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第14話

 また無言が続いた。


 ノアは赤ん坊のように俺を凝視してぴくりとも視線を逸らさない。瞬きすらもほとんどしていない。


 音がした。反射的に躰が固くなる。


「委員会が動いたぞ」


 アンガスの声だ。休憩室の扉が開いた音か。躰から力が抜ける。ノアがようやく俺から目を放した。


「処刑か?」


「今日中に執行されるそうだ。八百長に関わったサミュエル厩舎の人間全員と、サミュエルの親族丸ごと斬首だとよ」


 笑い声が聞こえた。見ると、ノアが大口を開けて笑っていた。

 腹を抱えてデカい躰を丸くして、両足をじたばたと動かしている。この世の終わりぐらいに馬鹿笑いしている。


 ついていけなかった。八百長の駒が一つ潰されたのに、ノアはなぜ喜んでいる。


「エイシロウ、五百万出すよ。持ってけ泥棒!」


「え?」


 出さなくていい声が漏れた。ノアはそんなことお構いなしに上機嫌だ。懐に入れていた金を嬉しそうにあちこちばら撒いている。


 疑問が沸く。グラハムファミリーの目的は八百長とは別にあるのか。


 分からない。でも一つ言えるのは、そんなこと俺には一切関係ないということだ。

 金さえあれば、グラハムファミリーとクウスケから縁を切れれば、それ以外のことがどうなろうが知ったことじゃない。


 俺はクウスケを探し回った。

 それで孤児院にいるという話を聞き、街にいくつかある孤児院の一つを訪ねてクウスケと再会した。


「三百万ルーブル、きっちり入ってる」


 金の入った袋をクウスケの足元に投げた。その背後では子供たちが遊び回り、何人かが陰で俺たちを見張っている。


「驚いたぜ」


 そう言ってクウスケは袋を拾い、中身を確かめて唇の端を歪めた。


「よくこれだけの金が短期間で集まったな。グラハムファミリーはそんなに懐があったけえのか?」


「なんでもいいだろ。これで俺たちの関係は終わりだ」


「まあそう言うなよ。俺と殺された奴はな、ここの孤児院出身なんだよ。つまり昔からのダチだったわけだ。俺の一番の理解者でもあった。ドジだったけどな」


 クウスケは微笑み、孤児院を振り返る。

 近くで見るのは久しぶりだけど、相変わらず立派な建物だ。さすがは競龍運営委員会が経営しているだけはある。そのお蔭でこの街の孤児院で暮らす子供は親のいる子供よりよっぽど良い暮らしをしている。


 ただし、きな臭い噂もあった。


「お前……エイシロウだったか」

 クウスケが俺に向き直った。

「グラハムファミリーのところで八百長してんだろ?」


 心臓を掴まれた気分になった。なんとか表情に出さずに堪えきる。


「何のことか分からないな。第一金の出所なんてどうでもいいだろ」


 クウスケは笑った。

「調べはついてる。それより頼みがあるんだよ。グラハムファミリーが何をしてるか、俺に情報を流せ」


 噂は本当だったのか。


「『会長の孤児』か」


「正解。俺たちは競龍運営員会会長の手足だ」


 この街の孤児院で育てられた孤児は、成人するとこの街だけではなく各国に散り、会長の手足となって情報を集めたり様々な工作に携わっているという。俺が殺した男もグラハムファミリーを調べていた途中で捕まったのか。

 俺の立場を誤魔化す意味はなさそうだ。


「そこまで分かってるなら俺なんかいらないだろ。さっさとマフィアどもを追い出せよ」


「勝つなら綺麗に完璧に、が会長の指示でな。今は情報集めの時期なんだよ。初めて会った時、本当は殺してもよかったんだ。それをわざわざ生かしてやったんだ、嫌とは言わせねえぞ」


