うんことしょんべんの話
十月の初めの頃、僕は道で誰かが倒れているのを見つけた。なんだかとても小さなおじいちゃん。どうしたのだろう?と思って、話しかけてみると「お腹が減って動けないのじゃ」と、そう弱弱しい声で答えてくる。
不思議な姿をしたおじいちゃんで、白い服を着ていて透明な印象。と言うよりも、実際に透けていた。
何者のなのだろう?とは思いつつ、それから僕は、近くの自動販売機でジュースを買って飲ませてみた。おじいちゃんはゴクゴクと美味しそうにそれを飲み干す。一安心かとも思ったのだけど、これだけじゃ足りないと訴えてくる。
「液体だけじゃのー。固体もないんか?」
それじゃ、ご飯でも。と思いもしたけど、家に帰らないとご飯はない。「流石に知らない人を家に上げるのは……」と、言うとそのおじいちゃんはこう応えた。
「大丈夫。わし、神様じゃから」
かえって、不安になる台詞、と心の中でツッコミを入れつつも、僕はそれでもそのおじいちゃんを家に招いてしまっていた。不思議な雰囲気がある事には気付いていたし。と言うか、透けてるし。……家でおにぎりでも作って、持ってくれば良いだけだと気付いたのは、その少し後だった。
家に帰るとママがいた。ママは、そのおじいちゃんを見るなり驚いた声を上げる。
「あらあら、どうしたの? タカシ君。そのおじいちゃんは? 何でも拾ってきたら駄目だって言ったでしょーう?」
(なんだか、酷いお母さん)
「うん、ママ。お腹が減って動けないって言うから連れてきたの。神様だって」
「あら? 神様。一体、何の神様なのかしら? ご利益で良い順から先に述べてくれなぁーい?」
(物怖じしないお母さん)
どうにもママは疑ってはいない様子。まぁ、おじいちゃん半透明だし。おじいちゃんはそれを聞くなり、こう答えた。
「便所の神様じゃ」
「帰ってもらいなさい」
シューっと消臭スプレーをかけながらママが言った。「ママ、一応神様なんだし」と、僕は言う。おじいちゃん… 便所の神様はそれを聞くなり怒り始めた。
「何をするんじゃ! お前、バチが当たるぞ! 厠の神様と言えば、民俗神の中でも特に重要だと評価されておるのに! ご利益だって、相当なものじゃわい!」
それにママはこう返す。
「あなた、あれでしょう? 少し前に歌でちょっと流行ったトイレの神様が、どうたらってのでしょう? わたし嫌だわ、簡単に流行に乗る風潮って」
「何の話じゃい?」
「あら?違うの? じゃ、そんなに偉いのだったら、そもそもどうして、あなたはお腹が減って動けないような状態になってるのよ?」
それを聞くと、便所の神様は「ウッ」と止まる。それから、少しの間の後で、こう言う。
「少し、トイレを見せてくれんか?」
「トイレを?」
不思議に思いながらも、ママはトイレへと神様を案内した。ガチャッとドアを開ける。清潔に手入れをされた綺麗なトイレ。ママは少し誇らしげに言う。
「へへん。どんなもんかしら? きっちり掃除はしているんだから」
しかし、神様はこう言うのだった。首を横に振りつつ
「やはり、この家もか。全く、なげかわしい」
ママは、当然、猛抗議する。
「何が不満なのよ? こんなに綺麗に使っているじゃない!」
「ええい! 綺麗かどうかは問題じゃないわい! こんな原始的なトイレでは、わしの本来の力は発揮できん!」
ママは更に怒る。
「原始的だぁ~? どこが原始的だって言うのよ?! 水洗式でウォッシュレット! 温熱装置まで付いているのよ? この快適空間は間違いなく近代の代物でしょうが!」
神様の胸倉を掴むママ。神様はこう返す。
「快適かそうでないかも、問題じゃないわい! 確かに原始的は言い過ぎたが。なら、中世初期的とでも言うか?」
ママはその言葉に胸倉から手を放した。
「どういう意味よ?」
すると神様は、淡々と返す。
「効率良く、清潔に邪魔もんである“うんこ”や“しょんべん”を処理する。実はそれは厠、便所のあり方としては、進化の中途段階にあるものなんじゃ…」
