第46話
俺はシイナに案内され、会長のホウゲンが潜伏するジガンシン商会の拠点に向かった。
山林を一時間ほど歩いて日が暮れかかった頃合いに、樹の上から男の声が掛かる。
「止まれ」
「シイナです。隣にいるのは兄です」
「それは分かってます、シイナさん。どうしてここにいるんですか?」
シイナが尤もらしい説明すると、男は納得して飛び降りてきた。
「逃げてきた商会の人間は匿うよう支部長に指示されてます。お兄さんの方もまあいいでしょう。追い返すわけにもいきませんし、身の上は知っていますから」
最初、そこがジガンシン商会のアジトの入り口だと分からなかった。
岩壁にツタを始めたとした植物が這っているようにしか見えず、先導する男がそれを退けて初めて、奥に空間が広がっているのが確認できた。
なるほど。だからツキオミは俺を使おうとしたのか。
入り口の植物が暖簾のようになっており、見張りの目も光っている。その状況では神の加護で姿を隠しても気付かれずに潜入するのは不可能だ。
これなら相手の戦力、特にジガンシン商会が抱える戦力も確かめようがなく、迂闊な攻撃はできない。
内部に入ると、そこが天井が崩落した洞穴だと分かった。
かなり広い空間で五棟の家が建ち、三頭の龍まで繫養されている。何人かが俺たちに気付き、リュドミーナが小走りで近づいてきた。
「無事なようで何よりよ。ここは安全だからゆっくり休んでね。それと、今回の件に巻き込んでしまって本当にごめんなさい」
ジガンシン商会のやり取りに興味はない。この場にツキオミがいないと分かった今、猫を被るのは終わりだ。俺はシイナが口を開く前に進み出た。
「会長はどこにいる?」
シイナに向けていたリュドミーナの柔らかい表情が、途端に冷たくなった。
「部外者には話せません」
「部外者はお互い様だろ」
リュドミーナは反論しかけて微笑を浮かべ、最奥の家を指差した。
「その通り、判断するのはホウゲンさんね」
俺はシイナをその場に残して最奥の家に走り、開け放たれた扉の向こうであぐらをかいている会長に声を掛ける。
「俺にも手伝わせてくれ」
会長は驚いたように俺を見つめ、ややあって手招きする。言うとおりにすると、会長は自ら湯呑にお茶を入れて出してきた。
「跳ね除けるのは簡単だよ。でも忙しいってわけでもないから話ぐらいは聞こうか。それがどれだけ危険なことか分かってるのかな?」
話を聞いてくれるならどうにでもなる。湯気を立てる湯呑に眼もくれず会長を睨んだ。
「龍に乗ってリントウに行くんだろ? それならジョッキーの俺は役に立つはずだ」
「その場合は囮だよ。信用できるできないに拘わらずね」
むしろ囮の方がいい。会長のホウゲンが後ろにいては計画の邪魔になる。
「それでいい」
「死ぬよ。ほぼ間違いなく」
「覚悟はしてる」
会長は息を吐き、おもむろにお茶を飲んだ。それから急須で注ぎ足してもう一度息を吐く。
「君は部外者だ」
リュドミーナと同じセリフだ。しかし二人とも根本的に間違っている。
「俺の両親はツキオミのせいで死んだ。競龍学校時代に世話を焼いてくれたカイチおじさんもツキオミに殺された。それのどこが部外者なんだよ」
「それは確かに失礼した。でもね──」
──背後から扉を叩く音が聞こえた。
「いいじゃない、会長。エイシロウの腕は本物だよ」
ユノの声がして振り返る。眼が合うと、呑気に片手を上げて挨拶してきた。
「や。言う機会なかったけどレース良かったよ。上手くなったねえ、ユノびっくりしちゃった」
「お前も関わってるのか?」
「まあ会長に呼ばれてここに来たわけだし、いい経験になったからね。恩返しをしようと思って。とは言え臨時報酬は貰うんだけど」
間の抜けたユノの笑い声が響く。
「危険だろ」
「ユノが、誰に捕まるの? というわけで会長、エイシロウの頼み聞いてあげたら? 信頼できるのは間違いないし、ユノ以外に騎手なんていないんだから」
そう言って、ユノはウィンクをして去っていった。後ろで会長の溜息が聞こえる。
「分かったよ」
その言葉を聞き、俺は会長に向き直った。
「龍を一頭任せよう。僕はユノくんの駆る龍に乗る。君の役目は囮となって僕たちを逃がすことだ。それでいいね?」