 グラハムファミリー並みに厄介な相手だ。逆らう選択肢はない。

 しかしこれをグラハムファミリーに知られれば、俺は裏切り者と見なされて呆気なく殺される。簡単にはいとは言えなかった。


「無茶言うなよ」


「ならチクって守ってもらえよ。マフィア連中が手駒の一つでしかないお前の為にそこまでしてくれると思うならな。一応言っておくが、八百長の駒はお前以外にもそれなりの数いるぞ」


 分かっている。奴らが俺を守るわけがない。最悪、面倒だという理由だけで俺を殺しかねない連中だ。

 何を選んでも地獄。怒りと悔しさでないまぜになった感情が渦巻いた。


「安心しろよ。ただ働きしろとは言わない」


 クウスケは袋から金貨を一枚を取り、俺に投げ渡した。


「手付金だ。奴らが何をしているか俺に教えろ」


「……分かった」


 断れるわけがなかった。会長の孤児の黒い噂なんていくらでもある。逆らえば殺される。しかしこれがバレれば今度はグラハムファミリーに殺される。完全な八方塞がりだ。


 違う。


 後ろ向きな考えは止めろ。切り替えろ。報酬が出るんだ。金を稼げるチャンスが増えた。それだけだ。

 物事は上手く進んでいる。仕事を増やして借金を返す。よくある光景だ。


 問題ない。俺は何度も自分自身に言い聞かせた。




 俺はケアフリーボーイの手綱を引っ張り、厩舎前を散歩させる。

 運動の意味もあるけど、どちらかといえば体調の確認だ。これで歩き方がおかしければ脚を怪我しているという判断になる。それから立ち止まって何度か羽ばたかせ、翼にも異常がないことを確認した。


 多分問題はないだろう。

 ケアフリーボーイを龍房に戻そうとすると、アンガスの爺さんの掃除がまだ終わっていなかった。龍房の隅の溜め糞をせっせとバケツに移している最中だ。


「まだかよ。こっちは終わったぞ」


 爺さんは手を止めず、その上俺を見向きもせずにあからさまに不機嫌な声を出した。


「てめえが早いんだよ。いいかげんなのはライドだけにしろ」


 いちいちむかつく爺さんだ。


「どうせ今日のレースも調教代わりだろ。そんなのに真面目になってどうするんだよ」


「調教でも事故が起きる時は起きる。リントウのアカデミーはそんなのも教えてくれねえのか」


「俺が辞めた後に教えたんだろ」


「そういえば端からボンクラだったな」


 ぶん殴るぞクソジジイ。

 怒りが口を突きそうになる。堪えきれたのはひとえにおかしいのは俺だという自覚があったからだ。爺さんはいつもこの調子で、普段は俺が聞き流していた。それが今日ばかりは俺の方が食って掛かっている。

 ストレスが溜まっているせいだ。


「……ボンクラはお互い様だろジジイ」


「魂まで腐ったてめえと一緒にするな」


 ジジイの無防備な背中を蹴りたくなってきた。今なら丁度、すっころんだ爺さんの顔面は龍の白い糞だらけになる。さぞ痛快な気分に浸れるだろう。


「喧嘩は止めな―」


 間の抜けた明るい女の声が後ろから聞こえた。

 どこかで聞いた覚えがある。そう思って振り返ると、この街にいるはずのない人間が立っていた。


「や、久しぶりエイシロウ」


 心臓が跳ねた。頭の奥にまでその鼓動が響いた。


 ユノ──競龍学校時代の同期。

 今頃はリントウ帝国の競龍騎手としてデビューしているはずの女だ。肩まで伸ばした髪は風呂上りに乱暴に水気を拭いたようにぼさぼさで、それなのに妙にしっとりした艶がある。

 垂れ目に下がり眉のせいでのぼせたように見えるのもあって、寮じゃなくて風呂に住んでいると噂されていたのを思い出す。


「……なんでお前がここにいるんだよ」


 無意識に舌打ちが出ていた。バツが悪いなんてレベルじゃない。今の俺の姿を、よりにもよって同期のやつに見られた。


 最悪の気分だ。いますぐにでもここから走り去りたかった。

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