第11話 道を歩いて
家を出ると、そこにはのどかな風景が広がっていた。目の前には草むらが広がり、その奥には未開発の森林が茂っている。
その光景に圧倒されて立ち止まっていると、後ろからハクの声がした。
「コク様、こちらです」
見ると、フード付きの黒の長袖を纏った少女は、西――現在の太陽の位置から推測して――へ続く舗装されていない道の先を指している。
「ああ、分かった」
肌寒い季節でもないのにフードを目深に被ったハクの姿にはやはり違和感があるが、言っても無駄なので気に留めないようにする。
指された道へ歩き出すと、ハクはコクの斜め後ろの位置を保ってついて来た。
「ハク……案内はお前がしてくれるんじゃないの?」
「はい。そうですが、何か?」
「ならさ、なんで俺より後ろ歩いてんの? 案内になってないじゃん」
ハクはため息混じりに言う。
「私は奴隷ですよ」
「いやいや、それ理由になってないだろ」
返事も自然とため息混じりになってしまう。お互い、家を出るまでのやり取りで強く言い合いをする気力がないのだろう。
「通常、奴隷は主の前を歩かないものです」
「今は通常時ではありません。なのでせめて俺と並んで歩いてくれ。以上、結論」
コクは脱力感が漂う声で控えめな命令をする。
「……分かりました」
ハクは小走りになってコクの横に並ぶと、またスピードを歩きに戻す。
「小言みたいになって悪いんだけどさ。やっぱり体裁よりも効率重視ね。……これは前も言ったか」
「はい。効率を優先しろ、とは仰られていたはずです」
「んじゃあ、そういうことで。いいか?」
「………」
「返事は?」
「……これは非常に難しい問題なので返事は保留とさせていただきます」
「はあ。まぁどうでもいいんだけど。……いや、よくないか………」
コクは独りごちたが、ハクがそれを気にすることはない。
「コク様こそ、家の中では効率優先で構いませんが、外ではしっかりと体裁を気にしてくださいよ」
「最低限は気にするよ。それ以上は期待するな」
「そうですか………私が奴隷だとバレていない間は私がなんとかしますが、奴隷だとバレた場合は私の主らしい態度を取ってくださいよ」
「へーい」
この人は絶対に分かっていない、と呆れた視線をハクが送ったが、コクはちらりと見ただけでこれといって大きな反応はしなかった。
しばらく無言で歩いていると、周りにはだんだんと民家や畑が増えていき、既に木の姿は遠くなっている。どうやら村の中心部に向かっているらしい。
「そういえば、俺、今どこに向かっているのか全く知らないんだけど」
「申し上げていませんから、当然ですね」
「いや、当然とか言ってないで教えてくれよ」
「今は市へ向かっています」
「市?」
「はい、市です。大体平均で一ヶ月に四、五回、"中央"から商人の人達がやってきて開いてくれるんですよ。今日はちょうどその日だったので買い物も兼ねて行くことにしましたが、問題あるでしょうか」
「いや、ない。むしろ俺も市ってヤツを見てみたいからな。歓迎だ」
「そうですか」
ハクはそっけなく返す。「問題があるか」と訊いておいて、返事に対する興味が然程感じられないハクの態度に苦笑が漏れる。
「そういえば、さっきハクが"中央"って言ってたけど、それってこの国の首都のことなのか?」
「シュト? なんですかそれは」
ハクは不思議そうに首を傾げる。
「えっ、知らない? 首都って」
「はい。存じ上げておりません」
コクはしばしの間、顎に手を置いて、首都をどう説明すべきか思案する。
「えーっとな、首都って言うのは……まぁ、国の中央みたいなもんだ」
――結局、詳しく説明することを諦めて微妙な説明になってしまった。
首都とはその国の中央政府がある都市のことを指す言葉なのだが、生憎コクはそこまで詳しい定義を知らなかった。
「そうですか。コク様の説明が正しいならば、シュトではありませんね。そもそもこの地域は国ではありませんし」
「は? 嘘だろ」
「いいえ、本当です。北方には国があると聞いたことがありますが、この辺りでは町や村による自治が行われる場合がほとんどです。もちろんこの村もそうです」
「……へぇ、そうなの」
コクは国がない状態というものを想像して人々が争っている光景を思い浮かべてしまい、苦い顔をした。しかし、「そんなはずはないだろう」とすぐに気を取り直して別の質問に移る。
「それじゃあさっきハクが言ってた"中央"ってのは?」
