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第44話

「もう少しで着きます。足は大丈夫ですか?」


 ジガンシン商会の警備員が、わざわざ振り返って様子を訊ねてくる。シイナは目の前の枝を曲げて退かしてから愛想笑いを浮かべた。


「大丈夫です。一応、私もこの街の育ちですから」


「そうでしたね。もし追手が来たらその時は俺を見捨てて逃げてください。あそこの岩壁が隠れ家の入り口ですからなんとかなるはずです」


 ツキオミが雇ったゴロツキによって、ジガンシン商会の関連施設は次々に襲撃された。ほとんどの社員は捕まって競龍場に連行され、極僅かな人間だけが逃げ延びた。


「でもまだ油断しないでください。何があるか分かりませんから」


 警備員は安心させるように笑い、不意に立ち止まった。


「待ってください」


 周囲を見回し、耳を澄ませて音を探っている。シイナに聞こえるのは木々のざわめきや鳥の鳴き声だけだ。不審な物音は何一つ耳に届いていない。


 脳裏に、燃える店舗と連れて行かれる同僚たちの姿が浮かんだ。


 見えたのは後姿だけだ。縄で縛られ、家畜のようにぶたれ、怒鳴られながら競龍場へと歩いていく。その足元には抵抗した警備員の死体が倒れている。


 同僚たちは殺されたわけではない。シイナはそう自分に言い聞かせ、足を滑らせた。


「大丈──」

 ──警備員の声が途切れた。地面に膝を着いたシイナは顔を上げようとして、視界に移った警備員の傷跡に気付いて再び俯いた。強烈な焦げ臭さが鼻を突く。


「陽動までしてくれるとは思わなかったな」


 ツキオミの声がした。重いものが落ちるような音が、草木を巻き込みながら鳴る。シイナはそれを見ないようにしながらゆっくり立ち上がった。


「何も……殺さなくても良かったのに……」


 正面に立つツキオミは笑い、手に着いた汚れを払うように両手を擦り合わせる。


「共同作業じゃないか。そもそもホウゲンとジガンシン商会が手を組む可能性があると伝えてきたのはお前だろう。相変わらず人を騙すのが得意な小娘だな、ん?」


 首から上がなくなった警備員の姿が視界に入り、シイナは気分が悪くなった。しかし全て自分が蒔いた種だと歯を食い縛り、不敵な笑みを浮かべるツキオミを見据える。


「……取引は守ってくださいね」


「守るとも。だが忘れるな。ジガンシン商会がホウゲンを助けなければ取引は無効だ。それにお前の役目は終わっていない。私はここで死体を処理するからその間に済ませておけ」


