第2話 食事中に
注・R15の表現が数箇所出てきます。
もともとはこんなに早くR15を出すつもりはなかったんですが、暴走しました。
睡眠から覚め、別段重い訳ではない目蓋を持ち上げる。視界に入ってくるのは灰色の天井。窓から入ってきた風が頬を撫で、髪を揺らして去っていく。
「腹減った」
少年が呟くとそれに同調するかのように腹の虫が鳴く。
ベッドから起き出し、部屋の扉へ歩き出そうとして床に転がっていた箒を蹴り飛ばした。
「箒……」
自分が傷つけてしまった少女のことを思い出す。
「そういや先送りにして寝ちまったんだっけ」
床に転がっている箒を拾い上げて、その場でどう謝るべきかを思案する。しかしどう謝ったとしても「私は奴隷ですから」と返される未来しか想像出来なかった。良案と呼べるものを思いつかないまま考え耽っていた所でもう一度腹の虫が鳴いた。
「まずは腹ごしらえからだな」
部屋から出て適当に歩いていると、カツカツカツとリズムの良い音が聞こえてきた。音の正体を想像してまた腹が鳴く。廊下を少し歩いて音がする部屋に入った。部屋の中心には四人が食事を取れるほどの大きさの木のテーブルとそれに付属する三つのイスがあり、奥は台所になっているようで白い少女が料理をしてリズムの良い音を奏でている。
「よう」声をかける。
少女は振り返って少年の姿を確認する。
「主様、ただいまお食事の準備をしております。イスに掛けてお待ちください。箒は後ほど私が片付けておきますので壁に立てかけておいてください」
始終無感情な視線を向けて言い、また料理に戻った。
気にしている様子は微塵も感じられなかったが、少女の腕にはくっきりと握られた跡が残っていた。まるでそこに赤い腕輪がはめられているようだ。
言われたとおり、少年は壁に箒を立てかけるとイスに座って、少女の後姿を眺めながら料理が出来るのを待った。
こうしていると年は若いが新婚の夫婦のようだな、と少年は思った。そして新しい疑問が生まれる。
「そういえばこの家って俺と君以外に誰が住んでるの」
少女は手を止め、振り返った。
「主様と――」
「いや、いちいち手を止めてまでこっち向かなくていいからさ。料理しながら答えてくれれば」
「それでは主様に対して失礼になってしまいます」
「そういうものかなあ。でも料理の途中で目を離すのって危ないだろ。だから俺への敬意とか考えなくていいから料理優先して」
「そうですか。では質問にお答えするのは後ほどということになるのでしょうか」
「……そうじゃなくてだな。要するに、料理してるときに俺に話しかけられて、こっちに向く必要がない場合はそのまま料理を続けながら返事してくれればいいってこと」
「畏りました」
少女は相変わらずの無表情で応えて料理を再開したが、声色は不満そうだった。
「現在この家に住んでいるのは主様と私だけです」
脈絡のない少女の回答に苦笑が漏れ、次いでその事実に目を丸くする。
「ちょっと待て、本当に二人だけなのか」
少女は料理の手を止めて振り返ろうとして、「料理しながら、な」少年の声に止まり、また料理を再開した。
「主様と私しか住んでいません」
「それって色々と問題あるんじゃないのか。その……年頃の男女が一つ屋根の下って」
「色々とはどういう問題でしょうか。私には分かりかねます」
「色々は色々だよ。危機感ないのかよ。俺だって一人の男なんだぞ」
「主様は狼さんなのですか?」
「……狼ってお前」
「分かりませんか? では、主様はお召し上がりになるのですか? 何を、とは言いませんが」
「………やっぱりこの話題はやめよう」
「分かりました」
そしてしばらく経ち、「主様、お食事の準備が出来ました」
少女はサラダの盛られた皿とシチューのようなものが入れられた皿を並べ、フォークとスプーンを用意すると、少年の傍らに立った。
「えっと、どうして君の分は用意しないの」
