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チータープール  作者: 伊阪証


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第三話

朝、目を開けた瞬間に、耳の中の線が一度だけ太くなって、それから細く戻った。戻った線は寝床の布の擦れる音と、遠い金属音を拾って、二つを同じ高さに並べた。並べられた音は頭の中で混ざらず、別々のまま置かれる。置かれるから、どちらが近いかだけが分かる。分かるだけで、理由は出てこない。 「おい、いつまで寝てんだ。さっさと起きろ」 背中を蹴られるような声がした。 「……分かってる」 「分かってるなら動け。耳だけじゃなく、体も動かせよ」


銃は膝の横に置いてあった。昨夜のうちに抱えていたから、肩紐がよじれている。よじれたまま指で引くと、紐の繊維が爪に引っかかる。引っかかった繊維がちぎれて、手のひらに小さい毛が残った。油の匂いが指に移る。移った匂いを嗅ぐ前に、喉が乾いて舌が上顎に貼りつく。貼りついた舌を剥がすと、口の中が鉄みたいになる。 「お前、また抱えて寝てたのか。そんなにそれが大事かよ」 「離すと、無くなる気がするから」 「馬鹿だな、無くしたところで、代わりはいくらでもあるんだよ。ここはそういう場所だ」


外へ出ると、縄がまた増えていた。昨日の二重が三重になって、通れる幅がさらに減っている。縄の結び目は新しく、結び目の端が短い。短い端は切りそろえられていて、切った刃物の癖が見える。見えた癖が目に残ったまま、大砲のほうを見る。布は掛かっている。布の端は真っすぐで、風が来ても揺れないように石が置かれている。石の置き方が規則みたいに等間隔で、等間隔なものほど触ってはいけない気配が強い。 「これ、昨日のよりきついね」 「ああ、縄が増えた。通りにくいよ」 「誰がやったの?」 「兵隊さんだよ。触るなって言ってた」


子供が三人、石の陰に集まっていた。昨日までの二人にもう一人増えている。増えた子は服の袖が短く、腕の皮膚が陽に焼けている。焼けている腕の上に細い線がいくつもあって、線は古い。古い線の上から砂が貼りついている。貼りついた砂を払わずに、その子は指先で石を並べていた。並べた石は丸く、丸は昨日の飛行機の影が通った線に似ていた。似ているから、足が勝手にその丸の外側へ置かれる。置かれた足が丸を踏まない位置に揃う。揃うのは遊びの時の癖だった。


声は小さく、短い。 「城。」 誰かが言う。誰かが頷く。 「違うよ、門だよ。こっから入れるやつ」 「門なんて閉まってるじゃないか」 頷いた後に、別の子が指で線を引く。線は砂の上に残らない。残らない線を引くために、指が何度も同じ場所をなぞる。なぞった跡だけが少しだけ濃くなる。濃くなった線の先に大砲がある。大砲は城の一番大きい門みたいに見える。門の前には縄が三重で、門は閉じている。


そのとき、靴音が増えた。増えた靴音は一直線に近づいて、石の陰の前で止まった。止まった靴音の持ち主は、声を落とした。 「寄るな。」 言葉は短い。文末が落ちる。 「……すいません」 「謝らなくていい。ただ離れろ。遊びはよそでやれと言ったはずだ」 「でも、ここしか影がないから」


寄れと言われたから、寄らない。寄らない代わりに座る。座った瞬間、肩紐がずれて銃が斜めになる。斜めになった銃を直そうとすると、手が上から伸びてきた。伸びた手が銃の肩紐を掴んで、外側へ引く。引かれた紐が首を擦って、皮膚が熱を持つ。熱を持った皮膚に汗が出て、汗がすぐ乾く。乾くと突っ張る。 「おい、言ったそばから何を触ってる。それはお前の玩具じゃない」 「……重かったから、直しただけ」 「言い訳はいらん。それはここだ。」


置けと言われた場所は、石の陰の端だった。端は影が薄い。影が薄い場所に銃を置くと、銃の黒い部分が陽にさらされて、黒が鈍く見える。鈍い黒はいつもの黒と違う。違う黒を見ていると、指が勝手に銃の近くへ行く。行きかけた指を、もう一度同じ手が止めた。止めた手は言葉を出さない。言葉が出ない代わりに、指の腹が一度だけ強く当たる。 「痛い」 強く当たった場所が痛くなる。痛みが出ると、指がそこにあることだけが分かる。 「動くなと言ったら、動くな」 「……はい」


大砲のほうに人が集まり始めた。集まった人の中に、昨日まで見なかった服が混じる。服の布が厚く、襟が立っている。襟の立ち方が整っていて、砂が付いていない。砂が付いていない襟は、ここの空気と合わない。合わないものが近くにあると、耳の線が少し太くなる。太くなった線が、紙の擦れる音を拾う。紙の擦れる音が何枚も重なって、同じ場所で鳴る。鳴る音が増えるほど、手が空になる。空になった手が落ち着かなくて、石を触る。触った石は冷たい。冷たさが指に戻る。 「ねえ、あの人だれ?」 「さあ……偉い人じゃないかな。服が綺麗だし」 「こっち見てるよ」


「並べるな。」 また短い声。 「すいません、すぐ片付けます」 「片付けるんじゃない、散らせ。跡を残すな」 並べるのをやめる。やめた瞬間、子供の一人が自分の膝を叩く。叩く回数が一定じゃない。一定じゃない叩き方は、遊びの合図に似ている。似ているのに、今日は始まらない。