俺は即答して頷いた。それから、計画の全てを話した。
会長脱出はその日の未明だった。龍に乗って夜明け前に街から離れる。だからそうなる前に、シイナと話しておきたかった。
崩落した洞穴の天井から月明かりが注いでいる。夜も更けたというのに真っ当な灯りはそれだけだ。
会長の孤児やジガンシン商会の工作員たちは燭台の小さな光で最後の作業を進め、避難してきた関係者たちは早々に家の中で寝入っている。
シイナはそれらと関わらず、洞穴の端の闇で、長い髪が地面に触れるのも気にせずひっそりと座り込んでいた。
「ツキオミはここにいない。そうだろ?」
そう言って俺は、シイナの隣ではなく正面に腰を下ろした。ぼんやりと俺を見ていたシイナの目は見開かれ、微かに開いた唇が震えていた。
「事情は分かってる。というか、この街で何が起こったのかは大体知ってる」
「……どうして?」
その一言だけを洩らしてシイナは口をつぐみ、どこか茫然としたような表情で黙り込む。
「色々なところから話を聞いた。まあそこはいいんだよ。それでツキオミの手前ああ言ったけど、騎手に復帰するつもりはない。悪いな」
「うそ」
「嘘じゃない。今日のレースで十分満足した。だからツキオミとは手を切れ。これ以上あいつと関わるべきじゃない。
カイチおじさんはあいつに殺されたし、父さんと母さんが諜報部隊をクビになったのもあいつのせいらしい。これを聞いてもまだあいつを頼るのか?」
「……それなら!」
シイナが俺の両肩を掴んだ。
「どうしてここに来たの?」
その眼が月明かりに光っていた。そういう表情をさせたのは俺だという思いが、鳩尾の辺りを重くさせる。
「ツキオミを止める為だよ」
「それなら二人で逃げようよ」
「そういうわけにはいかない」
「いく。私たちにそんな義理はないし、この街に残る理由もない。リントウ帝国以外のどこかに逃げればいい」
それも手だろう。金ならレイジに当てさせた龍券の払い戻し金が十分すぎるぐらいある。でも、それをするには大きな障害が一つだけ残っている。
「ツキオミはお前を殺す気だ」
はっきりとした根拠はない。
でも話に聞くツキオミが、恨みつらみを晴らすようにカイチおじさんをいたぶって殺したあの外道が、見抜いていたとはいえ自分を騙したシイナともう一度手を組んだのが、俺にはどうしても解せなかった。
「あいつの性根はお前だって分かってるだろ。一度あいつを騙した時点で一生恨まれる。お前を殺すまで許すはずがない。約束も端から守る気なんてない。ツキオミはそういう奴だ」
シイナは馬鹿じゃない。むしろ俺なんかより断然デキがいい。ツキオミに心底恨まれていることぐらい気付いている。
それでも、どうせ死ぬならせめて希望を繋ぎたい。そんな思いでツキオミを頼ったんだろう。
「会長を逃がしたって一緒だ。それでリントウから助けが来るまで何日掛かる? それまであいつは野放しだ。止められる奴なんていない」
「……それこそ逃げようよ」
シイナの言うことは尤もなようでいて、問題を先送りにしたに過ぎない。
「あいつは神の加護で姿を消せるんだぞ。リントウがあいつを捕まえられる保証なんてない。一生あいつに怯えるつもりか?」
俯き、シイナは首を振った。
「勝てるわけない」
「条件は揃ってる。というか揃えた」
「また一人で抱え込むの?」
それを言われると、一瞬答えに詰まった。実際俺は、借金のことをシイナに隠して一人でもがいていた。でもあの時とは違う。堂々と胸を張って言える答えがある。
「一人じゃない。三人だ」
俺はシイナの頭に手を乗せた。
「最近な、ライドのラの字ぐらいは分かってきたんだよ。だから大丈夫だ。相手がユノだったらきつかったけどな」
シイナの頭を乱暴に撫でる。そうしていると、面白くなって自然と笑いが漏れた。
「死なないでよ」
シイナが呟く。俺が撫でるのを止めると、その手を払いのけてシイナは顔を上げた。その眼は宝石よりも遥かにきらきらとしていたけど、一直線だった口角がご機嫌に持ち上がっていた。
「私を天涯孤独にしないでね」
「ホームで負けるかよ」
これで思い残すことはなくなった。作戦決行までそう時間はない。これから乗る龍の特徴を調べてコミュニケーションを取って、できるのはその程度だ。




