第9話
「……俺にも手伝わせてくださいよ」
それだけでノアに通じた。笑顔のまま目線を逸らされる。
「俺たちにメリットがない。お前はジョッキーだろエイシロウ。大人しくしてろよ」
歯噛みする。ノアの言うことは至極真っ当だ。マフィアだから人手は十分に足りているだろう。余計なリスクを抱えてまで素人の俺を駆り出す必要はない。
場所も場所だ。俺は大人しく引き下がり、手続きを済ませて厩舎に戻った。
ケアフリーボーイに水浴びをさせているアンガスの横を通り過ぎ、隣接する家に帰ろうとする。
「客だ」
アンガスに言われた。厩舎に隣接する家は二階建てだ。二階は俺が暮らす部屋で一階が休憩室になっている。休憩室は応接室の代わりでもあり、中に入ると懐かしい人が待っていた。
「初勝利おめでとう、エイシロウ」
カイチおじさんだ。
俺がリントウ帝国の競龍学校入学から退学まで色々と世話をしてくれた恩人だ。
母の従弟とかで顔は似ておらず、やせ形なのに丸顔で、常に微笑んでいるように見える。だからこそ左腕がないのが違和感だけど、風になびく袖は不思議と似合っていた。
「どうしておじさんがここに?」
「様子を見に来たんだよ、シイナちゃんにも少し前に会った。本当はすぐにでも来たかったんだけど遅くなってごめんね」
急に日常が帰ってきたような戸惑いがあった。カイチおじさんとも目を合わせづらい。
「いや……それは気にしないで」
「……そうか。ご両親が亡くなったのは本当に残念だ。素晴らしい人たちだったんだけどね」
三千万ルーブルなんて借金残して死ぬ人間が素晴らしい人間なわけないだろ。ふっと怒りが沸いた。
「借金のことも大変だろうけど、ノミ屋の彼に任せておけば悪いようにはしないから大丈夫。私も微力ではあるけど協力するから安心して」
ノミ屋がグラハムファミリーに潰されたことはまだ知らないのか。というより、その言い草に疑問が浮かんだ。
「知り合いなの?」
「彼は今でこそノミ屋なんてしてるけど、リントウ帝国の貴族の末弟なんだよ。その縁でちょっとね。色々なところで借りていたお金を一本化してくれたのも彼だ。優しくはないかもしれないけど、悪い扱いもされてないだろう?」
ニコラスはともかく、ノミ屋のボスが妙に生ぬるい扱いをしてくれたのはそういうことか。全員殺されたから意味はないけど。
「そう言えば、ご両親から何か預かっていないかな? 遺言とかそういったもの」
「いや、帰ってきた時にはもう火葬されてたし、家にもそんな物はなかったけど」
その時、初めておじさんの表情が微かに曇った。
「ならいいんだ。私はしばらくこの街にいる。忙しいからいつでも会えるというわけにはいかないけど、折を見て会いに来るよ」
カイチおじさんが帰ろうとしている。
呼び止めてグラハムファミリーのことを、クウスケに脅されていることを話そうとして、その無意味さに閉口した。
ノミ屋が潰されたことを伝えたところで、カイチおじさんに何ができる。
三千万ルーブルはおろか、クウスケに脅されている三百万ルーブルですらどうしようもないだろう。仮に三百万ルーブルならどうにかなっても、その金があるのはリントウ帝国だ。おじさんがこの街に戻ってくる頃にはクウスケの堪忍袋の緒は切れている。
そのままカイチおじさんを見送り、俺は休憩室の椅子に腰を下ろした。
おじさんは助けにならない。巻き込みたくもない。
おじさんがいなければ、この街で生まれ育った俺なんかがリントウ帝国の競龍学校に通えるわけがなかった。いわば恩人だ。親戚とはいえこの惨状に関わって欲しくはない。
ムカつくのは両親だ。
両親が借金さえしていなければ、俺はこんな目に遭わずに済んだ。考えれば考えるほど苛立ちが募る。いつの間にか死んで、いや、殺されたんだったか。ニコラスが死に際にそんなことを言っていた。
殺された、か。
遺品整理している時、処分した家財道具以外に金目のものはなかった。生活費すらもだ。いくら借金を抱えていたとはいえ、あれでどうやって暮らしていたのか。
事前に殺されるのが分かっていたならまだしも、急に殺されたのなら多少は纏まった金があるはずだ。
そう考えると、カイチおじさんが言っていた両親から何か預かっていないかという言葉が引っかかる。
両親はもしかしてどこかに金を隠して死んだのか。カイチおじさんはそれを探しに来たのか。
おじさんが両親の金を狙っているとは思わないけど、例えば両親はおじさんからも金を借りていて、それを回収しにきたとか。何にせよ、隠された金があるかもしれない。
金──今の俺が喉から手が出るほど欲しいものだ。
グラハムファミリーの借金は八百長でゆくゆく返すとしても、クウスケに脅された分を稼ぐには圧倒的に時間が足りない。
両親が隠した金があればどうにかなるかもしれない。元々がおじさんの金だとしても、事情を知れば分かってくれるはずだ。
期待薄なのは自分でも分かっている。それでも、その程度のことに縋り付くしかなかった。
両親が隠した物について知っているとすれば、勿論妹のシイナだ。会いに行くのも色々と丁度いい。俺はメインストリートに店を構えるジガンシン商会を訪ねた。
シイナがここに就職したのは俺が競龍学校に通っている間のことだった。この街にある仕事としては五本の指に入り、警備員付きの社宅まである。
基本的には競龍運営委員会や他の店とのやり取りを主とした問屋だけど、一応個人客にも輸入品を売っていた。
俺はその店舗に入ってシイナを呼び出した。
「……私が聞いても何も答えてくれないんだよね?」
呆れたように言ったシイナの姿は前に会った時と変わりない。どこにも怪我はなく、体調の良さを表すように肌艶も綺麗だ。
グラハムファミリーにも、おそらくクウスケたちにも存在は知られているだろうけど、今のところは大丈夫そうだ。多少のことなら周りにいるジガンシン商会の人間が対処してくれるだろう。
「父さんと母さんが死んだ時のことを聞きに来た」