 嘘だ。シイナはそう思ったが指摘はしなかった。神の加護で姿を消してこっそり着いてくるツキオミの姿を思い浮かべると、自分の背中ごと嫌悪感を切り捨てたくなる。


 我慢した。兄エイシロウの瞳を思い出せば、全てが我慢できる。


 競龍学校を辞めてこの街に戻ってきて以来、泥のように濁っていた兄の瞳は唐突に輝きを取り戻していった。切っ掛けは分かり切っている。

 この街の草競龍で騎手デビューしたことだ。



 その日、シイナは仕事を抜け出してレースを見に行った。


 遠くからでも、ゴーグルを着けた姿でもはっきりわかった。兄の瞳は間違いなく、ほんのりとではあるが光が戻っていた。


 嬉しかった。

 思えば兄が帰ったきたという実感が沸いたのもその時だった。死んでいた兄が生き返ったような気さえした。そしてある日を境に、あの頃のように兄の瞳は強烈に輝いた。


 全ては競龍のお陰だ。消えていた競龍への熱意が蘇ったのだ。


 本当なら兄は競龍学校を卒業してリントウ帝国でデビューしていたはずだった。それが潰えたからこそ、兄は絶望して腐っていた。


 両親が死に、家族を取り巻く環境は大きく変わった。債権を持つグラハムファミリーが撤退したことで借金は帳消しになったが、元通りになったものは何一つない。


 両親は死んだままだ。兄も競龍学校を辞めたままだ。


 どうにかしたかった。


 死んだ両親はどうしたって生き返られない。しかし兄は生きている。

 何事もなければリントウ帝国で騎手デビューしていたはずの兄が表舞台に立てるなら、家族として、両親よりも遥かにずっと隣にいた妹として、どんなことでも協力したかった。


 たどり着いたのが、諜報部隊の隊長であるツキオミだった。




 逃げていたシイナとジガンシン商会の警備員の前にツキオミが現れ、警備員だけが殺された。さらにツキオミはシイナと話し、何事もなく解放した。


「声までは聞こえなかったらしいけどな。ほぼ間違いねえ、二人は繋がってるぜ」


 脅迫。その言葉が頭に浮かんだ。シイナは逃げる途中でツキオミに捕まり、脅されて協力させられている。それ以外に考えられない。


「……シイナが今どこにいるか分かるか?」


 レイジは首を振り、俺の肩に手を置いた。


「理由はともかく、二人が繋がってるなら急ぐ必要はねえ」


 冷静になれ。手を通してレイジがそう言っているのが伝わってくる。だけど俺は冷静だ。困惑こそしていても熱くなってはいない。


 レイジの言う通り、シイナはひとまず安全だ。でもそれがずっと続くわけがない。


 カイチおじさんを弄ぶように半殺しにしたツキオミという男の性格はクズ以下だ。そんな奴がシイナの傍にいると思うと、怒りよりも不快感が沸いてくる。

 でもそんなことがどうでもよくなるぐらい、シイナの身に危険が迫っていた。


 会長のホウゲンがすることは分かっている。ツキオミがシイナにさせたことも想像がつく。それならこれから起こることも予想が立ち、対策も講じられる。


 しかし、俺一人の力じゃどうにもならない。絶対に誰かの協力が必要だ。


「レイジ、頼む」


 考えるより先に、俺はレイジに頭を下げていた。


 自分でも驚いた。


 びっくりするぐらい俺の頭が軽くなっている。今までの俺なら、こんな簡単に頭を下げられていただろうか。

 そんな動揺に近い驚きを覚えていると、次に続く言葉までもがすんなり口が飛び出した。


「助けてくれ」


 レイジは口をひん曲げ、両手を広げておちゃらけた。


「何言ってんだ堅っ苦しい。で、何するつもりだよ」


 頼もしい言葉だった。さっきの驚きがそのまま熱に変わり、胸全体を熱くしていく。


 俺はレイジに作戦を説明し、急いで競龍場に戻った。


 アンガスの爺さんが厩舎にいた。いつものように暇があれば厩舎の周りを歩き、踏んで怪我の原因になるような小石を探している。

 グラハムファミリーが去った今、もしかするともう爺さんもこの街にいない可能性があったけど、ケアフリーボーイを残して去るわけがない。


「おう、エイシロウか」


 言いながら爺さんがケアフリーボーイの龍房の方を親指で示した。


「死体は別の場所に隠しておいたぞ」


 カイチおじさんは思ったより持たなかったのか。でも今は気にしていられない。おじさんも同じように言ってくれるだろう。


「助かるよ。それより爺さん、龍にはまだちゃんと乗れるのか?」


「誰にもの言ってやがる」


 聞くまでもなかったか。俺はレイジの時と同じように爺さんにも頭を下げ、協力を頼みこんだ。


「まあ弟子の頼みだ。聞いてやるよ」


 爺さんは鼻を鳴らして不承不承と言った感じだったけど、ようやく俺にもそれが照れ隠しだと分かるようになっていた。


 俺は休憩室の椅子に座り、背もたれに躰を預けた。


 これで最低限の備えはできた。多分、俺が予想した通りのことが起こる。残る問題は、その場に俺がいられるかどうかだ。


「お兄ちゃん……話したいことがあるんだけど」


 シイナの声が聞こえた。


 俺は休憩室の入り口に立つシイナを一瞥すると、平静を装って正面に座るよう促した。


 シイナは扉を開けたまま、俺の言うとおりにする。その行動は不自然ではない。リントウ帝国に比べればかなり涼しいと言っても夏は夏だ。

 実際俺も、休憩室の扉は開けたままにしておいた。


 それでも俺は感じていた。


 ツキオミはここにいる。神の加護で姿を消し、俺とシイナを間近で見張っている。

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