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第48話

 俺はすぐに離陸した。ツキオミは俺を見上げて悠然と歩み、待たせていた龍に乗った。その姿が、龍ごと掻き消える。


 厄介な神の加護だ。俺の目には夜の闇もあって尻尾すらも掴めそうになかった。羽ばたきの音は聞こえはするけど、俺の乗る龍の羽ばたきと混ざってただの雑音としか感じない。


 でも、龍は別だ。


 空の王者たる龍の視力は、どんな小さな異変も見逃さない。そこに羽ばたきの音も加われば、龍にとってはなんら普段と変わらないツキオミの姿を捉えているだろう。俺はその龍の意思に任せて邪魔しないように乗るだけだ。


 龍が動いた。


 ツキオミは左前方。下降しながら俺に迫ってくる。

 俺が軽く指示を出すと、龍はそれだけで前進してツキオミを躱してくれた。自然と安堵の息が漏れる。その間にも龍はやたらと上を警戒していた。瞬間、潜るように下降した。


 暴風が頭の上を過ぎ去っていく。


 初めてだけど上手くいっている。ツキオミがしたいことは分かっていた。空中戦は初めてだけど、競龍学校時代に学びはした。


 空中戦最大の問題は、その決定力のなさだ。


 龍には矢や弾丸は通用しない。そうなると騎乗した人間を狙うことになるけど、お互いが飛び回る最中に狙って当てられるものじゃない。

 必然的に頼るのは近接武器だ。ところが攻撃するには龍同士が背中合わせのような体勢にならなければ攻撃が届かない。だから戦場では上空から城塞を強襲し、精鋭歩兵が乗り込むような使われ方が主だという。

 ただし、空中戦でもまともに戦える例外が一つだけある。


 神の加護だ。


 とはいえ、ツキオミに遠距離の攻撃手段はない。やつが持つ神の加護は二つ。姿を消せることと触れたものを焼き尽くすこと。基本的な戦い方は近接戦のそれと変わらない。


 だから俺は、ツキオミに空中戦を挑んだ。


 ツキオミは強い。俺でも龍でも、一度でもツキオミに触られた時点でアウトだ。それでも地上戦とは違い、制限のかかる空中戦なら勝機はある。俺は手綱を通して伝わってくる龍の意思に集中した。


 龍の顔が、真下を向いた。


 潜り込まれた。狙いは俺でなく龍。上昇は間に合わない。俺は咄嗟に右の手綱を引いた。龍の躰が右に傾き、下方にいるツキオミへと翼を叩きつける。


 右の翼端は、いつまで経っても無事だった。


 ツキオミに触られていない。龍の顔はかなり下の方を向いている。向こうの龍が翼に接触するのを恐れ、ツキオミの指示を無視してさらに下降したんだろう。


 一度目は避けられた。でも回数を重ねると龍だって慣れてくる。俺は東の空を見やった。そろそろのはずだけどまだ暗い。できるだけ体力を温存したかったけどしょうがないか。


 俺は鞭を抜いた。龍を叩いてぐんぐん上昇する。元々高地なのもあって千メートル上るのが限度だ。龍の動きでツキオミの居場所を確認し、今度は俺から仕掛けた。


 これはブラフだ。ツキオミから力量差もあって俺が相打ち覚悟で突っ込んできたように見えるだろう。俺が防戦一方なのはあくまでも弱いから。攻める気がないからじゃない。そう思わせてツキオミをこの場に留まらせる。


 攻撃は、多分あっさり避けられた。龍の動きでそう判断して水平飛行に切り替える。

 ここからは追いかけっこだ。想像以上にツキオミの騎乗技術は高いけど、速く飛ばせることに関して騎手の右に出るやつはいない。


 頭の中で時間を計る。躰に当たる風で速度を計る。可能な限り無茶な力は使わせない。後手を踏む分現実的な乗り方じゃないけど、何もしなければ防戦一方な分だけ体力の消耗が激しいのはこっちだ。