「私は後ほど頂きます」
「別に一緒に食べればいいじゃん」
「私は奴隷ですから」
「席は余ってるんだからさ、一緒に食べればいいんじゃないの」
「私は――」
「奴隷ですから?」
「……はい」
「どうしても譲れないって言うなら、これは命令。俺と一緒に食事を取れ」
「……畏まりました」
少女は台所に戻ると自分の分の料理を盛り付けて少年の反対側のイスに座った。
「料理は出来立てが美味いし、多人数で食うのがベターなんだよ。これ常識。分かったなら食うか」
「はい。ではお召し上がりになって下さい」『お召し上がりに』の部分が強調されていた気がしてならなかった。
「わざとか?」
少女は微かに不敵な笑みを浮かべた。「何のことですか?」
それは少女が少年に見せた初めての笑顔だった。
「まったく……」
言葉では呆れているものの、顔には隠し切れずに笑みが浮かんでいた。
そして食事が始まり、少年は食事についての感想を舌鼓を打ちながら述べ終えた後、切り出す。
「話を戻すけど、どうなの? その、危機感とか。食事中に話すことじゃないだろうけどさ」
「主様が狼になるという話ですか」
「いや、だから狼って……」
「ではどのような言い方をご所望ですか?」
「ストレートなのは避けてほしい」
「十分婉曲なものだと思うんですが、狼。……では改めて、主様が私をお召し――」
「ストップ!! 今食事中。分かってる!?」
「食事中にこの話題を持ち出したのは主様です」
少女は表情こそ無表情だったが視線には呆れが混じっていた。
「それはそうだけど、大事なことでしょ。君の……その、て、貞操とかにも関わってくるものだし」
「"貞操"ごときでどもるなんて主様どれだけ初心なんですか」
「ごときってお前、てて、て貞操は大切にしなきゃいけないだろ」
「主様どもりすぎです。それに男の人が貞操を語るものじゃないですよ」
「そりゃそうだけど。とにかく、危機感とか不安とかないわけ?」
「ない、といえば嘘になります……けれど私は奴隷ですから」
少女は全く悲しそうな顔をせず、無表情のままその残酷な事実を述べる。
「奴隷って言ってもさ、色々あるじゃん、人間としてさ。初めては好きになった人がいいとか」
「本当に食事中にする話ではありませんね。それに奴隷は人間ではありませんよ」
「……ごめん……色々と」
俯き、手が止まる。嫌なことを思い出させてしまったのだろう。少女が人間として扱われてこなかっただろうこともそうだし、こんな年頃の少女の奴隷なら"その行為"に嫌な思い出があるのは必然だ。好きでもない男性と体を重ねたことだってあるかも知れない。
「主様、顔を上げてください。料理は美味しく食べないといけないのでしょう?」
「ああ、そうだな」食事を再開する。
「それに……」
「奴隷ですからって?」
「いえ、そうではなくて私は……生娘ですから」
「ぶっ」吹いた。げほげほと咽る。「お、お前、生娘って、げほっ、そんなの俺に言っていいのかよ」
少女は無表情のまま首を傾げて言う。「何か問題ありますか。やっぱり主様は狼さんでしたか」
「ちょっと待て。そこは否定させろ。俺は断じて狼などではない」
「ならなんで動揺したんですか。主様が心配なさっていた貞操はしっかりと守られていることも分かって、むしろ安心するものとばかり思っていました」
「それは……」
「別に構いませんよ。私は主様が狼でも。奴隷ですし。存分にご使用下さい。まあ、"初めて"と"貞操"が一気に奪えるという豪華二大特典付きですが」
「………」沈黙が流れる。
さすがに少女も言いすぎたと思ったのか遠慮がちに声をかける。「あの、主様?」
「……もういいや、この話はここで終わり。俺は君を襲いません。以上」
少年に怒りは一欠片もなかったが、脱力感が漂っていた。
少女が生娘でいられる理由の一端を垣間見た気がした少年であった。