「それは商業や流通の"中央"という意味ですね。ここから馬車で二日ほどの所にある、商業の栄えた大きな町のことです。この辺りの商人はほとんどがそこを中心に活動していますね。町の名前が、早口言葉のように長くて発音しにくかったから、もともとは商人の人達の間だけで使われていた"中央"という言葉が広がったそうです。町の名前を聞いたことはありますが……よく覚えていません」
「そんないい加減でいいのか……」
「問題がなかったからそうなっているのでしょう」
「いや、そうなんだろうけどさ」
後味が悪いような気持ちになったコクだったが、そのことを議論するほどこの地域に詳しくもないし、議論することは体力を浪費するだけで無益なことこの上ない。そのため気にせずに流すことにした。
会話が途切れて、足音と遠くから聞こえる喧騒だけが場を支配する。
これといって話すこともないコクは思考の海に沈む。
――国が存在しない。
その事実はコクに決して少なくはない衝撃を与えていた。
コクは自身が育った地域――おそらくここから相当な距離が離れている文化圏の異なる場所――のことは覚えていないが、国というものは当たり前のように存在しているものだったはずだ。現に今、コクが国がないことに衝撃を受けているのがよい証拠である。
北方にはあるらしいが重要なのは身の回りの、つまり住んでいる地域のことである。
国が存在しないこと、それ自体にはそれほど感慨がある訳ではない。
例えば、この地域に国ができたからといってそれがどのような影響を与え、利益になるのか。少なくともコクは答えることが出来ない。国がないことについてとやかく言う資格はないのだ。
それに本当に必要なものは意図的に作らなくても自然に生まれるものだ。ここは国を作る必要のない文化を持っているのだろう。もちろんその具体的な内容を推測することは出来ないが。
閑話休題。
コクが気になっているのは国の有無ではなく、国がないにも関わらず奴隷という制度が確立されているという点である。
国が奴隷という身分を厳格に定めているのなら分かるが、ここではそのようなことはない。すなわち奴隷制度が風習のようなものになっているということだ。
しかも、奴隷は白い腕輪をはめ、その主は黒い腕輪をはめる、こんな具体的な決まりまである。この村にはあまり奴隷がいないというハクの話を聞く限り、腕輪の決まりは自治が行われているこの村だけのものではなく、この辺りの地域一帯でのものなのだろう。
「はぁ」
ため息が出る。
自分はどうしてこんな小難しい考察をしているのだろう。
奴隷制度が国の定めたものであろうと風習であろうと関係ないではないか。歴史を学びたい訳ではない。"奴隷制度というものがある"という認識だけで十分だ。
何がしたいのか、それを見失ってはならない。
奴隷であることを理由に感情を抑え込まないでほしい―――ハクに望んでいることだ。
奴隷の制度を変えようとしているのではない。たった一人の少女の気持ちを動かすのに複雑な考察は無意味だ。
やらねばならないこと。それは。
「ハク」
「はい。なんでしょうか」
ハクは無表情にコクを見た。
ハクが心を開けるような相手になること。そして――
「――この村について教えてくれないか」
自分ひとりで、この場所で生きていけるようになることだ。ハクに頼ってばかりではいられない。だが今はまだ、自分の知らないことが多すぎる。
「ナギルについて、ですか?」
「ここ、ナギル村って言うのか?」
「そうですが。どうしたのですか、唐突に」
「いや、俺もここで生活することになったんだし、そりゃあ知ってる方が便利だろ」
「はぁ、そうですか」
「んじゃあ、頼むわ」
「畏まりました。えっと、まずは………」
一通り説明を受けた後、コクは村の地理、風習や行事等、必要になると思われる事柄について、ハクに細かく訊いていった。問答は市の開催場所に着くまで続けられることになるだろう。
――どうしてハクがナギル村についてそこまで詳しいのか。そのことをコクが疑問に思うことはなく、また理由を知るのも今はまだ先の話である。
説明っぽい回になってしまいました。
今回新しく追加した設定が物語の中で重要なファクターになっていくことはたぶんありません。
早めに投稿できるとか言っておいて2日も経ってしまいました。すみません。
言い訳になるんですが、サボってたってわけじゃないんです。
別の小説を書いていて……。
むしろサボってるのは勉強のほうだったりするわけで。
いい加減に夏休みの宿題を始めなければ、と思う今日この頃。
次話は早くて木曜、遅くても土曜までには投稿したいと思います。