ママはそれを聞いて、訝しそうな声を上げる。
「清潔に処理する以外に、トイレにどんな“進化”があるってのよ? 原始時代ってそこらで勝手に皆が用を足していたのでしょう? 不衛生極まりない。それが、こうして綺麗に進化してきたのじゃない」
ママはトイレを指し示しながら、そう言う。神様はこう応えた。
「確かにそうじゃな。便所は、元は自然発生的に皆が多く便を出す場所が、その役割を担うというただそれだけのものに過ぎなかった…… だが、話はそう単純ではない」
そして、更に説明をし始めようとしたのだけど、そこで「グ~ッ」と神様のお腹が鳴る。
「すまんが。飯をもらえんかな? お腹が減ってしもうて」
「あなた、ずうずうしいわね」
と、ママは言った。
……さてさて。
便所の神様が言った通り、原始的な便所は、人間社会に自然発生的に生まれたと推測されています。社会がルールを作って、「ここを便所にしよう」と決めた訳ではなくて、立地条件や人間同士の相互作用で、自然と便所が決まっていったのですね。
ちょうど、誰も何も決めなくても、そのグループのリーダーだとか、その他役割が、勝手に決まっていく、みたいな感じで。
こういうのは、自己組織化によって便所が創発されたと表現できたり、ボトムアップにより便所が発生したと表現できたりもするのですが、まぁ、今回は本筋とはあまり関係ないので、詳しくは述べません。
平安時代の頃の絵を観てみると、民衆が便所を利用している絵があったりするらしいのですが、やはり不衛生だったらしく、庶民のほとんどが裸足か草履だった時代に、高下駄を履いているそうです。これは裾や足が汚れない為だったと推測されています。
原始時代は、人口密度が低かったでしょうから、便を放っておいても充分に自然分解されて問題がなかったかもしれませんが、時代を経て都市が誕生し人口密度が高くなっていけば、それは自然分解し切れずに堆積します。そうなれば、悪臭を放ち、伝染病を媒介しもしたでしょう。平安時代の頃ならば、便所の不衛生は、大きな社会問題の一つだったはずです。
そしてだから、大便や小便といった排泄物は邪魔物でしかなかったのです。
ですから、便所を効率良く便を処理できる清潔な場にしようという試みは、早くから始まっていました(もちろん、庶民の生活の場のように、普及されていない場所も多々あったのですが)。
例えば、川の上で用を足して、そのまま流してしまう“川屋”。厠の語源は、この“川屋”だったと言われています。奈良時代には、水路式便所が貴族の間に設置されており、平安時代には移動式便所が用いられました。
そしてもちろん、“うんこ”も“しょんべん”もそのまま廃棄されていたのです。だからその頃の便所はどちらかといえば、好ましくないものだったのかもしれません。とてもじゃありませんが、偉い神様がいらっしゃる場所にはならないでしょう。
「……まぁ、こんな感じでな。中世の頃までの便所の発達は、大便や小便をいかに清潔に効率良く処理するかに焦点が置かれていた訳じゃな。
恐らくは、この時代には便所の神様を敬うような文化もあまりなかったはずじゃ。そもそも便所の神様が、存在していたかどうかすらも怪しい」
神様はそう語り終えた。飯を食べながら、僕らに説明していたのだ。
「知らないんだ」
と、僕は尋ねる。
「知らん。そんな文献残ってるかどうかも知らん」
神様なのに… と、それを聞いて僕は心の中でツッコミを入れた。
「で、結局、それが何だっていうのよ?」
今度はママが尋ねる。ところが、神様はそれには答えない。ご飯を食べ続けている。
「答えなさいよ」
「ええい、飯くらい最後まで食わせんかい!」
と、言ってお茶を飲む。
ズズズ…
「はぁ… 美味かった」
と、神様。
「答えろっつってんでしょ、こうして飯まで食わしてるんだから!」
そう言ってママは、神様にアイアンクローを極めた。
「不衛生な便所から、清潔で使い易い快適空間としての便所。見事に、わたしの家のトイレはその進化の極地じゃない!