昼前、空から音が来た。昨日より高い。高い音は遠いはずなのに、耳の線が一本になって、その一本が空の一方へ伸びる。伸びた先は見えない。見えないのに伸びる。伸びる線の先に、影が薄く滑る。薄い影は城の門を避けるように通って、縄の外側を横切る。横切ると、襟の立った服の男が空を見上げて、何かを指さした。 「来たぞ。高度は昨日より高いな」 「目標確認。照準合わせますか?」 「待て、まだ早い。引きつけてからだ」 指さした指の先が小刻みに揺れる。揺れる指の揺れを、周りの兵が見ている。見る目が揃っている。揃っている目は、一つのものを待っている目だ。


待っている目の間を、十歳の体が勝手に動いた。石の陰から半歩だけ出て、影の線を踏まない位置へ足を置く。足を置いた瞬間、耳の線が太くなる。太くなった線が二本になる。二本の線が交差する。交差した場所が決まると、喉が勝手に鳴る。鳴った喉が乾いて痛い。痛いのに、目がそこから外れない。 「……そこだ」 思わず声が漏れた。


襟の立った男がこちらを見た。見た目は短い。短いのに、目が止まる。止まった目の後ろで、別の男が何かを言う。言葉は風に切られて届かない。届かない言葉より先に、襟の立った男の手が動いて、こちらの肩の高さを測るみたいに空を切った。 「あの子、何か言いましたよ」 「……ほう、見えるのか」 空を切った手が、次に大砲のほうへ向く。向いた手が止まる。


砲の周りが動く。布の端が少し上がる。上がった布の下から、砲身の影が見える。影が見えると、体の奥が昨日の音を思い出す。思い出した音が胸を叩いて、呼吸が短くなる。短くなった呼吸が勝手に整っていく。整っていくと、耳の線が一本に戻る。一本に戻った線が、さっき交差した場所を指す。指す場所が、薄い影の少し前へずれる。ずれた場所が「そこだ」と体に決まる。


砲声が来た。


音は耳じゃなく胸でぶつかる。腹が叩かれる。舌の根が跳ねる。口の中が鉄の味になる。白が目の前に広がって、白の中の薄い影が一瞬だけ欠ける。欠けた影が戻らない。戻らない欠け方が、ゆっくり別の形に変わる。変わるまでの間、息が止まっていた。止まっていた息が落ちて、喉が擦れる。擦れた喉が痛いのに、目は動かない。 「当たった……!」 誰かが叫んだ。 「いや、仕留めてはいない。だが、十分だ」


飛行機は落ちない。落ちない代わりに、向きを変える。向きを変えると影の線がずれる。ずれた影が遠くなる。遠くなる影を追いかける前に、肩が強く掴まれた。掴まれた肩が骨に当たって痛い。痛いから、足が止まる。 「下がれ。」 短い。 「でも、まだ見える」 「いいから下がれ。これ以上は命令違反だ」


下がると、縄がまた遠くなる。遠くなると、耳の線が細くなる。細くなるのに消えない。消えない線が、さっきの欠けた影の場所をまだ指している。指している場所に、もう影はない。ないのに指す。指す線が、体の中に残る。残った線が「また出来る」みたいに残る。残るだけで、言葉にはならない。


襟の立った男が、紙を一枚だけ折った。折った紙をポケットへ入れる。入れる動きが静かで、静かな動きほど周りの足が揃う。 「今日のデータはこれだけか?」 「はい。次の回で修正します」 「……あの子を呼んでおけ。次は使わせる」 揃った足が大砲の周りを囲む。囲むと布がすぐ掛け直される。掛け直された布が、さっき見えた砲身の影を隠す。隠されると、視線の行き場がなくなる。なくなった視線が、石の陰の端へ落ちる。端に置かれた自分の銃が陽を浴びている。陽を浴びた銃は黒が鈍い。鈍い黒が、昨日までの黒と違うまま置かれている。


夕方、紙の擦れる音は止まらなかった。紙が増えるたびに、大人の声が短くなる。 「これはどうする」「破棄だ」「こっちは?」「そのまま残せ」 短くなる声は命令だけになる。命令だけになると、足が勝手に動く。動いた足は縄の外側をなぞる。なぞる歩き方が規則になる。規則の上を歩いていると、城の遊びが頭の中で薄くなる。薄くなるのに、耳の線だけは太くなる。太くなった線が、遠いエンジン音を拾って、まだ来ていない音まで拾う。拾った音が胸の奥に残って、残ったまま夜へ押し込まれる。


夜、銃は戻ってこなかった。戻ってこない代わりに、石の陰の端に置かれたままだった。置かれたままの銃は、誰も触らない。触らない黒が陽の熱を抱えて、夜になっても熱を離さない。熱を離さない黒を見ていると、指がまた勝手に動く。動く指を止める手は、今夜はいない。いないのに、体がそこで止まる。 「……触っちゃだめなんだ」 止まるのは、縄が増えたからだ。増えた縄が夜の影で見えにくい。見えにくい線を踏むと肩を掴まれるのを知っている。知っているのは、今日の一日で足が覚えたからだ。


寝床に戻ると、耳の線が太くなる。太くなった線が、遠い足音を近くに置く。近くに置かれた足音のせいで、布の擦れる音が小さくなる。 「おい、明日は早いぞ。さっさと寝ろ」 「……うん」 小さくなった音の中で、口が勝手に動く。声にはならない。声にならないまま、舌が上顎を押す。押した舌が乾いて痛い。痛みが出ても、目は閉じる。


空の薄い影が欠けた瞬間だけが、まだ体に残っていた。

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