第39話
クウスケは顔の傷や撫でつけた前髪もそのままで、堂々と競龍場を歩いていた。
ホウゲンの元を離れた孤児たちは全員ではない。随所に残った仲間の手引きを受けて土牢に近づき、見張りに立っている諜報部隊に接触する。
「ホウゲン様の命で、ここに囚われている諜報部隊とは無関係な囚人を移送しに来ました」
「聞いてます。お互いの為に余計なことはしないように」
仲間の周到な準備で内部に入り、奥に着いたところで外に待機させておいた仲間が土牢を襲撃する。諜報部隊といっても厄介なのは巫覡だけだ。それも誰が巫覡かは仲間の調査で分かっている。
諜報部隊の注意が外に向いた瞬間に中からクウスケたちが攻撃を仕掛けて巫覡を始末し、その後は数の差で押し潰した。
ぐずぐずしている時間はない。クウスケはツキオミが囚われた独房に行く。
「ほう……これは予想していなかったな」
ツキオミが呟き、垂れた髪の隙間からにやりと笑った。クウスケは鉄格子を掴んで顔を近づける。
「諜報部隊の頭を務めていたほどの男でも、俺たちが助けに来るのは予想外か?」
「策謀家だとよく勘違いされる。私は存外行き当たりばったりだ。その方が楽しいのでね」
クウスケは鼻で笑い、鉄格子を軽く殴って音を鳴らした。
「俺たちの仲間になる気はねえか、元隊長さん」
ネックレスを奪い、ホウゲンを王にするという当初の作戦は失敗した。しかし一度動き出した以上、はいそうですかと簡単に諦められるわけがない。
だからこそこの騒動は僥倖だった。諜報部隊の隊長を務めていたツキオミの力があれば、新たな作戦の下計画を再始動できる。
「復讐といこうじゃねえか。あんたは仕えていた財務大臣に捨てられ、果たすべき忠誠もなくなった。このままリントウに帰っても口封じで殺されるのは目に見えてる。だったら大人しく殺されるより、奴らをぶっ殺すべきだと思わねえか?」
突発的な計画ではあったが勝算はある。
伝え聞くヒヨシ・ツキオミという人間はクズもいいところだ。数々の問題を起こしつつも圧倒的な能力で周囲を黙らせてきた。
忠誠心や仁徳といったものは欠片もなく、ただ己の能力を発揮できる場所があればそれでいい。諜報部隊に所属しているのも愛国心からではなく、そこが一番法を無視できるからに他ならない。
「……いいように使われるのは御免だ」
ツキオミはクウスケをじっと見つめてそう言った。反応は悪くない。
「安心しろよ。これは勧誘だ。事が終われば親父──ホウゲンに仕えればいい。今まで以上に活躍の場はあるし、リントウだっておいそれとはお前に手出しできなくなる」
「……私は高いぞ」
交渉成立だ。クウスケは仲間から牢の鍵を受け取って錠を外した。
「この街が金に困ってるように見えるのかよ」
「部下も雇ってもらうぞ」
「仲間は多い方が良い」
クウスケは仲間に鍵を投げ渡し、ツキオミのいる独房の扉を開けた。
「最初の仕事は復讐だ。残りの諜報部隊を始末する」
吹いてくる風に、騒がしい音が乗っていた。
競龍場を見下ろせる東屋でホウゲンと今後の予定を話していたカイチは、中座して東屋を出て麓を見下ろした。
誰かが山肌を駆け上ってくる。一人は会長の孤児、その後ろを走るのはカイチの部下だ。麓から吹き上がってくる風に金属音のような鋭い音が混じっている。
嫌な予感がした。
「脱獄、かな?」
後ろからホウゲンの声がして振り返る。
「恐らく僕の子供たちの仕業だろうね」
悠長に言っている場合ではない。これも全てツキオミの計画通りなのか。だとすればツキオミは本当に千里眼のような神の加護を得ていることになる。
しかしリントウ帝国の歴史上、そのような巫覡がいたという記録はない。
一刻も早く救援に行かなければならないのは理解しているが、ツキオミの秘密を暴かなくては返り討ちに遭うのは必定だ。
「……ホウゲン殿。ツキオミが隠している神の加護に心当りはありますか?」
孤児を操るホウゲンなら知っているかもしれない。藁に縋る思いで尋ねた。
「類推はできるね。まず、ヒヨシ・ツキオミが太陽神を信仰しているのは間違いない。ヒヨシ家の伝統だし他の家が教える道理もない。それに二柱の神を信仰することもできない」
太陽神の加護は炎や光、熱に関するものに限られる。だがそれでどうやって千里眼のような情報収集ができるようになる。
特にシイナに手紙を届けるには、社宅の前にいる警備員や社宅で暮らす社員をやり過ごす必要がある。それを両立させる太陽神の加護とは一体なんだ。
閃く。
同時に風に違和感を覚えた。危機感が爆発する。カイチは考えるより早く躰を捻り、それを避けながら背後を見やった。
何かが、左の鎖骨に食い込んだ。
避けきれなかった。骨が豆腐のようにあっさり両断される。焼けるような音が微かに聞こえた。その先端が心臓に届く──寸前、カイチは前に転がった。
「よく気付いたな、カイチ」
ツキオミの声がする。しかしその姿はどこにもない。
カイチの左の鎖骨には刃物が刺さったような傷穴があったが、血は一滴も出ていなかった。焦げ臭さが立ち上り、事実その傷穴の断面は黒焦げになっていた。痛覚はほとんど死んでいる。
「蜃気楼の類か」
カイチが呟くと、眼の前の景色が揺らめいた。そして、いなかったはずの人影が露わになる。
ツキオミ。
そもそもがおかしかった。
あれほど傲慢で、自らの失態を認めずエイシロウたちの両親に罪をなすりつけた男が、何故騙されることを良しとした。カイチが知るツキオミは、騙されたと気付いた瞬間、その相手を殺すような人間だ。
「……よくここまで我慢できたな」
再び、ツキオミの姿が消えた。声だけが虚空から聞こえてくる。
「泥中の蓮だよ。真に尊き者が、どうして泥を厭う?」




