第15話
「冷たいこと言うなよー。急に学校辞めたから心配してたんだよ、こっちは」
言いながらユノは龍房をきょろきょろ見回した。
「設備は随分立派だね。事前に聞いてはいたけどこりゃビックリ。草競龍とは思えないや」
相変わらずムカつくほどマイペースなやつだ。教官の指導も無視して好き勝手してよく怒られていた。
躰付きも細いままだ。競龍騎手はレース中に振り落とされないよう相応の筋力が求められるのに、ユノはそこら辺の女と比べても細いぐらいだ。
こいつはあの時のまま──俺だけが変わってしまった。
「二度も言わせるなよ。なんでここにいる」
俺の敵意丸出しの言葉が聞こえていないように、ユノは龍房の鉄柵を触り、軽く叩いて音を鳴らした。
「避暑だよ避暑。やっぱりこっちは標高が高いからこの時期でもまだまだ涼しいね。うちなんてもう暑いったらありゃしない」
そういえばこの時期、リントウ帝国の競龍はオフシーズンに入る。
あの国の夏は尋常でなく暑い。だから夏を前にして二カ月間の休みに入り、龍たちは生まれ故郷に帰ってゆっくり過ごし、関係者たちも次のシーズンに備えてそれぞれの休暇を送る。
「観光に来るような場所じゃないぞ」
ユノは溜息を吐きながらやれやれとでも言いたげに首を振った。
「そんなわけないじゃない。こっちの、なんだっけ、なんちゃら委員会の会長さんに呼ばれたんだよ。うちの競龍でレースに出てくれって。まあいわゆる武者修行ってやつね」
オフシーズンによその競龍に出るのは良くあることだ。力のある騎手は隣国で乗るのが一般的だけど、ユノのような若手は乗り龍に恵まれないから草競龍に顔を出すのも珍しくない。
つまり二カ月はこいつと一緒ってことか。そんな長期間、こっそりと八百長をしている俺の姿を見られ続けるのか。
「帰るなら今の内だぞ、ユノ。ここは軽い気持ちでいられるような甘っちょろい場所じゃないんだ。今なら会長だって認めてくれる」
「聞いてるよー治安悪いんだって? でもユノ、街に行くことないから大丈夫。それに修行しに来てるんだから甘っちょろい方が困るって」
言って、ユノは能天気に笑った。
「そうそう。ユノ、今日から龍に乗るんだけど、一つだけエイシロウと同じレースに出るんだよね。その時はよろしく先輩」
一瞬で躰が固くなった。
「……ああ、よろしくな」
俺が乗るレースはいつも通りケアフリーボーイに乗る一鞍だけ。それも調教代わりだから結果なんて誰も求めていない。
準備を済ませてその時を待ち、装鞍所でケアフリーボーイに跨った。
離れたところで手を振ってくるユノを無視してケアフリーボーイの試験飛行を済ませ、合図を受けてスターティングヒルに入る。
間もなくスタートが切られ、ケアフリーボーイはいつものようにのっそり飛び出した。
最初はどうでもいい。大事なのは最後の直線だ。
ユノの乗る龍はスタートこそ良かったけど、人気はケアフリーボーイと大差なく力もその程度だ。最後の直線までは良い位置にいても勝負所でずるずると下がってくる。俺が仕掛けるならそこだ。
俺は龍群に離されないようにしながら最下層の雁行最後尾を追尾した。
最終コーナーに差し掛かり、龍群が旋回していく。その中で、最内にいるユノの龍が少しずつ遅れを取っているのが見えた。
あの手応えなら後は下がる一方だ。俺は鞭を振るってケアフリーボーイに指示を出し、コーナーの途中から内に切り込んでいった。
ぴったりとユノの上に張り付く。それから少しずつユノに寄せていった。
こうやって上から寄られる恐怖は尋常ではない。寄ってくる相手は龍の躰が邪魔になってお互いの位置関係の把握が難しく、回避動作を取らないままぶつかって共に墜落、なんてレース中の事故としてはままあることだ。
さあどけ。どいて無様にレースを諦めろ。
リントウ帝国の中央競龍の優秀な騎手や龍じゃないんだ。ここで学べることなんて中央競龍とのレベルの差ぐらいなものだ。その程度のことに命を張る価値がないことぐらい、お前なら分かるはずだ。
俺はコースの内側に眼を向けた。今にユノが俺を避けてコースアウトするはずだ。競龍学校時代、同期の中で俺が一番巧かった。
対してユノの順番なんて覚えていない。多分、下から数えた方が早かったはずだ。下手なんだから中央でぬくぬくと過ごしておけばいい。
いくら待っても、ユノの姿が見えなかった。
「開けろぉ!」
ユノの怒鳴り声が、風に乗って聞こえてきた。
俺は前を見た。ユノがいつの間にか進出している。それどころか龍群を強引に割ってどんどん前に出ている。
あり得なかった。
ユノの乗る龍は、間違いなく最終コーナーで手応えを失っていた。つまり余力なんて完全になくなっていた。あそこから巻き返せるわけがない。
しかし俺の思いとは裏腹に、ユノはさらに力強く前に出て、そのまま後続をぐんぐん引き離して一着でゴールしていった。
二桁人気の、勝つはずがないと思われた龍に乗って、ユノは鮮やかに勝利した。自分の眼で見た光景が信じられなかった。神の加護で使ったんじゃないかと疑うほどの、俺の競龍観をぶっ壊されるような勝利だった。
「あれがリントウで噂のスタージョッキーか。やるじゃねえか」
戻ってくると、珍しくアンガスの爺さんが他人を褒めた。
「スタージョッキー? あいつはデビューしたてだぞ」
「知らねえのか。俺でも会長が生きのいいルーキーを連れてきたって噂に聞いてたぞ。まさか噂以上とは思わなかったがな。リントウにもああいうのがいるんだな」
爺さんがにやりと笑う。その初めて見た表情に、俺は唇を噛んでいた。
たった数か月の間で、ユノに何があった。
余力を失って下がる一方だった龍を堪えさせるだけならまだ理解できる。ただそこからさらに一伸びして勝利にまでこぎつける。
意味が分からない。ケアフリーボーイの躰でユノが何をしたのか見えなかったけど、見えていたとして俺は理解できたのか。
愕然たる力の差。競龍学校時代の差は逆転し、それ以上の差を付けられた。
「あいつは何をやったんだ?」
「言ってもてめえには分からねえよ、下手くそ」
頭の中で何かが弾けた。
「お前に何が分かる!?」
「俺は元スーパージョッキーだ。下手くそが噛みついてくるんじゃねえ」
元騎手の調教師なんてありふれた存在だ。アンガスのジジイがどんな騎手だったかは知らないけど、この街でマフィアの言いなりになってる時点でたかが知れてる。
「説明できないだけだろ三流!」
「好きなだけ吠えろガキ。吠えれば吠えるほどそれがてめえの力の証明だ」
言い返せなかった。
俺は競龍学校時代、一番巧かった。それなのに、今のユノより圧倒的に下手になっている。
たった数か月だ。これが競龍学校を辞めた人間と、中央競龍でデビューできて濃い経験を積んできた人間の差なのか。
躰から力が抜けていく。
競龍はもう俺の居場所ではない。分かり切っていた事実を突き付けられ、今になって痛感させられる。俺が今龍に乗っているのは借金を返す為、八百長をする為、それだけだ。
空が何色かどうかなんて、もはや見る気もしなかった。




