いするね。」
俺はバッグから財布を取り出した。レジで会計を済ませると、夢岡さんと喫茶店を出た。俺は店を出る時、店の奥の席を見た。澪の笑顔があった・・・。その時、澪が俺のほうを向いた。俺はサッと目をそらす。そしてそのまま外に出た。その時、すれ違った男が、俺は誰だかその時は知らなかった・・・。俺は澪をそっとみつめることしか出来ないでいた。




