第11話
ノアの眼に映るのは仲間の無残な死体だった。
それも下っ端ではなく、武闘派で鳴らした幹部が殺されている。
手足の指は全て切断され、耳は削がれ眼は潰され、全ての歯と舌が抜かれている。それ以外にも刺し傷や切り傷、火傷や蚯蚓腫れが無数にあった。拷問にしても派手な跡だ。
血の臭いに興奮したのか遠くからドラゴンが暴れているような音が聞こえる。ノアは手にしたランタンで辺りを照らし、死体が転がっている龍房全体を見回した。
あちこちに血が飛び散り、いびつに曲がった指や耳が転がっていた。この厩舎は使われておらず、ここで拷問が行われた可能性もある。しかし周囲には往来があり、拷問場として相応しい場所とは言い難い。
「俺は今からボスに報告してくる。お前たちはここで待機してこの状態をキープしておけ。他の幹部連中が来ても見せるのはいいが触らせるなよ」
ノアは急いで競龍場を出た。ボスが身分を偽って潜伏している宿に走り、門前で警護する仲間を素通りして中に入る。宿ではあるが、普段はお忍びで競龍を楽しみに来た貴族たちが止まる豪邸だ。
広い庭を通り抜け、そこからさらに通路を進んで階段を上がり、最奥にあるボスの居室の扉を叩いた。
「ノアです。幹部の一人が殺されました」
「触りは聞いた。入れ」
ノアは言われた通りにする。部屋で寛いでいたはずのボスは、いつものベストの上にジャケットを羽織り、眼帯を着けながら今にも出かけようとしていた。
「私はこれから国に戻る」
ボスの手には鞄がある。片手で持てる程度の着替え程度しか詰まっていない荷物だ。ボスはどんな状況であろうとも基本的に一人で行動する。部下を信頼していないのではなく、何が起ころうとも一人で対処できるからだ。
「ランズダウンに戦力は残っていません。お気を付けを」
「問題ない」
言って、ボスは掛けてあったツバ広の帽子を手に取った。
「幹部の報復は私が先陣を切る。戻るまでは調査に止めておけ。幹部を殺したのは私たちの介入に気付いた委員会の仕業かもしれないが、奴らの可能性もある。浅慮な考えで動くな」
「分かりました」
「それと計画は予定通りに進めろ。例の捜索は今まで通り、八百長に関してはお前に一任する」
「お任せください」
ボスは帽子を被り、散歩にでも行くような歩調で宿を出ていった。
ボスにとって、今はまだこの街の方が安全だ。それに引き替え、ランズダウン帝国には無数の敵がいる。
今現在険悪な組織、かつて潰した組織の残党、個人的にボスを恨んで付け狙っている者、あるいはボスの存在を危険視した帝国貴族の手先たち。その真っ只中に、ボスは裸同然で戻ろうとしている。
想像するだけで、ノアの全身の毛がじわじわと逆立っていく。そして、自分はそんなボスに計画の一端を任された。そう思うと腹の底が尋常でないほど熱くなった。
競龍場の朝は早くとも、一頭分の調教しかつけない俺には関係ない。
外が騒がしくなってからしばらくして目覚め、強盗の下見に動き出す。
家を出ようとドアを開けると、隙間に挟まっていたのか紙切れが一枚落ちた。折り畳まれたそれを開く。中身は手紙だった。
しばらく会えない。例の物は誰にも渡すな。
書かれているのはそれだけで名前すらない。
俺は休憩所の椅子に座り、その手紙を見回した。炙り出しのような仕掛けもなく、書かれているのは簡潔に過ぎる。だけど状況からして両親が書いた、そう思わせるような文章だ。
十中八九、これを書いたのは両親以外の誰かだ。
別人の字とかそういうことじゃない。両親の字なんて覚えてないし、実物が手元にあっても区別できるかは分からない。それより単純に、シイナと違って両親が生きているなんてこれっぽっちも思っていないだけだ。
