第4話「絆・ひとかけら 600円」
昼過ぎから降っていた粉雪が、放課後には細い雨に変わっていた。
濡れた路地は、街灯をまばらに映している。屋台の白布も、うっすら湿って重かった。
「絆・ひとかけら 600円」
看板を書き替えながら、琴音は今日の天気と似た、少し沈む胸の奥をなぞる。
手元の瓶には、温かな橙色の粒がゆっくり回っていた。
それは“人と人の間にある結びつき”を、そっと思い出させる感情。
店を開けてしばらくして、ふいに二人組の少年が近づいてきた。
中学生くらい。どちらも制服は乱れ、靴に泥がついている。
「……兄ちゃん、これ、ホントに効く?」
声を掛けたのは背の高い方。視線を彷徨わせている。
「効くかどうかは、君たち次第です」
琴音は瓶を指先で揺らし、光を反射させた。
短い沈黙の後、低い声がこぼれる。
「ケンカしちまって……。このまま離れたくないんだ。アイツ、小学校の頃からの相棒で……」
横に立つもう一人が、恥ずかしそうに顔を逸らした。
言葉にできない思いが、二人の間に湿ったまま漂っていた。
「じゃあ――この“ひとかけら”を」
琴音はエモグラフで瓶に微細な波形を落とす。
匂いは、冬の夕方に飲むココアのように甘く、どこか懐かしい。
「相手の顔を見ながら蓋を開けて。
そのとき、思い出すはずです――並んで歩いた帰り道、同じ方向に傾いた影のこと」
二人は同時に瓶を見つめ、小さく頷いた。
600円玉が、二人の手から同時に琴音に渡される。
瓶を受け取った瞬間、どちらの手も少し暖かくなっていた。
少年たちが去った後、橘天音が濡れた傘を片手に現れた。
「今日はしっとり系だね。……絆って形、あるのかな」
「うーん……細い糸よりも、湯気に近いかも。
見えにくいけど、近づけばちゃんと温かい」
天音は笑いながらスケッチを始めた。瓶のイラストに、湯気のモチーフが加わっていく。
そのとき――屋台の端に、黒い影が立った。
例のフードの人物だ。今日は屋根の滴も構わず、じっとこちらを見ていた。
「……“絆”。面白い。強い絆も、時に絶望に変わる」
琴音は手を止めた。
「あなた、本当に何をしようとしているの」
影は少し近づき、低い声で囁いた。
「繋がりは脆い。少し引っ張れば切れる。その瞬間に溢れる感情――集める価値がある」
「そんなことに、何の意味があるんですか」
「答えは、もう少し先に見せますよ」
黒い影は、傘もささずに夜の通りに溶けていった。
残されたのは、瓶を通してなお冷える空気だった。
片付けを終える頃、路地の向こうに二人組の影が見えた。
昼間の少年たちだ。肩を並べ、笑いながら走っていく。
手には、空になった橙色の瓶。
その笑顔は、一時的なものかもしれない。
けれど今、この瞬間だけは、世界に雨音よりも確かな“あたたかさ”があった。