なにが、どう、原始的だってぇ?」
「くおぉぉ 痛い、痛い。だから、原始的は言い過ぎだった、とそう言ったじゃないか」
僕はママを止める。
「ママ、それじゃ話せないよ」
ママがアイアンクローを解くと、それから神様は語り始めた。
「まったく…、乱暴な女じゃ。胸倉を掴んだり、アイアンクローを極めたり。神様を何だと思っているんじゃ!」
「今までの話を聞く限りじゃ、大した神様には思えないもの。そんなに価値のある神様だってのなら、ちゃんと説明してごらんなさいな」
それを聞くと神様は、「チッ」と言い、苛立った様子で口を開いた。
「確かに、ただの汚物処理の場としての便所には、それほど価値はないかもしれん。しかし、それも大便と小便の有効性が明らかになる前までの話じゃ……」
「大便と小便の有効性?」
僕とママは、声を揃えてそう言った。
……さてさて。
エネルギー利用の本を紐解いてみると、大体が薪や炭を利用した「火」の利用から、化石エネルギーの利用へ人類のエネルギー利用は進化・発展してきたと書かれています。しかし、この表現は正確ではありません。とても大きく重要な存在が抜けているからです。なにしろ、原始から近世に至る間には「火」の利用よりも、人間社会の発展・拡大に大きく貢献した物質が存在しているからです。
それは、家畜の糞尿及びに、人間の屎尿。つまり、“うんこ”や“しょんべん”といった排泄物ですね。その利用がとても重要だった。エネルギー規模で観るのなら、間違いなく中世から近世に至るまでの人口増加に伴う、エネルギー利用拡大の主役は排泄物です。
これはヨーロッパでも同じで、人口の増加の時期と、都市で出た便が農村に運ばれてリサイクルされる、そのフィードバックループの形成の時期とが一致するらしいです。日本においては、鎌倉時代の後期から、樽や壷に便を溜めておき、肥料として活用する文化が次第に定着していったと言われています(この時期に、便の有用性が中国から伝わったという説があります)。
江戸時代に入ると日本でも、都市で溜めた便を農村でリサイクルするフィードバックループが確りと出来上がります。この段に至ると、便の重要性は文化として定着していますから、便は有料で取引されます。つまり、単なる廃棄物であった便に、価値がついたのですね。
もちろん、寄生虫や伝染病の媒介は、問題だったかもしれませんが(だから、温野菜の文化が発展したとも)、江戸時代の人口を支えるのには、“うんこ”や“しょんべん”のリサイクルがどうしても必要で、とても重要だったのです。
そして、それに伴って民俗神としての「便所の神様」の位置付けも重要になっていきます。生きる上での、鍵を握るのが“うんこ”や“しょんべん”だったのですから、それも当然だと言えるでしょう。便に生命エネルギーが宿ると考えられていったのです。
「雪隠参り」と呼ばれる信仰が、関東地方・東北地方・石垣島で報告されている(雪隠はトイレの事ですね)そうなのですが、この中に、「赤ん坊に長い箸で大便を食べさせる真似をする」という行事があります。これは力の源である大便の生命力を、赤ん坊に入れて力強い成長を願ったものだと考えられています。
その他、堆肥にできない草を便所に捨てる事を神様に失礼と戒めたりと、屎尿リサイクルの輪と民俗信仰は深く関係して発展していったのでした。
もっとも、江戸時代の人口はほとんど増えなかったと言われてもいるので、それが屎尿リサイクルだけで人口を支える限界だったのかもしれませんが。
食糧問題だけで、人口の増減を論じる事はできませんがね。
「……どうじゃ、分かったか? このように、便所の神様とはとても重要なものだったのじゃ。
なにしろ、食糧生産の肝の部分に関わっていたのだから」
便所の神様はそこまでを言い終えると、誇らしげな様子で僕らを見た。ママは何も言わない。でも、別に悔しそうにはしていない。それから僕は、こう尋ねた。
