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第25話

 夜明け前の朝は清々しく、懐かしさとない交ぜになって妙な気恥ずかしさを感じた。ケアフリーボーイの給餌に調教、龍房の掃除と朝は仕事で盛りだくさんだ。


 まだ他の厩舎も寝入っている時間から、俺はケアフリーボーイの龍房に向かった。


「ガッツで勝てたら世話ねえな」


 アンガスの爺さんが龍房の前で待ち構えていた。ケアフリーボーイは眠っているらしく、龍房の中央でうずくまっている。


「心を入れ替えてドラゴンの世話して何か変わるか? ただでさえ劣ってるってえのに、そんなことしてる暇なんかあるのか?」


 出鼻を挫かれた気分だった。


「……普通こういうのは競龍に真摯に接して──」

「──クソの役にも立たねえな。手も足りてる」


 俺が思っていたアンガスのイメージと正反対だ。爺さんだけあって根性論ばかりが先行して取っつきにくいかと思えば、むしろ根性論を根底から否定した。


「それとテクニックも捨てろ。どうせすぐには追いつかねえ。てめえに圧倒的に足りねえのはロジックだ。それを俺が教えてやる」


 アンガスは糞を入れる為のバケツをひっくり返して置き、その上に座った。


「レースで勝つ為に一番大事なことってのはなんだ?」


 俺は座れそうなものを探したけど見つからず、立ったまま答える。


「最後にスパートを掛ける時にどれだけ余力を残せているか」


「浅えな」


 以前ならイラついていたけど、不思議と反抗心は欠片も沸かなかった。


「余力なんて道中チンタラ飛んでれば残ってるんだよ。で、その位置からどうやって勝つんだ。一番早くゴールしたやつが勝つんだよ。プロセスなんて聞いてねえ。

 一番早くゴールするってことは、一番早いタイムで飛ぶって意味だ。ならどうすれば早いタイムを出せる?」


 競争ではなく、純粋に早いタイムを出す。考えたこともない視点だった。


 俺が工夫してきたのも競龍学校で教えられたのも、いかに良い位置を取るか、いかに龍と折り合いを付けるか、他の龍や騎手との駆け引き、あるいは龍の長所と短所をどう見極めて乗りこなすかといったことばかりで、他の龍に先着するのが目的になっていた。


 それこそがレースだと思っていた。


 でも言われて見れば確かに、本質的に他の龍や騎手なんて関係ない。勝ち負けなんて所詮は後から付いてくるものだ。

 騎手最大の仕事はあくまでも、乗っている龍の力を最大限発揮させることだ。その他諸々が一番大事になんてなるわけがない。


 早い時計を出すとは、すなわちハイパフォーマンスを出すということ。それが最も勝利に近い。でも俺は成績最優秀者ということにかまけて技術論が先行し、本質を見失っていた。


 道理でアンガスに下手くそとしか言われないわけだ。


 思考を巡らせる。

 早いタイムを出す為に必要なのはなんだ。レース全体のタイムで言えば、スローペースで早いタイムは出ない。それが出るのはハイペースの時だ。しかしそれだと最後に失速して理想とは言い難くなる。


「……限界ギリギリのイーブンペースで飛ぶ」


「正解だ。だが、そもそもイーブンペースってのはなんだ?」


 四千メートル飛ぶ場合なら、前半一分、後半一分で飛翔すると前半と後半のタイムが同じになってイーブンペースと呼ばれる。


 前半が遅く後半が速いスローペースなら全ての龍に余力が残っている分、ゴールにより近い前方を飛ぶ龍が有利になり、前半が速く後半が遅いハイペースだと前を飛んでいる龍が失速することで後ろの龍が有利になる。

 すなわち、イーブンペースは前と後ろの有利不利が無いペースだ。


 でも、アンガスに問われているのはそういうことじゃない。というより多分、俺が思っているイーブンペースはイーブンじゃない。


「スタートか」


 呟き、俺は自分の答えに確信する。アンガスが微かに右の口角を持ち上げて俺の言葉を継いだ。


「スタート直後はスピードに乗ってねえ。どうしたって加速するまで遅くなる。具体的な数字はともかく、前半一分一秒で後半は五十九秒、そういうバランスが本当のイーブンペースだ。実際はここにコースや風も関係してくるが、まあ今はいい」


