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チータープール  作者: 伊阪証


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第四話

朝、寝床の布が擦れる音が先に来た。布の音の後に、遠い金属音が一回だけ鳴って、耳の中の線がそれに合わせて太くなった。太くなった線はすぐ細く戻った。戻った線が、昨日の空の欠け方を連れてくる。欠けた影の角度だけが、頭の中に置かれる。置かれるだけで、言葉は出ない。


膝の横は軽かった。肩紐の重さがない。布の上に銃がない。手を伸ばしても、指先は布の端に当たるだけだった。指先が布を探って、布の下の硬い土に触れる。土は冷たくない。夜でも冷たくならない。


寝床を抜けて外へ出ると、縄の線が朝の影で見えにくいまま残っていた。縄は三重のまま、結び目だけが増えている。結び目の位置が少しずつずれて、通れる幅が昨日より狭い。狭い幅の先に、大砲の布がある。布の端が整っている。石が等間隔に置かれている。等間隔の石は、手を伸ばす前に肩が掴まれる場所だと体が覚えている。


石の陰にいた子供は二人だけだった。昨日の三人のうち一人がいない。いないことを確認しても、声は出ない。出ない代わりに、指が膝を叩く。叩く音が短く途切れて、耳の線がそこに寄る。寄った線がまた空へ戻る。戻る速度が早い。早いと、呼吸が勝手に短くなる。短い呼吸のまま、舌が上顎に貼りつく。


靴音が近づいた。近づく靴音は一直線で、止まると砂が沈む音がした。上から落ちた声は短い。


「おい、お前だ。こっちへ来い。ぐずぐずするな。」


引かれる腕は強くない。強くないのに、指が外側を向ける方向が決まっている。決まっている方向へ足が動く。足が縄の線の間を通る。通るとき、縄を跨がないように歩幅が勝手に調整される。調整は説明より先に体で起きる。


縄の内側に入ると、空気が変わる。匂いは同じ砂の匂いなのに、布の匂いが混ざる。布の匂いに油の匂いが薄く乗る。薄い油の匂いが指先を思い出させて、指が勝手に開く。開いた指が何も掴めない。掴めないまま指の腹が擦れて、皮膚が乾いた。


大砲の布の前に、昨日の襟の立った服がいた。砂が付いていない襟は今日も砂が付いていない。襟の角が折れていない。折れていない角を見ていると、目が止まる。止まった目の前で、襟の立った服が紙を一枚だけ取り出した。紙を広げない。広げずに、紙の端を指で押さえて、こちらを見た。


声は落ちない。代わりに顎が一度だけ動く。動いた顎の合図で、横の兵士が短く言った。


「そこに立て。指示があるまで勝手に動くんじゃないぞ。」


立てと言われた場所は、縄の内側の線の上だった。線の上は砂が固められていて、足跡が少ない。足を置くと靴底が少しだけ沈まない。沈まないと、足の裏が冷たくなる。冷たさが上がって、膝が勝手に固定される。


襟の立った服が指を一本だけ立てた。指は上ではなく空の斜めを指している。指の先が少し揺れる。揺れは止まらない。止まらない揺れを見ていると、耳の線が太くなる。太くなった線が一本になって、指の先の方向へ伸びる。伸びた線が空の白に刺さる。刺さっても何も見えない。見えないのに刺さる。


「いいか、あまり上を見るんじゃない。目は伏せておけと言ったはずだ。」


背中の方から声が短く落ちた。昨日と同じ言葉。短い。


見るなと言われたのに、首は動かない。動かない首の代わりに目だけが動く。目が空の白を舐める。舐める動きに合わせて、耳の線が太くなったり細くなったりする。太くなると口の中が乾く。乾くと唾が出ない。出ない唾の代わりに、舌の根が跳ねる。跳ねるたびに歯が触れて、口の中が鉄みたいになる。


音が来た。


昨日の高い音より少し低い。低いと太い。太い音が遠くから近づいて、耳の線がそれに合わせて一本になる。一本の線が空の一方に固定される。固定された線の先に、薄い影が出る。影は小さい。小さいのに速い。速い影は、縄の外側をわざとなぞるように滑る。滑る影に合わせて、襟の立った服の男の指が小さく動く。動くる指は、影の線と同じ速度で動く。


