第1章:1.1 霊感の起点と心に刻まれた名前
冬の冷たい風がいくらかの肌寒さを伴って吹きつける。
斜めに差し込むリビングの陽光にはわずかな温もりがあるものの、室内の冷え切った空気を追い払うことはできない。
部屋のパソコンデスクの上には、何枚かのメモ用紙が散らばっていた。
そこには各登場人物の名前や設定がびしりと書き込まれている。
闕恆遠はパソコンの前に座ったまま、窓の外へと視線を向け、その思考は自然と昨年の七月へと引き戻されていた。
当時、自宅のリビングのテレビではYouTubeの動画が流れていた。
その頃、プラットフォーム上では朗讀形式で展開される物語の作品が頻繁に現れ始めるようになった。
それがのちに「オーディオ小説」と呼ばれるものであると、彼は知ることになる。
最初は、闕恆遠もそうした動画に対してそれほど関心を抱いていなかった。
もともと、彼は幼い頃から小説を読むということに対して、ずっと好感を抱けずにいたからだ。
一方で、びしりと並んだ文字はいつでも煩雑さと退屈さを覚えさせる。
もう一方で、世に出回っている作品の多くは、決まって出だしこそ驚きに満ちているものの、その後の展開になるといつの間にかありふれた型にはまり、ひどく味気ないものになってしまうからだった。
おまけに、幼い頃から父親が武侠小説に対して狂気的なまでの情熱を注いでいる姿を目にしてきた。
あの圧倒的な物量のページ数と、江湖の情念や因縁の数々は、かえって無意識のうちに彼の中で長編小説を読むことへの拒絶感を強める結果となっていた。
だが、その最も核心にあるものは、実は彼の心の一番深い場所に隠されている。
自分の妻を除いては、誰も知らないことだったが、闕恆遠の「名前」に対する記憶力は極限にまで悪かったのだ。
学生時代における人間関係の記憶は、彼にとってまさに災難だった。
ごくわずかな親しい友人を除いて、それ以外の人間――たとえ丸三年を共にした中学校のクラスメートであっても、苦楽を共にした高校のクラスメートであっても、振り返れば相手の名前を思い出せないのだ。
この状況はとても奇妙で、日常生活において他のことを記憶する論理や効率は極めて優れているというのに、人名の部分だけにはどうしても越えられない障壁があるかのようだった。
彼自身、なぜこうなってしまうのか説明がつかなかった。
まさにその理由から、文字数の多い長篇小説を開くたびに、主人公やその周囲を取り巻く膨大な脇役の陣容を覚えようとするだけで、計り知れない煩わしさと疲労感を覚えさせられたのである。
それこそが、のちに自分の創作において男女主人公の名前を永遠に固定し、すべての脇役たちについてはすでに厳選された五百人の固定リストを整えておくというスタイルを貫く、ひとつの原因だったのかもしれない。
名前に対する記憶力が芳しくなく、伝統的な小説にも興味が持てない。
だが実際には、高校一年のあのあどけない日々のなかに、ひとつだけ例外があった。
当時、彼は隣のクラスの女の子に恋をしていた。
軽くウェーブのかかった小粋なショートヘアで、愛らしいその女の子の名前は藍語昕という。
ふたりが知り合ってから一年後、彼は勇気を振り絞って藍語昕に告白した。
相手は彼の告白を受け入れこそしてくれなかったものの、冷淡な態度をとることもなく、むしろ毎日彼と親しげに言葉を交わすようになり、下校の道すがら、さまざまな恋愛小説をしきりに勧めてきたのだ。
当時、彼は藍語昕がどうしてこれほどまでに恋愛小説を読ませようとするのか、実のところあまりよく分かっていなかった。
おそらく、年若い頃の心というのはどこか単純でストレートなもので、彼自身、もしそうすることで相手と共通の話題が持てるなら、それはそれで悪くないことだと純粋に考えていたのだろう。
あるいは、その女の子の心の中にも、物語の内容と同じくらい鮮やかでロマンチックな幻想が秘められていたのかもしれない。
そういえば、彼が前回本格的に小説の執筆を手がけてから、なんとすでに27年近くの月日が経っていた。
当時、まだ軍で兵役についていた彼は、青臭い感情を言葉に変え、当時の雑誌『Love Post 網恋e世代』に投稿したことがあった。
まさかその短編の恋愛小説が実際に原稿の依頼を受け、掲載されることになるとは思っていなかった。
そして物語の中に隠されていた主人公と想いは、すべてふたりが部屋で過ごした日々の細やかな思い出を描いたものだった。
その青春の筆致は、除隊とともに現実の荒波の中で次第に封印されていった。
だが誰が想像しただろうか、27年後の今日、運命はまた別の形で彼を文字の世界へと引き戻すことになるとは。
