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第29話

 俺は龍券売場の隣に設置された巨大置時計を頼りに、三分までなら正確に計れるようになっていた。

 龍に乗っても調教程度ならほとんど誤差はなく、レースになるとまだまだ精度に問題はあるけど、以前より格段に時間感覚が正確になってきた。


 指示通りにケアフリーボーイのロングフライトをこなして戻ってくると、アンガスは俺から手綱を受け取って素っ気なく言った。


「いちいちテストなんてしねえ。ベースは教えた。次は応用だ。今のお前ならケアフリーボーイにどう乗る? 後始末が終わるまでに考えとけ」


 アンガスはケアフリーボーイを連れて厩舎に戻っていく。俺はゴーグルを脱ぎ、コースやスターティングヒルに眼を向けた。


 ケアフリーボーイは大人しい龍だけど、そのせいかスピードに乗るまで時間が掛かり、特にスタートが遅い。躰が大きいのもあってコーナーワークは下手と明確な弱点を抱えている。

 長所はスタミナに優れ、スパートしてから最高速度を維持する能力にも優れているところだ。


 操縦性は良いけど不器用。まさに騎手の腕が最も必要とされるタイプの龍だろう。


 重要なのはエネルギー効率──いかに無駄な力を使わせずにスムーズな飛翔をさせるか。しかし不器用なケアフリーボーイに理想通りの飛翔はできない。そこに甘んじて理想に拘って勝てるほど抜けた力があるわけでもない。


 絶対にどこかで強引な飛翔をさせる必要がある。問題は、それがどこかだ。


 長所に頼るか短所を潰すか。その二つに一つ。何にせよ、長々とあるいは何回もしたくはない。短く一回──それが最善の方法だ。


 考えは纏まった。俺は自分の部屋で着替えてからアンガスが待つ厩舎に向かった。


「聞かせてもらおうじゃねえか」


 ケアフリーボーイが餌の鶏を丸のまま呑み込んでいる。食べ方からして大人しい龍だ。闘争心は欠片もないけどこっちの指示には全力で応えてくれる。


「ケアフリーボーイが出る四千八百メートルはスタートから最初のコーナーまでの直線が長い。だからそこで前に出していってアドバンテージを取る。無茶するのはそこだけだ。後はそのアドバンテージを生かして最後の直線まで我慢して、粘り込むような形でゴールする」


 アンガスは給餌中のケアフリーボーイから一瞬だけ眼を逸らして俺を見た。


「頭でっかちになりやがって。それができると思ってんのか?」


「発想自体は間違ってないだろ」


「端からできねえんじゃ意味ねえだろ。最初から押してポジション取りに行って、そのあとどうする? ケアフリーボーイみたいな大人しいドラゴンでも必ずさらに前に行きたがる。

 当たり前だ、ジョッキーがさっきそう指示したからな。いきなりここからは抑えろなんて言われてもドラゴンも困っちまう。自分から掛からせに行く悪手だ」


 掛かる──龍が前に行きたがり、騎手はそれを抑えようとして喧嘩になる。典型的な体力のロスだ。


「そうしなきゃいけない時もあるだろ?」


「気性の問題で先頭飛ばなきゃいけないドラゴンならな。でもケアフリーボーイはそうじゃねえ。コースレイアウトだって前有利ってわけでもねえ。それだったら今まで通り後ろでのんびり飛んで、最後でギャンブルする方がマシだな」


「でもそれだとケアフリーボーイの翼じゃ届かない。瞬発力不足の龍に瞬発力勝負させろっていうのか。勝った時は前が潰れたから、負けた時は前が潰れなかったから。展開で勝った負けたなんて騎手の言い訳だろ? 少なくともケアフリーボーイはそれが許される龍じゃない」


 ケアフリーボーイの給餌が終わった。アンガスがその嘴を布で拭いてやり、空になったバケツをひっくり返して椅子にした。


「エネルギー効率の話はベースだ。その上で聞く。ポジションってのはなんだ? 翼質ってのはなんだ?」


 翼質──龍それぞれの個性に基づいた戦術。先頭を飛ぶ『逃げ』好位を取る『先行』中段より後ろに控える『差し』最後方で待機する『追い込み』


 ケアフリーボーイはその理屈で言えば、差しか追い込みの後ろから行く龍だ。一般的に後ろを飛ぶ龍ほど瞬発力が必要とされる。だから俺は、その戦法はケアフリーボーイに向かないと判断してポジションを取ろうとした。


