第13話 買い物帰り
遅くなりましたっ。
主に食事の材料を、そして開閉するたびにキィと耳障りな音を出す扉を直すための蝶番や釘なども見て回り、コク達は一時間ほどで目当てのもの全てを買い終えた。
途中、購入したものを入れて、重くなったバッグをハクが持つことを好ましく思わなかったコクが、「バッグは俺が持つ」と言ったことにより口論になりかけもしたが、人ごみの中で口論するのは拙い上に、目立ってしまうのは好ましくないと考えていることもあってか、ハクがあっさりと折れることで事なきを得た。
賑わっている通りを抜けて、コク達は帰路に着く。朝食を食べてそれほど時間が経たないうちに出発したはずだったが、太陽は既に頭上で輝きを放っていた。
「ここまで来ればもう手を放しても大丈夫だろ」
喧騒は遠く、辺りには人も疎らにしかいない。
「そうですね」
ハクが応えると、二人はどちらからともなく手を放した。
「それにしても暑いなぁ」
放したことで自由になった手で額の汗を拭った。
コクは頭上を目を細めて見上げる。羊雲があちらこちらに寂しく漂っているが、どれも日光を遮ってくれるほど厚くもなく大きくもない。光は弱まることなく地上を照らしていた。
「暑ぃ」
額に浮かび上がってきた汗を再度手の甲で拭う。
「ハクは大丈夫か?」
隣を歩く、黒いフードを被った少女に声をかける。この環境下で黒いフードというのは相当キツイのではないのだろうか。
ハクは首をコクンと縦に振り、戻すことはせず俯いたまま歩く。
「……大丈夫です」
だが、声には生気がなかった。
「なぁ、本当に大丈夫か? フード取った方がいいんじゃないか?」
ハクは首を横に振る。表情は隠れて見えないが、フードの奥にある顔が辛さで歪んでいる光景は想像に難くない。
「ハク」
コクは先回りして、ハクの前に立つ。
ハクはそんなコクに気付かなかったのか、俯かせた頭がコクの胸にぶつかった。
「……問題ありません」
小さな声で呟くと、コクを避けて行くために脚を横に踏み出した。
――その時だった。ハクの身体がフラッと揺れてそのまま倒れそうになる。
「危なっ!?」
コクは異変に気付くとすぐに手を差し出してハクを支え、抱き寄せた。
「ハク! だから言ったろ」
「……大丈夫………」
ハクはコクの胸に抱かれ、荒い呼吸を繰り返している。
フードを剥ぎ取ると、真っ白だったはずの肌は熱で赤く染まり、額には玉のように大きな汗の粒が浮かんでいた。
「くそっ」
どうしてもっと早く気付けなかった。こうなることは簡単に予想がついたことだろう!!
「ちょっと待ってろ、今、日陰まで運んでやるから」
「……だいじょう、ぶ、だから……」
「黙ってろ」
ぐったりとしているハクを背負う。
「よしっ」
ハクの身体は思っていたよりずっと軽くて、もしかしたらこのまま消えていなくなってしまうのではないかと根拠のない想像をしてしまう。
耳ともでは苦しそうな呼吸の音がしている。
「待ってろよ……」
周囲に視線を走らせると、道の先にある原っぱに大きな木がポツリと立っているのを見つけた。木の下は日光が遮られて陰になっており、地面は芝生ほどの丈の草が覆っている。人を寝かせるにはちょうどよさそうな場所だ。
「あそこにするか」
そう言って、コクが歩き出そうとした時だった。
「――あ、あんた。ちょっと待って」
声が聞こえた背後へと振り返る。そこには齢三十代後半ほどの女性がいた。彼女の名をコクが知る由もないが、この女性はハクが昨日の朝、会った女性――タルムである。
「なんですか。急いでいるので手短にお願いします」
コクは冷たい視線を送り、タルムを急かす。
「あんたの背中の娘、ハクだろ。どうしたんだい!?」
冷静な態度を取っているコクとは対照的に、タルムは相当焦っているようだった。ハクを心配そうに見つめている。
「ハクの知り合いの方でしたか。話は移動しながらでもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。なら私にも何か手伝えることはないかい?」
それでは、と言いながらコクは手に持っていたバッグを差し出す。「これを持っていただけないでしょうか」
「分かったよ」