「でも、それって過去形でしょう? つまり、今はそんなに重要じゃない。どうしてそうなってしまったのだろう?」
それを聞くと神様は固まる。「それは……」となんだか言い難そうにしている。そこに向けてママが言った。
「人類のエネルギー利用に、石炭や石油なんかが登場してきたからでしょう?」
その言葉に便所の神様は、ビクッと震えた。どうにも図星だった様子。僕はそれに疑問を投げかける。
「でも。肥料って、生物的なものでしょう? エネルギーと言っても。質が違うから石炭とかじゃ代用できない気がするけど」
神様はその言葉に溜息をついた。
「違うんじゃよ。そういった石炭や石油などのエネルギーを利用すれば、生産できるようになってしまったんじゃよ。肥料に必要な物質でさえ」
そのまま神様は項垂れてしまう。ママはそれでこちら側に丸見えになった、神様の禿げ上がった頭頂部に指を当て、くるくると撫でるように回しながら言った。
「なるほど。なるほど。少しずつ見えてきたわよ。この便所の神様が、落ち目になっていったその経緯が」
「……お主。本当に、神をなめているのぉ」
神様はそのママの態度にプルプルと震えながらそう言った。
「なによ。慰めてあげているんじゃない」と、ママはそう返す。なんだか、僕に対してしているのとあまり変わらない感じ。それからママはこう言う。
「そうだ。ちょっと待ってなさい」
そしてママは、席を立つとそのまま何処かへと行ってしまう。後に残された便所の神様は、しょんぼりとした様子で、ポツリポツリと続きを語り始めた。
……さてさて。
肥料の三大要素は「窒素・リン酸・カリ」と言いまして、この三つが、肥料にとってなくてはならないとても重要な物質です。
このうち、窒素は空気中にいくらでも存在し、その利用は比較的楽なのでは?と一見は思えてしまいますが、実はそんなに単純なものではありません。窒素は、とても安定しているので、それを化学的に利用するのは大変に難しいのです(安定した物質を、変化させるのには高エネルギーが必要だからです)。
自然界においては、マメ科の植物に寄生している根粒菌……、バクテリアが、この役割を果たしてくれていますが、大便や小便などの有機物を利用すれば、それに頼らずとも窒素分を充分に補給する事が可能です。
それはつまりは、農業生産に、屎尿リサイクルが重要だった理由の一つでもあります。が、しかし、社会の進歩により、そこに一つの転機が訪れます。科学技術の発達で、この窒素を人間の手で固定し、利用する事が可能になったのです。
その技術を「ハーバー・ボッシュ法」といいます。
これにより、植物の成長に必要な窒素肥料を空気中から生産する事が可能になり、農業生産量は飛躍的に向上しました。もっとも、これには莫大なエネルギーが必要になりますから、石炭や石油の活用がなければ、不可能だったはずです。
そして、同じく肥料にとって重要なリンやカリウムも既に有機物以外から得られるようにもなっていました。もっとも、これは主に鉱物から得ているのですが。そうして、この段に至って、有機物を利用しなくても肥料を作り出せるように、人類はなってしまったのです。
つまりは、化学肥料の誕生です。
莫大なエネルギーに莫大な資本が投入をされて、その化学肥料は大量生産されていきます。当然、有機肥料の重要性は低下していき、結果として便所を通しての屎尿リサイクルの輪も衰退していく。
“うんこ”と“しょんべん”の重要性が低下していくのは当たり前。屎尿は、再びただの廃棄物と化してしまうのでした。
台所の排水や雨水などと同じ様に下水に流されて、下水処理され、海に流される。リンを含んだまま流されれば、赤潮という公害の原因にもなり、高次処理をも必要とされるようになりました。厄介な邪魔物です。
便所の神様が、嘆く理由も分かるような気がしますね。“うんこ”や“しょんべん”の価値が下がると共に、便所の重要性も低下していったのですから。