 言い終わるとアンガスはケアフリーボーイの眼を向ける。

 いつの間にか起きていたケアフリーボーイがのそのそと立ち上がり、しかしアンガスが俺に眼を戻すと片足立ちになって目を瞑った。


「まだ餌の時間じゃねえぞ。それよりイーブンペースだ。限界ギリギリのイーブンペースが一番早いタイムを出せる。その通りだ、合ってる。

 だがなんでそれで早いタイムが出せる? レコードってのはほとんどハイペースで出るもんだ。だったらハイペースが理想のはずだろ?」


 それは最後に失速するから、そう反論しようとして俺は自分の間違いに気付く。


 失速することと一番早いタイムを出すことは矛盾しない。だからレコードが出るわけだ。勿論そういうレースは前が潰れて後方の龍が台頭するわけだけど、先頭の龍がそのまま逃げ切ってレコードタイムを樹立することもあるにはある。


「逆に聞こう。なんでスローペースだとタイムは出ねえ? 俺たちジョッキーの理想はゴールのその瞬間、その丁度で龍の持つ全ての力を出し切ることだ。そうだよな?」


 頷いた。俺も今までそういうつもりで乗っていた。道中はできるだけロスを抑えて乗り、ラストスパートで爆発させ、全てを出し切る。


「全てを丁度出し切るならスローでもタイムは出るはずだ。でも現実は違う。イーブンペースが一番早いタイムが出るというなら、その違いはなんだ?」


 分からない。違和感はあるけど、言語化はおろか違和感の輪郭すら掴めない。


 限界ギリギリのイーブンペースで最後まで絞り出すのが理想なのは感覚的に分かるけど、頭で整理しようとすればするほど、ハイペースに巻き込まれずに結果的にイーブンペースで飛べたから理想の飛翔になった、そういう結果論でしか語れない。


「厩舎の周り走ってこい。二周でいい。イーブンペースでな」


 言われた通りにした。厩舎はでかいけど二周なら大したことはない。息も乱さず戻ってくるとまた走るように言われた。


「今と同じタイムでもう二周。ただし、スローペースで。一周目はジョグ、二周はランだ」


 それでアンガスの意図が分かった。

 それでも俺は躰で理解したくて指示に従った。


 一周目は当然楽、二周目は全力で走ったから疲れた。

 掛かったタイムはほぼ同じだ。それでも一回目の二周は平然としていたのに、二回目の二周を走り終えた時には膝に手を着いて息を荒げていた。


「違いはエネルギー効率だ」


 前半一分三十秒で飛び、後半三十秒で飛ぶスローペースと前後半同じのイーブンペース。全体のタイムは同じでもスタミナを消費するのは圧倒的にスローペースだ。


「一定のスピードで飛ぶのが一番効率的ってことか」


「そういうことだ。一定のスピードで飛べば疲れにくい。逆に無茶をすれば疲れやすい。そこに繋がってくるのがてめえが最初に言った、最後にスパートを掛ける時にどれだけ余力を残せているかってわけだ」


 脚の先から上った震えが頭の先を突きぬけて、俺を空に引っ張っていく。すぐにでも龍に乗って確かめたい。なんでもいいからレースに乗って試してみたい。


「当たり前だが今のは理想論だ。ハイペースだろうが前に行くしかねえドラゴンもいれば、ハイペースでぶっ飛ばして真価を発揮するドラゴンだっている。逆もしかりだ」


 そこでやっと出て来るのが、俺が今まで学んだ技術ってわけだ。でも今までの俺は、その技術が何のために存在しているのか、どういう風に生かせばいいのか理解していなかった。


 眼から鱗とはこのことだ。俺の競龍観は根底から覆った。こんな理論を草競龍のジジイに教わるとは思わなかった。


「何者だよ、爺さん」


「ランズダウンのスーパージョッキー様だ」


 冗談かと思っていたけど嘘じゃない。間違いなくアンガスの爺さんはランズダウンの中央競龍で一時代を築いた騎手だ。


「なんでこんなところにいるんだよ?」


「天才ってのは孤独なもんだ」


 アンガスは鼻で笑う。どこか寂しそうな表情だ。それから溜息を吐き、爺さんは立ち上がって椅子にしていたバケツを持ち上げた。


「というわけだ、お前はしばらくドラゴンには乗るな」


「冗談だろ!?」

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