絶え間なく降り注ぐ
空を見上げて、リュシィは手を伸ばした。
何日も降り続いた雨が上がって、止められるのも聞かずに思わず外へ出てきてしまったのを、ほんの少し後悔する。
いくら陽気が春めいてきたとはいえ、まだ上着が手放せないくらいには、風が冷たい。
まばらに生え始めた草についた露が、手足を、服の裾を濡らす。
風に吹かれた木々の葉から、雨の名残が細かな水滴になって降り注ぐ。
つまり、濡れてしまって思った以上に寒い。
「どうしよう、帰るべきかな?」
「えぇーもったいないでしょ」
思わず呟いた言葉に返ってきた返答に、手のひらに握りしめたままだった小さな人形の存在を思い出した。
数日前、フラリと立ち寄った旅人がくれた人形。
純白の毛並みと、何の素材で作られたのか良く分からない、虹色に輝くねじれた角が額についた馬。
つぶらなコロンとしたボタンでできた目が、じっとリュシィを見上げている。
見当たらなくなってしまった銀色のはさみを探してあげたお礼だとか言っていたけれど、こんな不思議が宿るものだなんて聞いてない。
リュシィはまじまじと人形を見つめた後、プハッと、詰めていた息を音を立てて吐き出した。
「えーええぇーしゃべったんだけど……噓でしょ」
「いやいや、ホントホント。」
何となく軽薄な印象の受け答えをするそれを、じっとりとした視線で見つめる。
「本職は月の光を糧として動く案内人なんだけど、ワタシは乙女相手なら無敵な特性があってだねぇ」
「あ、やっぱりそういう感じなんだ」
わー、知りたくなかったなぁと、リュシィは手の中にいるミニチュアサイズのユニコーンを残念なものを見るような目で見つめる。
「じゃあ、僕とはあんまし相性良くないかなぁ」
「ん?」
「だって僕、男」
「え、だって、」
「あれは姉さんと母さまのいたずらで姉さんのお古着せられてただけだから」
不意に吹いた風が、雨の名残を吹き上げる。
日差しに、キラキラと水滴と金の髪が翻る。
若草色の瞳に諦観を潜ませて笑うリュシィに、風と共に人が転がり込んでくる。
身構えていても、子ども同士のじゃれ合いに遠慮はなくて、受け止めきれずに一緒に草の上に倒れ込むまでがいつもの流れだ。
「危ないからやめなっていつも言ってるでしょ、アビィ」
「わたしに倒されるリュシィが悪いんじゃない?」
「……そこはせめて、ルキって呼んでおこうよ」
「いいじゃない、可愛いんだから」
「かわ…もう、いいや。それでアビィが満足なら」
諦めたようにため息をついたリュシィが位置取りを工夫して、アビィが頭を地面にぶつけないようにさりげなくかばっている様子を見遣り、その首、頬、耳とほんのり赤く染まっている様子を見て、ぬいぐるみのユニコーンはあきれた様子で頭を振った。
「これ、ワタシ、お呼びじゃなくない?」
リュシィの胸元でゴソゴソしながら呟くぬいぐるみとごく近くで見つめ合うことになったアビィが、青みが勝った緑の目を丸くする。
バシバシ。
慌てた様子でリュシィの腕を叩くアビィに、リュシィは少しだけ顔をしかめた。
「ちょ、アビィ、それ地味に痛いからやめてって言ってるでしょ」
「ね、それ、ぬいぐるみ、動いてしゃべってる!」
「うん」
「や、うんじゃないから。え、普通じゃないよね?」
「うん」
何をされてものんびりと草の上に寝そべり、だらんと脱力したまま、リュシィは空を流れていく雲を眺めていた。
少し顔の位置を変えれば、ほのかに野の花の香りがする赤みがかった茶色の髪が、ぴょこぴょこと鼻先をくすぐるから、リュシィは自然と口数が減る。
そんなリュシィにはお構いなしで、アビィはゴソゴソと動くぬいぐるみにくぎ付けだ。
その目力に負けたのか、ぬいぐるみは慌てた様子でリュシィの懐に引っ込んだ。
その動きを追いかけて、リュシィに飛びついた態勢のまま、上着の合わせから懐を探ろうとするアビィの手を、リュシィは思わずぎょっとした様子でつかむ。
「ちょ、アビィ」
「え、待って。それ見せて」
「え、や、駄目だって」
「ケチ!」
「そういう問題じゃ…ちょ、だからまずいって」
雨上がりの地面の上でもみ合った結果、見事にどろどろのぐちゃぐちゃになったリュシィが、ムスッとした表情でアビィを抱えたまま上体を起こす。
「わゎっ」
「……僕、帰るから」
アビィが泥まみれにならないように立たせ、不機嫌を隠しもせずにリュシィは背を向ける。
その背中と髪に泥がべったりついていることに気が付いたアビィは、そこで初めて自分のやらかしに気づいて、言葉に迷う。
何を言うべきか迷っているうちにリュシィはさっさと家に戻ってしまって、結局アビィは何かを言う機会を失ってしまった。
明日言えばいい。そんな風にこの時点では軽く考えていたことを、アビィはとても後悔することになる。