 ツキオミが上から飛び掛かってきた。龍の躰を傾け翼で追い払う。

 鞍の取っ手を掴む手が、手汗で滑った。上体が浮き上がる。足に力を入れて鞍を挟み込み、急いで手綱を引っ張った。


 なんとか水平に戻れた。体勢を整え周囲を見る。ツキオミは真横を飛んでいるのか。ふと、嫌な予感がした。


 銃声。風切音。音がいつまでも頭の中で反響する。


 撃たれた。弾丸が顔のすぐ傍を通った。遅れてそれに気付いて真冬のような冷たさが腰のあたりから上ってくる。俺は無意識に手綱を持ち上げ、上昇の指示を出していた。


 羽ばたきの合間を射抜いてきやがった。それもあと少しの距離で当たっていた。ほかの下手くそとは違う。数発もあれば弾丸が当たるかもしれない。


 計画が崩れた。こんなに腕が良いと思わなかった。

 いや落ち着け。それなら何故今まで撃たなかった。当てる自信がないからだ。今のはただの偶然。やっぱり拳銃なんて空中戦で当たるものじゃない。


 落ち着け、大丈夫だ。俺は何度も言い聞かせる。それから自分が乗る龍の顔を見て、改めてツキオミの居場所を探った。


 反応が無い。龍はただ前を見て真っすぐ飛んでいる。


 遠くに行ったんだ。それは分かる。でもどこに。俺を諦めてユノを追ったのか。まさか今さら間に合うわけがない。


 音が聞こえた。


 分厚い布を力任せに引き裂くような音が、頭上から降ってくる。


 ダイヴ。


 繰り出されるのは城壁すらも砕く必殺の蹴り。俺は必死に鞭を叩いた。龍も猛然と羽ばたいて逃げようとする。

 視界の端の虚空が歪んだ。その凄まじい勢いは神の加護すら吹き飛ばし、円錐形になるまで躰を縮めた龍の姿が露わになる。


 まだだ。俺は龍の首を上から押さえつけた。それは下降の合図。少し遅れて従ってくれた。加速する。後ろから暴力的な音が迫ってくる。


 瞬間、俺は手綱を思いっきり持ち上げた。


 縦の急旋回。躰が鞍に押し付けられる。想像以上の荷重だ。肺まで潰され空気が全部出て行った。酸欠で意識が怪しくなる。


 暴力的な音が、過ぎ去っていった。異様に長い時間に感じた。一瞬の出来事だったのに、いつの間にか全身が汗でびしょびしょになっている。


 そこで気付く。俺の乗る龍の羽ばたきが弱い。もう疲れたのか。


 競翔龍自体、短い距離をより速く飛ぶ為に生まれ育てられた種だ。しかも追われるばかりで消耗は激しかっただろう。それでも、たった数分でこのありさまなのか。


 この龍は良い能力を持っている。俺だって体力を使わせない乗り方は会得できている。こんなに早く疲れるはずじゃなかった。これが空中戦なのか。


 また、あの音が聞こえた。


 降ってくる。砲弾よりも遥かに凶悪な生き物が、俺を目指してかっ飛んでくる。真横でうるさいぐらいだった羽ばたきの音を掻き消して、空気を引き裂く轟音が落ちてくる。


 俺は鞭を振るう。反応が鈍い。本当に疲れたのか。避けられない。当たれば即死。掠っても俺は投げ出されて墜落する。何かないか。凄まじい速さで眼が動き、動くだけ動いて全てが上滑りする。


 俺は、死んだのか。


 光が見えた。


 曙光だ。ついに日の出がやってきた。俺は龍に下降の指示を出し、その背中から飛び降りた。地上まで数百メートル。冷や汗があっという間に冷えていく。


 轟音が正確に俺を追ってくる。地上もどんどん近づいてくる。視界に、影が過った。衝撃が俺を受け止める。落下は終わりだ。俺は座り直して手探りでそれを掴んだ。


「待ってたよ、ケアフリーボーイ」


 手綱を握り直して水平飛行でぶっ飛ばす。急な横槍にダイブは対応しきれない。暴力的な音が遠ざかっていく。


 俺は森のどこかにいるアンガスの爺さんに感謝した。これで舞台は整った。


 ここまできてツキオミを逃がすわけにはいかない。俺はツキオミとの距離を維持したままケアフリーボーイを水平旋回させる。


「ざまあねえな!」


 反応はない。しかし龍が変わって警戒しているのか、ツキオミは俺の上空に取りながらも距離を取ったままでいた。


「俺程度の人間に頼るしかなかった時点でお前は終わりだ! 尽くそうとしたリントウ帝国に呆気なく捨てられるんだよ!」


 笑い声が聞こえた。特別大声でもないのに、ツキオミの喉の奥で鳴らす笑い声が龍の羽ばたきを貫通して俺の耳に届いた。


「愛国者に見えていたのか、この私が」


「いいや、敗北者に見えるな」


 傲慢と密接に結び付いた絶対的な自信。それこそツキオミの強さの根源だ。俺の挑発なんて聞こえていないように、朝日に照らされたツキオミの顔には涼しい表情が浮かんでいた。


「結果より過程に拘るタチでね。私のモノは神に捧げた。故に女の代わりに世を犯そう。無理を通せば道理が引っ込む。その瞬間に覚える愉悦は、強姦よりも遥かにいいぞ」


 どうしようもないクズだな。話してるだけ気分が悪くなる。


「カッコ付けるなよ。それとも失敗って単語を知らないバカなのか? ああバカが合ってるな。部下に罪なすりつけて綺麗な蓮気取ってるんだから」


 ツキオミの表情は変わらない。目付きや顔付きは鋭く、見るからに神経質そうな雰囲気なのに散歩の途中みたいに平然としていた。それどころか恍けたような声を洩らして微笑んだ。


「そうだ、思い出した。そういえばお前の両親は、私のかつての部下だったらしいな。彼らの存在を辛うじて思い出せたのは幸運だった。墓参りぐらいはしなければ神罰が下るというものだ。名前は……なんと言ったかな?」


 視界が、赤く染まった気がした。


「余裕ぶってるのも今の内だぞ! 絶対にお前を殺してやるからな!」


「やはり、私を殺す策があるか」


 俺が挑発に乗ってどうする。自分のバカさ加減のお蔭で怒りが冷える。


「ならケツ捲って逃げるか?」


「お前は、妹が大事らしいな」


 言った途端、ツキオミが龍を蹴った。その姿がどんどん遠ざかっていく。


 行き先はシイナのいる諜報部隊のアジトだ。頭より先に危機感が躰を動かす。鞭を振るってツキオミを追いかける。

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