「日本の下水道施設は、確かに整ってはいるけど、老朽化や地域格差でまだまだ問題があるわね。つまり、まだまだ工事が必要って事。一方、バイオマスのエネルギー利用や資源利用という意味でも排泄物は注目されていて、これからの下水道改善で肥料としての再利用が実現できる可能性は大いにあるわ。どうせ工事しなくちゃいけないのだしね」
いつの間にかにママが帰ってきていて、説明を終え、落ち込んでいる神様の前でそんな事を言った。神様は目をパチクリして、そんなママを見ている。
僕は少し驚いていて、「ママ、よくそんな話を知っていたね」と、言いながら見てみると、ママはノートパソコンを持っている。
「わたしが、そんな事を知っているはずないでしょう?タカシ君。いやーいい時代になったものね。こうしてインターネットで調べちゃえば、誰でも学者並みの知識よ。引っ掛かった情報の真偽を判断する能力は問われるけども」
どうもママはノートパソコンを取りに行っていたみたい。
「この便所のおじいちゃんの話を聞きながら、少し思い出したのよ。排泄物の再利用の話」
「便所のおじいちゃんって…」
それに僕はツッコミを入れた。神様が相変わらずに落ち込んでいて、ツッコミを入れる元気もなさそうだったから。ママは構わずに続けた。
「今、農業ではリン不足やカリ不足が深刻で、下水道に含まれるリンやカリの再利用が注目されているって。
しかもそれだけじゃなく、メタンガスの利用も叫ばれているみたいよ。もちろん、排泄物の。
国内で利用可能なバイオマスエネルギーは、総発電量の3.5~4.5%ていどだとも言われていて。あ、バイオマスっていうのは、生物資源みたいもんね。これには廃材なんかも含まれているから、排泄物だけだともっと低くなるけど、それでも軽視できるほど低くはない。つまり、屎尿リサイクルはここ最近のエネルギー不足や資源不足に伴って復活の兆しを見せているのよ」
それを聞き終えると、神様は少しだけ目に涙を溜めながらこう言った。
「その話は……、本当なのかの?」
「本当、本当。あら、おじいちゃんだけあって、最近の事情はあまり知らないのね。特にリンの不足は深刻で、鉱物資源が世界中で減ってきている上に、人口の増加に伴って需要は伸びている。日本は中国からの輸入に頼っていて、中国が輸出を制限し始めているものだから、もうピンチなのね。
これから食糧供給が危機に向かえば、当然の事ながら、屎尿リサイクルの重要性は上がっていくわ。ぶっちゃけ、リンの供給源それ以外にほとんどないし。便所のおじいちゃんの価値も上がっていくと思うわよ」
「ママ。だから、便所のおじいちゃんじゃなくて、神様だって……」
そう僕はツッコミを入れてみたけど、当の神様はあまり気にしてはいない様子。ママの言葉に感動している。
……さてさて。
少し前だと、リサイクルと言えば環境問題対策で、つまりは綺麗事の範疇。アマノジャクかつ、斜に構えた人の中には「ケッ、くだらねぇ」的な反応をしていた人もいたのじゃないでしょうか? まぁ、僕も他人の事を言えない(実際、リサイクルする意味のないようなリサイクルもあるようですし)
ところがどっこい、最近になって少しずつこの事情が変わってきたのです。環境問題抜きにしても、リサイクルが重要になってきた。主な原因は、発展途上国の経済発展による資源不足。資源が足らない。しかし、ゴミの中にはある。ならリサイクルしよう。という感じの流れですね。もちろん、経済的にも採算性のある分野になりつつあります。と言っても、日本ではやっぱり人件費が高いのがネックなのですが。
しかし、そのコストが人件費であるのなら、実は対応策があります。別で料金を集めて、人権費を賄い、生産物の価格は低く抑えるという。
要は生産物に直接、通貨を支払うのか料金として間接的に支払うかの差ですが、料金として間接的に支払えば、低所得層に配慮する事ができたり、企業のコスト面の問題を解決できて海外との競争に不利にならない、といった利点があります。