「あんなものは結果論だ。普段は先行してるドラゴンでも、レースのペースが速くなればポジションは下がる。逆も同じだ。他のドラゴンが苦手とかでもなけりゃ、結局は相対的な話でしかねえ。

 ケアフリーボーイだって二千メートル延長すればスピードの違いから、こっちが抑えねえなら勝手に逃げや先行になる」


「でも延長する気はないんだろ?」


「追翔できてないなら延長する。だがケアフリーボーイは気性的な問題でスタートがのんびりしてるだけで追翔そのものはできてる。四千八百がベストのドラゴンだ」


 スタートは遅い。瞬発力勝負は分が悪い。かと言って体力のロスの問題でポジションは取りに行けない。しかしそもそもポジションは相対的なもの。

 その上で、ロスなく無理せずレースを進めたい。


「……少しずつペースを上げればいいのか」


 俺の呟きにアンガスがにやりと笑い、しかし口を閉じて俺の言葉を待った。


「そうだ。スタートが遅くてもそこからゆっくりペースを上げていけばいい。それなら体力のロスも抑えられるし、瞬発力勝負にもならない。他の龍を気にするなら難しいけど、自分の飛翔に集中できるケアフリーボーイなら可能な戦術だ」


 これなら周りから見れば、ケアフリーボーイは差しや追い込みの龍に見えるだろう。ペースが遅ければ途中で捲っていったように見えるかもしれない。

 でも実際は、淡々と自分の飛翔をしているだけだ。


 だから時間感覚が大事なのか。ようやく俺は、アンガスの真意に気付いた。


 元々時間感覚はどの騎手だって競龍学校時代から特訓させられ、体内時計はそれなりに正確だ。

 でもケアフリーボーイの特徴を生かすこの戦術は、見かけだけの状況に惑わされず、一定のペースアップをし続けるものだ。上手くペースアップできなければ後ろすぎるポジションになり、そもそも勝ちようがないレース運びをすることにもなりかねない。


 そこで思い出す。初めてプロとしてユノと争ったレースのことだ。


「ユノの龍がコーナー途中で失速してそのまま負けると思ったのに、なぜか勝ち切ったレースがあった。あれもそういうことか? 周りが仕掛けたけどユノだけは仕掛けなかったから失速したように見えて、本当は力を温存してたから勝てた」


「まあコーナーワークが下手だってのもあるだろう。そこで無茶すれば空回りして沈んでたはずだ。だがあいつが末恐ろしいのは、あの歳でトレーニングにも理解があるところだな」


 まだあるのか。呆れて言葉も出なかった。


「普通のドラゴンは、外から仕掛けてこられたら我慢なんてできねえ。抜かせねえように頑張って、無駄に力を使っちまうもんだ。抜かせねえようそういうトレーニングをしてんだから当然だな。

 だが、そのドラゴンはそうならなかった。気性が理由なのかそういうトレーニングをしてねえのを見抜いてたからできる芸当だ」


 敵わないな。改めて心底から思う。ユノは俺なんかより遥かに上の騎手だ。


 でも、俺にはアンガスから教わった理論がある。乗る龍だってケアフリーボーイ一頭だ。考えることが少ない分、じっくり深くまで向き合える。


「スーパージョッキーの俺から言わせてもあれは天才だな。まあ、まだまだ下手くそだけどな」


 絶望どころか胸の内が熱くてしょうがなかった。


 俺は良いライバルに恵まれた。ユノがいなければ、俺はもう一度真面目に龍に乗ろうとは思わなかった。先のことがどうでもいいとは言わない。それでもたった一度だけでいい。


 天才ユノに勝ちたい。


「あとはコーナーワークだ」


 言いながらアンガスがバケツから立ち上がる。


「名前に掛けてホームワークだ。てめえで考えてみな」


 まだケアフリーボーイを満足に飛ばせるのに足りないのか。俺はもっと上手くなれるのか。


 こんな気分になるのは競龍学校に行って初めて龍に乗った時以来だ。何もかもが新鮮で、下手だからこそ少し試行錯誤しただけでどんどん上手くなる。


「エイシロウ、仕事の話だ」


 急にノアの声が聞こえた。

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