足の裏が固くなる。固くなるのに、指先が冷える。冷えた指先が勝手に握る形になる。何も握っていないのに、握っている感触だけが残る。残った感触が、親の銃の握りを連れてくる。連れてきた感触が、胸の奥を一回だけ叩く。叩かれた瞬間、呼吸が短くなる。短くなった呼吸が揃っていく。揃っていくと、目が一点に貼りつく。貼りついた一点が影の少し前にずれる。ずれた場所が体の中で決まる。


砲の周りが動いた。布の端が上がる。上がった布の下から砲身の影が見える。見える影が太くて短い。短い影が、空の薄い影に重なる気がする。重なる気がした瞬間、喉が鳴る. 鳴った喉が痛い。痛いのに声は出ない。


砲声は来なかった。


来ない音の代わりに、襟の立った服が手を下ろした。下ろした手の合図で、砲の周りの手が止まる。止まった手の静けさが増える。増えた静けさの中で、飛行機の音が厚くなる。厚くなる音が頭の奥を押して、耳の線が二本に割れる。割れた線が交差する。交差した場所がまた決まる。決まるたびに、指が勝手に動きたがる。動きたがる指が空を掴む。掴んだ空は固くないのに、指は握ったままになる。


「動くな。そのままの姿勢を保っていろ。余計なことはするな。」


背中の声は短い。短い声で体が止まる。止まった体のまま、目だけが影を追う。影は一度、縄の外側で大きく揺れた。揺れた揺れが戻って、飛行機は高い方へ逃げる。逃げると音が薄くなる。薄くなっても耳の線は太いままだった。太い線が空の同じ場所を指し続ける。指している場所に影はない。ないのに指す。


襟の立った服が、紙を折った。折った紙を胸の内側へしまう。しまう動きが静かで、静かな動きほど周りの靴音が揃う。揃った靴音がこちらへ寄る。寄った靴音の前で、兵士が短く言った。


「よし、元の場所に戻れ。今日の分は終わりだ。」


戻る道は同じ縄の間だった。縄の線の間を歩く足は勝手に速度を落とす。落とした速度のまま、目が大砲の布に戻る。布の端は変わらない。石の位置も変わらない。変わらないものがあるのに、胸の奥が軽くならない。軽くならない代わりに、肩の筋肉が固まる。固まった肩に、昨日の砲声がない空白が残る。空白が残ったまま、耳の線だけが太い。


昼の熱い時間、子供二人は石の陰で座ったままだった。座ったまま、石を並べない。並べない代わりに指で地面をなぞる。なぞっても線は残らない。残らない線を何度もなぞると、指先が白くなる。白くなった指先を見ても、誰も笑わない。笑いが出る形じゃない。


遠くで紙の擦れる音が増えた。増えた紙の音は一箇所に集まって、そこだけが乾いた。乾いた音が耳の線に刺さる。刺さった音が離れない。離れないまま、また空から音が来る。今度は二つ。二つの音が重なって厚くなる。厚くなると、耳の線が三本になる。三本の線が交差する。交差が増えると、胸の中の空気が少なくなる。少なくなると、口の中が鉄の味になる。味が増えると、歯が鳴る。鳴った歯の音が耳の線に混ざって、線が揺れる。


夕方、縄の外側にいた兵士が一人、石の陰へ来た。来た兵士の靴底は砂で白い。白い靴底が止まって、声が短く落ちた。


「おい。お前の名を言え。はっきりと喋るんだ。」


言われたから名を言う。言うと喉が擦れる。擦れて声が掠れる。掠れた声の後に、兵士がもう一つ短く言った。


「よし。明日もまたここに来い。忘れるんじゃないぞ。」


明日という言葉が出ても、意味は薄い。薄いのに、耳の線が太くなる。太くなった線が空の一点を指す。指す場所は昼に決まった場所と同じだった。同じ場所が体に残る。残った場所が、親の銃の重さと繋がる気がする。繋がる気がしても、銃は戻ってこない。戻ってこない空白が、膝の横に残る。


夜、寝床に戻ると、布の擦れる音が小さく感じた。小さく感じる代わりに、耳の線が布の音を拾わない。拾わない線が、遠い金属音を拾う。拾った金属音は一回だけで終わらず、何度も続く。続く音の間隔が一定で、一定の間隔が呼吸を揃える。揃った呼吸の中で、口が勝手に動く。声にはならない。声にならないまま、舌が上顎を押す。押す舌が乾いて痛い。痛みが出ても、目は閉じる。


閉じた目の裏で、薄い影が縄の外側をなぞって逃げる形だけが残っていた。残った形の少し前に、体の中の線が一本だけ走る。走った線が消えないまま、夜が続いた。

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