この二年の間、生活は少しずつ変わり始めていた。
YouTubeのプラットフォーム上では、中国本土からやってきた様々な「バカバカしくも面白い(沙雕)」アニメ動画が流行し始めていた。
最初、その奇抜な画風や、やや誇張されたキャラクターデザインのパンダの顔が並ぶ画面を目にしても、闕恆遠は全く関心を抱かなかった。
だが、自宅の二人の息子たちが夢中になって見ているのに押され、彼もまたその傍らに座ってしばらく眺めることになった。
見ているうちに、その中のいくつかの物語における突飛な発想やアイデアがなかなかにユニークであることに気づき、それが知らず知らずのうちに、彼の「物語」そのものに対する興味を再び呼び覚ましたのだった。
それに伴い、今度はオーディオ小説のブームが再び猛威を振るうことになった。
彼は再び、音声によって構築されたこの世界へと足を踏み入れたのである。
ただ、闕恆遠の性格には強迫観念に近い悪い癖があった。
何かのコンテンツに触れ始めると、必ずその経緯を隅々までハッキリと聞き届け、しっかりと見届けずにはいられない。
途中で放り出したり、肝心な展開を見逃したりする感覚が何よりも大嫌いだったのだ。
ところが、YouTube上の多くのオーディオ小説動画は、九割以上が長期間の更新停止、あるいはそもそも完結する見込みすらないものばかりだった。
その中途半端なサスペンスが胸につかえ、彼は自ら動き出し、ネットでそうした動画の本当の源流である「文字版の小説」を探し求めるしかなかった。
実のところ、昨年のその一年間は、闕恆遠にとって決して平穏なものではなかった。
身体の不調に悩まされ、おまけに当時、妻が営む店の手伝いをどうしてもしてやれなかったことが、知らず知らずのうちに彼の精神的ストレスを頂点へと押し上げていた。
妻の店はもともと自分の専門分野とは関係なく、手伝えないからといって自分が悪いわけではないと、頭では分かってはいた。
それでも男のプライドと現実に対する無力感は、変わらず彼の息継ぐ空間をきつく締めつけていたのだ。
その頃、彼は毎日自分の心の奥底で自分自身に対して腹を立て、男でありながら店にいても何の役にも立たず、まるで役立たずのクズのようだと感じていた。
妻は終始優しく彼の葛藤を見守り、彼が心から楽しくなり、ストレスを発散できるような何かに触れてほしいと願い続けていた。
妻の理解と支えのもと、闕恆遠はようやく自分の魂を、一時的に小説の世界へと放り出すことができたのだった。
夜更けの静けさの中や、心が鬱々とするとき、彼の耳には決まって時代を感じさせるメロディが流れていた。
流行りの新しい歌よりも、民國七十年代から九十年代にかけてのクラシックなラブソングに、彼は並々ならぬ深い愛着を抱いていた。
とりわけ張學友の深みと魂のこもった歌声は、いつだって彼の心臓の弦を揺らし、そのハスキーで完璧なコブシの中に、心の奥底にある安らぎと共鳴を見出させてくれた。
そうした音楽の付き添いに加え、彼を本当に完全に夢中にさせたのは、『退学後、全校が僕の復帰を懇願している』というタイトルのオーディオ小説だった。
物語の幕開けは、大学受験(高考)のあとの運命の転換から切り込んでいく。
主人公は激しいストーリーの展開の中で徐々にちゃらんぽらんな態度を露わにし、感情の渦の中でさえあちこちに情を振りまいていく。
これまで、こうした危うい境界線を歩くような内容の大半は、ネット上のいかがわしい色合いを帯びた小説にしか登場しないものだった。
だが、ある中国本土の作家の手によるその作品は、表現の尺度において妙な保守性と自制心を保ちながらも、読者の心理を的確につかんで離さず、思わず一章また一章と読み進めさせてしまう。
その吸引力は、何年か前に読んだ、同じく一気読みせずにはいられなかった往年の官能小説『林檎情縁』のことを彼に思い出させるのだった。
これらの作品には共通点がある。
それは、極めて強い視覚的および心理的なグリップ力を持ち、瞬時に読者の視線を釘付けにし、現実生活の息苦しさの中でひとつの出口を見つけ出させてくれるということだった。
時は流れ、旧正月のわずか二週間前へと差し掛かっていた。
家庭の生活にも、少しばかりの微妙な変化が訪れていた。
ふたりの息子たちが五年前、まだ小学生の頃から運営していたYouTubeチャンネルの件を、ついに家族の長老たちや親戚にも正式に打ち明けたのだ。
今年の旧正月には、このチャンネルもいよいよ登録者数一万三千人というマイルストーンに踏み込もうとしていた。