支出が増えるじゃねーか、と不安に思う人もいるかもしれませんが、支払った料金分、収入が増えるので大きな問題はありません。なにしろ、このループが増えていくのが、経済発展ですから(もちろん、増えない人達もいるのですが、低所得層に配慮すれば社会全体を観れば充分にカバーできます。もっとも、それでも損をする人は出てくるのでしょうが。反対に得をする人もいますが)。
日本国内で資源を賄えるようになれば、海外からの輸入が減ります。普通なら、海外の利益が減るのだから、嫌がられそうな気がしないでもないですが、資源に関してはその限りにあらず、かもしれません。何故なら、国際的に資源価格の高騰は問題視されていて、日本が輸入を減らせば価格が低下し、助かる国が多くあるからです。
因みに肥料の原料に関して言えば、リンの枯渇が特に心配されているのですが、同じ様にカリウムの枯渇も心配されているそうです。今後、発展途上国の経済発展や世界の人口増大によって更に需要は高くなると予想されるので、事態はより深刻になっていくと考えられます。だからこそ、下水からの屎尿リサイクルは世界中から注目されているのですが、これだけでは全てを賄い切れはしません。では、他に手段はないのでしょうか?
簡単に思い付く発想は、供給できないのなら節約すれば良い、というもの。と言っても、既に、リンが多い田畑への施肥を控えるなどの取り組みは行なわれているらしいので、農業従事者の方にこれ以上の努力を強いるのは難しいようにも思います。ですが、消費流通の側から観れば、節約の手段はまだあったりするのです。
それは、予約注文を普及させるというもの。予約注文すれば、需要予測がし易くなるので廃棄されていた食料品が減ります。すると、無駄が減るので生産量を減らしても消費需要を賄えるようになります(実質、生産効率が上がるのと同じ効果)。
と言っても、これだけでは足りません。食品は保存期間が短いので、作ってしまったのなら注文が来なければ、やがては廃棄処分されてしまうからです。ですが、その保存期間を延ばす技術があるとしたら、どうでしょうか?
実はそんな技術が既にあるのです。しかも実用段階で市販もされているという。開発したのは、日本の千葉県我孫子市にあるアビーという会社で、その技術はCAS冷凍(キャス冷凍)といいます。
簡単に説明するのなら、微弱な電磁波により水を均一かつ急速に凍らせ、生物細胞の破壊を防ぐ事で、食料の保存期間を飛躍的に延ばすというものです。刺身を三年間保存して、品質を保ったという実績があります。もちろん、食料以外にも応用は可能で、医療分野でも臓器の保存手段として注目されています。
これなら、注文を受けるまでの間は保存しておけば良く、生産量は在庫に合わせて調整すれば、過剰な施肥を防ぐ事ができるようになります。もちろん、農作物以外でも、資源の枯渇が心配されている水産資源の節約で効果的でしょう。魚や貝といった水産資源の獲り過ぎにより、今、海の生態系は非常に深刻な事態に陥っているのですがね(だから、養殖の普及が急務なのですが、それはまた別のお話なのでここでは詳しく述べません)。
このCAS冷凍は、実は何気で重要な技術革新かもしれません。
最後に、うんことしょんべんの話題からはちょっと離れましたが。人間の生活を支える“食”という意味で関連があるので取り上げてみました。
嬉しそうに去っていく便所の神様を僕とママは見送っていた。そんな神様を見ながら、僕はふと思い付く。
「ねぇ、ママ。今は民俗の神様自体が、家の中であまり祀られたりしていないから、もし、うんこやしょんべんのリサイクルが復活しても、便所の神様がまた祀られたりするようにはならないのじゃない?」
それを聞くとママはこう言った。
にっこりと笑いながら。
「タカシ君。そういう事には、気付いても気付かない振りをするのが、大人ってものよ」
……そうして僕は、大人の階段を、また一つ昇ったのだった。
オチが、こんなんで良いのか?
とも思ったのですがね。