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第40話

 ジェレミーが泊まっていた高級宿は静まり返っていた。

 既にファミリーには撤退の指示を出し、続々と街を去っている。残っているのは宿付きの使用人だけだ。ジェレミーもまた少ない荷物を纏め終え、机の上に置いたネックレスを見つめていた。


 ネックレスを盗まれたあの時に、全ては終わっていた。以降の行動は足掻きに過ぎない。


 足音が階段を上ってくる。それなりの人数だ。ジェレミーは顔を上げ、扉を開けた者たちを見やった。


「ホウゲンの孤児か」


 何人か見覚えがあった。クウスケと共にホウゲンの元を去り、ネックレスを盾にジェレミーを操ろうとした者たちだ。


「まだ諦めていなかったのか?」


「ここにお前の仲間がいないのは調べがついてる。逆に俺の仲間は他にもいるぜ」


 ジェレミーは窓から外を一瞥した。姿はないが喧噪とは違う気配を感じる。少なくない人数が潜んでいそうだ。


「大人しくネックレスを渡せ。そうすればお前に、奴らを殺す理由を用意してやる」


「これがそんなに欲しいのか?」


 ジェレミーは机の上に広げたネックレスを鷲掴んだ。


「当たり前だろ。そのネックレスの為に何人が血と汗を流したと思ってる」


「ならばくれてやろう」


 ネックレスを投げた。呆気に取られた男はネックレスがぶつかる直前に我に返り、慌てて受け取って戸惑いの混じった苦笑いを浮かべた。


「どういう風の吹き回しだ?」


「もはやそれに価値はない」


 その時、宿が揺れた。


 揺れはどんどん酷くなる。立っていられなくなった会長の孤児たちが膝を着く。その叫びは騒音に掻き消えて響かない。天井や壁、床にも次々に亀裂が入り、窓から見える景色が下がっていく。


 そして、一帯は土煙に包まれた。


 ジェレミーは土煙から出ながらつばの広い帽子を被った。その背後で上がる土煙に高級宿の影はなく、だだっ広い平地が広がっている。


 守るべきものがなくなった門の向こうから、ノアが走ってきた。


「ボス! ご無事ですか!?」


「帰れと命じたはずだ」


 直立不動で急停止し、ノアは勢いよく頭を下げた。


「すみません。怪しい連中がここに来ていると情報が入ったもので。ですが流石はボスです。全員倒したんですよね?」


「ノア、お前が後を継げ」


「え?」ノアが口を半開きにする。「え? どういう意味ですか?」


「反対する者もいるだろうが、備えはランズダウンに帰った時に済ませた。この場で言うつもりはなかったが、ここで会ったのはアースゴッデスの思し召しだろう。後は任せたぞ」


 しばし、ノアは茫然したようにジェレミーを見つめていた。それから気合いを入れるように自分で頬を叩き、もう一度頭を下げる。


「お任せください」


 ジェレミーは微かに笑い、競龍場に足を向けた。




 これで俺は、俺たちは自由になった。


 競龍場を出てジガンシン商会に駆け込み、社員の一人にシイナの居場所を尋ねる。


「さて、同僚とはいえスケジュールの把握まではちょっと。支部長のリュドミーナさんなら知ってるかもしれませんが、生憎リュドミーナさんもいないんですよね」


 冷や水を掛けられたように、俺の興奮が静まった。忘れていた腹の痛みがぶり返してくる。


 気持ちが昂るままに装鞍所を飛び出してきたけど、そもそも今まで隠してきた事情をシイナに伝えてどうする。それにレイジが街から逃がした後かもしれない。


 とりあえずレイジと合流するのが先か。俺は事前に決めてあった街の北西にある森に向かった。


 そこは俺たちが子供の頃によく遊んだ場所だ。大木が生えているけど急斜面のせいで放置され、一部の子供たちを除けば誰も近づかない。

 久しぶりに来てみたけどやはりひと気はなく、偶然かもう誰も使っていないのか子供の声も聞こえなかった。


 約束した樹が見えた。足場になりそうな丁度いい枝がなく、代わりに鉄の杭を打ち込んだ樹だ。時を経て樹に飲み込まれ、飛び出した部分が昔より短くなっている。


「よう、エイシロウ。なんか上手いこといったみたいだな」


 上からレイジの声がする。見上げようとする縄が垂れてきた。それを伝って滑るようにレイジが下りてくる。


「借金がチャラになった」


「は!? だったら当たった三千四百万ルーブル丸々使えるじゃねえか!」


 驚きや喜びより、頭の痛いネタが増えて気が重くなった。


 借金の件で必死だったけど、俺がしたのは競龍騎手が代理を立てて龍券を買うというれっきとしたルール違反だ。バレれば当然死刑になる。状況が状況だしカイチおじさんもいるからどうにかなるだろうけど、楽観視はできない。