手紙は罠だろう。
例の物が何を指しているのか分からないけど、それが原因で両親は殺されたのか。少なくとも手紙を送る辺り、強硬手段に出るつもりはないのか。そこまで考えて、神の加護で手紙を燃やした。
死人なんかどうでもいい。今は金だ。
クウスケに脅されてから数日、あいつがいつ金の催促に来てもおかしくはない。どこかの家に押し込んで金を作る。俺にはそれしかない。
再び家を出た。厩舎の前でケアフリーボーイを歩かせているアンガスを無視して通り過ぎ、そこで近づいてくるノアの姿が見えた。
目の前に来るなり、ノアがその太い腕を俺の肩に回してくる。想像以上の重さに驚いている暇もなく、ノアが小声で聞いてきた。
「エイシロウ、まだ手伝いたいって思ってるか?」
八百長を手伝う、確かに俺は以前そう持ちかけた。あの時は余計なリスクを負わせたくないという理由で断られている。
「いいんですか?」
「事情が変わった。色々あって急に人手不足になってな」
いざとなると躊躇いが出てきた。
いまさら何を足踏みしているのだと自分でも思う。
ただ、人を殺した時も、前の八百長の時も、せざるを得ないという思いだけで行動した。しかし今回は違う。金が必要でも八百長である必要はない。当初の予定通り強盗で金を稼げばいい。
「中で話そう」
そう言ってノアが家を親指で差した。その遥か奥で、何やら人だかりができていることに気付く。記憶が確かであれば使われていない厩舎だったはずだ。
いや、そんなのはどうでもいい。そう、どうでもいい。確実に大金を稼ぐ。それ以外のことは全てどうでもいい。
俺はノアに着いていって休憩室に戻り、机を挟んで向かい合って座った。
相変わらずデカい躰だ。普通サイズの椅子や机が小さく見える。ノアは座り心地が気に入らないのか何度も椅子に座り直し、ようやく口を開いた。
「ターゲットはトレーナーのサミュエルだ」
大物だ。毎年のように年間勝利数でトップ五に入り、最優秀調教師にも何度も選ばれている。この街を代表する調教師で、リントウ帝国でも名が知られていた。
「今回も家族を使って脅す。サミュエルには一人娘がいてめちゃくちゃ可愛がってるらしい。そいつを攫って言うことを聞かせる」
親戚を殺されたテイゾウを思い出す。
テイゾウは今もマフィアと委員会の制裁に怯えながら生き残った家族を守ろうと、さらにドツボに嵌って八百長を繰り返している。誰がどう見たって辿り着くのは破滅だ。
こいつらは、いや俺たちはまたそんな人間を増やそうとしている。
「ただハードルがある。その一人娘のボーイフレンドが地区の一つで自警団のボスを務めてる。しかもどんな時でもべったり、歩きながらヤッてんじゃねえかって具合なんだ。だからどうしたって自警団と戦うのは避けられない。でも別のとこに人を取られててな」
この街に公的な治安維持組織はない。だから地区ごとに自警団を用意し、住民たちは自らを守っている。大概はその地区に住む若者だけど外部から雇われた奴もいて、暴力を提供する代わりに住民に養われていた。
「お前はこの街の出身だろ。何か良い手はないか?」
手は、ある。すぐには口にしない。もう一度考える。
金を稼ぐなら強盗でもいい。本当に八百長を手伝うのか。調教師のサミュエルを地獄に引き摺り下ろすのか。
「……報酬は?」
「最低で百万。常に動けるのは俺とお前だけだ。働き次第では十倍まで出す」
喉から手が出ていた。そんな幻覚が本当に見えた気がした。
背中も汗でびっしょりとしている。緊張のせいなのか、冷や汗なのか脂汗なのかも分からない。やるしかない、納得させるように諦めさせるように、何度も心の中で繰り返す。
「……俺に、任せてください」




