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第三章 硫黄の島へ

海が黒い。

 ただの闇ではない、燃え尽きた鉄と油の匂いが染み込んだ黒。

 尾田治郎は、船縁から遠くに見える島影を見つめた。

 その島の名は「硫黄島」。この世と地獄の境目――そう呼ぶ兵もいた。


 上陸を前に、彼はひとり甲板に立っていた。

 潮風が肌を刺し、エンジンの震動が骨に響く。

 耳の奥で、鼓動が戦鼓のように鳴っている。

 生きて帰れる者は、何人いるのか。


「伍長、栗林中将はすげぇ人らしいですよ。アメリカにいたとか」

 隣の兵が不安を誤魔化すように言った。

 治郎は小さく頷いた。

「理のある戦をする人だ。だが、理で勝てるとは限らん」

 その声には、長い戦場を渡り歩いた者の静かな重みがあった。

 彼は知らない。

 自分が「理に生き、理に敗れた戦国武将」だったことを――。





 艦砲射撃が始まった。

 島が鳴動し、大地が裂ける。

 空気そのものが金属のように震え、息が焼ける。

 天も地も炎の海に沈んだ。


「伍長! 通信線が断たれました!」

「俺が行く。掩体を離れるな!」


 外に出ると、焼けた砂が靴底を焦がした。

 死の気配が漂う中、治郎は線を繋ぎ直す。

 その横で若い兵が震えていた。

「怖いです……」

 治郎は振り向き、淡々と答えた。

「怖いのは、生きてる証拠だ。怖いと思えぬ奴は、もう死んでる」

 そう言って、兵の肩を叩いた。

 その仕草は、かつて家臣を励ました戦国の主将そのものだった。





 夜が長い。

 闇の中で、仲間の息遣いだけが響く。

 弾は減り、食糧は尽き、水筒の底は乾いている。


 死が近い。だが、治郎は不思議と静かだった。

 何度も敗れ、何度も立ち上がった。

 人生とは、敗北のあとにどう生きるかだ。


「伍長、もう……だめかもしれません」

「まだだ。息がある限り、生き抜け」

 短い言葉。だが、その声には火があった。


 その夜、治郎は夢を見た。

 炎に包まれた城。逃げ惑う兵。

 「氏治様! 落城でございます!」

 ……誰だ、それは?

 目が覚めると、涙が頬を伝っていた。





 すべてが終わろうとしていた。

 銃も、弾も、声も。

 だが、彼らは立ち上がった。


「全員、突撃準備!」

 治郎は立ち上がり、空を見上げた。

 煙の向こう、わずかに青空がのぞく。

 その青は、まるで戦国の空と同じ色をしていた。


「……また、生き抜ける日があるなら――」


 そして、叫んだ。

「行けぇぇっ!」


 砂塵が巻き上がり、炎が爆ぜた。

 尾田治郎の姿は、白煙の中に消えた。

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