コクはバッグを手渡すと、小走りになりながら先程見つけた大木の方へ向かう。早く辿り着くためには走るべきなのだろうが、ぐったりしているハクに本来不必要なはずの刺激を与えたくはなかった。
女性も小走りでコクについて行く。
「それで、その子――ハクはどうして?」
「たぶん熱中症です。この炎天下の中、ずっと黒いフードを被ったままで……俺が止めておけば………」
コクは自分が不甲斐なくて唇を噛み締めた。
「そうなのかい、この子……」
タルムはコクに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟く。「バカだね……」
ハクがフードを被っていた理由。それがタルムには何となく予想出来た。
おそらく、サユであった時の自分を知る人に会って引き止められることによって、自分の主に迷惑が掛かることを避けたかったのだろう。
もしくは昔の自分のことを知られたくなかったのか。
タルムは昨日の朝出会った時のハクを思い出す。あの時のハクは昔の自分を拒絶していた。自分の中に眠っているサユとしての感情を恐れていると言ってもいいかも知れない。
主には昔の自分のことを話してはいないだろう。その状態でサユの時の知人と会うのは好ましくない。
どちらにしても、こんなことにならずに済む対処の仕方があったはずだ。
「本当に、バカだよ。この子は」
タルムの呟きは届いていたが、責任を感じているコクは同意することもなく歩き続ける。
大木の下に達すると、背負っていたハクを根元に寝かせる。
汗で額に貼り付いている白い前髪を手の甲でどける。
「ごめんな……」
浮かんでる苦しそうな表情に後悔の念が押し寄せてくる。
頭を振って気持ちを切り替える。後悔することはいつだって出来るんだ。今やるべきことをやらないといけない。
コクは、隣で心配そうにハクを見るタルムに向く。
「あの、水持っていませんか?」
「水かい? ちょっと待ちな」
そう言って、タルムは自分のバッグの中から水筒を取り出した。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
コクは水筒を受け取ると、横になっているハクの背中に手を回して、上半身だけを起き上がらせた。
「水飲めるか?」
ハクは荒い息を繰り返しながら頷いた。
水筒の蓋をはずしてその中に水を注ぐ。それをハクの口元に持っていき、傾ける。
こくこくとハクの喉が鳴り、水を飲んでいく。
「……ふぅ」
「もう一杯いけるか?」
「……うん」
ハクが頷くと共に小さく呟いた。
もう一度水を用意すると、先程と同じようにしてハクに飲ませた。
「……ふぅ」
水を飲み終える。呼吸も落ち着いてきていた。
「どうする。もう一杯飲むか?」
「いい」
返事を聞くと、ハクを支えていた手をゆっくりと地面に下ろして、寝かせる。
「少し休め」
「うん」
しばらくすると、規則的な呼吸音――寝息がし始めた。
それを聞き、コクは一気に脱力して地面に腰を下ろす。
「はぁ、良かったぁ」
「本当に。大事に至らなくて良かったよ」
隣で屈んでいたタルムが同意する。
「えっと、水筒ありがとうございました」
コクは手に持っていた水筒を手渡した。
「いいや、このくらい気にせんでもええよ」
「いえ、本当にありがとうございました」
コクは頭を下げた。
「そんなにされるとこっちが恐縮しちまうよ。私もこの子のことが心配だったんだ」タルムは優しい目つきでハクを見る。「だから当たり前のことをしただけなんだよ」
「それでも、俺はあなたに感謝してます。……あっと、そういえば名前」
「あぁ、そう言われてみると、確かにお互いの名前知らないね、私ら。私はタルムって言うんだ、よろしくね」
「俺はコクです。よろしくお願いします、タルムさん」
そう言って、コクとタルムは握手を交わしたのだった。
遅くなったことの言い訳をさせてもらうと、別の小説を書いていたのが原因で。
「死神」の方じゃなくて、まったく別の小説です。
「箱庭」がひと段落するまでは自重しようと思ったんですが、勢いだけで書いてしまいました。
……後書きなのに活動報告っぽくなってる気がする。
ま、いいです。
「紅い月」ってタイトルにして投稿します。興味があれば見てください。
って完全に宣伝になってますね。これ。
次話は……気が向いたら書きます。
遅くとも来週の月曜日くらいまでには。