第34話
あの日、ジェレミーは全てを片付けてきた。
目の前にあるのは母の小さな墓だった。
本当は豪邸のような墓にしたいとジェレミーは思っていた。しかし目立つような墓を建てられない政治的な事情も理解はしていた。ペットの墓のようだったかつてを思えば十分立派な墓だろう。
後ろからは元気よく遊んでいる子供たちの騒ぎ声が響いている。周辺一帯の孤児だけでなく貧困家庭にも食事や軒先を提供しているから騒がしいのも当然だ。
それにより病気で片目を失うような子供はいなくなった。運営資金はかなりの額に上り、グラハムファミリーの資金繰りを圧迫しているほどだったが、ジェレミーは気にせず払い続けている。
「急な帰還ですな」
背後から老人の声が掛かり、ジェレミーは外していた眼帯を着けて振り返った。
「お久しぶりです。隠居されていたとお聞きしていましたが復帰されたのですか?」
「いえ。頼れるのは守役だった私しかいないと泣きつかれたので、お使いだけ引き受けました。これが終われば田舎のジジイに戻らせてもらいます」
老人は齢八十を超えていたが、言われなければ分からないほど足腰はしっかりとしている。白髪染めで黒々とした髪も若い印象に貢献をしていた。
「殿下にお伝えください。作戦は失敗しました」
「一つの失敗で落ち込むのだけが若者の弱みでしょうな」
「例のアレを盗まれました」
穏やかだった老人の声が、急速に強張った。
「どうするつもりですか?」
「大恩ある殿下にご迷惑はお掛けしません。私と殿下に繋がるものは例のアレ以外処分しました。あとは母の墓だけです。しかし私にはどうにもできません。代わりにお願いできますか?」
「……請け負いました。兄君から言葉を預かっております。『今までの忠孝に感謝する。弟を弟として扱えない私の力不足を許してほしい。お前ならできると信じている』だそうです」
ジェレミーは子供時分のことを思い出した。
母は極貧の中で病に倒れ、ジェレミーもまた片目を失い死に掛けていた。
そこに現れたのが二十近く年上の皇太子である兄だった。そこでジェレミーは自分が皇帝の落胤で、認められることのない立場だと知らされた。
兄である皇太子はそこまで話しながらも、幼かったジェレミーを拾い上げて唯一、弟だと認めた。その証として受け取ったのがあのネックレスだった。
トパーズが嵌った台座の裏には、ジェレミーを弟だと認める皇太子の名が刻まれている。リスクでしかない文言に、当時のジェレミーは反対した。しかし皇太子はリスクは信頼の証拠だと言いのけた。
あの瞬間、ジェレミーは皇太子に一生ついていこうと心に決めた。
ホウゲンが支配するあの街に進出したのも、皇帝即位を控える皇太子の次代を見据えたものだった。しかし、ネックレスを盗まれたことで全てが狂った。
「殿下にお伝えください。私はただでは死にませんと」
入り口から聞こえてくる怒声でジェレミーは我に返った。
階段を殴るような音が上がってくる。そうして部屋の扉が開き、額に血管を浮き上がらせたクウスケがネックレスを突き付けてきた。
「てめえの命運が握られてんのを忘れたのか、あ!?」
背後に控える仲間も眼が据わっている。窓際に立っていたジェレミーは手にしたワイングラスを持ったまま、クウスケに向き直った。
「何のことかな?」
「恍けてんじゃねえ! てめえまだ八百長してるらしいな。そんなに皇太子との関係を暴露されてえのか、え!?」
ジェレミーは、今まで何度となく見たネックレスに違和感を覚えた。
トパーズを初めとした宝石類に動物の牙や爪、それらを繋ぐ植物の紐は、記憶にあるネックレスと相違がない。しかし決定的に、目の前のネックレスは偽物だった。
ジェレミーは鼻から溜息を吐いた。クウスケが怒りに歯を食い縛る。
「……それが答えでいいんだな?」
「それは贋作だ。一杯食わされたな」
クウスケはジェレミーを警戒しつつ、手に持ったネックレスを舐るように検める。その動きはだんだんと遅くなっていき、無理矢理作ったような笑みを浮かべた。
「あのグラハムファミリーのボスも落ちたもんだな、こすい手に出やがって」
「お前たちが見て分かるものではない。そのネックレスは祭具だ。それを使ってアースゴッデスに信仰を捧げることで私たちはシャーマンになった。お前たちには分からなくとも、私たちにはそれが本物の祭具かどうかは一目で分かる」
さらに、クウスケは口角を吊り上げた。
「嘘だな。だったらてめえはなんで一度目は従った?」
「一度目は本物だった。その後にすり替えられたのだろう。偽物では虚言の域を出ない。ゲストでもない者に敷居を跨がせるわけにはいかないのでな、お引き取りいただこうか」
ジェレミーはグラスを床に投げ捨てた。音を立てて破片が散らばる。それだけでクウスケたちは一歩下がり、そのまま口惜しそうに高級宿を出ていった。
ネックレスの偽物があるということは、誰かが裏で糸を引いているということだ。それが結局徒労に終わった代理戦争の切っ掛けを作った者なのか、あるいは別の者なのか。それはジェレミーに知る由はない。
本物のネックレスがどこにあるのか、誰が持っているのか。それも重要ではない。ジェレミーの手になければどうであろうと同じだ。
ただ、これで再びネックレスが闇に消えた。根本的な状況はなに一つ改善していないが、足止めしていたクウスケという障害が消えた。
それなら、歩みを再開するだけだ。
クウスケの来訪を聞いたノアが走り込んでくる。勢いのまま部屋を縦断し、床に広がったグラスの破片を踏み砕いた。ジェレミーもまた、グラスの破片を踏みしめる。
「八百長はそのまま続けろ。例のレースの後、ホウゲンを殺す」