だが実際には、その裏でずっと心を砕き、動画の編集を切り盛りしてきたのは、ちょうど小学校を卒業したばかりの次男だった。
一方の長男は中学校へ進学して以降、学業の負担が重くなり、動画制作への情熱も徐々に薄れていっていた。
子どもたちがそれぞれの領域で模索を続ける姿を見つめながら、闕恆遠の胸中は感慨深さと温かさが入り混じっていた。
旧正月が間近に迫るある日の午後、闕恆遠は時間をやりくりして近所の床屋へと髪を切りに出かけた。
順番を待つ退屈な隙間時間、彼は待合室のソファに腰掛け、スマートフォンで創作や投稿に関連する様々な資料を検索していた。
その頃、彼の頭の中ではひとつの疑問について真剣に考え始めていた。
もし自分が本当に物語を書き上げるとしたら、いったいどこで公開するのが一番良いのだろうか、と。
かつて知っていたいくつかの小説サイト――例えば鮮網や小説頻道などを思い返してみても、今ではほとんど存在しておらず、ネット文学の生態系はすでに何回転換をも経ていた。
彼はスマートフォンで現存する各プラットフォームの特性を一つひとつ調べていった。
角多多、鏡文學、POPO、バハムート、Penana、方格子、さらには中国の起点中文網にいたるまで、彼の調査の範囲に含まれていた。
どうせ心力を注いで書く以上、現実的な考慮は当然欠かせない。
彼は閲覧による収入を得ることを最優先に考えていた。
しかし、一通り計算を巡らせ、台湾のネット文学の生態系を理解したのち、彼はすぐに決断を下した。
知名度がまだ確立されていない段階では、露出度こそが今の自分にとって最も重要な事柄なのだ。
それならば、自分を縛りつける必要などない。
いっそのこと、すべてのプラットフォームに掲載しようと決めたのだった。
そこで、旧正月のこの期間、家族と一緒に麻雀を囲んだり、子どもたちとテレビゲームで遊んだりする以外のほとんどの時間を、闕恆遠は自ら構築した幻想世界の中に浸り、物語をどのように描くべきかの計画に費やしていた。
脳裏に浮かぶアイデアは数多く、様々な面白いプロットが走馬灯のように駆け巡る。
だが、こうした断片的な霊感をいかにして流れるような筋書きに組み立てていくかについては、なお細かく熟考する必要があった。
主人公の年齢はいくつに設定すべきか。
少しばかりの取るに足りないエロティックな張りと曖昧さを帯びさせるべきか。
物語の基調は、純粋な幻想をたどるべきか、それとも強い写実感と生活の息吹を帯びさせる必要があるのか。
幾度もの推敲を経たのち、彼は物語の起点目を幼少期へと引き戻すことを仮決定した。
小学校一年生の純真な時代から切り込み、男主角は昼間は普通の小学校に通い、夜になって眠りにつくと別の奇異な世界へと赴くという独特の人物である。
そして物語の展開に伴い、女主角たちも次々とその神秘的な夢の世界へと足を踏み入れていくことになった。
主人公と女主角たちの命名について言えば、実は実に奇妙な経緯を帯びていた。
不思議なことに、今年一月の年越し以降、連続するいくつかの夜、彼は睡眠の中で決まってまったく同じ鮮明な夢を見続けていた。
夢の中の彼はこの上なく何もない道路を歩いており、周囲に人影は半人おらず、微かな光だけがアスファルトの路面に降り注いでいる。
すぐ前方の遠くないところに、年若い女の子が一人立っていた。
相手は振り返り、まっすぐに視線を彼に向け、この上なく自然で親しげな口調で彼に向かってパパと呼びかけ、彼女が自分の娘であり、名前を悅芯瑤と言うことを告げた。
その夢は信じられないほど現実的であり、続く二日目の夜、三日目の夜には、次々と異なる女の子たちが彼の夢の中に現れ続けた。
ある者は自らを伊依と名乗り、またある者は自分を千禧と呼ぶよう告げた。
これら数人の女の子たちは、夢の中でみな口をそろえて彼の娘だと自称していたのだ。
この奇妙な夢は、まるで静まり返った湖面に投げ込まれた小石のようで、現実の中に波紋をかきたて、ついには彼の筆が紡ぎ出す感情と運命の礎へと転化していったのだった。
かつて学生時代に過ごしたクラスメートたちの記憶、感情に対する深い体得、そしてあの数夜の夢の中で響いた女の子の呼び声。
それらが結びつき、五人の固定された主人公たちの輪郭が、こうして頭の中で次第に鮮明になっていった。
男主角は自分の名前をそのまま使うことに決め、常に闕恆遠で固定し、女性主角たちは最終的に悦清禾、伊凝雪、千慕羽、そして玥映嵐の四人に定まった。
こうして、旧正月の間に響き渡る賑やかな麻雀の牌音や、子どもたちがゲームではしゃぐ笑い声は、頭の中で次第に形を成していく壮大な物語やあらすじと、こうして織り交ざっていくのだった。