「気にすんなよ」


 俺の考えていることを察したのか、レイジが俺の肩を叩いた。


「これだけ金があればどうにでもなるって。金は別の場所に隠してある。今から取りに行くか?」


 俺たちの不正がバレるにしても、今回のごたごたの影響で時間的な余裕はあるだろう。


「いや、今はいい。それよりシイナはどこにいる?」


「会ってねえのか? お前の無事が分かった後、というか俺が龍券の払い戻しに行って戻ってきて結果を伝えたら、すぐに競龍場に行ったぞ」


 俺に会いに来たなら行き先はアンガス厩舎か。完全に入れ違いだ。


「帰る。想定外のことが起きたら好きにしてくれ」


「はいよ」


 俺は競龍場に舞い戻った。今さらシイナを狙う勢力がいるとは思えないけど、それでも俺やレイジとも離れて一人で行動していると思うと不安が募った。


 競龍場の正門は相変わらず賑わっている。ついさっき装鞍所で騒ぎがあったのに、何事もないどころかいつも以上に人が集まっていた。


 シイナがいた。


 丁度競龍場を出ようと正門をくぐるところだ。怪我をしているようには見えない。俺は安堵の息を吐き、シイナに走り寄った。


「あ、お兄ちゃん」


 その声はどこか上の空だった。しかも俺の目を見ようとせず、そのまま進んでいく。


「一着おめでとう。でもごめんね。ちょっと急いでるから」


 まるで少し前のシイナと会った時の俺を見ているようだ。違和感はあったけど無事ならそれでいい。もう危険はないし、急いでいるシイナを止める理由もない。


 シイナを見送り、ふと、周りの視線に気付いた。


 俺は自分の恰好を思い出す。騎手服を着て首にゴーグルを掛けていた。どうりで見られるはずだ。

 騎手だと気付いて話しかけてくる奴らを適当にいなして競龍場に入る。それから端を通って厩舎地区に行こうとして、広場にできた人だかりの足が止まっているのが気に掛かった。


 ここで止まる人間なんて初めて見た。それもほとんどの人間が立ち止まり、揃って山の方を向いている。


 何かあったのか。俺も同じようにコースの方を見てみるけど、ウォームアップ中の龍が何頭か見えるだけで何の変哲もない。


 頭のおかしい人間が広場近くでバカやったのか。そんな風に済ませて厩舎地区に歩を進めようとして、人だかりの中に見知った人間を見つけた。


 ノアだ。俺とは広場の反対側にいたけど、そのデカい躰は頭二つは抜けているから目立っていた。ノアも他の奴らと同じようにコースの方を向き、項垂れたように立ち尽くしている。


 泣いているのか。


 なぜそう思ったのか俺にも分からなかったけど、ノアの躰が小刻みに震えているように見えた。でもこれ以上グラハムファミリーに関わりたくはない。


 俺はアンガス厩舎に帰った。

 ケアフリーボーイは龍房で休んでいるけど、アンガスの爺さんは休憩室にもいなかった。あの人もグラハムファミリーに連れてこられたはずだから、今回の件で解放されたのだろうか。


 ともあれ俺は自室に戻り、ようやく私服に着替えた。板張りの床に横になって大きく息を吐く。


 これからどうしようか。


 レイジたちと一緒にこの街から逃げるか、それともカイチおじさんの手を借りて会長のホウゲンに許してもらい、この街に残るのか。

 まあ、それはどっちでもいい。今までの苦労を思えば些細な問題だ。それよりその先、俺はどうして生きていこうか。


 競龍騎手になりたい、その思いがないと言えば嘘になる。散々競龍を汚した俺が競龍騎手になるなんて虫のいい話だ。それでもやっぱり、胸の奥で熱が燻っている。


 活躍したいという野心じゃない。ただ純粋に、龍に乗りたかった。


 外で音が聞こえた気がした。


 起き上がって耳を澄ますと、ケアフリーボーイの鳴き声が聞こえた。暴れているのではなく、人を呼ぶような少し高めの声だ。俺は外に出てケアフリーボーイの龍房に向かった。


 人がうつ伏せに倒れていた。どこか焦げたような臭いもする。


「……おじさん!?」


 倒れているのはカイチおじさんだ。俺は急いでおじさんに駆け寄り、肩を揺すろうとして手を止めた。


 躰が穴だらけだった。

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