prologue -a
天気は晴れだ。見上げた空は半分が青色で半分が白に近い灰色。空の八割が雲に覆われなければ天気は曇りではない、などと割とどうでもいい理科の知識を再確認する訳だがこれといって利益はない。
彼は学校までの道のりをゆっくりと歩きながら一日の始まりに憂鬱になる。別に理由があるのではないのだが、なんとなく憂鬱なのだ。
授業は嫌ではないし、友人関係も上手くいっていると自負しているが、漠然と学校に行きたくはないと考えている。と言うよりも生きることに対してそれほど熱心ではない事がそもそもの原因なのだが、彼本人はそれに気付いていない。
登校路の半分ほどを消化して差し掛かる、然程大きくもない十字路の中心にその老人は立っていた。髪はほとんど白一色に染まり、頬は痩せこけている。
それだけなら別段気に留めることもなかっただろう。そんな人間は探せばいくらだっている。彼は活発な好青年ではないし、まして律儀な社会人などという存在とは程遠い。だから挨拶なんてするはずがなかった――普段なら。
「おはようございます」
しかし、彼の口は老人への言葉を紡ぎ出していた。無意識に、という訳ではない。言葉は意図的に吐き出したものだ。老人の視線が何故かこちらに向けられているようだったので、仕方なく外面を愛想の良い笑顔で取り繕っただけで心の籠もっていない挨拶をした。
気に入らなかった。無性に腹が立った。感情の原因は自身の態度だという事は解りきっていたが、素直に認められるほど大人になってもいない。苛立たしさは外に出ることなく靄のように溜まっていく。
「おはよう」
老人は無表情のまま応えた。その視線は、遠くからだと彼に向けられているようだったが、近づくにつれてその先にあるものが彼ではなく何処か遠い虚空であるような印象を受ける。まるで全てモノに対する興味が失せてしまった者の瞳のようだ、と脈絡もなく思った。
「君には願いがあるかね」
老人に問いかけられたのは、隣を通り過ぎようとしてちょうど肩が並んだ時だった。
「願い?」
首だけで振り返って、鸚鵡返しをした。声は少々低く、眉根は寄っていた。
「そう。願い」
彼の不機嫌そうな態度に気付いていないのか、老人が物怖じすることはなかった。それどころか、こちらに向けられている視線が交錯する事すらない。なんとなく腹立たしかった。
「あんたに話して何の意味があるってんだよ」
具体的な願いなど思い浮かばなかったが、反発した。そんな自分が腹立たしかった。
これ以上この老人に関わるのはやめようと思った。感情の矛先が変わる前に、持て余した感情の捌け口が外部に作られる前に、立ち去ろう。
「願いはあるかね」
老人は初めの問いを繰り返すだけで彼の質問に答えることはなく、ゲームのNPCと会話しているような気分になった。
苛立ちが募る。質問を無視された事が腹立たしかった。視線を合わせようともしないのが気に入らなかった。なによりも、他人の心に土足で踏み込んでくるような態度に吐き気がした。どうしてこんなにも苛立つのか分からない。半分は八つ当たりのようなものだ。だけど、その言葉が引き金を引いて――
「願いはあるかね」
――キレた。
「俺を解放してみろよ!!」怒鳴った。
何から、とは言えなかった。自分でも分からない。老人に出会った事による苛立ちからか、憂鬱な毎日からか、それとも全く別のモノからなのか。個人を縛る鎖は視えないだけで無数にあるものだ。
「よかろう」
老人の声と同時に、彼の意識は闇に堕ちた。
人が倒れる音がすると、老人は無表情を崩して歩き始めた。その些細な変化に気付く者がいたとしても、変化の意味を汲み取れる者はいないだろう。
苦笑に近い失笑に似た表情の老人は、十字路から姿を消した。
読んでいただきありがとうございました。
基本的に不定期更新でいきたい思いますが、一週間に一度くらいは頑張ります。
ド素人で文章も拙いかも知れませんが、これからよろしくお願いします。