第22話
俺は必死に頭を働かせる。
「……金だよ」
動いた喉仏に痛みが走る。血が喉を伝い、腹まで流れ落ちていく。ようやくナイフが喉から離れた。
「ここはループホールの金庫番の家だった。隠してた金庫の中身は盗まれてたけど、もしかすると他に隠してた金があるかもしれない。それを探して来いって言われたんだよ」
「それはどこにある?」
「そもそもねえよ。こっちだって無理難題吹っかけられて困ってるんだ。疑うなら床でも天井でも引っぺがしてみろよ」
また、若い男が俺の喉にナイフを当てた。その息が少し荒くなっている。
「もう探し出した後なんじゃないか?」
「だったらここに戻って来ねえよ。俺たちが大金持ってるように見えるのか!?」
喉が痛む。そんなことは気にしていられない。若い男はやたらと瞬きを繰り返し、視線もあちこちを彷徨っている。
明らかに焦っていた。何に対して焦っている。決まっている。
あの巫覡の男を恐れて焦っているんだ。同じ巫覡ならここまで焦りはしないだろう。そもそも神の加護ではなく、ナイフで脅しているのがその証拠だ。
いくしかない。俺は指先に火を点けた。手首と足首を同時に焼いていく。同時に、黙っているレイジに視線を飛ばした。
「そいつの言うとおりだ」
レイジが俺の期待に応える。若い男が俺から離れてレイジの喉にナイフを押し付けた。ツタの燃える青い匂いが俺の鼻を刺激する。
「黙れ、勝手に喋るな。話を聞くのに二人もいらない。次勝手に喋ったら片方を殺す」
そこで、若い男が動きを止めた。微かに鼻をひくつかせている。
瞬間、俺は焼けかけのツタを引き千切り、若い男を突き飛ばした。
男が手に持っていたナイフも飛んでいく。床に落ちたナイフの上に、レイジが覆い被さった。これで相手に武器はない。
俺は急いでレイジの手足を縛るツタを自衛用のナイフで切り、二体一の状況を作った。
若い男が、リボルバー式拳銃を取り出した。睨み合う。俺たちもそれぞれナイフを持っている。距離も近い。相手が強くてもそうそう遅れは取らないはずだ。
ふと、荒々しい呼吸に気付いた。
若い男の息が、全速力で走った後ぐらい乱れていた。焦点もどこかずれ、リボルバーを持つ手が痙攣したように震えている。
まさか、神の加護の予兆か。俺は膝を曲げて身構える。若い男はリボルバーを構え、大声で喚き散らした。
そして、自らのこめかみを撃ち抜いて自害した。
「……すぐに追ってくる。逃げるぞ」
レイジにそう言われ、呆気に取られていた俺は我に返った。巫覡の男を恐れて死んだのか。いや死人に構っている暇はない。
「別れて逃げよう。レイジ、どっちから逃げたい?」
「なら表」
すぐに逃げ出した。
巫覡相手なら俺たち二人じゃどう転んでも勝てはしない。それにやつらは所詮よそ者だ。地の利は俺たちにある。あの尊大な巫覡の男は俺たちをまともに見なかったから顔も覚えてないだろう。
街中を縦横に走った。
最初は静かだった。まもなく獣の鳴き声が追ってきた。犬とも猫とも違う聞いたことのない声が、俺より少し遅いぐらいの速度で何匹も着いてくる。
少しずつ離しても急に別のところから鳴き声が聞こえ、それを十分撒いたと思えばまた別の方角から現れる。
気味の悪い神の加護だった。しまいには人間の声まで聞こえ、俺の逃げ先はどんどん狭まっていく。
息が限界だった。
夏だというのに凍えにも似た苦しさが喉に纏わりつき、肺まで冷え切ったように呼吸の度に痛みが走る。体力にはまだ余裕があるはずだった。
しかし躰の内側が先に悲鳴を上げ、俺は路地裏に転がり込んだ。
見たこともない鳥が飛んでいる。相変わらず得体の知れない獣が鳴いている。方々で俺を探す人間の声が飛び交っている。
俺は地面に突っ伏して、とにかく深くゆっくり呼吸を繰り返し、傷んだ喉や肺が落ち着くのを待った。
なんでこうなった。
両親が死んだと聞かされてこの街に帰ってきて以来、何度も思ったその言葉が、また腹の底から突き上げてきた。
今頃俺はリントウ帝国の中央競龍で華々しくデビューしていたはずだ。それが今や借金塗れになり、犬よりも軽い命で地べたを駆けずり回っている。
叫びたかった。周りの物全てをぶち壊して楽になりたかった。
でも、それが何の解決にもならないという事実が俺を地面に縛り付けた。空はもう遠い。今の俺は汚れきった土や汚水に塗れ、一緒になって生きていくしかない。
足音が聞こえた。
息を殺す。呼吸はもう楽になっている。ナイフを握り、いつでも動けるように身を屈めながら素早く退路を確認する。人影が俺のいる路地に眼を向けた。
「エイシロウ?」
カイチおじさん。
ふっと緩みかけた気は、一瞬で引き締まった。なぜおじさんがこの場にいる。カイチは叔父ではない、その言葉が頭を過った。
俺はナイフの切っ先をおじさんに向けた。
「近づくな!」
「落ち着くんだエイシロウ。私は敵じゃない」
驚いていたはずのおじさんの表情が、いつの間にか強張ったものに変わっている。常人にしては状況判断が早すぎた。俺にナイフを下ろすよう身振りで示しながらも一歩一歩近づいてくる。その動きに合わせ、腕の入っていない左の袖が揺れていた。
「……諜報部隊の人間だったのか」
おじさんの眼が見開かれた。
「どこでそれを?」
当たり。俺はカイチから距離を取り、隙を見て背後を確認する。まだ誰もいない。カイチに向き直って明確にナイフの先端を向けた。
「俺たちを騙してたのか?」
カイチは答えなかった。その代わり、無言で人差し指を立てた。その爪先に炎が灯る。
俺が両親から教わった神の加護だ。
「君のご両親にこれを教えたのは私だ。分かったら短剣を下ろしてくれ」
本来、神の加護は貴族の特権だ。奴らはそれを独占し、その強力な力を背景に自分たちの立場を堅守している。必然的に神の加護を赤の他人に教えることはあり得ない。
「私はリントウ帝国の諜報部隊、その副隊長だ。当然貴族でもある。ご両親と血の繋がりはなく、同じ組織に属する同僚だった」




