第32話
クウスケはジガンシン商会の執務室にいた。
部屋の主であるリュドミーナに、宝石や獣の牙や爪があしらわれたネックレスを見せつける。
「ついに手に入れたぞ」
リュドミーナは片眼鏡を着け、クウスケが胸の前で広げるそれをしばし見入った。
その目元が微かに穏やかになる。そこで初めて、クウスケはリュドミーナに近眼の気があるのだと知った。
「これが例の」
「重要なのはこっちだ」
クウスケはトパーズが嵌った台座の裏側を見せる。リュドミーナが椅子に座ったまま息を吐き、片眼鏡を外した。穏やかだった目元が戻り、そこはかとない鋭さが蘇る。
「大事になるわけですね」
「これがあればグラハムファミリーは、いや、ランズダウン帝国は俺たちに逆らえなくなる。独立の時は今だ。リュドミーナ、クロパトキンはちゃんと俺たちを支援してくれるんだろうな?」
「約束は守ります。ホウゲンを君主としてこの街は正式に独立し、我がクロパトキン帝国はそれを支援する。この街の中立性は我々にとっても重要事ですからご心配なさらずに」
無意識か意識的か、リュドミーナは鼻の下を伸ばした老人に向けるような色気のある笑みを浮かべた。
その内心は表情から窺えず、見ているだけで不安が募ってくる。クウスケは苛立ちを感じて奥歯を噛み締め、ネックレスを懐に仕舞ってから執務机に両手を乗せた。
「時間が無いんだ。親父──ホウゲンが死ねばこの街は終わる。この犯罪都市がちゃんと成立してんのは親父のカリスマあってこそだ。親父の歳を考えればあと十年持つかどうかってところだろう。
その前に、この街は確固たる地位を築く必要がある」
「ホウゲン殿は賛同してくれるのでしょうね?」
「建前が消えるだけだ。一度動き出せば向こうから玉座に座ってくれる。あの人はそういう人だ」
「建前が消えるだけなら、独立する必要はあるのです?」
クウスケは、淡々と語るリュドミーナを睨みつけた。
「ここで手を引けると思ってんのか?」
「勘違いしないでいただきたいですね。我々はこの街が中立であれば、リントウとランズダウンのものにさえならなければそれでいいのです。今の緩衝地帯でも不満はありません。だからこそ、ここが矛を下ろす最後の機会だと問うているのですよ」
「今までどれだけの金と命が失われたと思ってる!」
クウスケは執務机を殴った。リュドミーナの余裕が浮かぶ表情は微塵も変化がない。
「この街が緩衝地帯であり続けたのは地理的要因なんかじゃねえ。両国の要人に嗅がせた媚薬代がいくらだと思ってる? そのルートを開拓する為にどれだけの仲間が死んだと思ってる?」
その莫大な金も、貴重な人材も、本来なら競龍場の外に使われるものだった。しかし押し寄せる外圧から中心部だけでも守ろうとし、ホウゲンは断腸の思いで居住区を切り捨てた。それが結果的に最も多くの人間を救う道だと判断したからだ。
ホウゲンは生まれながらの君主ではない。元を正せば競龍好きのあぶれ者でしかない老人だ。その手で掬える命には限界がある。それでも自分と同じような人間は見捨てられないと、歪な形になろうともこの街を維持してきた。
親父を王にしてやろう。好きなことをさせてやろう。そんな声が孤児たちの中で上がり始めたのは必然だった。
「要人たちの弱みはいくらでも握ってる。それどころか仲間たちに指示を出せばほとんどの要人は暗殺できる。当然、金もある。
独立を維持するための条件は十分に揃った。所詮は山奥にある土地だ。叛意を明確にして武装すれば、そうそう攻めてはこれねえ」
今までは飴が多すぎ、要人という名の蟻にたかられているような状況だった。それを改善して鞭を増やすには独立という劇薬を使うしかない。
「分かりました」
そう言ってリュドミーナは立ち上がり、クウスケに手を差し出した。
「陛下より全権を預かっています。クロパトキン帝国はこの街の独立に協力します」
「当たり前だ」
クウスケは力任せにリュドミーナと握手を交わし、その足でグラハムファミリーのボス──ジェレミーが泊まる高級宿に向かった。
仲間がぽつりぽつりと集まってくる。総勢は二十人にも満たないが、会長の孤児の中でも志を共にする戦友だ。全員が幼少期から訓練を受け、シャーマンが相手だろうとも遅れを取らない精鋭でもある。
クウスケたちは高級宿の門前に立つ下っ端を押しのけて中に入り、ジェレミーにネックレスを見せつけた。
「ジェレミー・グラハム。いや、現ランズダウン帝国の皇帝が末子──ジェレミー・グラハム・ランズダウン」
ジェレミーは少しだけ目を瞑る。反応はそれだけだった。
「お前らには俺たちの傘下に入ってもらう。嫌とは言わせねえぜ」
「……いいだろう」
あっさりとした反応に戸惑うが、出生の秘密が刻まれたネックレスを盗まれた時点で覚悟を決めていたのだろう。クウスケはすぐにネックレスを懐に隠した。
「まずお前らが仕掛けてる八百長は即刻中止しろ」
皇帝の末子がマフィアのボスだった。それを裏付ける噂は随分前から流れていた。
曰く、後ろ盾のないジェレミーがたった一人で台頭するのは難しく、密かに権力者の後見があった。
曰く、ジェレミーが台頭するのと同時期、皇太子が次々に目覚ましい内政手腕を発揮し始めた。
孤児たちが集めた情報によれば、皇帝に認知されなかったジェレミーを拾い上げたのが腹違いの兄である皇太子だという。
次期皇帝である皇太子の醜聞を盾にされれば、ランズダウン帝国もこの街に手を出せまい。
残る外敵は、リントウ帝国の諜報部隊だけだ。




